ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第21号 キャバレー・未完成

2006年08月31日 | 映画館、娯楽場
所在地=函館市大森町17番 → 松風町9番

東京に住む義姉の孫二人が、高速バスとフェリーを乗り継いで函館にやって来た。
池袋発が22:10で、函館着が13:00。往復料金19,600円也。
「安いけれど疲れる」の声。連絡船時代は、上野まで約11時間かかったから、やはり特急列車は速かったのだと思う。
現在はトンネルと新幹線で6時間余り、やがて北海道新幹線が開通すると3時間40分に縮まるというから、技術の革新に驚く。


            (左は初代店舗跡地、右は廃業した新店舗)

私が社会人になった頃、函館市内にはキャバレーが3店あった。
祇園通りにハーバーライト、高砂通りにフロリダ、さいかデパート通りに未完成が。
未完成は、最初、19号でご紹介した巴座の裏にあったが、中学生だったので内部の様子は全く分からなかった。その後、店は松風町に移った。

私は年2回(夏、冬のボーナス時)、主に未完成に行き雰囲気を楽しんだ。3店の中で一番広く豪華で、専属バンドをかかえ、有名な芸能人のショーが連日繰り広げられていた。
12月になると、クリスマスパーティー券をホステスさんから頼まれる。
1枚3,000円くらいだったと思う。店の帰りに、ケーキと紙製の帽子をもらい、千鳥足で帰ったこともある。

最期の隆盛期は昭和40年代~50年代までと思う。バブルがはじけて不況になったのと、繁華街が五稜郭地区へ移ったのに伴い閉店となったようである。
空き店舗を見て、華やいだ雰囲気で飲み、踊った場面が思い出されてきた。
経営者は確か平形さんという方だった。  ミカエル




第20号 ひと休み

2006年08月27日 | 我が家のもろもろ

            (妻が一生懸命に育てた花を部屋に飾りました。)

今日は一歳の誕生日を迎えることなくこの世を去った長女の祥月命日。
函館山の麓、港内を見下ろせる丘にある墓参りに出かけた。
海も空もコバルトブルー、薄くかかる雲は高く風に流されて行く。
命あっていれば、どんな人生を歩んでいたのだろう、と妻と語り合った。

そんな訳で、今日は本来の記事はひと休み。
このブログ、節目の20号となった。
流行に遅れたくない、ボケ防止にもなる、そんな思いでスタートした。
テレビのテキストを買い求め、とにかく書き、投稿した。投稿を重ねるごとにブログのシステムが理解できてきて、「理屈よりも慣れろ」の言葉の重みが分かった気がする。

解決できないでいる技術的疑問がいくつかある。
ワード機能を援用できれば簡単なのだが、試してみたらそうはいかない。
早く隠れている機能を見つけ出し、使いこなしたいと思う。

長く続けるコツは、焦らずにマイペースで進むことが大事。
明日からまた、少しずつ前進して行きたいと考えている。

ミカエル




第19号 劇場映画館・巴座跡地

2006年08月26日 | 映画館、娯楽場
所在地=函館市大森町

今日も快晴、写真撮影には絶好な日和。松風町へ行ったついでに足を延ばし宝来町の肉屋へ。ここのコロッケの味は絶妙だ。
我家へ10個、お世話になっているご近所にも10個求めた。観光客らしい若いカップルも5個求め、歩きながら味わうという。
「観光パンフで紹介されていました」と、語ってくれた。

                

大森交番から函館山方向へ進むと、ホテル函館ロイヤルがあって、その手前の駐車場に巴座があった。
昭和20年代までは、花道、畳敷き升席がある実演専門館で、時代劇や歌謡ショーが盛んに行なわれていた。
巴座裏に3年ほど住んでいた時、出演者専用口で待って、花形スターの横顔を拝見したものである。
専属時代劇スターは、君島道之助さん。瀬川瑛子さんのお父さん、瀬川伸さんもよく出演していて、マドロス姿は夢の世界から抜け出たような華麗さがあった。

その後、椅子席にして映画館になったのが30年代で洋画封切館であった。
ジェームス・ディーンのジャイアンツ、007シリーズなどを見た。

35年頃、国鉄青函船舶鉄道管理局の家族慰安会が年1回、半月か、1カ月位の長期にわたり行なわれていた。
当時は、テレビの普及前だったから実演と映画を組み合わせたこの慰安会が大人気で、一日3回の公演は、入場を待つ職員、家族の列が大森交番まで続いた。
お菓子などのお土産をもらい、半日を楽しく過ごすこの会は大好評で、青函局が終わると、市役所などの慰安会が続いた。

