ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第467号 津軽海峡からの日の出

2009年12月01日 | 展望処

昨夜の函館は、月と星で綺麗な夜空。
「明朝は冷え込みが厳しいなぁー」と思わせた。

案の定、氷点下。
暗いうちに家を出て、湯の川温泉街とJR函館駅のほぼ中間地点に位置する啄木小公園で、日の出を待った。
6時45分ころだった。
津軽海峡を挟んだ対岸の本州大間町の山並みから太陽が昇ってきた。
海面は鏡のようになめらかで、こちらまで光の足が届いてきた

 

函館の母なる存在の函館山にも朝日があたり、うっすらと頬紅をつけたような美しい顔を見せてくれた

 

師走に入り、初日の出を迎えるのも残り30日となった。
一年とは、なんと早いものかと思った。
「穏やかなお天気で、どうか晴れますように」と、願わずにはいられなかった。


                

 


第448号 晩秋の立待岬

2009年10月15日 | 展望処

連休の最終日とは言っても私にとっては永遠の連休日。
西部地区を訪れてみた。
最初は市立博物館へ。
この記事は後日に掲載することに。

次に訪れたのは「立待岬」。
森昌子さんが歌ってからは全国ブランドになった岬。
ほかに南極大陸の日本基地地図にもこの名が記されている。
他都市ナンバーの車が駐車場にいっぱいだった。

 

昭和までは自殺の名所だった。
今でも地元警察署が年一回、遺体収容訓練をしている。
このように厳しい断崖が待っているからだ。

 

岬名物の売店が営業中。
飲み物やツブなどを販売。
このお店の方の温かい言葉で、自殺を踏みとどまった人もいたとか。
「いつまで営業ですか?}
{11月中旬まででしょうね。お天気しだいですが」。

 

岬の突端から市街地を眺めた。
左に大沼駒ヶ岳の頂上が見えて満足。
ゆったりのんびり眺めていた。

 

岬への道路は雪とともに閉鎖される。
雪虫が飛んでいるから、それは間もないようだ。

 

                 

 


第378号 眺望抜群!アニエスの塔

2009年04月18日 | 展望処

この塔は、トラピスチヌ女子修道院の裏側、約3km離れたところにある老人施設「旭岡の家」の敷地に建っている。
施設はカトリック系法人が運営し、理事長は函館元町カトリック教会のグロード神父さんだ。

塔の高さはおよそ15メートル。5階建てビルに相当する。
展望台から360度見渡せる大パノラマは「絶景」のひとことに尽きる。

        

展望台のプレートには、国内はもとより世界各地の方位と直線距離が表示されている。
富士山まで730㎞ 京都まで870㎞ 知床まで500㎞
南極点まで14,435㎞ ローマまで9,400㎞ ハワイまで6,400㎞
ニューヨークまで10,300㎞ モスクワまで7,000㎞ リオデジャネイロまで18,800㎞など。興味深い数字が並ぶ。

市街地や函館山もごらんのとおり綺麗に見渡せる。
塔の標高は、丘に建っているので五稜郭タワーをはるかに凌ぐ。

 

手を伸ばせば届きそうな横津連山。
そんな景色に、内地から来られるお客さんを案内すると絶賛。

間もなく新緑の季節。麓から頂上目指して緑がゆっくり上ってゆく。
ここからなら、それをも観察できる格好ポイント。
暖かくなって来る回数が増えそうだ。

なお、「アニエス」とは、この塔を寄贈された方のクリスチャンネームである。


                     

 


第167号 函館裏夜景の穴場 城岱牧場

2007年08月31日 | 展望処

所在地=函館市郊外七飯町城岱(しろたい)

暑さが一段落した30日、久しぶりに二人で国定公園・大沼へぶらり出かけることにした。いつも通る「高速道・函館新道」を避け、眺望のよさで知られる「城岱牧場」経由のルートをとった。
国道5号線に面している七飯町役場の右横の道を山めざして進むと、「城岱スカイライン」に通じ、上りきった所にこの牧場とともに雄大な眺めを望むことができる展望台がある。

(画像をクリックすると拡大できます。)
 
展望台の標高は約600m、目の前には函館山、函館湾、大野平野がパノラマのように広がり、ただ見とれるばかり。
ここからの夜景も素晴らしく、裏夜景の穴場になっていて、特に週末は賑わいを見せている。

育成牧場の広さは160ヘクタールというから後楽園ドームの32倍。
昨年は、乳牛355頭、和牛232頭、馬41頭を預かり、放牧料は1頭1日あたり
100円~280円になっている。

