ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第742号 宝くじ大当たり・・・昔の話ですが

2012年07月28日 | 我が家のもろもろ
宝くじを買った。

母の父は隣町・鹿部町の山奥で、硫黄鉱山を共同経営していた。
昭和の5年前後、宝くじの高額が当たった。

貸家を10軒、自宅も建てた。
どちらも、現在の中島廉売に近く、市電停留所までは徒歩5分ほど。
母は当然ながら鉱山住宅からこの家に住み、元町の女学校へと進学
した。

貸家はオール木造。
でも、自宅は内外壁とも漆喰壁。
特に床の間は、本砂壁。柱はピカピカに光っていた。

昭和9年の大火には、幸運にも類焼を免れた。

おじいさんは、私が5歳のころ急死。
この宝くじの詳細は分からないまま。

でも、時価ならば恐らく一億円くらいかなと思われる。

今回もしも、もしも、幸運の女神が訪れたならば、
来月着工する息子の家に応援したいのですが・・・。


ウエルカム  ウエルカム メガミ 様

同じ神様ですよね。どうぞ、心からのご加護を!

ミカエル

第741号 ママのご両親からのプレは「ウニ」

2012年07月22日 | 料理
ママのご両親が来宅された。
お土産は、ご自宅前浜で採れた「昆布・ウニ」と「手作りジャム」。

ウニは、カラから出して、薄い塩水につけており、
ただひたすらに食べるばかりの優しいご配慮。

(頂いた容器サイズを比較するためにコーヒーびんを置いた)

  

ウニの食べ方はいろいろ。
私は、これコレ「素麺ウニ」にした。

  

  

 その味はとてもの美味。
テレビ表現言葉で表すならば、「まいう」かな?

ママ、そしてお父さん、お母さん、素晴らしいプレゼントを頂、有難うございました。

心臓が極度に弱い私。
でも、ウニは何度でもリクエストします。


ミカエル

第740号 マンネリ朝食にアクセント

2012年07月19日 | 料理
爺と婆との二人だけの食事。
どうしても、マンネリになってしまうのが悩み。

テレビや本などから「目新しい料理のヒント」を、もらうようにしている。
でも、いろいろな調味料を使うのはパス。
余ったそれらは、いつ再登場するのか予測がつかず、
結局忘れてしまって「捨て」の運命となるからである。

まぁー、年寄りは年寄りなりのクッキング小変化を
しようと考えている。

これは昨日の朝食。

 

これまでは味噌汁だったが、コンソメスープに置き換えた。
キャベツ、人参、ベーコンの具。
色加えに、安くなったバナナを(笑)。

これで少しは、脱マンネリとなったかなぁー?

ミカエル



第739号 人形のような「国宝・中空(ちゅうくう)土偶」に会いたくて

2012年07月16日 | 教育施設
先日、市内臼尻地区にある「函館市縄文文化交流センター」に出かけ、
お人形のような「国宝・中空土偶」と対面した。

 

センター正面右側には「道の駅・縄文ロマン南かやべ」が併設され、ソフトクリーム、
縄文弁当、地区の海産物などが販売されており楽しい雰囲気だ。

 

 

展示室は、ほとんどが1階に集約されている。
ここは「展示室2」。ダイナミックな空間の中に、たくさんのパネル
を展示。
市立函館博物館とは、比較にならい衝撃を与えてくれる。
「こんな展示室が欲しかった」と、以前から抱いていた心に灯りが点ったような
気がした。

 

内外装とも、ほとんどが「コンクリート打ちっ放し仕上げ」。
派手さがないかわりに、落ち着く雰囲気だ。

さて、いよいよ国宝とのご対面。数年前、市立函館博物館で初対面。
今回で2度目となる。置かれている室は、土偶のみに与えられた専用空間。
展示手法は、まるで国立京都博物館のような品位の高い雰囲気がした。

像の寸法=高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1、745g

 

「発見時の状況や土偶についてのキャプション」。

 