ここの館主、経営者は代々地原さんで、映画館が斜陽化になってからも、娘さんが「映画の灯を消したくない」と頑張ったが、遂に時代の波に押し切られ、数年前永遠に幕を下ろしていた館は取り壊されてしまった。

跡地の駐車場を利用するたびに、華やいだ巴座の銀幕を見つめていた頃が思い出される。  ミカエル


第18号 函館大火慰霊堂

2006年08月25日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
所在地=函館市大森町

今日の函館の最高気温は29.8℃。湿度が低いせいかそんなに暑さは感じなかった。しかし、スポーツ同好会の練習会場の体育館は、冷房なしだから汗がしたたり落ちる。家から冷茶を持って行ったが足りず、冷水器からごっくん、ごっくんと何度飲んだことか。家に帰って真っ先にシャワーを浴びさっぱりと。
冷たい麦茶の美味しかったこと。夕食前に再び麦茶で乾杯!



この慰霊堂は、昭和9年3月21日、函館市の約3分の1を焦土と化した際の殉難者を弔慰するために、市が全国からの義捐金をもとに建立した記念堂である。
この大火、午後6時30分頃住吉町から出火、焼失戸数24,186,罹災人口102,000余、死者2,054人の大惨事になった。

同年9月21日に仮堂を建てたが、昭和13年9月30日に現在の寺院風の慰霊堂が建てられた。構造は鉄筋コンクリート造、床面積は613㎡。
ここに安置されているご遺骨は無縁仏の662体、毎年慰霊祭が行なわれているが、参列者は年々減少している。
本堂部分は、青少年ホールとしてスポーツ競技用に使われ、歓声が上がっている。

母の実家はこの大火の直前に建てたが幸いにも難は逃れた。
しかし、外壁には焦げ跡が残り危うい状態だったという。

大火の悲惨さは生まれていないので分からないが、昭和29年の秋に起きた「洞爺丸沈没事件」は、ひどかった。
上磯沖で沈没したのだが、ご遺体は日本通運のトラックでこの慰霊堂前広場に運ばれ検死を受けた。
ムシロの上に並べられ、ムシロで覆われていたが、せめて毛布がなかったのか、と当時はそう思った。
時間が経過するにつれ、犠牲者には失礼だが異臭が発生し、悲惨さが増してきたのを覚えている。

ここの前を通るたびに、合掌せずにはいられない。 ミカエル



第17号 砂山跡地

2006年08月24日 | 旧跡、史跡
所在地=函館市大森浜一帯

夜、庭に出ていると虫の声が聞こえ、それは、日を追うごとに賑やかに、そしていろいろな音がミックスしている。まるで混声合唱団のようだ。
庭のミニ菜園のナスビが大きくなって、もうすぐ収穫できそう。
秋の気配はこんなふうに、忍び寄ってくる。


(啄木小公園から砂山跡地を望む。左写真中央が清掃工場、高いのが煙突。右写真の左がパチンコ店)

昨日ご紹介した啄木小公園、その辺りは私が小学生のころ砂山があって、冬の遠足
地であった。
高さ30mくらいはあったと思うが、そり、竹すべりで楽しく遊んだ記憶がある。
この砂山は、大森浜の砂が強い風で運ばれ堆積したもの。
我家にある昭和8年発行の地図に、砂山町とあることから事実が伺える。
跡地には現在、市営高層住宅、清掃工場、パチンコ店などが建っている。

すっかりその姿を消した昭和45年ごろ、旧家の明治生まれの方に聞いた話では、「砂山は、東川小学校の辺りから刑務所辺りまであったらしいよ。高さは、そうだなあ~2,30mはあったよ。だんだんと建設材料に使われてなくなってしまったが、残っていれば貴重な観光資源だったろうに」と。
町の発展を別にすれば、鳥取砂丘の例があるから、今思えばこの考え方はユニークであった。

昔の面影はないが、清掃工場横の西側市道がなだらかな坂道になっているから、これが名残かも知れない。
夜ともなると、数店のパチンコ店の鮮やかな照明に、かすかな想い出が消されそうになる。  

