函館山の麓・元町にあった箱館奉行所の移転新築地として、築造された五稜郭。
21日、その五稜郭へ足を運んだ。
冷たい強い風は体の熱を奪い、耳は千切れるほど。
一の橋手前広場は、前日の陽気で軟らかくなった雪にできた足跡が、そのままの形状でシバレ残っていた。
こういう道はペンギン歩きが安全だ。
二の橋上から眺めた堀。
一面氷で覆われている。
小学生のころ、ここは市民スケート場になっていて賑わいを見せていた。
雪スケートという機種で、ゴム長靴にゴムバンドで固定し滑った。
明治初期に氷の切り出しが行われ、船便で横浜へ送った。
品質の良さが評判となって、欧米氷は値崩れを起こしたという。
氷は当初、医療に用いられていた。
中央に見える四角い黒い 穴は、郭内の雨水などを流すための排水口。
五稜郭は一の橋付近が低く、裏門橋付近が高い地形になっている。
当初設計では、全て土塁構造だった。
しかし、一冬過ぎるとシバレ凍上で土手は崩れたために、堀部分は石積みへと急遽変更された。
これまでの五稜郭の主役は「さくら」、「つつじ」、「ふじ」。
今年の夏からは、この復元中の「箱館奉行所」がその座を奪うことになる。
外観部分はほぼ完成し、残るは内装工事。
これは、太鼓やぐら。
見晴らしをきかす為に土塁より高く、銅板葺きでキラキラと光り輝いていた。
明治2年5月、明治政府軍は箱館湾に軍艦などを集結。
アメリカから購入した南北戦争時の軍艦「ストーンウォール号」が太鼓やぐらを標的にした。
発射した弾丸は命中し、半壊したという。
平成になってから、この奉行所近くの石垣から不発弾が見つかり、先の軍艦から発射されたものと判明した。
そんな事を思い出していると、高い高い赤松の枝から風花が舞い降りてきた。
ふと我に返り、雪と氷の五稜郭をあとにした。