ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第766号 丁寧に作られている果実ジャム

2012年11月28日 | 食品
友人Nさんが、通販で買い求めた果肉ジャム。
「美味しいからどうぞ!」と、言って届けてくれた。
品数は4種類。
①ブルーベリー ②いちご ③ラ・フランス ④チェリー

 

生産地は山形県南部内陸部の高畠(たかはた)町。
人口は約25.000人。
通称・まほろばの里とPRしている。
米作の次に盛んなのが果実栽培。多種類を生産している。

容器の形が楕円なのが特徴、シールが可愛らしくメルヘンチック。
果肉が結構な形と数が入っていて満足。
甘さは抑え気味。
生産者の心意気が伝わってきた。

Nさん、有難う。

昨日の低気圧。
停電にもならず、大きな被害もなかったのはなにより。
一方、停電となっている地域の皆さんは寒さにふるえ、お気の毒だ。
我が家のパラボラアンテナに付着したみぞれが凍り、BSがほぼ一日受信できなかった。
この凍結は、18年前にアンテナを設置してから初の現象だった。


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第765号 我が家のラスト紅葉

2012年11月25日 | 植物
昨年の暮れ、庭木のおよそ半数を伐採、
裁断して市の埋め立て処分場へ。おかげで庭はスッキリした。

そのリストの中に、このつつじは入っていなかった。
それは、この紅葉の美しさが忘れられないからだ。

現在は11月下旬。
庭の紅葉が美しく残っているのは、この木だけ。



寂しくなってきた庭に、燃えるような色を添え、目と心を楽しませてくれる。

「間もなく雪に埋もれるね!4月、元気な若芽を見せて欲しいなー」。

そう、つぶやいていた。


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第764号 夕食は宅配膳で

2012年11月22日 | 我が家のもろもろ
ミケが退院してから20日が経過した。
不自由な体は、相変わらず。
家事を少しでもこなそうと、痛みをこらえながら頑張っている。

ミケは私の家事量も軽減しようと、夕食は生協の宅配膳のお世話になることに。
週3回。普通食(590円)、低カロリー食(498円)を各々1食。





ご飯は別料金。おかずは冷凍もの。14時30分までには届き、容器は次回返却。
昨日で2回目。味はしっかりしている。
ミケの配慮に感謝。

届けエリアは、函館地区~函館市、北斗市、七飯町。

問い合わせ先~0120-279-949

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第763号 思い出のダンスホテル

2012年11月17日 | 建物
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券を買い求め、
西部地区をゆっくりと散策。
素晴らしい意匠を持つ建物や歴史ある建造物に目を奪われ、しばし佇む。

この建物は、函館山麓にある二十間坂をくだり市電通りに面したところ。
今流行りの言葉で表現するならば「プチホテル」。建てられたのは多分大正かな?
私は40歳代のころ近くの事業所に勤務していた。
12月になると、同僚や近くの事業所らの職員を誘って、ダンスと映画音楽鑑賞会。







最上階から眺める夜景と冬景色の美しさは抜群。

ラストダンスは、証明を落としての演出。
脂粉の香りに胸がドキドキしたものだった。

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第762号 大正のロマンあふれる美容室

2012年11月13日 | 建物
函館は江戸時代から大火の多い町。
燃えやすい建材の使用と、浜風が通り抜ける地形が影響している。

明治2年、箱館戦争が終結してから設置された「開拓使」。
このお役所は、道内の開拓のみならず、既存の町並みにも大きな力をおとしていった。
それは、「街の不燃化」もそのひとつ。

官営のレンガ工場を北斗市に造ったほど。
当初は建物単位で不燃化を図った。
開拓使の町造りの意向をくんだ函館行政庁は、この通り・「銀座通り」を不燃化することによって、延焼防止ライインとするように図った。

この美容室の前身は公衆浴場で、大正10年に建てられたレンガ造。
正面上部の飾りに、設計者の心くばりが感じとれる。





この通りの歴史ある建造物は、近年取り壊され、駐車場などに替えられている。
現存しているうちに、記録として残したいものだ。


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第761号 菊薫る文化の日、ミケが晴れて退院

2012年11月07日 | 我が家のもろもろ
先月11日に入院、12日に手術を受けたミケが、3日に退院。
右ヒザに人工関節を埋め込むもの。
男一人の世帯に、再び明るさが点灯しだした。

入院中、私は五時起床。
食器容器に果物や手作り料理(玉子焼き、野菜サラダ、煮しめなど)と乳製品を持参。
7時半の配膳に間に合わせるようにした。

ドクター、看護スタッフ、同室の皆様には本当にお世話になった。
親からもらった体に金属が埋め込まれ、さぞかし不自由であり痛いことだろう。
我が家に戻って、車から居間の長いすに腰を下ろすまでが大変だった。
私も背中が汗だく。本人はもっと辛かったに違いない。

これから焦らずに、本人の歩行などに合わせ、手すり取り付け、段差解消、外歩きにふさわしい器具などを具現化しなければならない。

幸い、入院先の病院には「退院後の支援センター」があって、相談にのってくれるから心強い。
妻が身体障がい者になって、初めて知る社会や人間のあたたかさ。
これからよろしくお願いいたします。


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