ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第328号 ちょっと早いですが~香雪園の紅葉

2008年10月31日 | 公園

ここは、函館市内東部にある香雪園(こうせつえん)。
もともとは、市内の豪商が別荘として造成した名園で、その後は一般に開放され維持管理は市がやっています。
近年は紅葉の名所としても有名になり、大型観光バスが訪れるほどに。

そろそろ紅葉が気になり、昨日早朝に出かけました。
ちょっと早いかなーと思いましたが、今後の天気が思わしくないので、思い切ってアップすることに。
木漏れ日が迎えてくれた幻想的な光景に、目を奪われました。

 

まだ緑の葉が目立ちますね。

 

落ち葉のじゅうたんにも木漏れ日がさし、暖かさとフワフワ感を与えてくれました。

 

ここが一番のグラデーション構成スポット。
見とれてしまいました。

 

早朝の園路は人影もなく、冷たい空気と重なって凛とした雰囲気が伝わってきました。

 

今年の紅葉の葉は、伸びきった状態ではなく、縮んでいます。
急に温度が下がったために、紅葉化の準備が間にあわなかったのでは?
昨年よりは一週間ほど遅く、葉の美しさも後退しているように見えました。

香雪園の情報と昨年の写真はこちらからどうぞ。

        

                      
              

 


第327号 今週のランチは?

2008年10月29日 | 美味満足技処、買い物処

知人が五稜郭公園そばの五稜郭病院に入院し、二日続けてお見舞いに出かけました。
面会時間は一時からということで、地下レストラン「ピアンモール」で昼食を。

初日に頂いたのは日替わり定食。
若鶏の照り焼きがメイン。
ごらんのとおり野菜がたっぷり。
ごはん茶碗は大きく、これだけは残しました。

 

そして二日目の今日頼んだはこれ。
店入り口にあるサンプルを見て「美味そうだね!」と、またもや日替わり定食を。
メインは、赤魚の唐揚げに甘酢あんかけをのせたもの。
こちらもたっぷり野菜。
ごはんは、勿体無かったのですが、またもや残してしまいました。

この日替わり定食は600円。
二日間とも満足の味とボリュームでした。

 

また、ここではパンも焼いていて、できたてを販売。
このレストラン内でその味を楽しめるようにもなっています。

営業内容は、0138-54-3703へお問い合わせください。


                       
                     


第326号 修道院院長とお話ができて・・・。

2008年10月26日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

21日に参加したオンパクに引き続いて申し込んだのがこのプログラム「祈りの時間・天使の聖母トラピスチヌ修道院 」。
15:15にこのミカエル像前に集合。
競争率10倍の難関をくぐった25名が晴れての参加。
参加料2,500円をお支払いして受付完了。
21日のオンパクプログラム同様、男性の姿が数人とは寂しいものでした。
ガイド役は市の方。

    

この建物は「旅人の聖堂」。
修道院の庭を訪れてお祈りをなさりたい方のために二千年の大聖年を記念して建てられたもの。
靴を脱いでだれでも自由に入ることができます。

     

     

いよいよ内部へ。
一般的に入れる男性は、皇族、総理大臣、道知事、市長のほか、職務上必要な方のみ。
今回入れたのはオンパクのスタッフの積極的な呼びかけとこれに応えてくださった院長のおかげと聞きました。
院内は撮影禁止。携帯電話のスイッチはオフにとの注意が。

非公開の「聖堂」を見学したあとは、集会室で院長との対談がありました。
院内で作られた「チョコとマダレナ、紅茶」が添えられていました。
15分ほどのビデオを見せていただき院の概要を知りました。

院長の「何でもお聞きください」の声にあちこちから手が。
これに対する院長の答えは次のようでした。

①ここに入るための条件は?
洗礼を受けたカトリック信者で、3年を経過していること。
3年間の社会人生活を経験したこと。
囲いのなかでの生活に耐え、人間的に完熟していること。
心身ともに健康なことなど。

②食事の準備は?
院生に数年の期間で専任させている。
調理師資格を持っている者もいて栄養配分に気をつけている。
原則、四足動物は口にしないが、鶏肉は年数回食卓にのる。

③自給自足と聞いているが?
そうはいかない。
米や麦は作っていない。
野菜のとれない時期には、信者さんや当別の男子修道院から援助の手がある。

④年齢構成は?
平均60歳代で、最高齢は100歳、若い方は26歳。
私(院長)は、26歳でこの世界に入った。

⑤外出は自由なの?
病気治療、選挙投票、親族の不幸には許される。

このあと信者聖堂で20分間の「晩のミサ」に参加。
心を洗い流しました。

帰りには院内敷地で収穫された「ぶどう、三種のジャム、お菓子マダレナ」を頂き笑顔に。
外に出たら真っ暗、正面には裏夜景が広がり、自転車をこぐ顔に冷たい風が流れて行きました。

 

関係者の皆さん、お世話になり有難うございました。
貴重な体験をさせていただき本当に感謝です。
お疲れ様でした。

                    


第325号 今週のランチはこれ!