 
乳牛=左ホルスタイン種と右濃い乳をだすジャージー種。

牧場の気象は、5月~10月は最低気温5度、最高気温22度と真夏でも涼しく快適な環境。初雪が10月下旬、融雪が4月下旬~5月上旬で、6月~7月は海からの北東の風により濃霧が多発することがある。
見かける動物は、エゾシカ、ヒグマ、キタキツネ、エゾタヌキ、エゾユキウサギ、エゾリスと多い。

このスカイラインを下ると、大沼周辺に出ることができる。
次回は、目的地の大沼についてご紹介する予定です。

                      ミカエル 


 

 

 


第106号 母なる 函館山

2007年03月19日 | 展望処

           
(3月18日午前6時45分撮影・撮影地点・石川啄木小公園)
 
(左写真の最高部が御殿山展望台。右写真の左端が立待岬)

函館山は100万年以上前に火山活動によってできた島で、当時の山の姿は、頂上も裾野も現在より遥かに高く広かった。
火山活動が終息し、海流が運んできた土砂が堆積し始め、約6,000年前から砂州がゆっくり成長して亀田半島とつながった。

砂州の一番狭いところは、JR函館駅から津軽海峡へ抜ける区間(大森稲荷神社)で、その距離は僅かに約1㎞。
現在の函館山は標高334m、周囲約9㎞、南北約4.5㎞、東西約1.5㎞で、ここから眺める夜景は美しく「香港、ナポリ」と並び世界の三大夜景と称されている。
函館の町は初めての方でも歩き易い。
函館山のある方向が南、五稜郭タワーのある方向が北と覚えればよい。

山は江戸時代からたきぎの採取地、幕末の開港期には外国の脅威に備えて造られた「弁天台場、五稜郭」の石材供給地となった。
たきぎは採るだけで植林をしなかったため、はげ山になった時期もある。
明治2年5月の官軍による「箱館総攻撃」のときには、新撰組も山頂付近を守備していた。

明治31年からは函館港を防備するために、全山要塞となり長い間立ち入り禁止とされたが、昭和21年には市民に開放され、ハイキング、スキーを楽しめるようになり、観光道路の建設、ロープウェイも営業を始めるなど観光面の整備が進められた。

山は季節のカレンダーだ。
新年の純白から始まり、雪解けとともに薄茶色、春は山裾が桜のピンクに染まり、新緑、濃い緑へと清清しくなり、赤く燃える秋、葉を落とした木肌が茶色になって雪が舞う墨絵の世界に・・・また純白に・・・
市の南に微笑みを浮かべながら座り、背後から太陽を降り注ぐ山容は、まるで函館の母のようにも見える。

石川啄木が「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
と歌った長い砂浜、弓のように弧を描き美しい姿を見せている。

                  ミカエル

 

 


 

 


第101号 何かに出会える 五稜郭タワーアトリウム

2007年03月07日 | 展望処

所在地=函館市五稜郭町43番9号        

              
                (出番を待つ素人チンドン屋さん)
 

先週の1日の午後、「五稜郭タワーアトリウム」でラジオの公開録音が行なわれた。
番組名は「NHK函館放送局」が制作している「どどんと道南ラジオ」。
売店を覗いているうちに収録があるのを知った。

この番組は、いつもなら函館局ロビーから木曜14時に生放送されている。
しかし、見れる人数は多くても50名ほどが限界。
それに天井が低く開放感が全くない。
そこで、広々としたこのアトリウムに白羽の矢をたてたと思う。

暖かな陽気に誘われ五稜郭を散策していた市民、それに観光のお客様も加わってアトリウムはびっしりの人で埋まった。
これに気を良くしたNHKのアナウンサー、リポーター、技術の自己紹介にも熱が入って和やかな雰囲気で収録は進められた。

ピアノ、マリンバ、ドラム効果のある打楽器による演奏、素人チンドン屋さんグループによる宣伝口上と演奏があって皆大喜びで拍手の嵐。
観光客の方々は賑やかな音に何事かと続々集まり、思いがけない楽しい場面にニッコリ。
函館の思い出アルバムに、きっとこれを加わえてくれると思った。

ふらりと出かけ、このような癒しを与えてくれる催事に突然出会うと、得した気分になる。
間もなく始まる行楽シーズン、「五稜郭へ行けば何かに出会える」、こんな期待感を
持てるタワーアトリウムであって欲しい。

