ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第735号 想い出と現在とが交差する「金森赤レンガ倉庫群界隈」

2012年06月29日 | 建物
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券を買い求め、
西部地区をゆっくりと散策。
素晴らしい意匠を持つ建物や歴史ある建造物に目を奪われ、しばし佇む。
私にとっては、至福のひとときだ。


小学6年から中学2年まで大森町に住んでいた。
遊び場は大森浜が多かった。
船を見るのが好きだったが、磯舟ばかり。
魚の水揚げはなく、昆布の記憶よりない。

そんな寂しい光景が嫌いで、たまに金森赤レンガ倉庫群へ行った。

日魯ビル(1号館、2号館、3号館)から、金森までの間には小規模の運河があって、倉庫へ荷を入れるのに
使われていた。

 

岸壁には、漁師相手のリヤカーを改造した店が並び、甘いものを売っていた。

金森前の岸壁は水深が浅く、大きな船は沖停泊。
荷ははしけに積まれ、金森前へと運ばれてくる。
すると、はしけと岸壁間にあゆみ板が渡され、作業員が乗り移る。

 

当時作業員は「かた(肩)」とも呼ばれ、荷をかつぎレンガ倉庫へと運んだ。
夏は汗まみれ。額、腕から噴出していた。
男ばかりではない。この頃、女性も強かった。
夫を戦争で失い、一家の大黒柱にならざるを得なかった事情があった。

お昼には、アルマイト製の深い弁当箱を広げ、美味しそうに食べていた。
10時、3時は休憩時間。たくさんの男女作業員が集まっておしゃべりとタバコ。
みんな、底抜けに明るかった。

途中、雨が降ったりすると、倉庫内に逃げ込んだり、倉庫に寄り添うように
作られた事務所兼休憩所にも雨宿りをしていた。

馬車はその当時、一番使われた輸送手段。
近くにたくさん待機していて、出番を待っていた。
「かいば(飼い葉)」と呼ばれていた餌。餌箱は大きかった。

名物人がいた。
「洗濯ばあさん」。ホームレスの先覚者(笑)かな?
いつも坊主頭、ゴム長靴姿。着ている物はいつも清潔。
馬用の水道水で洗濯をしていた。
何かを上げようとすると「私はコジキではありません」と、お断りしていたそうな。
冬期間は、どうしていたのだろうか?

昭和40年代、現在のお土産・レストランの西波止場あたりに、
フェリー桟橋ができた。
3階建てのターミナルビルもあった。
ここのレストラン・カクタスは値段が手ごろでメニューも豊富。
家族・親戚などでよく使わさせてもらった。
壊してしまったのは残念、残念。

信号交差点そばにあるレストラン・カリフォルニアベィビーは、海運会社の
社屋だった。

こんな想い出がある金森赤レンガ倉庫群界隈だ。

北洋漁業の衰退、物流の近代化が進むとともに、赤レンガ倉庫業も下降線。
回生を図って店舗・レストラン・貸しホールへと方向転換。
これが見事にヒット。
函館観光の目玉施設として、大きく貢献している。

 

 

 

かって、はしけが着岸した倉庫前の岸壁は、ミニ駐艇場となり各国の
ヨットも停泊中。

 

また、港内遊覧船・ブルームーンの基地でもある。

 

夏は花火。冬はクリスマスファンタジーと、年中人であふれる界隈である。

「北の大地に新幹線」が、間もなくやってくる。
その時、この界隈は、どんな風に変化するのだろうか?

もっともっと、賑わって欲しいと願わずにはいられない。


ミカエル

第734号 杉木立の静寂さの中、「男爵カレー」を味わう

2012年06月26日 | 美味満足技処、買い物処
きのうは、6月25日、月曜日。
6月の結びの週である。
早朝から青空が広がり、時間が経過するにしたがって、気温が上昇。
行楽日和になった。

「お昼は外食にしませんか?」「いいねー。で、どこにする?」。
「街中のレストランはパスして、新緑に囲まれたお店へ行ってみたいわー」。

と、いう「ことで、車で約90分かけて着いたのが「龍杉創(りょうざんそう)」。
北斗市の西はずれ、当別1丁目にある。
松前方面へ向かう国道を進み、
JR渡島当別駅先(大看板あり)を右折、JR海峡線を渡るとすぐに駐車場だ。

 

ここからレストランまでは、徒歩3分。
周りの木々の新緑がまぶしいくらいだ。
レストランが見えてきた。

 

