ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第557号 秋の気配が忍び寄る

2010年08月29日 | 町の話題

連日猛暑が続いている内地の皆さん、お見舞い申し上げます。
函館は猛暑日になったことはありませんが、真夏日が9日もあり、例年よりかなり多い。

誰が植えたのかは分からないが、バス停傍のコスモスが咲き始め、涼を感じさせてくれる。
初秋なんですよね。
山口百恵ちゃんの歌を思い出した。

 

 

午前中は庭の雑草取り。
汗だくになったのでシャワーを浴び、ソファーで一休み。
レースのカーテンが風に吹かれて舞い上がっている。

寝室の窓を開けっぱなしで寝ているが、朝方にはひんやりとして、夏布団をかけている。

今年は異常気象とか。
皆さん、今しばらく健康に留意されてお過ごしください。


                 


 


第556号 改めて見所濃い濃い西部地区

2010年08月25日 | 町の話題

7月21日から受講している「函館まちあるきガイドセミナー」。
21日は、現役ボランティアガイド団体の会長さんが自らのご登場となった。
「歴史家ではありません。家庭の主婦でございます」と言いながらも目配り、気配り話術にと細やかなガイド振りに感嘆。
主催者である市観光課の目の高さにも一目おいた。

この日のコース歩きは、10時に元町観光案内所をスタートした。

旧北海道庁函館支庁庁舎(写真歴史館・元町観光案内所)~開拓使函館支庁書籍庫~元町公園~函館四天王像~基坂~旧イギリス領事館~ペリー広場~旧函館区公会堂~ロマンロード~船魂神社~八幡坂~遺愛幼稚園~ハリストス正教会~函館聖ヨハネ教会~大三坂~元町カトリック教会~亀井勝一郎生誕地~和洋折衷住宅群~東本願寺函館別院 (正午解散)

残念ながら、教会二箇所は改修工事中。
観光客からは「惜しかったー」の声。

          


 

今回の散策で得た裏話は数々。
私のガイドに活かしたいと思う。

函館の最大の産業は観光だ。
この分野に携わっている方々は数多いと思う。
今回、お世話になった観光ボランティアガイドの皆さんは函館の顔としてこれからも笑顔で応接してくださることでしょう。
期待しております。
本当に有難うございました。
早く追いつきたいものです。


                  

 


第555号 おさがわせいたしました。

2010年08月22日 | 町の話題

函館西部地区の教会群近くに建てられていた「自由の女神像」が、19日に撤去された。
皆さんからいろいろとお便りを頂戴し、感謝、感謝。

像は、店舗屋上にシートをかぶせて保管ということで落着。
設置者の勇気ある行動処分に拍手を送りたい。
台座はまだ残されているが、これには目をつぶろうか。

 

でも、お店は真黄色で、けばけばしく、周囲の景観にそぐわない。
経営者はあと一歩譲って落着いた色彩に塗り直して欲しいものだ。

景観は一人の者にあるのではなく、函館市民共有の宝物なのだから。


  
               

 

   

 

   


第554号 北海道の味覚、じゃがいもをもらった。

2010年08月19日 | 我が家のもろもろ

親戚から、収穫したばかりの「じゃがいも」をもらった。
土がついて、大地から掘ったのがよく分かる。
品種は「キタアカリ」で、別名「黄金男爵」とか「栗じゃが」と呼ばれている。

男爵イモから品種改良され、病気に強い。
今から35年前にデビュー。味のよさとビタミンCを多く含むので、耕作面積が増えてきている。

 

私が中学生の頃は、男爵がほとんどで、夏休み中の収穫だった。
親戚の農家に泊まりこんで、イモ堀りの手伝い。

馬がプラウという農機具を引張って、畝(うね)を崩す。
イモが少し顔を見せる。
その後を、軍手を穿いて、茎を横に寄せながら手で堀り進む。
熱い太陽が容赦なく照りつける。
ある程度イモを掘り出すと、竹かごに入れて集積場へ運ぶ。
天秤棒が肩に食い込んで痛く、辛い運び作業だった。

