ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第818号 朝食こそ馬力が生まれる副食を!

2013年07月31日 | 料理
どんよりとした灰色の空模様が続いて、気分が暗くなる。
体にも心にもカビが生えそうだ。
これに打ち勝つために、栄養たっぷりの朝食を摂るようにしている。

今朝は、冷蔵庫の整理も兼ねて、挑んだのは「八宝菜風野菜炒め」。



食材=えりんぎ、にんじん、なすび、かぼちゃ、ささぎ、ピーマン、もやし、えのき、ちくわ、天かま、いか。



調味料=めんみ、日本酒、味りん

生野菜の付け合せとして、トマト、レタス。

作っているうちに、量がどんどん増えてしまった。
半分は冷凍に。四分の一は、冷蔵に。
後日、食卓に載せることにした。

さて、ちからがついたことだし、家事をこなすことにするかな。






第817号 爺と婆が[DDT?]いや[AKB]

2013年07月27日 | テレビ番組
爺「婆さんやー」

婆「なんですか?お爺さん」

爺「さっきさ、テレビから、『AKB』と聞こえてきたが何だね?」

婆「最近は横文字があふれすぎて・・・よく分かりませんね。お爺さん、それ『DDT』の聞き違いではないですか?」

爺「いや、確かに『AKB』と言うっておったよ!」

婆「あっ、思い出しましたよ。『AKB』なら、ほらほら『あきれたぼういず』の略語ですよ!」

爺「あっそうか。函館出身のスーパー芸能人・益田喜頓(マスダキイトン)らが結成した
『あきれたぼういず』ね。よく思い出したね!まだまだヤング脳だね」



こんな調子だから、現代世相に乗り遅れている私ども。
時間はゆったりのんびり過ぎていく。

益田さん(本名=木村 一 、明治42年青柳町生まれ)の胸像は、五稜郭芸術ホールに飾られている。
晩年の益田さんは、温厚でとってもお洒落だった。
残る私の老人生の、教本としている。

益田さんの詳しい情報は、こちらからどうぞ!



第816号 朝食はしっかり摂る

2013年07月23日 | 料理
爺と婆の二人暮らし。
活動期はとっくに終えた(?)が、食事はしっかり体内に送りこんでいる。
「一日の活動の原点は、朝食にあり」だ。

今朝の副食はコレ。



①プリーツレタス
②トマト
③バナナ
④目玉焼き
⑤ウインナー
⑥イモサラダ(出来合い)

別途、①ヨーグルトは、400g~450g入りカップを、一人一日で空ける。
   ②自家菜園で採れたキューリの漬物

主食はパン。

食後にコーヒー。

これにて、元気モリモリ。一件ラクチャクー。





第815号 繁華街・本町にあった日本酒工場

2013年07月20日 | 建物
先の第810号では、明治時代に操業していたビール醸造所を紹介。
場所は、谷地頭町で、二階がビアホールだった。

今回は、本町にあった日本酒製造工場がテーマだ。

私が高校生のころだから、昭和30年代後半。
まだ、丸井今井デパートが、十字街にあったころ。

移転前のこのデパート敷地と、中央病院との間に、広大な空き地があった。
その空き地の中間ほどに、「日本清酒株式会社・函館工場」があり、「清酒・千歳鶴」
を造っていた。



建物の前身は、明治以後、函館の酒造業をリードしていた「丸善菅谷商店」の工場。
同商店は昭和12年、札幌市の日本清酒と合併して、「千歳鶴と五稜正宗」を製造していた。
その後、洞商店は酒造業から撤退。日本清酒の単独経営工場となった。

醸造に必要な、質の良い天然水は、七飯町からの自動車運搬。
大型トラックの荷台に、ステンレス製のタンクを積んでいた。

丸井デパートが本町進出するようになってからは、酒造には相応しくない環境となった。
同社はこの工場を閉鎖し、移転した。

辛口で、人気のあった千歳鶴。
松風町電停近くに、直営売り場があって、お得意様は飲食店で、賑わっていた。

現在、千歳鶴は札幌で醸造されている。
そのほか、「ことぶきみそ」、「余市ワイン」なども手がけている。

あれから50余年。
駅前、松風、大門地区を抜いて函館一の繁華街に成長した。
赤い灯り、青い灯りがつくと、「千歳鶴」を思い出す。



第814号 ご注意!ハチの武蔵」の一刺しに!

