ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第827号 既に天国に召された級友も~高校クラス会

2013年10月10日 | 展覧会、催事など
8日、湯の川温泉のホテルで、高校時代のクラス会が開かれた。





卒業後、50年が経過、当然のことながら容貌が変化していた。
「誰だっけ?」「ほら、おれだよ、おれだよ」。
「わからないなー」「Tだよ、T」
「そうか、T君か。T君だね!そう言われれば面影はあるね」。
このような会話があちこちで・・・。
それにしても、皆、それなりに綺麗に、年をとったものだ。

クラス生徒数は、43名。
出席 15名。
欠席通知有 5名
逝去 2名
居所不明 21名
先生は、体調がすぐれないとのことで、残念ながら参加できなかった。
不明者の確認には、「プライバシーの保護」が浸透し難航。
ひと昔前のようには、いかなくなってきている。



逝去者に合掌。
各々の近況報告のあと、自由発言にうつった。
自己の病気のこと、子供のこと、孫のこと。
学生時代の思い出などなど。
予定の3時は、あっという間にやってきた。

次回開催予定は「東京オリンピック年」。
再会を約束して、「生きていれよな!」の声で別れた。

前回の東京オリンピック開催のころは、夢と希望に向かってまっしぐらだった。
次回の東京オリンピック開催のころには、多分、多分、棺に向かってまっしぐらかも。

幹事役を引き受けてくれた方々、ご苦労様、ありがとう。


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第795号 さくらと博物館を見に!

2013年04月30日 | 展覧会、催事など
28日の日曜日、暖かな良いお天気になったので、久しぶりに博物館へ出かけてみることに。
館は、桜の名所でもある函館公園の中にあり、園路沿いにはテント張りの臨時仮設店が並んでいた。
やきとり、おでん、輪投げ、アニメ主人公風せん、などの定番である。
やきとり店から漂う、美味しそうな匂いに胃がグー。
小さいころを思い出した。

「さくら」は、天候不順日が多いため、まだ硬いつぼみのまま。
開花が、遅れているのがよく分かる。
しかし、鳥の「うそ」の被害がなくてなにより。

館では、「企画展・函館商人の人生模様」を、開催中。
二人の妻、二人の母、単身赴任、絵描きへの夢などで綴る展示物であった。



展示史料の大部分を占める「酒谷家」は、大町旧西警察署近くにあった「屋号・ワチガイ 酒谷」という酒問屋。
先祖は、北前船で活躍した船乗り。
箱館の地に人生の基点を移し、新たな舞台で活路を開いた。

私は学生時代、五稜郭地区の酒屋でバイト。
ここに、酒谷から配送車両がきていた。

酒谷商店は、純日本風家屋で、堂々たる漆喰造りだった。
昭和38年ころまでは、営業していたのを覚えているが、現在、正確な位置は忘れてしまった。
活気のよかった若い店員さんたちの掛け声が、聞こえていたのが夢のようだ。
別宅は、湯の川温泉街(現・東郵便局の対岸)にあった。

この展示は、5月31日まで。
6月14日からは、「企画展・新島襄と幕末の箱館」が始まる。



担当学芸員は、「目下開催に向けて、多忙な日々が続いている」と。
展示内容に期待ができ、また足を運ぶことと思う。



第731号 もうすぐギラギラ太陽。夏だぜ!ビールだぜ!

2012年06月17日 | 展覧会、催事など
函館山の麓、函館公園内にある市立函館博物館。
24日まで、企画展として、「函館の麦酒」というタイトルで、
その歴史・産業・意匠の資料を展示公開中。
15日、観覧に出かけた。
今回の展示にあたっては、「サッポロビール関連会社」の協力があった。

 

 

いろいろな資料が展示されていたが、最も興味を覚えたのが、「ビールポスター」。
大正、昭和初期の女性をモデルにし、描いたたものがほとんど。

当時はまだ、イラストレーターの存在はなく、人物画は、専ら一流画家が担っていた。
年代とともに、日本髪姿から短パン姿へと移行。
悩ましさも増してきて、ますます「ビールが美味い」と、思ったことだろう。

ポスターには、社名を伏せているのもあった。
また、今は存在しない、カブトビール、サクラビール、ユニオンビールなども。

現在、大手ビール会社は、アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーの4社。
アサヒとサッポロは、複雑な運命を歩んだ。

1906年9月、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、日本麦酒(恵比須ビール)、
札幌麦酒(サッポロビールの前身)の三社が合併して、できたのが大日本麦酒株式会社。

この新会社は、戦後の財閥解体により、
① 朝日麦酒(現・アサヒホールディングス)
② 日本麦酒(現・サッポロホールディングス)に分割された。

 

函館とビールの結びつきは、どうであったのか?

