ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第795号 さくらと博物館を見に!

2013年04月30日 | 展覧会、催事など
28日の日曜日、暖かな良いお天気になったので、久しぶりに博物館へ出かけてみることに。
館は、桜の名所でもある函館公園の中にあり、園路沿いにはテント張りの臨時仮設店が並んでいた。
やきとり、おでん、輪投げ、アニメ主人公風せん、などの定番である。
やきとり店から漂う、美味しそうな匂いに胃がグー。
小さいころを思い出した。

「さくら」は、天候不順日が多いため、まだ硬いつぼみのまま。
開花が、遅れているのがよく分かる。
しかし、鳥の「うそ」の被害がなくてなにより。

館では、「企画展・函館商人の人生模様」を、開催中。
二人の妻、二人の母、単身赴任、絵描きへの夢などで綴る展示物であった。



展示史料の大部分を占める「酒谷家」は、大町旧西警察署近くにあった「屋号・ワチガイ 酒谷」という酒問屋。
先祖は、北前船で活躍した船乗り。
箱館の地に人生の基点を移し、新たな舞台で活路を開いた。

私は学生時代、五稜郭地区の酒屋でバイト。
ここに、酒谷から配送車両がきていた。

酒谷商店は、純日本風家屋で、堂々たる漆喰造りだった。
昭和38年ころまでは、営業していたのを覚えているが、現在、正確な位置は忘れてしまった。
活気のよかった若い店員さんたちの掛け声が、聞こえていたのが夢のようだ。
別宅は、湯の川温泉街(現・東郵便局の対岸)にあった。

この展示は、5月31日まで。
6月14日からは、「企画展・新島襄と幕末の箱館」が始まる。



担当学芸員は、「目下開催に向けて、多忙な日々が続いている」と。
展示内容に期待ができ、また足を運ぶことと思う。



第794号 もう少しお待ちを。この額縁に映える「五稜郭さくら」

2013年04月26日 | 美味満足技処、買い物処
ここは、お菓子の「六花亭・五稜郭店」。
道内ではただ一箇所「国指定・特別史跡」の「五稜郭跡」があり、店舗は外堀沿いに位置している。だから、超恵まれた環境に立地してると言える。

明日から大型連休がスタートする。
例年、桜の名所として名高い五稜郭公園は、連休中に見ごろを迎える。
全国各地から、多くのお客様がお出でになり、一年でもっとも賑わう。

店内の、一枚ガラスの大窓から見える「さくら」は絶景。
市内では、函館山展望台の窓ガラスに次ぐ大きさとか。
その窓枠が額縁になって、「芸術作品・五稜郭さくら」のような名画?という錯覚を感じさせる。

先週は、この色調。



これが、「さくら」が咲くと、このような暖色に変化する。
花咲く期間中のお買い上げは、喜びとなり、店からのなによりのおまけ。

 




お店は9時半に開く。
10時にオープンする店内「軽食喫茶コーナー」は、20席ほど。
開花期間中は、いつも満席の人気。
美味しいから。盛り付けが綺麗だから。コーヒーが飲み放題だから・・・。
座れたお客様は、本当にラッキーな方だ。





綺麗な「名画さくら」と「美味しいお料理」「香り高いコーヒー」での「オシャベリタイム」は、いかがでしょうか?

スタッフの洗練された応接態度には、いつも心が和む。



第793号 「八重の桜 ⑨」 函館は後押し行事でドラマを応援

2013年04月22日 | テレビ番組
函館は、大河ドラマ・「八重の桜」が始まってから、講演会があちこちで開催。
彼女や新島襄に関して静かに燃えている。

昨夜のドラマでは、タイミングよく、中野竹子の登場。
やはり、なぎなたの達人だった。

京都では、政局が大きく変化。
松平容保の動向が心配である。

これまでの函館での催事

① トップはやはり本家本元のNHK主催だった。
1月19日 会場=市民会館
講師=同志社女子大学教授・吉海直人氏
演題=「新島襄・八重夫妻の北海道滞在ー人生で最も幸せな時間ー」
予約制で、満席の人気ぶり。
スライドも解説に用いて、八重の容貌などが知り得たのは大きな収穫だった。

② 3月24日 
会場=函館千歳教会(松陰町 一時期・新島先生脱国記念会堂とも呼ばれていた)
フリー参加
講師=同志社大学神学部教授・本井康博氏
演題=「『八重の桜』だより~大河ドラマのウラ・オモテ~」
ユーモアの連発で、楽しい雰囲気が広がっていた。



これからの催事

③ 6月14日(金)18時~19時10分
会場=函館市中央図書館
講師=作家・福本武久氏
演題=「新島襄・八重と函館」
主催=学校法人同志社
共催=函館市教育委員会(市立函館博物館)
後援=函館市
事前申し込み制 5月16日から電話で 0138-23-5480 博物館へ
講師の横顔=1942年京都生まれ 1965年同大学法学部卒 第14回太宰治賞受賞
      新島襄と八重に関する著書多数

