ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第798号 「八重の桜・・ですか?」  「いいえ!NHKの桜です」

2013年05月10日 | 放送局
一昨日、遅れていた函館の桜が、ようやく花びらを見せた。
「ソメイヨシノの開花宣言」である。

それからというもの、エネルギーを溜め込んでいた桜は、市内あちこちで開花。
町の中は、一気に色づいてきた。

ここNHK函館局の前庭は、ミニ桜博物館。
昭和47年から、著名な桜学者・浅利政俊さんの力添えがあって、植樹が始まった。











11品種、16本が植樹されており、市民を楽しませてくれる。

こちらの局は、以前から局周辺の環境整備に力を入れている。

旧局舎が、元町(汐見町)ロープウェイ山麓駅駐車場下(幕末の東北南部藩陣屋跡地)にあったときも、桜が植栽されていた。
見晴らしは、極上のロケーション。
何度か、弁当を広げた記憶がある(可愛らしい?小学生のころ)。

今年の大河ドラマのテーマは、「さくら」「桜」「SAKURA」。
前庭の桜の満開日は、あと数日。
ドラマも間もなく前段のクライマックスを迎えるようだ。
気を抜いて観ることはできない。


第506号 巨大組織からのいやーな電話

2010年03月31日 | 放送局

先号で、NHK函館放送局が主催したロハスな旅を記載した。
そうしたら局の者として電話があった。

要は

①写真の掲載には肖像権があるので気を付けるように。

②記載記事に内容について、苦情があった時には、自己の責任において処理して欲しいとのこと。

考えてみると、NHKの報道画面では、①のことが考慮されているのだろうか?疑問が残る。
アップの写真
掲載については、事前了解を得ているのだろうか。
②については、当然のことながら、私がその責任を負うべきだといつも思っている。

このいやーな電話を寄こしたのは、今回の行事責任者だった。
肩書きは企画編成副部長。

自分が非難された記事が書かれたものだから、その腹いせにと思う。

応対が粗悪だったから、電話をよこす前に、自分が反省すべきだと思う。


          

                 



 


第505号 ロハス(ろはす)な海への小さい旅

2010年03月29日 | 放送局

27日の土曜日、NHK函館放送局が主催した標記旅に参加した。
「ロハス」とは、聞き慣れない外来新語だ。
三つの単語の頭文字をとって作られた。
難しい表現を略すれば
「健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイル」とか。

JR函館駅西口で、7:45から受付開始。
ワークショップの①エコたわし組と②海藻アート組 とに分けられた。

 

受付が済むと、仕分けされた組ごとに指定されたバスに乗り込んだ。
8:00、昨夜からの雪が降り積もる肌寒い駅横を出発した。
私は当初、マイカーで直接会場へ行こうと思っていたが、天気予報を考えたらバスが安全と、変更を申し出た。
これは正解だった。

 

行き先は、旧椴法華(とどほっけ)村。
平成の大合併で現在は函館市の行政区域内。
区域は純漁村の町並みと自然風景が存在するから、今回のテーマ「海」には最も相応しい。

車内では、過去に放送されたこの区域の「北海道中ひざくりげ」が放映され、転勤されて行った懐かしい筒井アナの声も聞くことができた。
暖房の良く効いたバスに揺られて一時間、会場の椴法華総合センターには9:00に着いた。

 

二階の大ホールが講義室。
ゆったりとした広さで、メモを取れるように机を配置してくれた心くばりが嬉しかった。
午前の講演タイトルは「海の森からのメッセージ」として二講師が登壇してくださった。

①野田三千代さん(静岡伊豆半島在住・海藻デザイン研究所代表)
★藻場は海の森と言われ、魚類の巣、産卵場になっている。
酸素の供給は、陸と海との植物が半々ずつ担っている。
それは海藻であり植物プランクトンである。

陸の植物が緑色なのは、海草が陸にあがり進化したため。
★だから、海を綺麗にしましょう。
★画像を見てびっくり。悪者にされているエチゼンクラゲ。
でも回りには多くの魚がまとわりついていた。
つまり餌の移動ガソリンスタンドというところかな?