① ぺりーが箱館に来航し、その後、国際貿易港になった箱館には、
ビールが市中に出回るようになった。
愛飲家としては、箱館お奉行、旧幕府脱走軍総裁・榎本武揚らの名が見える。

②明治15年、石黒源吾が「山麟(やまりん)麦酒」を醸造。

③明治30年、金澤正次が谷地頭町に「函館ビール醸造所」を設立。
設備はドイツ製、ホップはアメリカら取り寄せた。
同年12月、函館ビール(赤ビール)ポックビール(黒ビール)を発売した。
販売先は東北までおよんだ。
明治33年には、ビヤホールを開店、評判だった。

これら二社のビールは、地ビールのはしりと言ってよい。
しかしながら、明治37年までに廃業となったのは、残念である。

エピソード

サッポロビール園の前身は、
明治8(1876)年9月23日に開業した北海道開拓使・官営麦酒醸造所。
この事業にあたったのが旧薩摩藩士・村橋久成。
イギリス留学をしたエリートである。

明治2年の箱館戦争では、明治政府軍の軍監として参戦している。
同年5月には、亀田八幡宮境内で戦勝記念撮影。
黒学生服風上下、ちょんまげ、帯刀という和洋折衷スタイルだった。

この会期は、24日・日曜日まで。
私はもう一度観にいって、ビール歴史マイスターになりたい。
それと、綺麗なポスターお姉さんとも逢いたいなぁー。


ミカエル

第729号 「大浅草まつり」で、食品買いをしたあとは・・・

2012年06月12日 | 展覧会、催事など
とはいっても、浅草へ出かけたわけではない。
JR函館駅前のデパートで行われた物産展での話。
行った9日は、あいにくの曇り空で肌寒かった。

 

今回で38回目となる「大浅草まつり」。
大江戸の味と技めぐりは、毎回大人気。
江戸から各分野の職人さんがやってきて、
函館市民を楽しませてくれる。

 

今回の目玉は、
東京スカイツリー公認ライセンス商品の限定販売があること。
主催=浅草専門店会、後援=東京都台東区・浅草観光連盟。

会場には、江戸を偲ばせる太鼓入りの軽快なBGMが流れ、
購買意欲をくすぐっていた。

 

私は、もっぱら、食品に目を向けた。
①今半の牛肉弁当、②古城館の深川めし、③寿やの釜めし、
④天長商店の東京べったら漬、⑤赤坂トップスのチョコレートケーキ。
9点買いだった。

この日は、2連泊で出かけるところがあったからだ。
初孫、パパ、ママがお世話になっているママのご実家へ。

あとは、途中のスーパーでイチゴも求めた。

ベイビーの顔を見るのは、10日ぶり。
どんなに成長したのか?
楽しみで、躍る心を抑えながら、ハンドルを握って行った。

パパは、「ほーら、ハコジジとハコババがきたぞー」と、
ベイビーに向かって声をかけていた。
それに合わせるように、こちらを向いてくれた。
そして、笑顔も見せてくれた?ような気がして、
二人で思わず「ニッコリ」。


ミカエル

第724号 強かった女性陣~全国ひじコン!

2012年05月20日 | 展覧会、催事など
桜が終わり、初夏を迎えようとしている函館。
木々は新緑となり、カッコーも鳴きだした。
こんな季節、市民が楽しみにしているお祭りがある。
それは、今年で、43回目を迎える「函館五稜郭祭」だ。

明治2年5月、旧幕府軍(榎本軍)と明治政府軍とがここ函館で決戦、
新撰組らも多くの死者を出して、戦は終結し、近代国家建設へと進んだ。

このお祭り行事の一環として毎年行われている「土方歳三コンテスト全国大会」。
今年は第25回目となり、19日に五稜郭タワーアトリウムで開催された。



大の土方ファンである私は、カメラを持って見学。
声援をおくった。

参加者は例年よりやや少ない15名。
遠くは岡山、京都、名古屋からも。
うち女性は5名と、土方ファンは男女を問わないことがうかがえる。

今回の演目テーマは、決戦を前に、土方付の若い隊士・市村鉄之助に
自分の写真や俳句などを託し、故郷・日野へ届けるように命令。



その後の演技は、敵陣への斬りこみを図り銃弾に倒れるといったもの。
この場面での演技がみどころであり、審査の要となる。
創意工夫の倒れ方、台詞がポイント。

 

