ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第234号 ようこそ!ヒヨドリご夫妻

2008年02月29日 | 我が家のもろもろ

5日前の朝のこと。
「ちょっと、ちょっとお父さん、来たわよ!」
「えっ、何が?」 
「ヒ・ヨ・ド・リ・よ」
妻の甲高い声に誘われ居間の大窓から庭を見ると、オンコの木のてっぺんにつがいらしき2羽のヒヨドリの姿があり、間もなくこんもりとした枝の中にもぐり込んでしまった。今年の冬の初訪問だ。
そばに置いてある米粉で作られた「まゆだま」には、興味を示す素振りは全く見せなかった。
(写真をクリックすると拡大できます。) 
 
翌朝、別な木の枝にりんごを刺しておいたら、仲良くぱくつき始め、外へ出てカメラを向けたら「バイバイ」と飛び去ってしまった。

それならば室内から撮ろうと思い、窓に近い木にりんごを移動。
この作戦が成功し、昨日の朝可愛い姿をとらえることができた。
「私って綺麗でしょう!」。顔をこちらに向けてモデル気取り。
「君の瞳は一万ボルトだね」。
こうつぶやきなながら、シャッターを切った。

よく食べるだけに「おみやげ」も多く庭を汚す。
でも、せっかく来てくれたご夫婦だから、雪が消えるまでりんごのプレゼントは続けることにした。

                     

       


第233号 旅の想い出いつまでも~旅日記

2008年02月26日 | 旅行  

人は「感動」を求めて旅に出ます。
帰ってからの楽しい想い出は、いつまでも残しておきたいもの。
そんな旅の想い出を、皆さんはどのような形で残されていますか?
写真、ビデオ、割り箸の袋やマッチから入場券の半券までアルバム帳に貼るなどさまざまでしょう。
我が家では「旅日記」という写真入りの冊子で残しています。
(写真をクリックすると拡大できます。) 
 
内容の概略は、
1.行くことになった経緯
2.日程表
3.天気予報
4.その日の出来事~起床時間、見学地、ガイドさんの説明、食事内容、ホテル名と部屋番号、就寝時間
5.感想
6.地図

これをA4判で30頁前後にまとめ、表紙、裏表紙をつけ、ホッチキスで止め、製本テープの背表紙で綴って完成となります。
10部ほど印刷、ご無沙汰している恩師、友人、親戚へ近況報告を兼ねて送っています。これが、なかなかの好評。

現在、24号まで作成済みです。
二人だけの編集会議も楽しみのひとつ。
「写真は、これがいいんじゃない?」「そうかな?」
「ガイドさんは、こんなことも言ってたわよ」
「この文字、間違ってない?」「どれ、どれ」と、なごやかに進み、頭の中では再びの旅が始まっています。

我が家では冬期間の旅はお休み。
間もなく迎える陽光あふれる春。
今年の「旅日記」は、どんなものになるのでしょうか?夢を膨らませています。

                      

 


第232号 卑しいミカエルの定期便

2008年02月24日 | 我が家のもろもろ

我が家から函館空港までは車で5分、歩いても20分の超近い距離。
そんな身近な空港に、毎月一度は出かけるようにしていて、今月も17日に。
目的は二つ。
一つは、函館発着の飛行機とJRとが一緒に記載されたコンパクトな時刻表をもらうため。
残りの一つは、売店街の散歩で、新発売のお土産品の試食という卑しい根性だ。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
(札幌・丘珠とを40分で結ぶ安定感あるプロペラ機
何故か到着ロビーに展示しているクラシックカー~明治40年の米国製。車体の大半が木製ながら時速56 kmとはすごい)

旅行者を装いながら、試食、試食の恩恵にあずかり「得した!!!」の思い。
こんな性格を「店員さんに悪いなー」と思いながらも、経済、経済という怪しい魅力に取り付かれ、またもや誘惑にのめりこんでいく。
こんな卑しいミカエルの性格は、自分でも嫌になるのだが・・・。