休憩時には、あじうり、スイカが出されかぶりつき、喉の渇きをいやした。
昼食は掘ったばかりのイモの塩煮。
イカの塩辛、バターで食べた。美味しかった。

今でもこの味を忘れることができなく、夏は塩辛+バターを切らすことはない。
今日のお昼は「イモの塩煮」だ。早くも胃液が分泌されているような気がする。
広々としたイモ畑、青空、ぽっかり浮かんだ雲を思い出す。


               

 

 


第553号 終戦間もない頃

2010年08月16日 | 町の話題

15日は終戦の日。
テレビや新聞で戦争の無残さ、厳しいシベリア抑留者の想い出などを伝えていた。

私は終戦の前年に、神奈川県川崎市で生まれた。
父はセメント会社員。
本土空襲が近いと知った父は、函館近郊の北海道工場へ転勤。
しかし、私が3歳のとき、脳溢血で一晩で亡くなった。
結果的には、家族を空襲から守り、本人は若くして他界した悲しい人生だったと思う。

町には、肉親を戦争で亡くした子供達の姿であふれ、皆ボロ服をまとっていた。

小学校入学前、市内のあちこちに非戦闘服姿のアメリカ兵がいた。
その兵士達がモグモグ噛んでいたのがチューインガム。
腹をすかしていた私らは「ガム、ガム」と言って手を出すと、渡してくれた。
初めて口にするガムの味が嬉しかった。

小学校へ入学すると、DDTという真っ白い薬品をかけられた。
頭の先から、背中、胸まで。
ノミ、シラミなどの虫予防が目的だったと聞いていた。

給食は白い脱脂粉乳。
かすかに甘い味がした。
各自、家から持ってきた容器(おわんが多かった)に、先生が注いでくれた。
それと、コッペパンが支給された。
ご馳走だった。

書き足りないことがたくさんある。
現在の我々の生活は物資豊か。家も持てた。
この生活の礎になったのは戦争犠牲者。
その御霊、およそ310万人という。
ご冥福を祈り、平和への誓いを新たにしたい。 


               


第552号 庭の野菜をたっぷりと

2010年08月13日 | 我が家のもろもろ

庭の野菜にバジルが仲間入り。
今朝はパン食。

ケチャップにチーズ。
それにベーコンとバジルを付け足した。

 

やはり自家製の野菜は美味しい。
たくさん食べて目指すは健康家族だ。

 

今日の函館は、お盆とあって湯の川から女子修道院へ向かう他県ナンバー車で大渋滞。
5月の連休を思い起こさせた。

食品スーパーのレジも大混雑。
箱単位で求めるお客で賑わっていた。
函館の実家に帰り、楽しい宴が待っているのだろう。


               

 


第551号 波乱の人生?咸臨丸終焉の地

2010年08月10日 | 旧跡、史跡

幕末から明治初期にかけて世界を駆け巡った「軍艦・咸臨丸」。
その名を見たり聞いたりしたことはあると思う。
この船の終焉の地がここ「サラキ(更木)岬」だ。

岬は、函館から松前に向かう途中の「木古内町」に位置する。
町は、厳寒期に若者数名による、ご神体の「海中寒みそぎ」が行われることで有名だ。

 

3本マストの洋式帆船・咸臨丸はどんな歴史を辿ったのだろうか?まとめてみることにした。

 

①この船は、今から163年前にオランダから購入。
スクリュー式の蒸気船で、時速は6ノット(10km)。
燃料は石炭だった。
長さ48.8、幅8.74m。
排水量は620トンと記されているから、遠洋マグロ船なみの大きさ
と思う。

②この船で、1860年に太平洋を横断。
日米通商条約の批准書交換に向かった。
勝海舟を艦長に、福沢諭吉、ジョン万次郎らが乗り込んだ。
航海中、アメリカ海軍の技術的応援があった。