 

 

演技が終わると、司会者(左)から、土方像について感想を求められる。

 


涙あり、笑いありの演技が終了し、フィナーレ。

 


めでたく入賞された方々。
左が東京から来られたコバヤシヨシノリさん。中央が優勝された地元のアサツマユミさん。
なんと高校生。
右が、函館五稜郭賞の地元・カナヤアイコさん。
よかったですね。

賞にもれた方々、来年のエントりーをお待ちしております。

 

今日20日、午後からは「維新行列・音楽パレード・
開城セレモニー(箱館奉行所前)」と続く。

青空が広がって、穏やかな風。最高気温は20℃の予報。
市民の皆様、観光客の皆様、どうぞお出かけください。


ミカエル

 

第711号 当たった!そして観た歌謡笑劇団

2012年03月31日 | 展覧会、催事など
NHK地デジで放映されている人気番組「ごきげん歌謡笑劇団」。
函館局の開局80年を記念して、26日に市民会館で録画撮りが行われた。



往復葉書で観覧応募。高い倍率のなか抽選で見事に当選。
とても嬉しかった。
久し振りにミケとの外出だった。
会館向かいのレストランで夕食を。
ボリュームがあって、二人とも完食はできなかった。
(タッパを持参すべきだった。残念!)

そこから会館までは5分。
猛吹雪と寒さで体がすっかり冷え込んでしまった。
会館に入ると暖かさが伝わってきて、微笑みが。

入場時(18時)の混雑と長時間の長蛇の列を防止するため、局では一考した。
正午から会館入り口で、予め指定席券を交付する方法をとった。
引くのは当選者自ら。
これなら安心し、時間にゆとりをもって入場できるからだ。
いい方法だと思った。
「それで、いい席だったの?」「いや、後ろから4番目だったのさ!」。

18時45分に開演。
レギュラー=瀬口侑希、テツandトモ
ゲスト=青空球児、岩佐美咲、京本政樹、春風亭昇太、藤田朋子、
細川たかし、美川憲一。



細川さんは、北海道出身。
蝦夷富士と呼ばれている羊蹄山の麓の真狩村。
美味しいジャガイモの名産地だ。
豊かな声量とユーモアあふれる話術が光っていた。

昇太さんは、笑点でお馴染みの落語家。
函館にお嫁さんを探しに来たんだろうか?
立っての寄席は、やりづらかったろうに。

美川さんの衣装は今回も派手派手。
でも、自然体で見事に着こなしていた。

料理コーナーでは、地元の名産魚として「ドンコ」を取り上げ、
調理方法などを紹介していた。
しかし、この魚はむしろ東北が多産地。
函館だから、市の魚「いか」にして欲しかった。
一層のこと、当地でより獲れない「ごっこ」を紹介して欲しかった気もした。

劇中芝居は、「いか」をテーマにしたストーリー。
ドタバタそのもので、よく理解できないうちに結びとなってしまった。

コロッケさんの司会は、スタートしたばかりだから、
これから切磋琢磨が必要と感じた。

終了となって家路に急ぐ皆さん。
雪も風も止み、満足した表情だった。



出演者の皆さん、運営に当たられた皆さん、ご苦労さまでした。
有難うございました。


今回の録画の放映日は、5月3日。
時間は19時30分から。ぜひご覧下さい。


ミカエル

第618号 被災地へ届け!五稜郭チャリティーコンサート

2011年04月12日 | 展覧会、催事など

この度の地震・津波で大きな被害を受けられた皆さんを
支援しようと多くの団体がチャリティー活動に懸命だ。

ここ函館でも、10日(日曜日)に五稜郭タワーアトリウムで、
コンサートが開催され、募金の呼びかけが行われた。 

 

積極的に立ち上がったのは、①函館商業高等学校吹奏楽部 
②函館白百合学園中学高等学校吹奏楽団。

十数曲の軽快で力強い演奏。
心を捉えた華麗な合唱、
動きあふれる楽しいダンス。
若さを精一杯取り入れた素晴らしい演出に感動を覚えた。

フィナーレでは、約300名の大きな拍手が鳴り止まず、
やがて「アンコール」の唱和となった。

 

  