②吉川誠さん(当地区在住・オーガニックケルプ代表)
★「オーガニック」とは有機の意。「ケルプ」とは海藻の意。
これらを念頭に置いた食品事業を展開中。
★この地域は確かに海藻が豊富。
画像でその状況を見せてくれた。水深50cmほどでも多種類の姿が見えた。
★地元の漁師と手を組み、海藻商品の開発・販売が進行中。
★北海道内陸部(後志管内真狩村)に生まれ育ったのに、何故この海地に移住を決意したのか?の経緯。
★海水からの塩作りの経緯。

 

午前の講義が結びとなったのは10::00だった。
このあと参加者は二手に別れた。
①バスに乗り、漁村町並みの散策や塩釜見学。
②昼食に味わってもらう薬膳料理の調理お手伝い。

私は調理大好き人間。迷うことなく②を選んだ。
一階の調理場には、既に地元のご婦人で料理が進行中。
私らグループが飛び込んで、総勢15名ほどに膨れ上がり、活気がわいてきた。
調理の指揮を執るのは、後述する林先生。

私の担当は、油で揚げたホッケをタレをまぶし、皿に盛り付けること。
傍の天ぷら鍋から次から次とホッケが揚り、ざるに入れられる。
その臭いに、私は油酔いしで頭が老人ボケ状況。
でも、なんとか15枚の皿に盛り付けることができた。

 

地元の方々の強力な助力があって、料理は出来上がった。
ダムウェーター(人が乗れないエレベーター)で、二階講義室へ運ぶ。
「誰が?どうの?」と言われなくても、そこは高齢者の集まり。
「次は何をするの?」の疑問がなく、作業が流れていった。

机が対面四人掛けになり、11:00に並べられた料理は四品。
①さんま昆布巻き ②野菜と海草、魚介の蒸し煮 ③ほっけの燻魚 ④大豆と昆布の浸し

 

11:30に散策・見学コースのグループが戻ってきて昼食会。
「いただきまーす」の大きな声で楽しい食事会がスタート
親からもらった、美味しく頂ける自己の健康体に謝々。
そして、作ってくださった方々にも謝々。
美味タイムは、「あっ」という間に終わってしまった。

午後の講義は12:30から。
講師は市内美原町で「料理教室林」 を主宰する林幸子(はやしさちこ)さん。
テーマは「昆布で薬膳料理」だ。

先生の講義はすごかった。
まるで漢方医のような知識をお持ちで、それを分かりやすく解説。
資料も細やかで理解しやすかった。
頂いた資料は末永く保存し、日常生活にも役立て、子や孫にも伝えなければと思った。
これを契機に、健康により一層気を配らねばと痛感した。

充実した貴重な内容の講義は14:00に結びとなった。
「もっと、聴きたかったのにー」が本音。

 

さて、これからがワークショップタイム。
私はエコたわしを作ることにしていた。
一階の視聴覚教室へ移動。
講師は、札幌の「スィーツ&ハンドメイドカフェ「アムチョコ」店長の高田さゆりさん。
お若くて、洗練されたファッションに目を奪われた。


先生から次の三点の品が渡された。
①色違いの抗菌・防臭の毛糸二玉。
②長さ26cmの先端に切り込みが入ったプラスチック製棒二本。
③長さ9cmのプラスチック製くるくるまき用とじ針。

なにしろ手芸的作業は、小学生以来だからもう
55年ぶり。
懐かしさが甦って、しばらくは毛糸を見つめていた。
その時は確か「ぼっこ手袋」を編んだような。
小さくなったセーターをほどき、やかんの口から出る蒸気に当ててしわを伸ばし、再利用の毛糸だった。

 

作り方を簡単に説明すると、ダブルにした毛糸を、二本の棒に8の字を描くように巻きつけていくもの。
スタッフの方々は優しく細やかに教えて下さった。

我らのテーブル仲間の出来上がり作品がこれ。
上のが私ので、小さく不恰好だ。
飛び出している輪はフックに引っ掛ける役目を果たす。

 

さてさて、海藻アートグループの進行状況は?と思い、二階に上がってみた。
そこは磯の香りがプンプン。
生の海藻が海水に浸っていた。

 

それを手で取り上げ、特殊用紙に貼り付けていた。
枝ぶりと配色に苦労しているような気がした。
でも、楽しそう。

 

16:00近くになって、全ての予定は終了。
皆に渡された材料残りがプレゼントされ、意外でもありながら嬉しさがあった。

 

バスは17:15にJR函館駅横に着いた。
事故もなく、楽しく過ごさせてもらったのは、NHKスタッフを始めとする皆様のおかげ。感謝、感謝。
「ありがとうございました」の言葉とともに下車した。 

 