2008年10月24日 | 美味満足技処、買い物処

しばらく肉を口にしていないので、焼肉にしようという気になりました。
そこで思い出したのが、ブロ友さんがお出かけになったこのお店。
広野町・いさり火通りにある「一心亭」です。

 

当日は焼肉定食が2コースとエビフライ 定食の3コース。
迷うことなく焼肉のこのコースを選びました。
これで、525円也。お得、お得。

店に入ったのは12:45分。
それでも結構混んでいて、人気ぶりが分かりました。
ボックス席になっていて、座ってしまえば他の人と顔を合わせることがないので落ち着けますよ。
ワンコインランチは今時貴重な存在。助かりま~す。

 

 

                    


第324号 土方歳三蝦夷の道&箱館戦争物語

2008年10月21日 | 展覧会、催事など

これは第4回はこだて湯の川温泉泊覧会(オンパク)の66あるプログラムの一部名。
私は歴史や史跡にとても興味があるのでこれを選び、昨日参加させてもらった。
オンパクとは、
湯の川温泉街を中心とした体験型プログラムを通じて、参加した方々に「元気・キレイ」になっていただく」がその趣旨。

申し込んだプログラムの狙いは、
「徳川幕府が崩壊し、徳川艦隊は蝦夷地に向かった。
蝦夷で北方警備と蝦夷地開発を嘆願しようとした旧幕府軍は峠下(現七飯町)で箱館府兵他に攻撃され、箱館戦争の幕がきっておとされた。
戦いは明治元年~明治2年に行われ、函館の町はその中心となった。
市中には多くの史跡があり、ここをウォークとバスで巡り、箱館戦争を知る初級コース」とあった。

巡るコースは、
湯の川温泉街・松風苑スタート→湯川野戦病院跡(湯倉神社)→亀田八幡宮→千代ヶ岡陣屋跡→土方歳三最期の地碑→異国橋跡→かねさ屋跡→旧箱館検疫場付近→高龍寺→碧血碑→松風苑→昼食・入浴→解散

8:45分に受付開始。参加料3,000円を支払う。定員20名に対して18名の参加。
ただちに渚亭の大型バスに乗り込んだ。オンパク河内事務局長が歓迎のご挨拶。続いて添乗員となるホテル湯の川の和泉さんが自己紹介とガイド役を務める毛利さんを紹介。
バスは静かに動き出した。

最初は湯倉神社(車窓から)。
箱館戦争当時、この付近には榎本軍の野戦病院があり負傷兵の温泉治療場があった。その当時の湯温は低く冬期間は入れなかったほど。
近くにある榎本町は、榎本武揚軍の病院にちなんでつけられた。

五稜郭(車窓から)
①堀ののり面は土仕上げであったが、寒冷地特有のシバレで春先には崩壊。
石垣を積むことになり、工事は東京品川台場の工事実績がある備前岡山の石工・井上喜三郎が請け負った。
石は箱館山裏から切り出した安山岩を使った。
②堀に架かる橋は5本。ボート屋さんと東側にもあったが、戦争で防御のため落とされた.。
③突き出した三角形(半月堡・はんげつほ、面積約4,200㎡)は全部で5箇所設置する予定だったが資金不足でボート屋さんがある1箇所だけで終わってしまった。
④箱館奉行所に勤務する役人の官舎は、現中央図書館敷地に建っていたという。

千代ケ岡陣屋(車窓からの予定であったが時間の関係上割愛された)
この陣屋は市営球場、陸上競技場に、東西約130m、南北約150mの規模で土塁を
もった本格的陣屋で仙台藩が築いた。
明治政府軍の箱館総攻撃の時の守備隊長は、もと浦賀奉行所与力・中島三郎助。
中島は、ペリー艦隊が来航したとき、軍艦に乗り込んだ最初の日本人だった。
また、幕府立・長崎海軍伝習所では勝海舟とともに第一期生であり、榎本の先輩である。
開陽丸が江差沖で破船沈没したときは、機関長だった。
その責任を最後まで背負って、若い息子2人とともに北の大地に散った。