「この感動を、被災された方々にぜひとも伝えたい」。
そう思い、マイブログに掲載することでお許しを得たいと考えた。

被災者の皆さんにとっては、突然出現した人生最大の苦難坂。
さぞかし、傷心深いことと思います。
なんとか登り越えられるよう祈っております。

コンサートの関係者の皆さん、ご苦労様でした。お疲れ様でした。
私も、大きな元気をもらいましたよ。

有難うございました。   


                


        


第480号 新春の清らかな音色

2010年01月13日 | 展覧会、催事など

10日の日曜日 、五稜郭タワーアトリウムで、函館白百合学園中学高等学校吹奏楽団の「ウインターコンサート2010」が開催され出かけた。
団員は合わせて40数名。
アンサンブル、合唱、吹奏楽の3部構成。
雪の五稜郭桜を見ながらの音色は、清らかに伝わってきた。

 

めったに聴けない「パーカッション5重奏」。
ティンパニー、鉄琴、木琴、チャイム、太鼓などから鳴り響く力強い音。心の底から湧き上っくるエネルギーを感じた。

 

合唱も素晴らしかった。
綺麗な旋律がアトリウムに響き渡り、観光客も足を止めて聴き入っていた。
桜も冬眠を一時休止。
枝を会場の方へ少し伸ばし、心の栄養剤を補給したもよう。

 

お馴染みの曲も演奏されてなごやいだ雰囲気。
ロンドンデリーエアー、あの素晴らしい愛をもう一度など。
礼儀も丁寧で、演奏時間60分はあっと言う間に過ぎ去った。
新春の日曜日、女学生から素敵なプレゼントをもらい、幸せいっぱいになった。
有難う、有難うね。

 

                 

 


第430号 学芸員の解説つきで・・・

2009年08月23日 | 展覧会、催事など

昨日(22日)の午後、道立函館美術館で開催中の企画展「函館開港150周年記念 箱館→函館 ビジュアル時間旅行」を観に出かけた。 

 

丁度、学芸員による解説があるということで急遽参加することに。
受付前ホールに二時までに集合。
現れた学芸員は、ペリー提督の服装を模していたのでビックリ!

 

展示品は、写真、錦絵、ポスター、洋式建造物の模型、絵画など約300点を超えていた。
幕末、開拓期、明治、大正、昭和初期へと展示品が移り変わる。
そこから感じとられたのは「モダン、繁栄、おしゃれ」。
一時は、東京以北最大の都市だった時代もあった函館。
夢が叶うのであれば、当時の賑やかさがカムバックして欲しいもの。

特に展示点数が多かったのは写真。
幕末、明治初期の資料解説には力が入っていた。

日本の写真発祥地は、長崎、横浜、函館の三開港地。
①長崎には、龍馬を撮った西の写真師・上野彦馬。
②横浜には、東の写真師・下岡蓮杖。
日本のお土産にと、外国人向けの国内の風俗写真を数多く撮った。
③函館には、下岡の門下生で写真油絵師でもあった横山松三郎。
そして、土方を撮った田本研造がいた。
田本だけは、ロシア人に写真術を学んだ。
開拓使や明治政府などから依頼された公共事業の撮影作品が多い。
土方を撮った写場は、八幡坂にあったらしい。

 

およそ20名の参加者は、学芸員の解説に、遠い時代の出来事を想像しながら聴き入っていた。

映画館やランチ会場もそうであるが、ここでもご婦人の姿が圧倒的に多い。
「男性諸氏よ、積極的に外へ出て、人生を楽しもうではありませんか」。
そんな事も思い浮かべた。

幕末から現在までの興味あふれる40分旅は、新しい知識と深い感動をも与えてくれながら終わった。

学芸員さん、有難うございました。  
またの解説展示を待っています。
 

                

 

 


第428号 さようなら、ドリームボックス150

2009年08月17日 | 展覧会、催事など

函館の西部地区の緑の島で、8月8日から開催されていた
            
が、昨日16日に無事幕を下ろした。

昭和63年に開催された「青函トンネル開通記念博覧会(青函博)」以来のビッグイベント。
函館は盛り上がり、そして燃えた9日間だった。

私は昨日、三度目の見学。
好天に恵まれた最終日とあって、ひと、ヒト、人で大盛況。
終了を惜しむ声があちこちから聞こえてきた。
期間中の入場者数は約133,500人。
函館市の7月末の人口が284,927人だから、およそ半数の住民が観たことになる高人気だった。

こちらは評判の高い、出来立ての「さきいか」の無料配布所。
暑いので塩分補給にはもってこいの存在。
一日中、作っては配布、有難かった。

 

ここはフードゾーン。
レストランとビヤガーデンで大賑わい。
空席を探すのは至難の業だった。

 