③明治元年、幕府海軍副総裁、榎本武揚に引きつられ江戸・品川沖から蝦夷地に向かうが、台風に遭遇。
静岡まで流された。
明治政府軍は、乗組員を殺害。
遺体は「清水の次郎長」によって葬られた。

明治2年5月の箱館戦争においては、次郎長の流れをくむ柳川熊吉らが遺体の収容にあたった。

 

④明治政府の御用船となった「咸臨丸」は、戊辰戦争終結後、仙台藩の片倉氏の旧臣101名を乗せ、北海道・小樽へ向け航行中、台風に遭遇。
岩礁に激突、沈没し波乱の人生(船生)を終えた。

 

丁度、津軽海峡線の貨物列車が走行中。
歴史の事実を噛み締めながら、文明や土木技術の発達に心が動かされた。

 


                 

 


第550号 暑い!暑い!少しは涼しくなるかな?

2010年08月08日 | 我が家のもろもろ

函館は3年ぶりの真夏日が続いている。
内地にお住まいの方々からは、「我慢不足」と、お怒りを受けるかも。

涼感を出すためにこのようなミニ幟を飾ってみた。

 

ご近所からは「生ビール下さい」と嬉しい声がけも。
北国の暑い夏は間もなく終了。
お盆とともに去って行く。

帰郷されているお孫さんで、賑わいを見せている道端。
爺、婆の姿に交じって、元気なヤングの姿が、眩しく映った。


               


第549号 暑い暑い!熱いラーメンだ!

2010年08月07日 | 我が家のもろもろ

昨日の函館は3年振りの真夏日だった。
じっと座っていても体中から汗が噴き出し、だるさを感じた。
函館は、左右(東西)が海という地形が影響しているせいか、真夏日到来が珍しく、そのために体の準備ができていない。

クーラーの全道普及率は分からないが、函館の一般民家に限れば、1割ほどかと推測できる。
では、これ以外の防暑対策は?
答えは扇風機。でも、昨年も一昨年もその出番はなかった。

「お父ちゃん、夕食はラーメンでも食べに行きましょうか?」。
食事の支度では手を抜かないミケではあるが、昨夜は流石に火を使うのは「ご免」という状況に理解ができた。

「いいねー。行きましょうー!」。

 

お願いしたのは「辛味噌ラーメン(写真)、塩トンラーメン、餃子」。
席からは、松倉川の流れが津軽海峡とぶつかる地点を見下ろせる。見ているだけで涼しさ満点だ。

 

家から持って行った「冷やし濡れタオル」。
これが、食べてる最中に噴き出す汗、汗の大洪水をふき取るのに大活躍。
ミケの優しい心配りだった。

「おいしかったね、お父ちゃん!」
「本当だね。2月以来だもんね!」。

すでに空には、星が光り輝いていた。


               

 

 

 


第548号 叶って欲しい

2010年08月04日 | 珍話、懐古品、珍品

函館人が一年で最も燃える「港まつり」。
1日の10,000発の花火大会と箱館開港パレード。
2日、3日の西部地区、五稜郭地区での大パレード「ワッショイはこだて」。
明日の「けっぱれYOSAKOI函館フェスタ」、「いか踊り大会」で結びとなり、静かな町に戻ることになる。

ところで、五稜郭の行啓通りを歩いていたら、歩道にこんな石があるのに気がついた。
高さは1メートルにも満たない。

       

傍にある看板にはこんな字句があった。

 

上の国町とは、道南にあって江差町の隣町。
鎌倉時代には、官僚が着任していたという古い歴史を誇る。

しかし、この石はご覧のように目立たない色だ。
そこで、プランターや花鉢を置くなどして、明るくすべきだと思う。

触れ祈る人が増えると石の神様は喜ぶこと間違いなし。
誰もが願う「幸運」。
「石の神様、どうぞよろしくお願いします」。