④ この日、17時から20分程度、海外渡航の地(大町11)で碑前祭
事前申し込み不要 終了後、講演会会場まで専用バスあり。
主催=学校法人同志社 後援=函館市

⑤ 市立函館博物館 企画展
会場=青柳町函館公園内同館
テーマ=新島襄と幕末の箱館
期間=6月14日~9月1日
内容=新島八重の夫・新島襄と函館との関わりを紹介する。
入館料=一般200円など

このように、今年のNHK大河ドラマで、行事が多く組まれているのは、「新選組」以来のこと。



この時は、箱館で戦死した「土方歳三」でフイーバー。
役どころの「山本耕史さん」は適役で、人気はたかまった。

彼が来函しての行事の数々。
① ハーモニー五稜郭でのトークショー。
② 福祉センターでの、スライド映しトークショー。
③ 赤レンガ倉庫群・金森ホールでの、バレーボール・大林素子選手との対談。
④ JR函館駅ホームでの、乗客お見送り
などがあった。

このドラマがきっかけとなって、ミケはすっかり「山本耕史さん」の熱狂的ファン。
彼が出演するドラマであれば、ジャンルを問わず見ている。
しかも、飽きずに再放映まで。

商業ベースでの取り上げも多かった。
土方バーガー、土方まんじゅう、土方関連名所を散策する宿泊客など。

今回は、商業ベースでの盛り上がりは期待できないが、「新島襄・八重夫妻の知識」に、染まることは間違いないかと思われる。
これからのストーリーが、どのように展開するのか?とても楽しみである。

このシリーズ連載は、これで結び。
ご訪問いただきまして、有難うございました。
あとは単発で、投稿していきたいと考えております。


ミカエル
  



第792号 「八重の桜 ⑧」 函館で余生を静かに過ごした会津撫子

2013年04月18日 | テレビ番組
NHK放送局の窓口に置いている「八重の桜」の広報用パンフレット。
これを見ることによって、登場人物、つながりが良く分かり、ドラマをより楽しく見ることができる。実に嬉しい配慮だ。
これが、そのおなじみのパンフ。



ここに紹介されている人物は40名。
ドラマ進行とともに、見比べている。
その中に「会津の女たち」に分類されている「中野竹子」(女優名=黒木メイサ)の名がある。
会津では有名な女性で、既にドラマには出ている。

彼女は、江戸常詰会津藩士・中野平内の長女で、妹は優子。
二人ともかなりの美才で、しかも「なぎなた」の名手。

京都郊外の鳥羽・伏見で戦火が始まった「戊辰戦争」。
その戦場は東北へと拡大進行。
明治元(1868)年8月25日、会津のご城下も戦場となったのである。

姉妹は、なぎなたグループ「娘子隊」の隊員で、竹子はリーダー格。
隊(6人~9人)として、政府軍と勇敢に立ち向かった。
中でも竹子の戦いぶりは、目を見張るものがあったという。
しかしながら、時は既に銃器の時代。
竹子は額に被弾し、あえなく戦死した。
妹の優子、母は、激しい戦闘状況ではあったが、姉・竹子の首を介錯し、近くの法界寺に葬った。

その後、優子は函館に移り住んだ。
1871(明治4)年、山浦鉄四郎と結婚し、第二の故郷となった函館・千代台町で、静かに暮らし、1931年、79歳で没した。
墓は青森県八戸市湊町の会津墓地にある。

会津戦争時、二人の年齢は、姉・竹子22歳、優子16歳であった。

優子は、竹子の分も含め、幸せな人生を送れたのだろうか?
天国での生活は、きっと二人仲良く、楽しい人生をと、願っている。


ミカエル







第791号 「八重の桜 ⑦」 続家と姻戚の五島軒

2013年04月12日 | テレビ番組
函館の西部地区。二十間坂に面しているレストラン五島軒(経営者=代々若山家)。
創業は、明治12(1879)年だから、開業134年になる。
引き続いて現営業中のレストランとしては、北海道一の歴史を誇る。
(ある食通によれば、国内一だよとの説もあるのだが・・・)。





この若山家に、新島襄の国外脱出を手助けした福士成豊の兄の長女(姪)・続トセさんが嫁いだ。
トセさんは、現社長・直氏の直系尊属にあたる。

手元に「北の食文化に灯をともして」というタイトルで、五島軒創業120年のあゆみの記録本がある。
発行=1999年9月18日 発行者=株式会社 五島軒 代表取締役社長 若山 直
とあって、A4判157ページにおよぶ立派なもの。



この中には、新島襄脱出のこと、続家系図なども載っている。
私をうならせたのは一枚の集合写真。
「続 豊治百年祭記念」 昭和55年11月19日 於 五島軒本店 と印字。
51名の皆様が写っておられる。
偶然ではあるが、「八重」さんの名も見受けられた。


五島軒にとって最大の栄誉。
それは、平成元年10月2日、「天皇・皇后両陛下行幸啓御昼食」会場となったこと。
「御昼食室御席」と「御献立」を下記に掲載(王朝の間)。)