函館名物「バスラーメン」も張り付いていた。
イベント会場には、なくてはならない存在になってしまった。
青い空に白と赤の車体が映える。
「暑いときこそ暑い物を!」。お客さんの列が続いていた。

 

ステージは二箇所。
オールテントのイベントホールと、このような観客席が屋外のシーサイド・ドリームステージ。
後者でのショーは、子供たちのハワイアンダンス。
小さな体をリズミカルに動かし、観客席から大きな拍手を浴びていた。

 

こちらは観客席。
炎天下にもかかわらず満席。
熱心に観て、声援と拍手をおくっていた。

 

ここは武道の演武会場。
ちょうど空手の形が披露されていた。
額には汗が光っていたが、拭おうともせず演武に打ち込んでいた。

 

ステージに上がる前の緊張感をときほぐす場面。
お母さんから「落ち着いてね!」の言葉に「分かった」。
本当に可愛かった。

 

こちらは、「YOSAKOI」の一団。
昼食のお弁当を食べるところ。
しっかり食べて、エネルギッシュな踊りを披露してくれるのだろう。

 

17時からは「グランドフィナーレ」。
観たかったが、自宅に来客の予定が。
後ろ髪を引かれる思いで、シャトルバスに乗り込み会場を後にした。

実行委員会の皆さん、会場スタッフの皆さん、裏方の皆さん、本当にご苦労様でした。
そして、夢と活力を与えてくださり、有難うございました。

                     

 


                  

 

 


第427号 ドリームボックス150を見学

2009年08月14日 | 展覧会、催事など

函館は今、開港150周年記念メインイベント・ドリームボックス150を開催中。
戦後、函館で開かれたビッグイベントは二つ。
一つは、昭和29年の北洋漁業再開を記念しての北洋博覧会。
もう一つは、昭和63年の青函トンネル開通記念博覧会(通称・青函博)。
久しぶりのビッグイベントに町は盛り上がりを見せている。
会場は、西部地区にある人工の緑の島(写真対岸)。

 

この島は港内の深度を高めるために、しゅんせつした土砂で造ったもの。起伏はあまりなく、殆どが平坦地。

ここは中央広場。
芝生なので何処にでも腰を下ろせる。

 

ここはNHKファミリーランド。
人気キャラクター「スプー」のジャンボエアークッションが人気。
お母さんに手を引かれた幼児たちの長蛇の列があった。
一番人気かな?

 

私が一番興味をもったのはこの復元した「北前船・みちのく丸」。
この船は、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われた。

全長32m、幅8.5m、千石積み。帆柱の高さ28m。船形は弁財船。
幕末に勝海舟や福沢諭吉らが乗船し、太平洋を渡った「咸臨丸」は、全長48.8m、幅8.7mだったから、この船は大きな船だったと思う。
使われている木材のごついこと。

      

低いところに張ってある板をはがすと荷物室。
重い物を船底に敷き、軽い物を上に積んだ。

 

ここは居住区。
寝室、居間、台所を兼ねる。
北前船は動く商社と呼ばれ、寄港地で荷物の売買をしながら蝦夷地目指して北上した。
帰途には、蝦夷地の産物をいっぱい積んだ。
船頭は、商社の社長のような存在だった。

 

会場の緑の島と赤レンガ・金森倉庫群とを結ぶシャトル船だ。
10分間隔で運航、定員は12人と小回りがきく。

 

私は往復乗船して、港内遊覧を楽しむことに。
潮風を体全体で浴び、清々しい感じ。
それにしても、ヨットの多いこと。
湘南を思い出させる。

 

これは、「シーサイクル」。
有料で、港内をサイクリングできる。
6人乗りもあって、楽しそう。

 

ステージショーには、芸能界やスポーツ界の有名人が登壇し、賑やか
モード。
また、美味ゾーンは内容豊富で満足すること間違いなし。

残りは、15日、16日の二日間。
ぜひ、お出かけして、楽しみましょう。

スタッフの皆さん、お疲れモードでしょうがあと少し。
頑張るモードで乗り切ってください。

実行委員会事務局は市役所内 電話 0138-21-3493
HPはこちらからどうぞ!


                     

 


第383号 ペリー提督の帰国手段は?

