ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第567号 函館へお出かけになりませんか。

2010年09月30日 | 町の話題

市役所観光振興課が主催した「まちあるきガイド入門セrミナー」の閉講式が29日に行われた。
7月21日の開講式から早くも二ヶ月。
その時は夏の暑さが厳しかったが、いまや秋風が吹いて、夜は厚い上着を必要とするまで季節が変化した。

 

主催者側から思いがけないプレゼント。受講修了証が授与された。
嬉しさがこみ上げてきたのと同時に、これからも自己研鑽に務めなければならないと痛切に感じた。

セミナーで教わった気配り、目配り、年齢などに応じた分かりやすい解説を基本とし、「心からのおもてなし」を念頭に置くようにとも思った。

 
受講生の中には、本州からの移住者が数人いて、函館の良さを細やかに語ってくれた。

結びに、全員が感想を述べた。

① 今回のセミナーよりもさらに深く掘り下げた中級、上級クラスの開講を望む。
② 話術の講義もして欲しい。
③ 折角のこのセミナーの人脈を、何らかの形で活かせないものだろうか?
④ 総論としては、とても有意義なセミナーであり、歴史を学ぶことによってますます函館の良さを知り、観光客の皆さんにそれをお伝えしたい。等など。

お世話になった講師および観光振興課の皆様、お疲れ様でした。有難うございました。

式を終えて外へ出ると、会場として多く使わせてもらった「地域交流まちづくりセンター(旧丸井今井デパート函館店)」が、ライトアップされ、美しく浮かび上がっていた。

 

「もっと知りたい函館。それを観光客の皆さんへお伝えしたい」。
「ウエルカム。ハイカラな町・函館へぜひおでかけください!」。
お待ちしております。

 

                

 

 

 


第565号 ストーブの出番に!

2010年09月23日 | 我が家のもろもろ

超、暑かった日本列島。
内地の皆さん、心からお見舞い申しあげます。

北海道は比較的涼しかったものの、クーラーのないご家庭が殆ど。
やはり、それなりに応えました。

函館は、昨日から急激に涼しさをクリアーして、肌寒さが忍び寄ってきた。
半袖、半ズボン、窓開けはやめて、長袖などの秋の装いに華麗なるヘンシーン。

今朝の冷え込みには体が馴染まなくて、ついに「ストーブ君」の点火ボタンを押したが、彼はご機嫌斜め。
なかなか燃えてくれない。
「ははぁー、いつものところに、ほこりがたまっているのだろう?」。

部品をはずして入念な掃除。
ようやく彼もその気になって点火し、赤々と燃え出した。

 

これから毎日お世話になる18年目のストーブ君。
「老骨にムチ打ってでも頑張ってね。お手入れはきちんとやるから。今年もどうぞ
よろしく!」。

昨年の初点火日は、10月5日だったから半月ほど早い。
急激な気温低下に体がついていけなかったのだろうか?
現在の外気温は14.8℃。今日の予報最高気温は18℃なのだが・・・。
やっぱり「長袖、長ズボン、鍋焼き」だべさ!

 

                 


第564号 坪当たり900万円也! 箱館奉行所

2010年09月19日 | 旧跡、史跡

北海道で唯一の特別史跡「五稜郭跡」。
その中にようやくシンボル・箱館奉行所ができあがった。

最上部の「太鼓やぐら」は、土塁から飛び出していたため、明治政府軍の旗艦・甲鉄艦の標的にされた。
この時の弾丸は平成になってから、奉行所近くで発見された。

 

江戸徳川幕府が蝦夷地の要として造り上げた蝦夷地最大の建造物、それが
「箱館奉行所」だった。

今回の復元部分は全体900坪のうち3分の1の約300坪。
それでも27億円の巨費が投じられた。
一坪当たり実に900万円。復元ゆえの高額さに驚く。

最近の分譲住宅のチラシを見ていると坪約40万円前後。
いかに材質、腕、技法に吟味をしたのかが窺える。

入り口でビニール袋を手渡され、靴入れに。
入場券は近代的な自販機。これはいただけない。
昔ながらの手売りが相応しいと思うのだが・・・。

直ぐ右側にトイレ。
当初の設計図には「雪隠(せっちん)」とあった。

小学生のころ、農家や漁家の家では、外に独立した便所棟があって、便器はこのような木製だった。

 

 