ミカエル



第16号 石川啄木小公園

2006年08月23日 | 公園
所在地=函館市日乃出町  交通=函館バス・啄木小公園前下車すぐ

熱闘甲子園が終わり、北海道の熱い夏も終わりを告げた。
我家の庭のコスモスが一段と力強く咲き誇り、風に揺れ、秋の気配を感じさせる。



JR函館駅からバス15分で到着する。
この国道278号線は、公募により「いさり火通り」とつけられたが、隠れ呼び名は「グルメ通り」。回転すし、焼肉店、カニ料理店、居酒屋、ピザレストラン、ハンバーグレストラン、カレー店、ラーメン店と多種類の外食店が並ぶ。

小公園が出来たのは、昭和33年だから当時は一軒の外食店もなかった。
この辺りはかって砂丘があって、ハマナスが咲き乱れていた。詩人・啄木が好んで散歩したところで、坐像は高田屋嘉兵衛銅像の作者・本郷新氏。

啄木が函館に来たのは明治40年5月。7月には離散していた妻子を呼び寄せ、函館公園近くに居を構え、水入らずの生活が始めた。
弥生小学校の代用教員、函館日日新聞社記者になって間もなく、大火に遭遇し新聞社も焼失、妻子を残して函館を去った。
4カ月の滞在であったが、彼の生活にとって最も楽しい期間であった。
26歳、肺疾患と窮乏で没した。

彼が岩手県・盛岡市で新婚生活を始めた家を見に行ったことがある。
間借りで四畳半一間、家具はどこに置いたのか?考えてしまった。

津軽海峡を眺められる絶好のロケーションで、彼は何を考えているのだろうか。
根強い人気なのか、駐車場には他府県ナンバーの車が入れ替わり入ってくる。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」

ミカエル






第15号 香雪園

2006年08月21日 | 公園
所在地=函館市見晴町  交通=函館バス・香雪園下車すぐ

夏の甲子園、決勝戦の再試合は早稲田実業が4対3で初優勝し、駒苫の3連覇は成らなかった。
爽やかな感動を与えてくれた球児たちに、乾杯!
二度と見れないであろう甲子園最大のドラマは、永遠に球史に刻み込まれるであろう。




この香雪園は、見晴公園(約46ha)の一角に位置し広さ約13haというから、後楽園ドームの2.5倍に匹敵する。
別名・旧岩船氏庭園と呼ばれ道内唯一の文化財庭園として国指定の名勝となっている。

氏は、函館西部地区で呉服商(屋号=きゅうしめいち)を営み、1901年から造園に着手、1920年から京都の庭師を招き、樹木の大半は本州から、石材は道南一帯から運び、3年を要して純日本式庭園は完成した。
当時の京都・知恩院貫主により、”雪の中梅香る園”の意で香雪園と名づけられた。

園内は起伏があり、樹木の本数は約7,000本で、うっそうとした森になっているから散策には最適。
牡丹花壇、バラ園、つつじ、桜、もみじ、芝生等が常駐する庭園従事者によって、維持管理されている。
園亭と呼ばれるお茶室は修復され、周辺の池とともに大正期の姿に戻すための復元工事中で、完成は19年1月。

園の中央には新築なったあずまやがあり、椅子、テーブルが備えられ、80人は座れる。周りには遊具があり、芝生広場は子供達の絶好の遊び場。
秋には隠れた紅葉の名所として、近年は観光バスが押し寄せている。

皆様、心が癒されるこの素晴らしい庭園に、ぜひお出掛け下さい。

(今日の函館の最高気温は30℃、園内で鈍感な私はブヨに3箇所も刺され、現在サロンパスを貼ってかゆいのを押さえてます。でも、カユイ、カユイ)

ミカエル

第14号 史跡・志苔館(しのりたて)跡

2006年08月20日 | 旧跡、史跡
所在地=函館市志海苔町(地名では海の字が入る)  
交通=函館バス・志海苔下車徒歩10分

今日の高校野球の決勝戦、始まると家の前、横の道路から人、車の姿が消え静かな街に。熱闘3時間半、お茶を飲む余裕もないほどテレビの前に釘付け。
田中、斉藤の精神力の強さに感激し、明日の健闘を祈りたい。
でも、本音は”優勝旗が二本あればいいのに”と思った。


(右写真は、館跡から津軽海峡と雲に覆われた函館山を望む)

この館跡は、湯の川から戸井・恵山方向へ向かう国道沿いの志海苔漁港の左段丘に
ある。
東西70~80m、南北50~60mで広さ約4,100㎡。
四方には高さ2~4m、幅10~15mの土塁があって、外側には壕がある。