2009年04月28日 | 展覧会、催事など

今年、函館は開港150周年を迎えることは、しつこいほどお知らせしてきた。
そして、記念行事も目白押し。
25日に、まちづくりセンターで「いま甦るペリー公文書」というタイトルの講演会が開かれ参加。
ぺりーとは、アメリカ海軍提督で、幕末に来日。
徳川幕府に開国を迫ったあの人物。

講師は函館日米協会副会長の井上白鷹(びゃくおう)氏。

 

来日当時、東南アジアは、イギリス、フランス、オランダによる植民地争奪戦。
それにロシアが加わって日本もその標的に。
アメリカとしては、対中国貿易の中継点として、なんとか日本国内の港との交易を望んでいた。

彼は幕府を説得するにあたって、当時ヨーロッパで発行されていた我が国の書物を購入し、綿密な分析。
一方で、海軍長官からは「火器使用禁止」の命を受け、もどかしさもあってのでは?

我が国との条約締結を成し遂げた後、官職を拝辞。
帰国にあたっては、中国・上海から陸路アジア、ヨーロッパ大陸を経由。
イギリスからは民間船に乗船。
帰国した彼は英雄として「大歓迎」されたという。

講師は、ぺりーが本国政府へ送った公文書を探し出し、写しを取得。
だからこそ中身の濃い講義になった。
知らなかったことでノートがいっぱい。
有意義な講義に参加でき、感激した。


                     

 


第361号 アイディアに唸る~浜のかあさん料理コンテスト

2009年02月27日 | 展覧会、催事など

26日の午後、函館国際ホテルで第二回標記料理コンテストが開催され、公募審査員として出席させてもらいました。
主催は北海道渡島支庁と渡島地区漁業協同組合女性部連絡協議会。
会場の大広間・末広は満員の盛況ぶり。

コンテストは、①地場水産物をもっとたくさん消費してもらうため、創意工夫
して作られた料理の紹介と試食、②消費者との触れ合いを図るのが目的。

13団体のそれぞれの婦人部員が協力し、英知を集めて作り上げた16品の料理がずらり
全てを試食しなければ採点ができないので、作られた方々の説明を聞きながら箸を伸ばしました。
おかげで満腹になり、メタボ大王に変身。夕食は当然のことながら抜きに。

 

審査員の試食が終わると、一般参加者の試食開始。
婦人部の皆さんは緊張感が解けて、笑顔で会話。
「これ、どうやって作るんですか?」
「三枚におろし、すり鉢ですってから茹でるんですよ」。

珍しく美味しいものを口にする喜びは格別。どの顔にも微笑みが。
元来、浜の女性は料理が手早く味付け上手。
会場は、いつしか和やかムードに包まれ、コンテストの目的は達成された感じがしました。

高級海産物をふんだんに使った、こんな豪華な盛り合わせも。
タッパーを持参してなかったのが悔やまれました。(笑)

 

10人の審査員の採点結果、
「福島吉岡漁協の吉岡地区女性部(代表=小林佳子さん)」が出品された
「福の海 吉のあじ(6種のオードブル)」が、最優秀賞を獲得。
支庁長から「おめでとうございます」と表彰状を渡されニッコリ。
会場は大きな拍手で包まれました。

関係者の皆様、お疲れ様、ご苦労様でした。
特に、汗を流された「浜のかあさん」に乾杯。
そして、お招きいただき有難うございました。

なお、出品された料理レシピは、後日、渡島支庁のホームページで紹介される予定ですので、ぜひご覧ください。
(支庁HP 
http://www.oshima.pref.hokkaido.lg.jp/ から産業振興部水産課のページへお進みください。)



                      
 

 


第324号 土方歳三蝦夷の道&箱館戦争物語

2008年10月21日 | 展覧会、催事など

これは第4回はこだて湯の川温泉泊覧会(オンパク)の66あるプログラムの一部名。
私は歴史や史跡にとても興味があるのでこれを選び、昨日参加させてもらった。
オンパクとは、
湯の川温泉街を中心とした体験型プログラムを通じて、参加した方々に「元気・キレイ」になっていただく」がその趣旨。

申し込んだプログラムの狙いは、
「徳川幕府が崩壊し、徳川艦隊は蝦夷地に向かった。
蝦夷で北方警備と蝦夷地開発を嘆願しようとした旧幕府軍は峠下(現七飯町)で箱館府兵他に攻撃され、箱館戦争の幕がきっておとされた。
戦いは明治元年~明治2年に行われ、函館の町はその中心となった。
市中には多くの史跡があり、ここをウォークとバスで巡り、箱館戦争を知る初級コース」とあった。