              

今朝はいつもより冷え込みました。
カーテンを引き、外を見ると一面の銀世界にビックリ。
でもまぁ、雪かきをするまでの積雪ではなく、お昼までには解けるでしょう。
雪かき道具は、すでに物置に眠らせましたから・・・。

                     ミカエル

 

 

 

 


 

 

 

 


第95号 五稜郭タワー アトリウム(イベントホール)

2007年02月17日 | 展望処

所在地=函館市五稜郭町43番9号

 

昨年の4月1日、新しい五稜郭タワーが完成し、多くの人達で賑わいを見せている。
その華々しいデビューの陰、旧タワーは42年間の使命を終えて壊され、跡地にこのホールが建てられた。
新タワーにばかりに目が向けられ、ホールの話題はあまり聞かない。

先週の8日、五稜郭桜の剪定作業見学の帰路、ホールを訪れてみた。
屋根、外壁にガラスを多く用い超明るい雰囲気。
広さは940㎡(畳570枚)、床から天井までの高さ12mとジャンボだ。
こけら落としの行事は、12月2日の「山本耕史トークショー」。
葉書による応募で見事二人分をゲット、圧倒的に多い女性の熱い歓声で大いに盛り上がったが、その中には私のお嫁さんの姿もあった。

土方歳三の立像、函館野外劇や五稜郭祭りには出番となる大砲もあって記念撮影の好位置も占める。

現在は、「北海道日本ハムファイターズ展」を開催中。(19日まで。9:00~19:00)

既存の六花亭、中央図書館に加え新タワーが全面開業し、さらには箱館奉行所が加わるなど界隈の未来は明るい。
函館観光の重要ポイントとして、その伸展は止まることを知らないようだ。 

                      ミカエル


 

 


第65号 立待岬

2006年12月04日 | 展望処

所在地=函館市住吉町

 

市電・谷地頭終点で下車。函館山方向へ歩を進め、坂道手前を左折したら一本道。
石川啄木一族の墓がある市営墓地の中を通ると、視界が広がり岬に到着する。
所要時間は約20分。

実はこの道、12月1日から積雪による危険防止ため車両通行止めになる。
そんなわけで、この写真は11月26日に急遽撮影したもの。
記憶にある立待岬のイメージは、海の青と山肌の緑だったが、草木は枯れ、葉を落として岩肌がむき出しとなった荒涼たる光景が目に飛び込んできた。

前面の津軽海峡の彼方に下北半島を、左(東)に本州との最短地・汐首岬、右(西)に知内町(北島三郎出身地)・矢越岬が望める。
汐首岬と下北半島間は、一時、青函トンネルの候補ルートであったが、地質調査で軟弱地盤のため断念した。
立待岬からの展望の良さを利用して、幕府は台場を築いたし、日露戦争時には要塞に組み込まれ無線基地があった。

名前の由来はアイヌ語「ヨコウシ(魚を獲ろうと立って待つ)」が源であるが、「娘が魚を獲りに行った恋人の若者を待つ場」と解する若い女性が多いのは何故か?
昭和30年代までは自殺の名所であり、数年前までは、海水浴場として賑わった。

1982年のNHK紅白歌合戦では、森昌子が「立待岬」を歌って全国に名が広がり、南極基地近くにも「立待岬」が生まれて、世界ブランドになった。
市街地にある異色の岬として、これからも多くの観光客の歓声を聞きたい。

                      ミカエル

 

 

 

 


第41号 水道局元町配水池

2006年10月09日 | 展望処

所在地=函館市元町(ロープウェイ山麓駅斜め上)

 
(配水池から函館山山頂を望む)     (配水池から函館港方向を望む)

函館の上水道工事は、明治22年に竣工した。
横浜に次いで国内2番目であったが、日本人の設計としては国内初。
通水式はこの池で行われ、亀田村のダムから通水した水は勢い良くこの池に噴き上げた。
現在では、衛生面から有蓋化されてしまい池の姿を見ることはできないが、敷地内にある地下への入り口から保守点検用通路をくぐり、それを確認することができる。
この配水池は、西部地区の高台に給水するために設置されたもの。

社会人になって、最初の仕事の担当区域が西部地区であった。
5月から11月までの間、雨が降らなければ外勤をした。
休憩したり、仕事を一時的に整理したり、昼食を食べたりとよく利用した場所であった。