再売された「白い恋人」は、どこのお店でも「申し訳ございません。売り切れです」。
北海道土産のナンバーワンの地位は、依然として「他の追随を許さない」という実情を痛感させられた散歩でもあった。

                   


第231号 五稜郭さくらが咲きました

2008年02月21日 | 我が家のもろもろ

12月に入ると、函館の五稜郭桜の剪定作業が始まります。
期間は3月までの四ヶ月間。
先月の22日、切り落とされた枝を頂戴して、家の花瓶にさして置きました。
今朝、その一部が咲いているのを見つけアップ。
技術はイマイチ。ボケ気味で申し訳ありません。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
今月24日に国家試験を受験されるブロ友さんがいて、その試験日に合わせて咲くように温度管理をしてきたので、ホッと一安心。
多分、当日には花瓶は満開の花でにぎやかになり、「桜咲く」で後押ししてくれると思います。

郭内に生育する桜は、約1,660本。
ソメイヨシノが約1,560本で97%を占め、残りが枝垂れや八重の品種です。
これらの桜は、大正3(1914)年に五稜郭が公園として一般開放されるのにあわせ、函館毎日新聞社が1万号発行の記念事業として寄贈・植樹したもの。

函館地方の桜の満開日は、例年5月の大型連休中。
今年も右写真(リサイクル)のように、見事な花を咲かせてくれると思います。
剪定作業にあたっている皆さん、ご苦労様です。

                     

 


第230号 お奉行も出張に使った~西洋型帆船・箱館丸

2008年02月18日 | 乗り物

幕末に、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が箱館にやってきた。
その時に、かねてから洋船に興味を抱いていた船大工・続豊治(つづきとよじ)が、箱館奉行の命を受けて乗船、船内をくまなく検分し書面に残した。
(写真をクリックすると拡大できます。) 
(この船は、青函トンネルの開業を記念して開催された「青函博覧会」の時に復元展示されたもので、現在は大町の埠頭に置かれている。)
 
この図面と独学、創意工夫で得た知識を使い、安政4(1857)年に我が国最初の洋式帆船・箱館丸を造り上げた。
彼の造船所は、現在の赤レンガ倉庫群のあたりにあった。

完成すると、箱館奉行・堀利煕(ほりとしひろ)は、江戸出張にこれに乗船、出来具合を確認した。
続は60歳でこの船を完成させ、その後も2号船・亀田丸を造り上げ,ロシア・アムール河(オホーツク海流氷の源)まで航海した。
 
豊治には4人の子供がいた。
長男・七太郎の孫・フサさんは、函館市内にある老舗レストラン・五島軒の二代目店主(若山徳次郎氏)に嫁いでいる。
そんなご縁があって、「続豊治百年祭」が関係者を集め、昭和55年11月19日に五島軒本店で開かれた。
五島軒には、こうしたハイカラさを追求したご先祖を持っていたのだった。

この復元船は博覧会が終了してからは、野ざらし状態。
しかも、人目につかない場所に置かれている。
右写真の船首飾りは傷みが目立つようになってきた。
管理している市役所港湾空港部の、展示ビジョンが見えないのは寂しい限りだ。

                   


第229号 気になるなるチョコ

2008年02月15日 | 我が家のもろもろ

昨日は聖バレンタインデー。
息子もチョコをいただいて帰ってきました。
「こんなにもらったよ !」と、夕食のテーブルに並べました。
その中に、とってもとっても気になるチョコが・・・
(写真をクリックすると拡大できます。)
           
「開けてみようか?」。口火を切ったのはわ・た・し。
(「目が異常に輝いていたよ」と、あとで聞きました)

期待(?)は見事にハズレ。金紙に包まれた四角型の平凡なチョコ。
箱の裏書には、「フェロモン、お色気がたっぷりです。鼻血にご注意ください」とあったのに・・・。
「残念でしたね!お・と・う・さ・ん」。二人から笑われ、ガックリでした。