 

「国宝指定書(原本)」。

 


紀元前約1,000年前に縄文は、弥生時代へと進歩し、バトンタッチ。
それでもまだ特記すべき歴史上の記事はなかった。

紀元後、約200年にようやく「卑弥呼」が女王となる旨が歴史年表に
記載されるようになった。

有名な「聖徳太子」の名が記載されているのは、古墳(飛鳥)時代。
年代は590であった。

そんな状態だから、縄文時代の文化を推察するのは、ロマンあふれて
すごく楽しいと思う。

この像を作られた「縄文X氏」は、豊かな技量を持った人物であろう。
また、「心のゆとり」も兼ね備えたエリートであったことが
窺えてならない。

北海道で唯ひとつの国宝。
誇りに思ったのと、「たった一つよりないの?」という落胆との
心理が重なりあった対面であった。


米 再掲になるが主要事項抜粋

  発見年と経緯=1975年夏。このセンター近くで、農作業中の主婦が土中から発見
  国宝指定日=平成19年6月8日


※ 以下の事項は、センター係員が教示して下さった。

  事業費~676,000,000円
  工事費~576,000,000円
  敷地広さ~7,141㎡
  建物延べ床面積~1,733㎡
  駐車場~バス5台、乗用車35台
  入場者数~オープン(23.10.1)から6月末まで45,000人


同センターのHPは、こちらからどうぞ!

結びに、展示室での撮影(フラッシュは禁止)を認めて下さった方々に感謝、感謝。


ミカエル

 
 


第738号 これでも木造? 旧函館海産物取引所

2012年07月13日 | 建物
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券を買い求め、
西部地区をゆっくりと散策。
素晴らしい意匠を持つ建物や歴史ある建造物に目を奪われ、しばし佇む。
私にとっては、至福のひとときだ。

この建物は赤レンガ倉庫群の裏側(東)にあり、所在は末広町15番3号。
建設は大正9(1920)年。
在職中、この建物の前を何度か通過。
階層、デザインからして鉄筋コンクリート造と決め付けていた。
ところが、れっきとした木造であることが判明。
日本人設計者の偉大さに脱帽した。

正式な名称は「旧函館海産商同業組合事務所」。
左右の膨らんだデザインが美しい。

周辺は、大正から昭和初期にかけて、百貨店や金融機関が多く、
函館経済の中心地であった。
この建物の右隣には、旧北海道拓殖銀行船場町支店が置かれていた。

 

 

 

この事務所の中には、かって「函館海産物取引所」があった。
なんといっても、取引所の特徴は、スルメを先物取引商品としていたこと。
これは、世界でただ一つ、ここだけだった。

取引所の概要
 設立~昭和26年
 解散~昭和46年
 会員数~82名(当初)
 初代理事長~平塚常次郎氏(昭和21年運輸大臣を経験)
 出来高最高~31年度 56億円

現在は、外装を綺麗にし、民間企業の事務所になっている。
懐に現金を入れた海産商が、今にも中から出てきそうだ。


ミカエル

第737号 良い子がたくさん来てくれた~七夕祭り

2012年07月08日 | お祭り
きのう7日は、七夕祭り。
子供たちがたくさんやって来て、大賑わい。
久し振りに町の中が明るくなった。

子供たちの歓声がなにより。
私たち、爺、婆が元気になれる薬だ。

 

今年来てくれた良い子は、137名。
写真のモデル(公開については、引率のお母さんの了解済み)
になってくれたお子さんには謝々。

 

 

  

 

 

来年の七夕祭りには、一年前の姿をお渡しできる。
楽しみにして、「たけ~に♪たんざく たなばたまつり ♪ 
おおいに祝おう ローソクいっぽん ちょうだいなぁ~ ♪」。

近郊にいる初孫のマドモアゼルがやって来るのは、
早くても来年。
そのときは、皆に内緒でスペシャルプレゼント。
あーあ、早く来てくれないかなぁー。


ミカエル