巡るコースは、
湯の川温泉街・松風苑スタート→湯川野戦病院跡(湯倉神社)→亀田八幡宮→千代ヶ岡陣屋跡→土方歳三最期の地碑→異国橋跡→かねさ屋跡→旧箱館検疫場付近→高龍寺→碧血碑→松風苑→昼食・入浴→解散

8:45分に受付開始。参加料3,000円を支払う。定員20名に対して18名の参加。
ただちに渚亭の大型バスに乗り込んだ。オンパク河内事務局長が歓迎のご挨拶。続いて添乗員となるホテル湯の川の和泉さんが自己紹介とガイド役を務める毛利さんを紹介。
バスは静かに動き出した。

最初は湯倉神社(車窓から)。
箱館戦争当時、この付近には榎本軍の野戦病院があり負傷兵の温泉治療場があった。その当時の湯温は低く冬期間は入れなかったほど。
近くにある榎本町は、榎本武揚軍の病院にちなんでつけられた。

五稜郭(車窓から)
①堀ののり面は土仕上げであったが、寒冷地特有のシバレで春先には崩壊。
石垣を積むことになり、工事は東京品川台場の工事実績がある備前岡山の石工・井上喜三郎が請け負った。
石は箱館山裏から切り出した安山岩を使った。
②堀に架かる橋は5本。ボート屋さんと東側にもあったが、戦争で防御のため落とされた.。
③突き出した三角形(半月堡・はんげつほ、面積約4,200㎡)は全部で5箇所設置する予定だったが資金不足でボート屋さんがある1箇所だけで終わってしまった。
④箱館奉行所に勤務する役人の官舎は、現中央図書館敷地に建っていたという。

千代ケ岡陣屋(車窓からの予定であったが時間の関係上割愛された)
この陣屋は市営球場、陸上競技場に、東西約130m、南北約150mの規模で土塁を
もった本格的陣屋で仙台藩が築いた。
明治政府軍の箱館総攻撃の時の守備隊長は、もと浦賀奉行所与力・中島三郎助。
中島は、ペリー艦隊が来航したとき、軍艦に乗り込んだ最初の日本人だった。
また、幕府立・長崎海軍伝習所では勝海舟とともに第一期生であり、榎本の先輩である。
開陽丸が江差沖で破船沈没したときは、機関長だった。
その責任を最後まで背負って、若い息子2人とともに北の大地に散った。

亀田八幡宮(下車見学)
旧亀田村の鎮守様として、1390年に創始された。
写真の旧社殿は1863年の建立だから箱館戦争が終結した1869年にはまだ木の香りが残っていた。
明治2年5月17日、榎本武揚らはここに参って、降伏の誓約をした。
裏側の羽目板には箱館戦争の弾痕が残っていて、この地も激戦地であったことを物語っていた。

 

土方歳三最期の地碑前
死亡地は3説あるものの、市がこの付近と正式決定した。 
戦死当日の状況はこちらから

 

この方がガイド役の「毛利剛さん」。
「私は、維新当時の道(旧道)を歩くのが専門で史跡には詳しくないんですよ}と言っておられたが、知識は広く深いと感じられた。
おかげさまで新たな知識をたくさん頂戴できた。 

この方のホームページは見応えがありますので、ぜひ訪れてください。スケールの大きい人生にきっと驚かれると思います。)

 

市電通りを進んで十字街へ。
交番のところに異国橋(栄国橋)があって、付近で土方が亡くなったとも言われている。
当時は、現・中の橋から高砂通りは願乗寺川か流れ、銀座通りを経由して箱館港に
注いでいて、赤レンガ倉庫群あたりには多くの水路があった。

基坂の下、市電通りに旧高田屋本店跡の石柱がある。
幕末、この地に佐野専左衛門が経営する商標・ちょうさ(丁サ)、屋号萬屋(よろずやの大店(おおだな)があった。
この店の一部を土方の仮住居として提供したとされている。

市電終点・どっく前へ。
幕末当時は海に造った弁天台場跡地を右に見て下車。
終点あたりが台場の入り口で、台場跡の木碑があるあたりが台場の中心だった。
この台場はほぼ五角形で、高さ11.2m、面積約39,600㎡、備砲十数門の規模だった。
新撰組らがここを守備していたが、市中警備の兵士が逃げ込み、水、食糧が欠乏。
5月15日に降伏した。
明治29年に港湾改良のため取り壊された。
残っていれば大きな観光資源だったろうに。
このような事を考えれば、函館山要塞の保存は早期に手を打つ必要があると思うのだが・・・。