松前藩の古文書によれば、室町時代(1330年代以降)ごろ、道南に12人の和人の館
があり、ここは小林氏が居住していた。
1456年にアイヌの蜂起があって、攻め落とされ、その後小林氏は松前藩に従属し廃館になった。

14世紀末から15世紀に存在していた建物、柵、塀、井戸が、あわせて陶磁器、金属製品、木製品も発掘されている。
現在でも、津軽海峡や函館山が眺望でき、地の利を得た場所であったと思われる。

それにしても、寒さ厳しいこの地での冬の生活はどうであったのか?
建物だって、粗末な様式であったろうに、と思うと昔の人の忍耐強さが伺える。

この辺りは、函館市と合併前は銭亀沢村と呼んでいた。
それを裏付けるように、昭和43年の国道拡幅工事中、この館近くの土中から大亀に入った大量の古銭が発見され、その枚数約37万枚。
アイヌとの戦いのさなか、小林氏が埋めたのでないかとの説が有力である。
この大亀と古銭は、市立函館博物館本館に陳列している。

思いもよらない古い歴のドラマの舞台が、身近にあるなんてご存知でしたか?

ミカエル

第13号 函館牛乳あいす118(アイス専門店)

2006年08月19日 | 美味満足技処、買い物処
所在地=函館市中野町

我家の庭の木陰に、キャンプ用椅子とテーブルが置いてある。
そこに座り、熱いコーヒーを飲み、口直しに手を伸ばして赤く熟したトマトをかじりながら空を仰ぐ。ゆっくりと雲が流れて行き至福の時を感じる。
駒苫が勝ったのだ。
あと1勝、明日、ここでまた飲むであろう勝利のコーヒー。
最高の味になって欲しいと願う。



「あいす118」は、戸井、恵山方面に行く国道を左折して、飛行場へ向う道の信号二つ目を左折する。
車で走ること7分、左に函館牛乳の工場とともに大きな看板が見えてくる。

工場出来立ての牛乳を原料にしているから、とにかく新鮮そのもの。
白を基調とした清潔で可愛らしい店舗もいい。
前庭は手入れが行き届いた芝生になっていて、木製のベンチ、テーブルが置かれ、落ち着いて味わうことができる。
前面に広がる津軽海峡を見つめていると、心が安らぐ。

店内には「モーモーグッズ」もある。
ほとんどのアイスが250円だが、珍しいイチゴぜんざいは350円、牛乳は100円で飲み放題だから嬉しい。
工場も見学できるからお子さんを連れて行くと、勉強にもなる。

飛行場へお送りするお客様には、ちょっと早めに家を出て立ち寄るのも一考。
この時期、近所の農家が露店を出し、収穫したばかりの作物を販売していて、これもお薦め。
営業時間は、9月末までは9:00~18:00だが雨天は早めに閉店し、季節によっても変るのでご注意を!

「ところでミカエルさん、アイスの味はいかがですか?」
「そりゃぁ~、”モー”メチャマイウー!」

ミカエル

第12号 湯浜(ゆのはま)公園

2006年08月17日 | 公園
所在地=函館市湯川町2丁目2番

今日の高校野球、準々決勝第一試合、駒苫対東洋大姫路はまたもや逆転で駒苫の勝利。やはり試合が終わらないと腰を上げるわけにはいかない。
バンザイとともに小躍りして喜んだ。苫小牧は、どんなに燃えているか、想像がつかない。

それにしても、今日の函館は超暑い。恐らく32℃を超えている?
我慢できなくて、35年前の扇風機の登場となった。
一度も故障がなく、黙々と冷風を送ってくれる。感謝、感謝!

             

湯浜公園は、昨日ご紹介した「らーめんブギ」のホテルの裏側にある。
温泉街にこんな静かな場所があるとは、思いもよらない。
西、南に鮫川が流れ、北には民家がある。

築山、黒松林、石積み池、あずまや、ベンチ、トイレがあって、ソフトボールが出来るくらいのグランドもある。
松の間を横切る風の音を聞きながら、ベンチに腰掛け本を読むのもいい。

だが、温泉街の宿泊客も散策する地としては、見せるものがない。
花といえば手入れの悪い大きな青いアジサイが一株くらいか。
赤とか黄の華やいだ色が欲しい。
遊具も壊れたまま、噴水は止まったまま、池の水は濁りいかにも長期間手入れしていないのがよく分かる。