近くには、トラピスト男子修道院、男爵資料館などの見どころがある名所地帯。

 

シンプルな外装は、なによりのウエルカムだ。

 

内装もシンプル。磨き上げられた床はピカピカ。

 

大きな楽器も、装飾効果をあげている。

 

メニューブックの最初のページには、店名の由来があった。

 

自信あるのメニューの中から、お願いしたのは「男爵カレー」。
カレー好きの二人にとっては、半月ぶり。

スープ、サラダ、コーヒー(セルフ。お替り自由)のセットで800円。

 

まろやかな味に大満足。そして自然環境にも満足した。

ここから車で3分の男子修道院へは、内地からのお客様をご案内して5回ほど。
男爵資料館へは、ミケと2回かな?。

この資料館は、川田男爵農場で使われたさまざまな農業用器具、機械などが
展示されており、保存状態はきわめて優。
金属製のものは、油をひいてピカピカだ。
観覧には、2時間は欲しいもの。

男爵が通勤時に運転した、日本初の輸入自動車「ロコモビル」は、
資料館の女王様。10年ほど前だったと記憶しているが、公道を走行した。
次回来たときには、また「ロコ女王様」に、拝謁したい。

男爵資料館のHPは、こちらからどうぞ!

ロコモビルのHPは、こちらからどうぞ!

美味しい食事を頂いて、興味あふれる品々を観る。
体も心も栄養たっぷり。
寿命が延びるかな?

美味しかったですよ。ご馳走様でした。



ミカエル

第733号 蝦夷箱館の豪商・高田屋嘉兵衛資料館

2012年06月23日 | 教育施設
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券で、
西部地区を散策。
素晴らしい意匠や歴史ある建物に目を奪われ、しばし佇む。
私にとっては、至福のひとときだ。

この建物は、正式名称を、「箱館高田屋嘉兵衛資料館」という。
公設ではなく、私設だから運営費捻出に、ご苦労されているようだ。
建物の概要について説明。
左が1号館、右が2号館。
両館とも、前号でご紹介した海産賞「ヤマ田・田中商店」の昆布倉庫。

 

これが1号館。明治36(1903)年建築の石造。

 

こちらは2号館。大正12(1923)年建築の鉄筋コンクリート造。

 

この場所には、文化元(1804)年に、高田屋の造船所が造られた。
そんな歴史的結びつきと、建物が持つ雰囲気が、資料館開設に相応しいと
考えたのだろう。

多くの函館市民は、嘉兵衛の人物像や功績について存じている。
それは、宝来町に威風堂々たる銅像が建立されているからだ。

でも、今一度、嘉兵衛について勉強をしてみよう。
彼は江戸時代(1769年)、淡路島に生まれた。
国内政界では、この3年後に、田村意次が老中職に就いたころである。
28歳のとき、北前船・辰悦丸で来箱し回漕業を営み、財を成した。

事業の本拠地を箱館に置き、北洋漁業の開拓、本州各地との交易で財力を
より巨大なものとした。
一方で、湿地帯、港の埋め立て、生活困窮者の救済事業にも心血を注ぎ、
単なる実業家にとどまらなかった。

やがて、幕府からその功績を認められ、苗字帯刀が許された。
その後、ロシアとの外交交渉にもあたったのだから、
「スーパー民間人」の第一号と言える。

1827年、波乱とロマンに満ちた59歳の生涯を閉じた。
もったいない年齢と思わざるをえない。

この資料館には、嘉兵衛の足跡と北方開発にまつわる資料約500点が展示されている。

所在地=函館市末広町13番22号 赤レンガ倉庫群の裏
電話=0138-27-5226
開館時間=9:00~17:00
入館料=大人(高校生以上)300円、小人(小中生)100円
休館日=木曜日(祝祭日のときは翌日。冬期間)

ウリの展示品=日本初のストーブ(復元品)

嘉兵衛のスケールの大きな性格に感動して、明治・大正期に多くの篤志家が
現れ、函館の町のために尽くしてくれたことに、感謝、感謝。


下の写真は、資料館とは直接関係はない。
明治政府が、同11年に高田屋の自宅屋敷跡(宝来町・銀座通り北側)に
開設した「女紅場(にょこうば)」。
女子専門の教育施設であった。

  


ミカエル

第732号 不燃建築に撤した財力ある海産商

2012年06月20日 | 建物
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券を
買って、西部地区を散策。
素晴らしい意匠や歴史ある建物に目を奪われ、しばし佇む。