畳の香りであふれている各室。
新しいから余計にそのにおいを感じる。
照明にも気配り。細やかな設計の心遣いを感じた。

 

天井裏の構造が分かるように、天井板の一部を開放している。
木組みの複雑さは、現代建物では真似できない精巧な工法だ。

 

以前、市立博物館五稜郭分館(昭和30年開館)があった位置に建つ、管理事務所。

 

同じ場所に建つ「お休み処・いたくら」。
飲み物やアイスを提供してくれる。

分館には何度通ったことか。
維新、新撰組、開港、箱館戦争などの特別展が懐かしい。
そうそう、土方歳三や片腕のイケメン剣士・伊庭八郎の写真もお気に入りだったなぁー。
こじんまりとした分館ではあったが、資料の密度は濃かった。
大阪、東京、山口からのお客様をお連れした想い出がある。

 

これが物議をかもしている貸衣装屋。
奉行所完成前から博物館分館前で営業していたから既得権なのかもしれない。
雨天は休業。
相応しくない光景は、新聞でも取り上げられたのだが・・・。

 

地元民として何度となく分館に足を運び、奉行所の全体図を知っているだけに、今回の部分復元は物足りない気がする。
「これが、箱館奉行所なの?」という、誤ったイメージをもって帰られるお客様が多いのではないかと思う。
全体の復元計画をきちんとたて、完全なる「箱館奉行所」を望みたい。

従事されている皆さん方は、親切で笑顔が絶えなく、温かな気持を与えてくれる。
黒のシックな制服も奉行所によくマッチしている。

アドバイスとしては、外国人のお客様への対応は十分なのか?
特に欧米の方々は、靴を履いたままの生活習慣だから、ビニール袋を渡す前に、外国語でのご案内が必要と思う。

計り知れないご苦労があって、ようやく公開にこぎつけた奉行所。関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。
観光都市・函館の、さらなる発展の起爆剤になるように願っています。
全国の皆さん、ぜひお出かけください。
奉行所は、あなたのお出でをお待ちしております。

(お知りになりたい国、都市の時刻を表示できます。
左上時計欄の右下丸マークをクリックし、右上ボタンを下げますと候補国名などが表示されます。選びましたら「設定」をクリックしてください)

 

               

 

 


第563号 エッセイ~青函連絡船の想い出

2010年09月16日 | 乗り物

早朝の4時台、函館の町に「ボー、ボー」という音が鳴り響く。
それは、連絡船岸壁に着岸した青森からの一番船の汽笛だった。
当時の連絡船の煙突は4本で朱色に塗られ、黒い煙をもくもく。
この音を待っていたかのように、駅前・大門地区は動き出した。

  

下船口から吐き出された乗客は、二手に別れた。
プラットホームに停車している奥地へ向かう急行列車へと足を速める乗客。
飛行機が発達するまで、函館は連絡船の到着に合わせて道内奥地へ向かう長距離列車で賑わっていた。

もう一方の列は桟橋出口へ向かう人たち。
この列の主役は「しょいっこさん」とか「担ぎ屋さん」と呼ばれた女性たち。
タオルで鉢巻をしたおばさんの集団だ。
自分の体重の倍はある米を担いで「よっこらしょ、よっこらしょ」と体を重たそうにしなら足を運ぶ。モンペの着物姿は汗まみれだった。

出口には大型犬数頭をつないだ「犬リヤカー部隊」が待機。
1個何円かで運搬を請け負っていた。
今でいうところの「軽トラック運送」のはしりだった。
配送先は、旅館、すし屋、食堂、朝市界隈の米屋など。

一時期、この米は「ヤミ米」の烙印が押され、警察当局の摘発を受けることになった。逃げ遅れて捕まり、大声で泣き叫ぶおばさん。
一家の大黒柱として家計を遣り繰りし、我らの食卓のご飯として運んでくれたのに・・・。
米を没収され留置。どうしようもない悲しい場面を見た。

あまりにも潔癖な裁判官がいて、「ヤミ米は食しない」と言い張り、餓死した笑えない話もあった。

夏には、犬の主人は日陰で休息。
犬たちは日が当たる場所でぐったり。
私はこの犬が可愛くて「おじさん、水や餌をやってもいいかい?」。
「頼むな」の返事。
近くの食堂の残飯を持って行くと「ガツガツ」とあっという間になくなった。