ある会社では、義理チョコの無駄を省き、その費用を有効活用するため募金をし、「アフリカ難民の救済資金として寄付することにした」と報じていました。
これには男性社員も協力。
「ホワイトデーの気苦労から解放されるので大歓迎ですね」とにっこり。

これからは、このような職場が増えて行くのかも知れませんね。
聖バレンタインデーからは、縁がなくなったミカエルからのご報告でした。

                    

 


第228号 五稜郭冬フェスティバル

2008年02月12日 | お祭り

9日、10日の両日、「2008はこだて冬フェスティバルIN五稜郭」が開催されました。
お祭りは回を重ね、今年は第23回目を迎えることに。
会場地は、昨年から始まった「箱館奉行所復元工事」のために、公園中央広場から、郭内東側(夏に上演される野外劇のキャスト村あたり)へと移動しました。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
子供たちの人気の的は雪像大型滑り台。
今年のキャラクターは、NHKテレビ「おかあさんといっしょ」の「スプー」。
制作にあたった自衛隊から、実行委員会に引き継がれると待ち望んでいた子供たちがカラフルなそりにまたがって、声援をあげながら楽しんでいました。

馬そりに積んだ五稜郭氷を実行委員会へ引き渡す役は、赤いふんどし姿の大学生たちで略して赤ふん隊。
真冬日の気温の中、肌が赤色に染まり見るから寒そう。白足袋も冷たそう。
そんな姿に、景気をつけようとバケツの水を「ソレ!ソレ!」と遠慮なくふりかける。
学生らは大きな声で「気合だ!気合だ!」を連発。
寒さを必死にこらえていました。涙です。
 
風船プレゼント、もちまき、お楽しみ抽選会、スタンプラリー、赤ふんダービー、尻相撲などの催物が3時ごろまで続き、家族連れで賑わいました。

実行委員会の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にご苦労さまでした。

                    

 


第227号 海鮮丼の宝庫~函館朝市どんぶり横丁市場

2008年02月09日 | 美味満足技処、買い物処

所在地=JR函館駅左側 徒歩すぐ

「ねーねー、何にする?」
「うーん、いくら丼も食べたいし、うに丼も食べたいしねー」
「そうね。だったら、三色丼にしたら?」
「そっかー。それ、それにするわー」。観光客の間でこんな会話が絶えない。
ここは、「函館朝市どんぶり横丁市場」
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
函館の三大市場といえば、古い順から中島廉売(昭和9年、現店舗数約200)、自由市場(昭和20年、現店舗数約50)、そしてこの朝市(昭和22年、現店舗数約300)と続く。

朝市は、現市役所横(日銀函館支店、NTTビルがある地)で産声をあげ、現在地に移転したのは昭和31年のこと。
青函連絡船の全盛期で、本州へ向かう人、本州からさらに道内奥地へ向かう人が、朝市食堂で旅の疲れを癒しながら函館の味を楽しんでいた。

そんな食堂街が、近代店舗建設に踏み切ったのは平成17年のこと。
総工費約4億円をかけ、名も「函館朝市どんぶり横丁市場」としてオープン。
観光旅行ブームにグルメブームも重なって、この横丁は大当たり。
「美しい夜景+異国情緒の町並み+横丁味」のコースが人気を呼んでいる。
市内の人気ラーメン店も加わって、味のバリエーションが充実した。

店外での派手な呼び込みはしていませんが、店内で心から皆さんのお越しをお待ちしております。函館の海鮮丼デパートの味を心ゆくまでお楽しみ下さい。

営業時間=概ね 6:00~15:30(個別)
定休日=個別
サービスデー=毎月第4火曜日の7:00~14:00 500円メニュー を用意
駐車場=利用金額2,100円以上が無料
市場事務局=0138-22-6034

                     

 


第226号 蝦夷地に建立された東照宮

2008年02月06日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

現在の名称=北海道東照宮

東照宮といえば、日光にあって徳川家康公を祭る社。
その東照宮が、なぜ蝦夷地にも建てられたのだろうか?