※短い旅を終えて

お笑いを誘う「ふるさとシリーズ」や、歌謡ショー的「BS日本のうた」の公演観覧は、それはそれで人気があると思う。

今回の行事は、「考えさせられる」点において有意義だった。
バス往復に加え、これまでのNHKにない変化に富んだ番組編成に好感を覚えた。
実施にあたっての入念なる下調べ、関係者との協議などのご苦労が窺えた。

残念だったのは、
①評価を急ぐあまりのアンケートの集約方法。
あれでは民間旅行会社の方式と全く変らない。
参加者が落ち着いてからの後日発送集約が好ましい。
返信率は少ないかも知れないが、内容濃い結果が得られると思うのだが。
②引率責任者は「ロハス」の意味を、参加者に説明する義務があると思う。意味を質問したが、勉強不足のギブアップ。傍にいたお若い女性職員?にSOSを求めた姿は、とても情けなかった。

こんな長い文章と多数の写真入りのブログは初めて。
根底には、ラジオ、テレビの番組モニターとしての心の体制が残っているような気がする。
お疲れさま、ご苦労さまでした。




   
              


第388号 NHK桜も咲きました。

2009年05月08日 | 放送局

昨日、NHK函館放送局の桜を見に出かけました。
見ごろで、ラッキー。
先日行ったときは、まだ早くて「がっかり」。
品種によって、開花には一週間ほどの時間差があるようです。

 

 

 

ミケは、この花びらを拾い集め、水を張ったクリスタル容器に浮かべ満悦。
函館からの桜たよりはこれで結びとします。
たくさんのアクセスを頂き有難うございました。

これからは、新緑の季節。
窓から見える函館山は緑の濃度を一段と増すことでしょう。
そして初夏へ。
梅雨のない北海道に「いらっしゃいませー!」。


                      

 


第307号 感激!夏の紅白~思い出のメロディー

2008年08月31日 | 放送局

昨夜7:30から、東京のNHKホールで収録された「第40回思い出のメロディー」が放映されました。
司会は篤姫に出演の松坂慶子さん、全ての女性のアイドルである氷川きよしさん。そして総合司会は阿部渉アナ。
阿部さんはニュース番組とは打って変って、なごやいだ雰囲気で二人をサポートしていました。

35名(組)の歌手が出演、舞台装置の豪華さ、カメラ数の多さと早い動き、バックダンサーの多さと華やいだ衣装、まるで夏の紅白歌合戦のようでした。

身を乗り出して見たのは「ロカビリー3人衆」のミッキー・カーティス、平尾昌晃、山下敬二郎さんの面々。
私ども夫婦が中学生のころ流行し出し、国内では新しいジャンルの曲。
見ながら、曲に合わせて、体を左右に振ったり手を叩いたりしながら一緒に歌ってしまいました。
三人は既に70代のはず。
でも、音程がしっかりしていて、かつ声量もありました。

突然、ライトアップされた旧青函連絡船・摩周丸が映し出され、小田切千アナの姿も
ありました。
甲板には、廃止時の各船船長と乗組員約30人が制服制帽姿で整列。
アナは廃止当日の心境についてインタビュー。
「青森から出航するときは、泣けてきました」と。
そして、ドラが叩かれ、汽笛が鳴り、「津軽海峡冬景色」のイントロが流れ始め、石川さゆりさんの登場。船員は隊形を一列に変え見入っていました。
手の込んだ演出、心が熱くなりました。

森光子さんはゲストだと思っていたら、女性のトリとして再登場。
東京キッドを披露。
米寿なのにしっかりした声でした。

故・石原裕次郎夫人はゲストの最後として登場。
会場に来られた方々と全国のファンにお礼を申し述べました。
裕次郎さんは、怪我や病気で入院が多くご苦労されたようです。
男性のトリは五木さん。
夫人の前まで歩み寄り「夜霧よ今夜もありがとう」を歌うと、涙ぐんでいました。
それを見ていた我が家でも目頭が熱くなり、感動の番組は10時に結びに。

この番組を見ていると、曲ごとにその当時のことが思い出されます。
小学生だったろうか?中学生だったろうか?社会人だったろうか?結婚していただろうか?悩んでいたろうか?自信を持って生きていただろうか?夢を持っていただろうか?などなど。
いろんなことが浮かんでは消え、消えては浮かび、己の人生の縮図をも 見れたひとときでした。

関係者の皆様、お疲れ様でした。


                   


 


第39号 FMいるかラジオ放送局

2006年10月04日 | 放送局

所在地=函館市元町18番11号

   