この建物は、創業明治6年の海産商「ヤマ田・田中商店」。
現在は、「箱館昆布館」という名称であるが、休業中。

建物の構造であるが、一見、木造のように見えるが、
なんと鉄筋コンクリート造。

 

幾度かの火災経験から、不燃性の高いこの造りにした。
当時としては、店舗兼住宅にこの工法を用いることは珍しく、
財力の豊かさが推察される。

正面入り口には重量シャッター、他の開口部には鉄扉。
非常時用として、正面1階にはガス灯を設置した。

この完璧な造りが、昭和9年の函館大火から逃れることができた。

下の昆布のモニュメントは、平成になってからのもので、高さは
約7メートルほど。

 

現在は空き店舗。
創業当時は、数百軒の海産問屋が軒を連ねていたという。
さぞかし、賑やかだったにちがいない。

幕末の開港地は、長崎、神戸、横浜、新潟、函館。
函館以外の都市は、その後、県庁所在地として活況を呈しているが、ここは・・・。

カムバック、ハコダテ。
今一度、賑わいを見せて欲しいものだ。

所在地=函館市末広町12番7号
目標物=十字街池見石油スタンド


ミカエル

第731号 もうすぐギラギラ太陽。夏だぜ!ビールだぜ!

2012年06月17日 | 展覧会、催事など
函館山の麓、函館公園内にある市立函館博物館。
24日まで、企画展として、「函館の麦酒」というタイトルで、
その歴史・産業・意匠の資料を展示公開中。
15日、観覧に出かけた。
今回の展示にあたっては、「サッポロビール関連会社」の協力があった。

 

 

いろいろな資料が展示されていたが、最も興味を覚えたのが、「ビールポスター」。
大正、昭和初期の女性をモデルにし、描いたたものがほとんど。

当時はまだ、イラストレーターの存在はなく、人物画は、専ら一流画家が担っていた。
年代とともに、日本髪姿から短パン姿へと移行。
悩ましさも増してきて、ますます「ビールが美味い」と、思ったことだろう。

ポスターには、社名を伏せているのもあった。
また、今は存在しない、カブトビール、サクラビール、ユニオンビールなども。

現在、大手ビール会社は、アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーの4社。
アサヒとサッポロは、複雑な運命を歩んだ。

1906年9月、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、日本麦酒(恵比須ビール)、
札幌麦酒(サッポロビールの前身)の三社が合併して、できたのが大日本麦酒株式会社。

この新会社は、戦後の財閥解体により、
① 朝日麦酒(現・アサヒホールディングス)
② 日本麦酒(現・サッポロホールディングス)に分割された。

 

函館とビールの結びつきは、どうであったのか?

① ぺりーが箱館に来航し、その後、国際貿易港になった箱館には、
ビールが市中に出回るようになった。
愛飲家としては、箱館お奉行、旧幕府脱走軍総裁・榎本武揚らの名が見える。

②明治15年、石黒源吾が「山麟(やまりん)麦酒」を醸造。

③明治30年、金澤正次が谷地頭町に「函館ビール醸造所」を設立。
設備はドイツ製、ホップはアメリカら取り寄せた。
同年12月、函館ビール(赤ビール)ポックビール(黒ビール)を発売した。
販売先は東北までおよんだ。
明治33年には、ビヤホールを開店、評判だった。

これら二社のビールは、地ビールのはしりと言ってよい。
しかしながら、明治37年までに廃業となったのは、残念である。

エピソード

サッポロビール園の前身は、
明治8(1876)年9月23日に開業した北海道開拓使・官営麦酒醸造所。
この事業にあたったのが旧薩摩藩士・村橋久成。
イギリス留学をしたエリートである。

明治2年の箱館戦争では、明治政府軍の軍監として参戦している。
同年5月には、亀田八幡宮境内で戦勝記念撮影。
黒学生服風上下、ちょんまげ、帯刀という和洋折衷スタイルだった。

この会期は、24日・日曜日まで。
私はもう一度観にいって、ビール歴史マイスターになりたい。
それと、綺麗なポスターお姉さんとも逢いたいなぁー。


ミカエル

第730号 ビジ宿に泊る

2012年06月15日 | 旅行  
パパ一家3人がお世話になっているママのご実家までは、車で90分ほど。
やはり、ベビーがお風呂に入るのが見たいとなると、ついつい夜に。
しかし、夜の運転は、私もミケも苦手。
そこで、パパ、ママが気をきかして、近くに宿をとってくれた。
有難いと思う。