行けない日があり、数日振りに姿を見せると「クンクン」と鼻をならしながら尾を振って、「待ってました」の歓迎動作。思わず体を撫でた。

そのうち米の流通経路が変化し、また運搬手段もオート三輪車や軽自動車へと急速に移行していった。

係留されている連絡船・摩周丸を見るたびに、「もんぺ姿のしょいっこおばさんたち」と「犬リヤカー」を思い出す。

 


(懐かしい西田佐知子さんの歌がお聴きになれます。左上の菊正宗CM中、下から3行目、左端ボタンをクリックしてください。)


          

 


第562号 我が家の戸籍にも不明高齢者がいた

2010年09月13日 | 我が家のもろもろ

年金の不正受給が発端となって、高齢者の所在や生死の不明者のことが社会問題となっている。
我が家の先祖にも、不明者が2人いたのを思い出した。

今から10年ほど前、家系図を作ろうと古い戸籍を取り寄せた。
その中には「改製原(はら)戸籍」という除籍謄本があった。
記載されている者は私を含めて18名。
この中に高齢で所在、生死不明者が二人記載されていた。

戸主は父の父(祖父)だった。
その人物とは?
①父の母(祖母)の叔父でA。
②父の母の従兄(①の長男)でB。

Aは、天保10(1839)年生まれだから、大塩平八郎の乱の2年後に出生したことになる。
Bは、元治元(1864)年生まれだから、五稜郭が完成した年になる。
函館市長が執った方法はこうだった。

Aについては、昭和36年に、「年月日日時及び場所不詳死亡」との理由で許可(法務局の)を得て除籍とした。
この時点での年齢は122歳。

Bについては、昭和42年に①と同理由でやはり許可を得て除籍とした。
この時点での年齢は103歳。

祖父母は他界。父を含め子も皆他界し、二人のことを聞くことができない。
私は二人の存在すら知らなかった。

実際のところ何時、何処で何をしていたのだろうか?
畳の上で亡くなったのだろうか?それとも・・・
不幸な人生を送ったであろう二人に、改めて冥福を祈った。


(懐かしい西田佐知子さんの歌がお聴きになれます。左上の菊正宗CM欄、下から3行目、左端BOXをクリックしてください。)


          
    

 


 


第561号 残念のランキングダウン!

2010年09月09日 | 町の話題

今朝の地元新聞紙 によれば、「魅力ある街」の1位に札幌市が選ばれた。昨年は函館市が1位だったのに残念。悔しい。
これは、民間のシンクタンク・ブランド総合研究所が発表したもの。

札幌市は明治維新後に街づくりがスタート。
碁盤の目のように道路網が整備され、特に幅員100メートルの大通り公園は諸々の行事にフル活用されている。

雪祭りに始まり、ライラック祭り、ソーラン祭り、ビアガーデン、クリスマス祭り、ホワイトイルミなどなど。
防火帯として造られたこの公園。
実にこれをフル活用しているし、街並みも綺麗で、ファッション都市としても頭角を現している。

 

函館はどうなのだろうか?
欧米の異文化をいち早く吸収してきたが、日露戦争や太平洋戦争勃発でそれらのエキゾチックムードはすっかり進化することなく退化しつつあるのではないだろうか?。

西部地区にはイギリス商人・「ブラキストン邸」があったし、他にも外国人のお屋敷があった。
復元して、またの人気回復を図ってみては如何だろうか?
そして札幌にはない海の活用。
海に面した所に「オープンカフェ」を設けてはいかがだろうか?

裁判所前の広い道も、フェスティバル会場として活用できないものだろうか?
それと街中に「ベンチ」、「緑樹帯」が欲しいなぁー。
奉行所の次の目玉はこれらだと思う。

結びに魅力度ランキングベストテンを列記してみた。
1位 札幌市
2位 函館市
3位 京都市
4位 横浜市
5位 小樽市
6位 神戸市
7位 鎌倉市
8位 富良野市
9位 金沢市
10位 長崎市

私は、奈良、長崎、鎌倉、京都が好きだ。
でも、小学生の頃から、函館に住んでいて幸せを感じている。


               


       

 

 


第560号 懐かしの市電

2010年09月07日 | 乗り物

ほとんど利用しなくなった市電。
でも、7月から始まった「まちあるきガイドセミナー」の受講で、利用する回数bが大幅に増えた。

会場の旧丸井今井百貨店(現・まちセン)は、駐車場が少ないこともあるのがその原因。
十字街という地の利もあって下車3分の近さ。
やはり、昔のデパートは今でも便利さはそのままだ。