2013年07月15日 | 我が家のもろもろ
先週の夕方の民放テレビ。
札幌からで、早くも「スズメバチにご注意」との内容だった。

昨年、我が家は、8月に入ってから、このハチ騒動があり、翻弄された。

発端は、ご近所からの通報で、ハチの存在が判明。
巣の場所は、ガステーブルの排気口だった。

私はこのハチの恐ろしさを知らないままに、「ハチのムサシ」に、プラスチック製の雪かきショベルで立ち向かった。
まるで、巌流島の佐々木小次郎に似ていたのだが・・・。
(後日、息子から、「死にたいのか」と、強い叱りを受けたのは当たり前。)

保健所から、駆除業者の紹介をいただいた。
業者さんの、丁寧な仕事ぶりのおかげで、ハチの死骸の山。完全成仏したようだ。

でも、来月復活するかも?
家周辺の点検は、怠ることなく。
ご近所の協力もいただきながら。

皆さんも、点検をおすすめ。
軒裏、庭木の植え込み、芝生など。
もし、発見されても、私のような無謀なことはせず、業者に連絡を。

「ハチの武蔵は死んだのさ!」の一周忌は間もなく。
もがき、苦しんで、巣から飛び出し、地面で落命したハチたち。
冥福は祈ってあげたい。

(写真中央にある円形金具からが出入)
 

直径は約20センチ。
 

ご注意!ご注意!



第813号 ひこ星、おり姫のランデブーは如何だったのかな?

2013年07月08日 | 料理
昨日は7月7日。函館は「七夕まつり」。
道央や道東、仙台地方などでは、8月に行なわれている。

週間天気予報によれば、涙の予報だったが、好天にに恵まれ、行き交う子供たちにとっては、嬉しかったに違いない。

今年のお飾りには、日ハムグッズも仲間入り。
応援に力を入れた。





「たけに短冊 七夕まつり 大いに祝おう ローソク1本 ちょうだいなぁー」





昨年は137名が訪問してくれ、今年は131名だった。

少子化の実態は、徐々に知ることができる。

浴衣姿にスニーカーやサンダル。
ニューファッションを広げるのもこの時期。

「来年も来てね!待っているよ!」
「せっかくですが、来年は中学生。来れないんですよ」
それは、残念!

私が子供のころ、この行事がとても楽しみだった。
空き缶で、ちょうちんを作ったのが記憶にある。




第812号 初めて観た函館大火第二の供養碑

2013年07月05日 | 災害
明治になってから、函館が受けた大きな人災や天災。
箱館戦争、函館大火、空襲、洞爺丸転覆、ばんだい号墜落などがあげられる。
私は昭和9年に起きた大火で、慰霊碑的な施設は、大森町にある「大火慰霊堂」だけだと思っていた。



ところが、地元紙の編集発行本によって、湯の川に慰霊碑があることが分かった。
アークス戸倉店へ向かう道々から、高専や函館大学の上り口左にある「龍吟寺」の境内。







法要の日に合わせて、伺い、手を合わせなくてはと思っている。
焼死は、どんなに苦しかったことだろうか。
合掌せずにはいられない。



第811号 懐かしい「べこ餅」を頂いた

2013年07月02日 | 食品
近所の仲良し「はーさん」」から、手作りの「べこもち」を、いただいた。
「よもぎ」と「笹の葉」は、近くの自然の恵みものとか。
花を、こよなく愛する「はーさん」らしい、自然流のお菓子だ。





これまでもいただいたお菓子は数多い。
それから感じるのは「懐かしい母の味」。
口に含むと、母の顔を思い出させてくれる美味しさだ。

私どもと、同じ年齢。
運動神経も抜群で、自転車でスイスイ。
とても明るく、お孫さんのめんどうもみている。
うらやましい若さ。
我が家にとっては、「元気を与えてくれるカンフル剤」的存在。

とっても気の弱い我が夫婦だが、「はーさん、お菓子のアンコール!」・・・だよ。
この声、届いてほしいなぁー。