亀田八幡宮(下車見学)
旧亀田村の鎮守様として、1390年に創始された。
写真の旧社殿は1863年の建立だから箱館戦争が終結した1869年にはまだ木の香りが残っていた。
明治2年5月17日、榎本武揚らはここに参って、降伏の誓約をした。
裏側の羽目板には箱館戦争の弾痕が残っていて、この地も激戦地であったことを物語っていた。

 

土方歳三最期の地碑前
死亡地は3説あるものの、市がこの付近と正式決定した。 
戦死当日の状況はこちらから

 

この方がガイド役の「毛利剛さん」。
「私は、維新当時の道(旧道)を歩くのが専門で史跡には詳しくないんですよ}と言っておられたが、知識は広く深いと感じられた。
おかげさまで新たな知識をたくさん頂戴できた。 

この方のホームページは見応えがありますので、ぜひ訪れてください。スケールの大きい人生にきっと驚かれると思います。)

 

市電通りを進んで十字街へ。
交番のところに異国橋(栄国橋)があって、付近で土方が亡くなったとも言われている。
当時は、現・中の橋から高砂通りは願乗寺川か流れ、銀座通りを経由して箱館港に
注いでいて、赤レンガ倉庫群あたりには多くの水路があった。

基坂の下、市電通りに旧高田屋本店跡の石柱がある。
幕末、この地に佐野専左衛門が経営する商標・ちょうさ(丁サ)、屋号萬屋(よろずやの大店(おおだな)があった。
この店の一部を土方の仮住居として提供したとされている。

市電終点・どっく前へ。
幕末当時は海に造った弁天台場跡地を右に見て下車。
終点あたりが台場の入り口で、台場跡の木碑があるあたりが台場の中心だった。
この台場はほぼ五角形で、高さ11.2m、面積約39,600㎡、備砲十数門の規模だった。
新撰組らがここを守備していたが、市中警備の兵士が逃げ込み、水、食糧が欠乏。
5月15日に降伏した。
明治29年に港湾改良のため取り壊された。
残っていれば大きな観光資源だったろうに。
このような事を考えれば、函館山要塞の保存は早期に手を打つ必要があると思うのだが・・・。

ここで下車、しばらく歩くことになった。
この時期にしては日差しが強く、汗ばんできた。
この台場の積み石を使って造られた函館漁港(入舟漁港)を見学。リサイクルのはしりかなと思った。

旧山背泊町(現・入舟町)の狭い道を奥へと進んで石段を上ると山背泊台場があった。ちょうど、高龍寺の山門から下がった位置。
向かいには北斗市富川、矢不来地区が望めるから見張台、射撃台に的を得た好位置。外国の不審船の発見に大いに役立ったことだろう。

 

高龍寺を左に見て、函館山方向に進む。
旧・函館検疫所の斜め向かいに押付(おつけ)台場跡があった。
この地理的条件は、山背泊台場と同じ。
二つの台場にあった大砲の弾の大きさは野球ボールくらいだったというから、その破壊力は?

外人墓地通りに地蔵寺があって、箱館戦争時には地蔵堂という名だった。
幕軍戦死者の一部はここにも葬られた。

北海道一の伽藍を誇る高龍寺境内に入った。
箱館戦争当時、寺は下の方にあった。
箱館病院の分院として幕軍の負傷兵の治療にあたっていた。
明治2年5月11日、明治政府軍による箱館総攻撃の日、ここに津軽藩兵、松前藩兵らが乱入、負傷入院していた会津藩士十数名を斬殺した。
明治13年、この戦争生き残りの旧会津藩士が霊を弔うために「傷心惨目の碑」を建立、寺務所横にあって、会津の方々のお参り姿を見掛ける。

50分の徒歩による移動を終え、高龍寺前からバスに乗り込み立待岬経由で碧血碑へ向かった。
岬にも小規模な台場があって、津軽海峡を航行する不審船に目を光らせた。
薩摩藩の黒田清隆は、ここから上陸し軍の指揮を執った。

 

11:06 最後の見学地である碧血碑に到着。
ご存知の幕軍戦死者共同墓地である。
明治8年、大鳥圭介らによって伊豆産の石材を使って建てられ、796柱を祀っている。建立者名、埋葬されている者の名はなく、明治政府への遠慮かも知れない。
この碑の詳しいことはこちらから