ここで下車、しばらく歩くことになった。
この時期にしては日差しが強く、汗ばんできた。
この台場の積み石を使って造られた函館漁港(入舟漁港)を見学。リサイクルのはしりかなと思った。

旧山背泊町(現・入舟町)の狭い道を奥へと進んで石段を上ると山背泊台場があった。ちょうど、高龍寺の山門から下がった位置。
向かいには北斗市富川、矢不来地区が望めるから見張台、射撃台に的を得た好位置。外国の不審船の発見に大いに役立ったことだろう。

 

高龍寺を左に見て、函館山方向に進む。
旧・函館検疫所の斜め向かいに押付(おつけ)台場跡があった。
この地理的条件は、山背泊台場と同じ。
二つの台場にあった大砲の弾の大きさは野球ボールくらいだったというから、その破壊力は?

外人墓地通りに地蔵寺があって、箱館戦争時には地蔵堂という名だった。
幕軍戦死者の一部はここにも葬られた。

北海道一の伽藍を誇る高龍寺境内に入った。
箱館戦争当時、寺は下の方にあった。
箱館病院の分院として幕軍の負傷兵の治療にあたっていた。
明治2年5月11日、明治政府軍による箱館総攻撃の日、ここに津軽藩兵、松前藩兵らが乱入、負傷入院していた会津藩士十数名を斬殺した。
明治13年、この戦争生き残りの旧会津藩士が霊を弔うために「傷心惨目の碑」を建立、寺務所横にあって、会津の方々のお参り姿を見掛ける。

50分の徒歩による移動を終え、高龍寺前からバスに乗り込み立待岬経由で碧血碑へ向かった。
岬にも小規模な台場があって、津軽海峡を航行する不審船に目を光らせた。
薩摩藩の黒田清隆は、ここから上陸し軍の指揮を執った。

 

11:06 最後の見学地である碧血碑に到着。
ご存知の幕軍戦死者共同墓地である。
明治8年、大鳥圭介らによって伊豆産の石材を使って建てられ、796柱を祀っている。建立者名、埋葬されている者の名はなく、明治政府への遠慮かも知れない。
この碑の詳しいことはこちらから

この碑のすぐ傍に侠客・柳川熊吉の功績をたたえた「柳川翁之寿碑」がある。
熊吉は江戸・新門辰五郎一家(清水次郎長の配下だった)にいたが、のちに来箱、箱館奉行の知遇を受け、多数の子分を持つようになった。
路上に放置されたままになっていた幕軍戦死者の遺体を、実行寺住職と相談し、子分に収容させ弔った。
晩年、碑の近くで柳川亭という料理店を出し碑のお守りをした。
大正2年に亡くなり、ご子孫が碧血会会長として、碑の管理と碑前祭を行っている。

11:45 松風苑着。
添乗員・和泉さん、ガイド役の毛利さんからあいさつがあって会食が始まった。

 

料理はご覧のような豪華版。
いかさしはコリコリして活きのよさが感じられた。
「ご飯のおかわりをどうぞ!」と声をかけて下さったが、一膳で十分。

 

このあと、温泉入浴し帰宅。
楽しく、そして充実した日だった。

一昨年、「はこだて検定」を受けるために郷土史を猛勉強しました。
今回のこのプログラムに参加して、ガイド役のも~さんから教えられた事は多く、参加して本当によかったと思いました。
また、郷土史に関するプログラムをぜひ企画立案して欲しいものです。
関係者の皆さん、お疲れ様でした。
そして有難うございました。      

                        


                     

 


第292号 幕臣・榎本武揚の特別展始まる

2008年07月20日 | 展覧会、催事など

明治2年に起きた「箱館戦争」。
旧幕府軍の総裁として明治政府軍と戦った「榎本武揚」。
没後100年を記念して、市立函館博物館では氏の特別展を開催中。サブタイトルは「箱館戦争の光と影」です。

 

敗戦後、東京に送られ服役。
明治5年に特赦放免され、開拓使(現・北海道開発局+北海道庁)勤務ののち、中央省へ招かれ、領土外交の特命全権公使などで腕をふるいました。

その後、逓信、農商務、文部、外務の各大臣を歴任、日本の近代化に大きな足跡を残しました。 

会場には将軍から賜った軍服、書簡、詩書、妻・多津との手紙、オランダ留学時など興味深い史料が多数展示しています。

博物館は、函館山ふもとの函館公園の中。
公園の整備も着々と進んでいますので散歩がてらご覧になることをおすすめします。
入館料、休館日などはこちらから http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/