この放送局は、旧NHK函館放送局跡地に、地域情報を発信するコミニュティFM放送局として1992年12月24日に開局した。
放送局の跡地に、また放送局とは実に珍しいできごと。
国内には約190局、道内には19局のコミニュティ局が開局しているが、「いるか」は、国内第一号の暖簾を誇る。
開局当初は、西部地区の一部より電波が届かなかったが、順次出力を上げるとともに中継基地の増強をはかり合併後の全函館市、北斗市と七飯町のほぼ全域で聴けるようになった。

都道府県単位のラジオ局と違って、きめ細かい情報を素早く伝えてくれるのが強味。
また、地域住民も番組作りに積極的に参加できる環境が特色。
私も妻もそれぞれのラジオネームで、番組にメッセージを送っているが、パーソナリティーの方から紹介されると嬉しいものである。

局1階のぎゃらりー807での落ち着いた雰囲気の催事、2階のレストランからの眺望を楽しみながらのランチタイム、季節発行のフリーペーパーもお薦め。

この10月、番組改編が行なわれ、ますます内容充実。今後も小回りがきく街角ラジオとして、幅広い情報をたくさん発信してくれるようお願いしたい。

今日は我家の駐車場の舗装工事日。
これまでのコンクリートが35年の経過でひび割れがひどく、破片が散乱していた。
作業してくれた方は5人。3時に終えて帰られた。綺麗にしてくれて有難う。
これで一安心だ。   
 ミカエル

 

 

 

 


第38号 旧NHK函館放送局跡地 

2006年10月03日 | 放送局

所在地=函館市元町18番 現・元町壱番館、FMいるか放送局敷地

          

          (旧局舎のイメージと跡地にある記念碑)

旧局舎は、こじんまりとしていて薄い茶色の二階建て。
高い二本の鉄塔アンテナが遠くからも良く見え、光り輝く銀色だった。
アンテナからの線が局舎に引き込まれ、強風のときには揺れていた。

ここからの放送開始は、昭和7年2月6日。
昭和42年、千歳町に新局舎ができるまで、業務にあたった。
南部坂に面した所に門があり、上部をチョコレート色、その他をクリーム色に塗った
三菱ジープが数台出入りし、ジープの屋根には取材用の台が設けられていた。
桜が咲き、見晴らしもよく、用事も無いのに立ち入っては市街地を眺めた。

現天皇の御成婚前まではラジオの全盛時代。
三つの歌、クイズ・二十の扉、のど自慢、尋ね人などの番組が今でも記憶に残っている。
訪れた日、局舎跡に植えられたナナカマドの実が赤く色づき青空に映え、JOVK、JOVKと、函館局のコールサインが聞こえそうだった。

            

昨日から雨が降っていたが午前に上がり、正午過ぎには青空が見えてきた。
明るい日ざしが居間の大窓から差し込み、ひんやりとしていた室内の温度が少し上昇した。
例年、今頃は自宅裏庭にキノコが顔を出す。
一回分の味噌汁の具によりならないが、「今年もありがとうね」と、声をかけるのが楽しみ。  
                     ミカエル

    



 


 


第32号 NHK函館放送局

2006年09月21日 | 放送局

所在地=函館市千歳町13番1号

この放送局の歴史を振り返ってみた。
昭和7年2月6日、汐見町(現在の元町一番館敷地)に開局し、この地に移ったのは昭和42年、そして平成14年に開局70周年を迎え多くの記念行事があった。

局建設前のこの地には、「相互自動車」の車庫があった。
黄色と青のツートンカラーの路線バスと青のタクシーがずらり並び、タクシーは国産車でなくフランスの小型車・ルノーであった。
路線バスは、旧銭亀沢、戸井地区を走っていた。
2年前、大河ドラマ・新選組を放映した年、番組モニターの委嘱を受け、レポート書きに追われたのを思い出した。

訪れた今日は、「ハートプラザ」で民謡の佐々木基晴さんを迎え、ラジオの生放送が行なわれ、「ギャラリー・いろどり」では「はこだて切り絵愛好会」主催の第7回作品発表会が開かれていた。

   

どの作品も、とても繊細な下絵にナイフが走り、人物などの表情を見事にとらえ、奥深さと力量の高さを感じさせてくれた。
人力車を中央に配置させた構図の作品、「浪漫の街函館」が気に入りパチリ。

体験コーナーは満員盛況。教わった要点は、「下絵を上手く描き、根気よくナイフを動かす」。
お持ち帰り勉強セットを頂戴したので、今夜挑戦。
皆さんもチャレンジしてみませんか。   ミカエル