この碑のすぐ傍に侠客・柳川熊吉の功績をたたえた「柳川翁之寿碑」がある。
熊吉は江戸・新門辰五郎一家(清水次郎長の配下だった)にいたが、のちに来箱、箱館奉行の知遇を受け、多数の子分を持つようになった。
路上に放置されたままになっていた幕軍戦死者の遺体を、実行寺住職と相談し、子分に収容させ弔った。
晩年、碑の近くで柳川亭という料理店を出し碑のお守りをした。
大正2年に亡くなり、ご子孫が碧血会会長として、碑の管理と碑前祭を行っている。

11:45 松風苑着。
添乗員・和泉さん、ガイド役の毛利さんからあいさつがあって会食が始まった。

 

料理はご覧のような豪華版。
いかさしはコリコリして活きのよさが感じられた。
「ご飯のおかわりをどうぞ!」と声をかけて下さったが、一膳で十分。

 

このあと、温泉入浴し帰宅。
楽しく、そして充実した日だった。

一昨年、「はこだて検定」を受けるために郷土史を猛勉強しました。
今回のこのプログラムに参加して、ガイド役のも~さんから教えられた事は多く、参加して本当によかったと思いました。
また、郷土史に関するプログラムをぜひ企画立案して欲しいものです。
関係者の皆さん、お疲れ様でした。
そして有難うございました。      

                        


                     

 


第323号 五稜郭を自転車でユックリズム

2008年10月17日 | 公園

朝晩の冷え込みがだんだん増してきました。
自転車に乗れるのも残り僅かとなって、日中は錆付いたボロボロの車体にまたがってあちこちへ出没。
今回は五稜郭公園へとペダルを踏み出しました。

博物館分館は既に取り壊され、発掘作業中。
ここには、箱館奉行所の付属建物があったところ。
その建物を復元するための基礎調査のようです。

分館そのものは、昭和29年に北洋漁業の再開を記念して開催された「北洋博覧会の展示場」として建設されたもの。
その後、博物館に転用されました。

新撰組展、箱館戦争展、明治維新展など数々の特別展が開催され、見に行ったもの。その感動の場が消滅、寂しさを感じました。

 

公園内には多くの樹木がありますが、ナナカマドがそろそろ紅葉に。
真っ赤な実がたわわに実って、冬の間は小鳥たちのレストランとして賑わいそうです。
以前は、ここで鳩に餌や水をやっているグループがおりましたが、その姿は皆無。
どうしたものやら?と思っていたら、「不衛生ですので鳥に餌を与えないで下さい・函館市」の立看板。
のどかな光景ではあったのですが・・・。

 

タワーに寄って一休み。
売店には土方グッズを求める若い女性の姿が相変わらず多く見受けられました。
ワインコーナーには、こんな品も。「土方歳三の血」
五稜郭といえばやはりHIZIKATA人気が圧倒的。
彼もあのハイカラ姿で、このワインを飲んでいるのかも知れません。
おつまみは、もちろん「いかさし・イクラ・かに」でしょう。

 

帰りは迷わずデパ地下へ。
卑しさをむき出しにして、きちっと試食巡りです。
家までのエネルギー補充はこれで万全。
レッツゴー!


                       

               


第322号 幕末の開港地の麺フェスタ

2008年10月14日 | 町の話題

12、13日の両日、金森赤レンガ倉庫群のBAYはこだてで、幕末に開港した5都市の麺フェスタが開催されました。
これは、函館が来年開港150周年を迎え、記念行事の前段として企画されたもの。

参加店と品名は、次のとおりです。
長崎=老李(らおりー)の皿うどん 神戸=友屋(ともや)牛バラめん 横浜=一品香(いっぴんこう)絶品たんめん 新潟=味濱家(みはまや)極々み(きわきわみ)
函館=ラーメン店有志らで作られた125年前の「復刻函館南京そば」。

三連休とあって観光客や市内、近郊からもたくさんの麺ファンがつめかけ会場はものすごい人出。
お目当てのお店に長蛇の列ができ、大成功のイベントだったと思います。

 

私が並んだのはもちろん地元函館の復刻南京そば店。
おそろいのTシャツを着込んだ市内各ラーメン店の方が威勢良く「いらっしゃい!」の元気な掛け声、皆生き生きした表情。
それが、味にしみわたってきそうでした。

 