函館の公園と名が付く所は、ほとんどが公園としての形態を備えていない気がする。公園は癒しの場であると思うのだが。

ミカエル






第11号 湯の川温泉らーめんブギ 

2006年08月16日 | 美味満足技処、買い物処
所在地=函館市湯川町2丁目 湯の川観光ホテル1階

函館市内の小中学校の夏休みは昨日まで、今朝、久し振りに登校する生徒グループを見た。
ホッとしているのは、お母さん達ではないでしょうか。
三度の食事したく、ご苦労様でした。
これから、お母さんの夏休みでしょうか、少しはゆっくりとお過ごし下さい。


(右は、ブギ内の麺湯神。神様の前にある「元気どんぶり」に触るとその日の元気
度が占われる。)

このらーめんブギ、昨年の6月開店で5軒が営業中。
ブギとは言っても、音楽には関係がないみたいで、ホテル内にあるラーメン横丁の感じ。

「日活映画」をイメージして作った横丁らしく、よくその感じが出ている。
キネマ通り、ガード下ブギウギ通りには、赤丸ポスト、函館日活劇場のセット、ブギウギ派出所のセット、日活理容館の看板が目に付く。
年配者にとっては応えられない作りに思わず足を止めたくなる。

そのうちのお店「覿麺・てきめん」へ妻、姉と3人で入ってみた。
お試しハーフ味噌ラーメン3、ピリ辛餃子1、餃子1、たらこご飯1を注文。
チャーシューがとろりした軟らかさ、味もグー。
満足しての2,950円に納得、皆様にお薦めのブギです。

営業時間 11:00~15:00 17:00~24:00

あ~、うまかった! ミカエル


第10号 高松展望広場

2006年08月15日 | 展望処
所在=函館市高松町

午前の青森・山田と駒苫の試合、完全に負けると思ったが、エース田中が登板するやチームは燃え上がり、長打、長打と見事に逆転。
粘りとチャンスを確実に生かす技術力の厚さで勝利をもぎ取った。
3連覇、イケル、イケル。ガンバレ、ガンバレ、コマトマ!

空港周辺の3施設のご紹介も今日が結びとなった。
昨日のエアポートオアシスの駐車場のすぐ南側、海に向う道を進むと旧国鉄・戸井線にぶつかる。左折して約2km、目立たない看板が見えてくるので左折すると突き当りがこの展望広場。


(左写真の展望広場から、空港ビル、滑走路を望んだのが右写真で右端の高い建物は管制塔)

専用駐車場は3台分、近くの町会館の駐車場にも断れば駐車可能。
空港ビルから見れば、滑走路をはさんだ向かい側に位置する。
それだけに飛行機の離発着が手に取るように見える。

遊具、屋内休憩所、トイレ、望遠鏡、芝生があるが、何と言っても目玉は遊水路。人工の小さな滝から流れ落ちた水が、小さな浅い水路を走る。
幼児がそこに入り、歓声を上げ遊んでいた。
水遊びに飽きると遊具、高さ5mの展望台から飛行機を眺める。
お昼は芝生の上で、たっぷりお日様を浴びながら頂けるからピクニックには、ここも有力候補。

これで空港周辺の3施設のご紹介は結びとなるが、身近に楽しく遊べる場所が意外とあるもの。
皆様、どうぞお出掛け下さい。

ミカエル

第9号 函館エアポートオアシス

2006年08月14日 | 公園
所在地=函館市高松町

お盆に入り、他府県ナンバーの車を多く見受けるようになり、ご近所にも帰省した若夫婦やその子供さん達の姿がちらほら。
「やぁ~、しばらく」「お子さん、大きくなったね。何歳?」の会話が弾む。
この時期、界隈はつかの間の賑わいを見せてくれ、花火を囲む親子の姿は心をなごませてくれる。



空港周辺の施設巡りの二回目、このエアポートオアシスは、昨日ご紹介した菜園の向かいに位置する。
平成5年の設置で、入り口に7mほどのシンボルタワーがあり、水を噴き出していて今の季節、涼しさを感じさせてくれる。
水は幅1m、深さ50cmほどの小川へと流れ出し、「あしみず」として楽しく安全に遊べるから幼児にとってはパラダイスになりそう。

周囲は木立で囲まれ緑の豊かさを感じさせ、隣接地には、バックネットを備えたグランドがあり、また遊具、ベンチ、あずまや、トイレ、駐車場もあってピクニックには最適。
休日にはこのグランドで、高校生、大学生のマーチングバンドの練習があるから
見ていても実に楽しい。