  

就職して間もない頃、母が作ってくれた弁当での思い出。
ほっかほっかの熱いご飯に載せてくれた「沢庵」。
このにおいが電車中に広がり、恥ずかしさで途中下車した。
紅顔華麗な美少年(?)にとっては、我慢の限界だったのだと思う。(母には申し訳なかったのだが)。

当時の市電は3人乗務。
運転士、車掌2人。
通勤時間には、交通局に勤務されているご主人への「お弁当」を運転士へ託していた奥さんの微笑ましい場面もあった。

通勤券は、幅5ミリほどの一日2枚綴り。
往復より利用できない仕組みだった。

今はワンマンカーでCMいっぱいのカラー電車。
「ゴト ゴト」と音を響かせ町を走っている。

まちセンのご案内はこちらからどうぞ!


               


 


第559号 甘くないぞ!観光ガイド。

2010年09月03日 | 町の話題

1日、受講中の「街あるきガイド入門セミナー」が9回目を迎えた。
今回の会場は、堅苦しいビルの会議室から飛び出し、緑豊かな香雪園内の木材をふんだんに使った「緑のセンター研修室」。
残暑厳しいおり、癒しの会場となり、開催者・市観光課の気配りを感じさせた。 

 

講師はNPO法人・自然体験活動推進協議会CONEトレーナー・鎌鹿隆美(かまか たかよし)氏。

テーマは①ホスピタリテイ(おもてなし)、②リスクマネージメント(危機管理)の2項目。

そのためには、ガイド中は常にリーダーシップ(統率)を念頭に置き、行動することが大事との主内容であった。
心動かした事項は、次のとおり。

①ホスピタリテイ(おもてなし)編
ア. 心のこもった言葉(特にお迎えやお別れのご挨拶)、笑顔、行動などの接遇態度が基本。
イ. 自分なりのガイドの創意工夫。
ウ. 地域の新しい情報の把握。
エ. 質問に対する回答は、全員の前で説明(公平さ)。
オ. 建物などの説明をする場合は、それらが背面になるように。
カ. お見送りは姿が見えなくなるまで。
キ. 自分なりの、評価、反省を行う。

 

リスクマネージメント(危機管理)
ア. コースの事前下見をし、危険箇所がないかどうかチェック。
イ. 人数確認は随時。
ウ. 体調を崩されている方はいないかどうか?
エ. 遅れている方がいれば、歩行速度はその方にあわせる。
オ. 天候急変(雨、雷など)の際の決断(退避、変更、中止)。
カ. 交通事故には十分過ぎる注意が必要。
キ. 緊急連絡先の把握。

講義が終わると園内を散策。
講師は、自然観察員でもあることから、植物についての説明もあった。
途中、にわか雨が。
大きな木の下で雨宿り。
15分ほどで再び太陽が顔を出し、汗をかかせてくれた。

 

今回の講義では、ただ単に名所、旧跡を名調子で説明していてもガイドとはいえないことが分かった。
心からの笑顔で函館を離れていくお客様の姿を願っているのだから、自分もそれに報いる努力が必要だ。
「最高のおもてなしとは?」。
それを解いてくれた気がする。

明日もセミナーが開催される。
どんな美味しそうな内容が待っているのだろうか?
楽しみである。


               

 


第558号 ようやく買えたガリガリ君

2010年09月01日 | 我が家のもろもろ

今年は異例な猛暑が続いている。
我が家の大好きな冷菓・ガリガリ君はどこも品切れ。
メーカーの工場長は「フル操業をしておりますが、ご注文に応じられなくて申し訳ありません」と、テレビで謝っていた。

それが、ようやく近くのスーパー店頭に並んでいるのを見つけ、今日午後にゲットすることができ、嬉しかった。
早速家族全員で「ガリガリ君」とご対面。
彼の冷たいさっぱり味に満足することができた

 

私が小学生の頃は、自転車の後部に青ペンキを塗った木箱にアイスを入れたおじさんが「氷」ののぼりを立てて売りにきていた。
たしか一本、5円か10円だったと思う。

こんな事も思い出しながら、彼との5分ほどの至福の時間は、過ぎ去っていった。