「復刻函館南京そば」とは?
ストレート麺で、スープは鶏ベース+昆布の岩塩味。
具は銀杏、きんしたまご、ほうれんそう、ねぎ、やわらか鶏肉。 
当時のそばが約一杯1銭に対して南京そばは15銭と高価。
それは、獣肉のなかでは鶏肉が高級だったためとか。

売り出したのは、西洋料理店・養和軒で店主はアヨン氏(陳南養)。
店は明治15年の建築、場所は旧船場町で会場の隣接地にあったということです。

 

このそばを復刻させるにあたっては、ラーメン店のほかに製麺業者、食材卸会社、ラーメン愛好家らが半年かけて試行錯誤を繰り返しての完成でした。
本当にご苦労様でした。
そして、スタッフの方々もご苦労様でした。
美味しくいただきましたよ。

                      
                     


第321号 はこだてカルチャーナイト

2008年10月11日 | 町の話題

秋の夜長、皆さんはどんな過ごし方をされていますか?
昨夜、ここ函館では「落ち葉舞い散る秋の夜、家族みんなで、新しい発見に出かけませんか」と題し、文化・教育施設、民間施設が夜間無料開放されました。 
主催は同ナイト実行委員会、事務局は函館商工会議所。

参加施設数は22。
無料のシャトルバスが運行されました。
私が見学したのは4施設。
①自衛隊の掃海艇うわじま ②赤レンガ倉庫群の警察コーナー ③巡視船びほろ ④日本銀行函館支店

最初の見学は、弁天町西埠頭に停泊中の海上自衛隊掃海艇「うわじま」。
電飾をしてのお迎えが嬉しかったです。
基準排水量は約560トン、乗組員数40名。無給油で硫黄島まで航海可能とか。
航海中の風呂、私物の洗濯はご法度。シャワーが2日に一度。
艇内の階段は、ほぼ垂直に近く、一段一段慎重に昇り降りしました。

 

一皿200円の海軍カレーを試食。
大人の私でも辛かったから、子供さんたちは「辛い、辛い」を連発。
残念ながら、私の皿にはご覧のとおり「福神漬け」 が添えられてなかったんですよ。
これなら、180円でしょうか?(笑)。

 

夜の赤レンガ倉庫群の間にある運河は幻想的。
でも、なかなかうまく撮れませんでした。
コンパクトデジカメだから?いえいえ、それを上手く使いこなせないからでしょう。
ここには、警察コーナーがあって、パトカー、白バイが展示。
似顔絵作成のサービスもあって、お子さんには人気の的でした。

 

ここから徒歩5分で豊川町埠頭に停泊中の巡視船「びほろ」へ。
大々的に電飾して迎えてくれました。特別な飾りとか。
総トン数は約500。階段は掃海艇よりもかなり緩やかで昇降がらく。
操舵室で保安官から機器の説明、荒海での遭難者の捜索・救助の苦労話を聞きました。
確かに厳寒の海での業務のきつさは、想像以上だろうと思いました。

 

操舵室から電飾した旧青函連絡船・摩周丸を狙いましたが、やはりイマイチ。

 

最後は日銀函館支店。
人気があり、家族連れで大賑わい。
行員の方が親切丁寧に日銀の仕組み、仕事内容、お札の歴史について説明してくれました。
三択式の日銀上級クイズに挑戦。
「成績優秀者には、認定書を送ります」とのこと。そうなって欲しいなぁー。
17時から歩き始めたカルチャーナイトもここで結び。時計を見たら19時半でした。
松風町から市電に乗って帰宅。
なかなか、個人では見学できない施設に入れて満足しました。

それにしても昨夜は良く歩きました。
スタートは青柳町・函館公園内の市立函館博物館。
ここで、昔懐かしい生活用品の展示物を観覧。
そして、十字街の旧丸井デパートのまちセン、旧西警察署の臨海研究所、西埠頭、明治館、豊川埠頭、市役所、日銀函館支店と巡りました。
さすがに疲れて昨夜はぐっすり。でも目覚めは爽やかでした。

関係者の皆さん、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。

※ おまけ
昨日、我が家の庭に雪虫の大群が出現。
ある気象予報士の解説によりますと、この虫が飛び始めた1週間以内には初雪が降るとのこと。
そうならないように願っているミカエル家なのですが・・・。


              
                      


第320号 今週のランチ~キャビア?