ただ、駐車場には、レジ袋に入った弁当空き容器などのごみの散乱がひどく、公徳心の低下に驚くばかり。
一方で、遊具の錆付き、バックネットの損傷も目に付く。
維持管理は、しっかりやってもらいたい。

ミカエル

第8号  空港ふれあい菜園

2006年08月13日 | 我が家のもろもろ
所在地=函館市高松町

私と妻は、ソフトバレー、ミニテニスをするスポーツ同好会の会員で、私達は後者を練習している。
練習会場の申し込みは、私が偶数月の当番で今日はその日。
市民体育館が主な練習会場だが、他の会場も含めると連続9回も抽選負けし、会場がとれないでいるから今朝は気が重かった。

でも、どうしたことか、今朝は勝利の女神が微笑んでくれ、会員の皆さんにようやく顔向けが出来るようになった。
暗く長いトンネルからようやく抜け出し、明るい花園に迎えられた気がする。

今回から3回に分けて、空港周辺の施設をご紹介したい。
先ず、空港ふれあい菜園は、戸井、恵山方向へ行く国道から空港へ向う道道へ入り、新しく出来た東消防署の裏手、飛行機の進入路用地を転用したもの。



数年前に市役所が募集開始。一区画50㎡で150区画あり、年間使用料は1万円と格安。同一場所の継続使用期間は3年までOKだ。

作物に詳しい管理人さんがいて、いろいろ相談にのってくれるし、貸し出し用のスコップ、くわ、じょうろ、一輪車も用意している。
散水用水道、水のみ場、自販機、ベンチ、トイレ、会議室もありピクニック気分で野菜作りが楽しめるのが嬉しい。

風が強いところなので、皆さんその対策に工夫を凝らしている。
大きいペットボトルの底を切り抜いて埋める(ミニ温室兼)、四隅に支柱を立て、その上から底を切り抜いたレジ袋をかぶせるなどなど。
そうそう、鳥よけに使わなくなったCDを吊るしているのも見た。
見事なリサイクルに脱帽だ。

今日はお盆とあって、菜園の手入れに来ているのは3人だけ、お休みの方が多い。
でも、作物は確実に成長しているからご安心あれ。
進入して来た東京からのジェット機、窓からスチュワーデスが手を振ってくれたが、錯覚かなぁ~?

ミカエル

第7号 松倉川遊歩道

2006年08月12日 | 通り、坂道、散策路
所在地=函館市上湯川町~根崎町方面

今日も曇り空。最高気温は24℃とあったがそのとおりで、涼しさが感じられる。
午前中、近くの温泉銭湯へ行きさっぱりとしたところでお昼を頂いた。

我家の庭のミニ菜園、きゅうりが次から次と実をつけてくれ頼もしい。
「ゴメン!ちょうだいね!」の声をかけて、ハサミを入れる。
黄色い花が先に残り、短いとげが手の平に心地よい。
早速、食卓に並ぶ。命の移し替えをしてくれて有難う。

松倉川は湯川地区を流れる二級河川で、つい15年ほど前は原始河川で、鮭が遡上していたのどかな姿もあった。一方で洪水ももたらしたやっかいもの。
流域に市営湯川団地が造成されたため、大幅な改修工事が行なわれ、その時にこの遊歩道が誕生した。
幅8mの真ん中に4mほどのアスファルト舗装がしてあり、自転車と歩行者のみの道路である。



戸倉町と上湯川町の両側に付けられているが、人気なのが上湯川町側。
松聖橋のたもとから根崎方面へ下る。
右に川、左に木々、正面に函館山を望む。
せせらぎ、中洲からの小鳥の鳴き声、豊かな緑が作り出す美味しい空気、それらを体中で感じながら足を運ぶ。

道沿いの桜や花の美しさ、そしてカルガモの親子連れの姿に足を止め、お犬様の散歩にも出会い思わず顔がほころぶ。
散歩中の方々とも自然に挨拶言葉が出る。「おはようございます」「よいお天気ですね}と。
根崎のラグビー場へ出たら引き返す。
今度は、函館富士と呼ばれる美しい山容の三森山を望むことができる。
往復1時間の道のりに体も心も満足、満足。

皆様も、このお薦め散歩道を歩かれてみたらどうでしょうか。

ミカエル