※ 御席
宮内庁長官、侍従長、侍従次長、女官長代理、侍従、行幸主務官。
知事、道議会議長。
市長、市議会議長。

※ 御献立
あわびのクールブイヨン煮 クーリトマトソース
コンソメ 松茸浮かし
二代目若山徳次郎 リッチ合鴨カレー
季節のサラダ盛り合わせ
七飯リンゴワインシャーベット
マスクメロン コニャック風味
珈琲

明治11(1878)年
五島軒初代 若山惣太郎氏が来函。
この年、二代徳次郎、東京で出生。

明治12年
初代惣太郎氏、富岡町(旧市立函館病院あたり)でパン屋を開業。
長崎県五島列島出身の五島英吉氏の協力を得て、旧桟橋附近で、ロシア料理、パン、ケーキの店を開業。
この年の11月3日 函館公園開園式。


新島襄が海外へ脱出したのは、1864年。
一方、惣太郎氏の来函は1878年。
あと14年早かったら、二人は、元町ハリストス正教会でご対面となっていたと思われる。



あと二日で八重さんと会える。
とても楽しみだ。


ミカエル

第790号 「八重の桜 ⑥」 襄が生涯の恩人として敬った人

2013年04月08日 | テレビ番組
昨夜(7日)の祝言の席の放映、意外と質素だった。
考えてみれば無理もない。藩が大変になっているからだ。

酔いつぶれてしまった新郎を担いで部屋へ運ぶ場面。
米俵を担いだ実績があるからか、周囲で驚く者はいなかった。
実像は何しろご立派な体格。「綾瀬はるか」さんでは、役不足と思った。
いつまで、彼女を充てようとしているのかな。

ところで、新島襄が生涯の恩人として忘れることがなかった人物は?
それは、箱館から海外渡航を実現させてくれた「福士成豊」だ。

彼(幼名=続 卯之吉)の父(続 豊治・つづき とよじ 1798~1880)は、国内初の洋式帆船「箱館丸」を建造した船大工。
この船は、箱館お奉行の江戸へ帰任の際に使われたりもした。

成豊(1838~1922)は五男。福士家の養子となった。
イギリス人の経営するポーター商会へ5年間勤務。
同じく箱館在住イギリス人実業家・ブラキストンから気象学を学び、観測機器の使い方も習得。
大変な勉強家でもあった。

明治5年7月、開拓使直営の気象測量所を彼の自宅に置いた。
位置は現在の金森倉庫のあたり。






この測量所が、函館測候所となり、現・函館海洋気象台へと発展したのである。

中央に気象官署が設置されたのは、明治23年のこと。
名称は、中央気象台。初代台長は荒井郁之助。
彼は箱館戦争で明治政府軍と戦った、旧幕府軍(榎本軍)の海軍奉行の要職にあった人物。
獄中での猛勉強が活かされたのであった。

明治20年に、襄と八重は函館を訪れている。
このとき、イギリス人ポーターとは、病院で対面している。

江戸時代から近代明治へ。
多くのことが超加速をつけて、日本を駆け巡ったのだと思う。
翻弄されないように生きた人々は偉い、偉い。

次回の放映が楽しみである。




ミカエル


第789号 「八重の桜 ⑤」 記念碑位置の目印など

2013年04月01日 | テレビ番組
山本八重が兄のすすめで、兵庫・出石(いずし)藩士で日新館教授・川崎尚之助との結婚を決意したのは、目出度いことだ。
次回では、きっと祝言の席が放映されることだろう。
どんな宴席になって、出席者の顔ぶれがどうなのか?
1865年、八重が20歳。楽しみに待たれるところである。

一方の新島襄は、前年の1864年6月14日、箱館から密出国。
アメリカ船で上海へと向かった。
勉学のことで頭はいっぱい。異性のことなど考える余裕はなかったろうに。

この渡航の記念碑が函館港そばに建っているが、場所が分かりづらい。
元町公園から基坂を電車通りに下り、突き当りが海上自衛隊函館基地隊。



左折し旧函館西警察署方向へ進む。

すると左にこの洒落た建物が。店名の「JOE」は、新島襄にちなんだもの。
日中は喫茶。夜は居酒屋で繁盛しているようだ。
建築は明治18年ころで、レンガ造。アーチ窓枠がハイカラである。
この真向かいの細い道の突き当りに碑がある。





碑の左には、人工島「緑の島」に架かる新島橋が望める。



近くには、新島襄の立像が。
旧桟橋と金森倉庫群の中間地点。工事を中止したままのビルの向かいにある。



彼の箱館脱出時のイメージとしては、水戸黄門の同行者・助さん、格さんさんの町人風スタイル。こんなスタイルでもあったのだろう。
像の由来などがないのは、どうしたことか?
殺風景なまわり。建設の際に議論がなかったのだろう。

これから、ドラマが展開するにしたがって、訪れる方々が多いと思われる。
像の周囲、環境整備がなんとかならないものか?
物足りなさを感じている。


ミカエル