ここからの眺望は、素晴らしかった。
元町教会群、現存しないが洋館風の市長公舎、函館港が一望でき、快晴の日には遠く駒ケ岳を望むことができ心を癒してくれた。
また、それらの景色を眺めながら、もの思いにふけったりもした。
市街地を見下ろす場所としては、函館山山頂にかなわないが、身近な場所としてお薦めだ。

毎年5月の北洋船団出航の時は、真っ白に化粧直ししたばかりの独航船が岸壁を埋め尽くし、10,000トンクラスの母船数隻が港内に停泊し、それはそれは活気に満ち溢れていた。
あの賑わいは遠い夢になってしまったが、青春時代のお気に入りの場所であったことには違いはない。

昨日の台風並みの強風で、市内の漁業地区では船が十数隻も陸に押し上げられ被害が大きかった。
予想外の波の大きさがその理由と言っていたが、命を落とした人がいなかったのは幸いであった。
風邪で体調をくずし、昨日は一日中ベッドの中にいた。
そのせいか、鼻水、セキも止まり気分が大分よくなった。
午前、船見町の龍寺で開かれている同寺所有の「宝物展」へ出かけた。
掛け軸、屏風など22点が展示。
地獄絵を見て、生前の生き方が大切であることを痛感した。  ミカエル

 

 

 


第10号 高松展望広場

2006年08月15日 | 展望処
所在=函館市高松町

午前の青森・山田と駒苫の試合、完全に負けると思ったが、エース田中が登板するやチームは燃え上がり、長打、長打と見事に逆転。
粘りとチャンスを確実に生かす技術力の厚さで勝利をもぎ取った。
3連覇、イケル、イケル。ガンバレ、ガンバレ、コマトマ!

空港周辺の3施設のご紹介も今日が結びとなった。
昨日のエアポートオアシスの駐車場のすぐ南側、海に向う道を進むと旧国鉄・戸井線にぶつかる。左折して約2km、目立たない看板が見えてくるので左折すると突き当りがこの展望広場。


(左写真の展望広場から、空港ビル、滑走路を望んだのが右写真で右端の高い建物は管制塔)

専用駐車場は3台分、近くの町会館の駐車場にも断れば駐車可能。
空港ビルから見れば、滑走路をはさんだ向かい側に位置する。
それだけに飛行機の離発着が手に取るように見える。

遊具、屋内休憩所、トイレ、望遠鏡、芝生があるが、何と言っても目玉は遊水路。人工の小さな滝から流れ落ちた水が、小さな浅い水路を走る。
幼児がそこに入り、歓声を上げ遊んでいた。
水遊びに飽きると遊具、高さ5mの展望台から飛行機を眺める。
お昼は芝生の上で、たっぷりお日様を浴びながら頂けるからピクニックには、ここも有力候補。

これで空港周辺の3施設のご紹介は結びとなるが、身近に楽しく遊べる場所が意外とあるもの。
皆様、どうぞお出掛け下さい。

ミカエル

第5号 アニエスの塔

2006年08月10日 | 展望処
所在地=函館市旭岡町  交通=函館バス・旭岡中学校前下車徒歩30分

今日の函館は曇り空。最高気温は26.6℃。
午前中は、我家の布基礎のペンキ塗り。涼しかったので仕事が進んだ。
昼食を済ませてから出かけたが、曇りなので写真がうまく撮れるか心配。
でも、まずまずの写りにホッと一安心。



第4号でご紹介した達磨大師像から、亀尾方向へ進み、一つ目の信号を左折し旭岡団地へ入り、旭岡中学校前を右折すると、カトリック教会系のお年寄の施設「旭ケ岡の家」が見えてくる。
その敷地内にアニエスの塔は建つ。

小高い丘に、鉄骨造りで高さは約15mほど。
最高部の展望台には方位が示され、国内はもとより世界各地までの直線距離が書かれている。

富士山まで730㎞ 京都まで870㎞ 知床まで500㎞
南極点まで14,435㎞ ローマまで9,400㎞ ハワイまで6,400㎞
ニューヨークまで10,300㎞ モスクワまで7,000㎞ リオデジャネイロまで18,800㎞
こうして数字で示されると、距離感がよく分かる。

360度広がる眺望のよさ。まるで1,000m級の山の頂上にいるような気分にさせてくれる。
秋の紅葉の眺めは、大いに期待できそうである。
内地から来られるお客さんを案内したら、喜ばれること間違いなし。
「アニエス」とは、この塔を寄贈された方のクリスチャンネームである。

ミカエル