2008年10月09日 | 美味満足技処、買い物処

今週のランチはそば屋さんでいただきました。
キャビアといっても畑のキャビアと呼ばれている「とんぶり」のこと。
函館市内のそば屋有志8店で構成する「函館そば屋友の会」が期間限定(11月中旬まで)で提供する「秋の味覚セット」です。

 

行ったのは湯の川温泉電停そばにある「やたら家本店」。
温かいそばに、とろろいものすりおろしの上にとんぶりがのった汁物と穴子の天丼がついて700円也。

 

私は、汁物よりも「穴子天丼」が気に入りました。
ご飯は多く、少し残してギブアップ。
ごちそうさまでした。

参加店はこのほかに7店です。
東京庵支店(本通1丁目)、いがらし(柏木町)、東京庵本店(末広町)、神山ふでむら(神山2丁目)、丸常長寿庵(亀田港町)、丸京(豊川町)、かしわや(若松町)。

※ おまけ
明日10日は、旧体育の日。
これは昭和39年の東京オリンピック開会式を記念して設定された国民の休日。
真っ青に晴れた秋空に、真っ赤なブレザーを着込んだ日本選手団。
古関裕而氏作曲の行進曲に合わせて堂々の入場でした。
「あー、これでわが国も欧米と肩を並べることができるんだ」。
そう思ったら、なぜか目頭が熱くなったのを覚えています。



                     

 


第319号 航空基地が一般公開!

2008年10月06日 | 町の話題

5日の日曜日、海上保安庁函館航空基地が一般公開されました。
場所は函館空港の南隣接地。当日は秋晴れが広がって、ヘリコプターが美しく映え、大勢の家族連れで賑わいました。

 

この基地の大きな仕事は二つ。
一つは海難救助。もう一つは密漁取締り。
一時、本道沿岸でナマコの密漁があり、これの密漁者を逮捕するために夜間出動。
サーチライトを点けて、高速船を追跡している状況がテレビ放映され、緊迫感が伝わってきて、見事に逮捕したのは印象的でした。

格納庫にもへりが展示され内部を自由に見ることができ撮影もOK。
やはり、一度は座ってみたいもの。
子供たちの人気のまとでした。

 

格納庫での降下訓練のひとこま。
確か、小学生だったと思いますがチャレンジ。
勇気ある行動に見物客から大きな拍手がわきました。 

 

記念撮影用にと制服を用意してくれました。
可愛い姿に思わずパチリ。
将来の夢は「うみざる」かな?
そのために、ご飯をよく食べ、スポーツで体力をつけてちょうだいね。

 

厳しい訓練の模様を見てもらおうとデモも行われ、「頼りになる海保」のイメージをますます強くした行事でした。

そして海保では、次のことを守るようにPRしています。
1.揚げ物等の油を流さない。
2.牛乳、味噌汁、醤油等の調味料・残り物を流さない。
このくらいのことなら、守れそうそうですね。

海保の皆さん、有難うございました。
そして、お疲れ様でした。


                     

 


第318号 ミカエルがラッキーピエロに変身!

2008年10月03日 | 美味満足技処、買い物処

2日、ラッキーピエロ戸倉店がオープンしました。
同社にとっては、14店目。
函館生まれで全国ブランドになったハンバーガー店の快進撃が続いています。
近くに住む私たちにとっては大歓迎。
早速開店と同時にチャイニーズチキンバーガーをテイクアウトしました。

 

この建物は、昭和40年代に高級レストランとして営業を開始した「ミカエル」。
外見はそのまま残し、独特のラッピーカラーに塗り替え。
内部はインテリアに工夫を凝らしてのオープンとなりました。

 

多角形部分の屋根上には風車が取り付けられていました。
写真を撮っていたら、専務で同店店長でもある「王 未来(みく)さん」が出てこられ
「洞爺湖サミットで使われたデザインを模してみました。生まれた電気は店内の照明補助に使っております。少ない電力なのですが・・・」と説明してくれんました。
これまでも、数々のエコアイデアの提案と実績を誇る同社。
また、ひとつのヒットでした。

 

同店は、駐車場24台、座席数76とラッピー№1を誇る大型店。
ドーム型天井の装飾の美しさと壁に貼られた「アメリカのハンバーガー店」の写真の多さはミニ博物館のようで、どちらも見ごたえがあります。

 

場所は、湯の川温泉電停から女子修道院へ向かう左側で、戸倉中学の下です。
王さんをはじめ、スタッフが心温まる笑顔で待っています。

営業時間(年中無休) 平日10:00~24:30  土曜日10:00~25:30