 

この宿は、ビジネスホテルと民宿とを重ね合わせたようなよい雰囲気。

食事は民宿風の豪華さ。部屋はホテル風と、とても気に入った。
和洋合わせ10室あり、私どもは洋室。
エレベーター、大浴場、サウナ室のすぐ前。
(残念ながら女性は小さな浴室のみ)

朝食は、ご覧の通り連泊とも豪華なお膳食。
ご主人と奥様、娘?さんと3人でご用意。
ご飯とコーヒーは食べ、飲み放題。

 

 

納豆、生卵、乾海苔は共通。
魚卵は、初日がイクラ、二日目はタラコ。

焼きたての魚は、温かく脂がのっている。
初日はツボダイ。二日目はカレイだった。

刺身も日替わり。

あまりのおかずの多さに「ご主人、これでは我が家の夕食より
豪華ですよ」。
「朝食は力の源。たくさん召し上がってください」と、嬉しい応援心。

これからますます、ベビーの成長を見にこなくてはならない。

その時も、この宿にお世話になろうかと思っている。
有難うございました。


ミカエル

第729号 「大浅草まつり」で、食品買いをしたあとは・・・

2012年06月12日 | 展覧会、催事など
とはいっても、浅草へ出かけたわけではない。
JR函館駅前のデパートで行われた物産展での話。
行った9日は、あいにくの曇り空で肌寒かった。

 

今回で38回目となる「大浅草まつり」。
大江戸の味と技めぐりは、毎回大人気。
江戸から各分野の職人さんがやってきて、
函館市民を楽しませてくれる。

 

今回の目玉は、
東京スカイツリー公認ライセンス商品の限定販売があること。
主催=浅草専門店会、後援=東京都台東区・浅草観光連盟。

会場には、江戸を偲ばせる太鼓入りの軽快なBGMが流れ、
購買意欲をくすぐっていた。

 

私は、もっぱら、食品に目を向けた。
①今半の牛肉弁当、②古城館の深川めし、③寿やの釜めし、
④天長商店の東京べったら漬、⑤赤坂トップスのチョコレートケーキ。
9点買いだった。

この日は、2連泊で出かけるところがあったからだ。
初孫、パパ、ママがお世話になっているママのご実家へ。

あとは、途中のスーパーでイチゴも求めた。

ベイビーの顔を見るのは、10日ぶり。
どんなに成長したのか?
楽しみで、躍る心を抑えながら、ハンドルを握って行った。

パパは、「ほーら、ハコジジとハコババがきたぞー」と、
ベイビーに向かって声をかけていた。
それに合わせるように、こちらを向いてくれた。
そして、笑顔も見せてくれた?ような気がして、
二人で思わず「ニッコリ」。


ミカエル

第728号 立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿は・・・

2012年06月07日 | 植物
ミケが大事にしている庭の花たち。
今年もボタンが咲いた。

しかし、ここ二、三日の雨で、花びらは色あせ気味。
広い庭なら、雨よけの傘を立てれるのに。

 

 

スイセン、チューリップ、ツツジ、スズランは終わった。
これからは、シャクヤク、バラが楽しみ。
それと、数種の野菜も楽しみ。

雑草とりに精をだすつもりだ。


ミカエル

第727号 グラパ、グラマになった祝ランチ

2012年06月01日 | 美味満足技処、買い物処
初孫の大きな泣き声を聞き、安心と希望に満ちた日が続いている我が家。
一昨日、目出度く退院の運びとなった。
多くの方々の献身的お力添えをいただき、感謝感謝の気持ちでいっぱい。

「ミケ、安心したね。陰ならの配慮、ご苦労だったね。ランチでもどうだい?」
「待ってました。緊張感がほぐれて食欲モリモリよ。行きましょう!」。
出かけたのは昨年1月に息子の結婚祝宴の会場が行われたJR駅前の
「ロワジールホテル函館」。
年甲斐もなく、バイキング会場・SHIKI(四季)へ

北側の席からはJR函館駅とビル街が望めた。

 

 

会場の様子もパチリ。

 

 

 

 

気負ってバイキングに挑んだものの、やはり年寄り。
思うようには食べられなかった。

今日は6月1日。
区切りのよい日で、夫婦間の呼び名を、グランパ、グランマにすることにした。

そうは言っても、孫は、やはり「じーじ、ばーば」と呼ぶのだろう・・・か?


ミカエル