幕府は1855年に箱館を国際港として開港した。
箱館奉行は外国からの脅威に備え、蝦夷地の防備、警備の要として新奉行所の建設を江戸徳川幕府に具申。
これが認められ、1864年6月に五稜郭に新箱館奉行所が完成した。

そのときに、鬼門(東北方向)に守護神を配置することとし、東照宮大権現の分霊を受け、官民あげての社殿は1865年4月に完成したのであった。
これを機に、上山村が神山村と改字された。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
(神山町に残る初代鳥居と陣川町にある現社殿)

明治元(1868)年10月に、新政府が統治する五稜郭を旧幕府脱走軍(榎本軍)が占拠。
榎本軍は、新政府軍の攻撃に備えここに砲台を築いたが、同2年5月の箱館総攻撃で陥落。
その際、華麗な社殿は新政府軍によって焼き払われたが、この鳥居は残った。

その後、社殿は函館の西部地区を転々とし、同12年に宝来町に落ち着き長らく鎮座していたが、平成3年に現在地に移転した。

初代鳥居の制作者は、東京の品川台場、函館の弁天台場、五稜郭などの石垣工事を手がけた「備前・岡山の石工・井上喜三郎」。
名工によって造られたこの大鳥居は、これからも函館の町を静かに見守ってくれるだろう。

                      

 


第225号 いい湯だな♪~おサルの温泉

2008年02月03日 | 公園

名称=函館市営熱帯植物園
所在地=函館市湯川町3丁目1番15号

今日、「第4回熱帯植物園祭り」が開かれるというので、二人で出かけました。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
お祭りらしく、入場者への数々のサービスがありました。
桜の枝、函館の水、凧、ポップコーン、レモンティーのプレゼント。
場内でついた餅で作った雑煮、大福餅、お汁粉、黄な粉餅の試食。
そして、バトントワリング、空手、ジュニア巴太鼓、ハワイアンバンド、フラダンスと、盛りだくさん。
暖かな温室の中で、ゆったりとした一日を楽しみました。
 
外へ出るとさすがに寒さが身にしみます。

「サル山」の108匹のお猿さんは、団体で温泉入浴中。
気持ちよさそうに目を細め、あったまっている姿は人間と変わりません。
赤い顔が一層赤くなっています。
「ちょっと、ちょっと。背中、かゆいんだけど掻いてくれない?」
「あいよ!こんなもんでどうだい?」
「うーん、気持ちいいなー。あんた掻きの名猿(人)ね!」。

こんな会話が聞こえそうなサル山温泉を見ていたら「ハックション」。
人影まばらになった植物園をあとにしました。

お祭りのお手伝いをされていたボランティアの皆様、ご苦労様でした。

                   

 


第224号 家にもあった中国の問題食品

2008年02月02日 | 我が家のもろもろ

今回の「中国・天洋食品製ギョーザ 」による中毒事件で、国内食品各社がその工場の原料を使った製品を自主回収することになった。

その製品名が昨日新聞でも報道され、我が家の食品庫を点検してみた。
すると、該当する製品がみつかった。
「マルハ株式会社 金のどんぶり 牛たま丼180g」である。
            
これは、昨年12月に近くのスーパーで購入、賞味期限は4月9日になっている。

箱の裏面を見ると、販売者にはマルハの表示はあるものの、製造地、製造者の記載はない。これは、なにもこの製品だけに限ったことではない。
中国製食品がいろいろと問題を投げかけているのだから、これら表示は積極的にすべきではないだろうか。

どうみても、厚労省や農水省の食品行政は甘すぎる。
国民の健康に目を向けるよりも、業界サイドにたった施策だと思う。
問題が拡大し、手に負えなくなって、ようやく重い重い腰を上げる。
これでは、完全に手遅れなのである。
業界の自主検査体制とて確立されてはいないし、全く手をつけていない企業もある。
利益を追求するあまり、こんな形になってしまったのだと思わざるをえない。

国民の健康は誰が守ってくれるのか?
それは、結局、ひとり一人の注意に落ち着くのだろうか?
悲しいかな、日本の食品行政!