ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第433号 すずなり

2009年08月31日 | 我が家のもろもろ

狭い狭い我が家の庭。
そこにキューリ5株とミニトマト4株を植えました。
キューリは既に最盛期を終え、50本ほど収穫。

トマトは今がその時期。
甘くて、食卓を豊かに飾ってくれています。

 

植える時に、深く掘って柔らかな土地にしたのと優しい肥料を与えたのが豊かな収穫をもたらしたのでは。

朝、庭に出るのがとても楽しくなっています。  

 
                   

 


第432号 お寺にレンガ塀が~へぇー

2009年08月28日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

先日、「屋根の上のギター」を撮影のとき、北海道一の伽藍を誇る船見町の「禅宗・高龍寺」を訪れた。
大きな山門には見事な彫刻が施され、静寂さの中に心の安らぎを覚えた。

  

 

 元町の教会群と違って、このあたりは寺町。
海が見えなければ京都かな?と感じる。
国内で最初の鉄筋コンクリート造の寺院・東本願寺函館別院の船見支院。
箱館戦争時に、旧幕府軍の戦死者を弔った実行寺。
新撰組屯所になった称名寺。

高龍寺の開基時は万代町にあった。
その後、現・函館信用金庫弁天支店あたりに移転。
箱館戦争時には、箱館病院分院(野戦病院)として使われ、高松凌雲らが治療にあたった。
入院中の会津藩士が、官軍に斬殺されたのは悲しい出来事だった。

明治12年の大火で現在地へ移転。
さらに明治40年、飛び火で境内の一部を焼失。
この教訓を活かし、寺院としては珍しい「レンガ塀」を設けた。
レンガの積み方には、イギリス式(正面右・写真)とフランス式(左)があるから同居しているのは珍しいと思う。

 

函館には金森倉庫群や旧函館郵便局(現明治館)などのレンガ造の建物が多く点在する。
心のよりどころになる寺院が取り入れたレンガ。
これが、広く普及した理由かな?と思う。


                   

      


第431号 屋根の上のギター弾き?

2009年08月25日 | 珍話、懐古品、珍品

函館の西部地区は、市内で最も好きな街だ。
古い町並みが私の心を引き付けるからだ。

先日の晴れた日に、幕末から昭和終期まで買い物客であふれた「大黒町通り」へ出かけたら、こんな光景が。
蔵の小屋根の上に「エレキギター」。

       

何故なのだろう?単なる目立ちがりや?
近づいて見ると、こんな写真撮影用の大道具もあって、ますます何故?の興味心が深まっていった。

蔵の外壁には多くの看板が掲げられていた。
①箱館古楽堂 しまざき
②函館大正館
③大黒通りフェスティバル実行委員会
④笑福七福神祭実行委員会
⑤大黒笑事=チンドン
と多彩な名称が連ねてあった。

傍では日曜日だけのバザーがオープン中。
蔵のご主人にギター展示のいきさつをききたくて、バザーのお姉さんに「蔵のご主人はいつ来るの?」と尋ねたら「間もなく来るよ!」の返事。
まさにそのとおり、5分もしないうちに来られた。

      

「俺はベンチャーズの大ファンでもあり、エレキ奏者なのさ!」と、語ってくれた。以下は、ご主人の物語。

~今年はベンチャーズ結成50周年。
記念すべきこの年に、市内のエレキ奏者が一堂に集まって、大演奏会を開こうではないか。
パイプラインのテケテケテクニックを披露したら幸せだよ。それが夢~

パイプラインは、私も知っている。
ベンチャーズはもちろん知っている。
外見は私よりも若干若いかな?と感じながらも熱っぽくベンチャーズについて長く語ってくれた。

このギターは、実物の約2倍の大きさで、ご主人の手作り。
ベンチャーズの奏者が愛用のギターを壊したときに、モズレーという職人が代替品を作成。
その奏者が、あまりにも品のよさに絶賛。
それ以降、名器となって注文が殺到した。

商品名が「モズライト」となって機械生産に移行。。
手作り当時のギターを国内で所持しているのは、加山雄三と寺内タケシのみという。

      

ご主人の了解を得てパチリ。
蔵の中は、骨董品でびっしり。
開店と同時に、東南アジアからの船乗組員で大賑わい。

ご主人は劉著な日本語式外国語で対応。
ペリー提督の来函があってからの伝統的な国際語は、現在でも通用している。
難しい専門用語は別にして、日常的な会話は身振り手振りで通用。

 

ご主人は、多くの看板から想像できるように「人から頼れる、そして心が広い実行力ある人格者」とお見受けした。

エレキギターの大演奏会が、成功されますように!

♪ テケテケテケ・・・ ♪

                 

 


第430号 学芸員の解説つきで・・・

2009年08月23日 | 展覧会、催事など

昨日(22日)の午後、道立函館美術館で開催中の企画展「函館開港150周年記念 箱館→函館 ビジュアル時間旅行」を観に出かけた。 

 

丁度、学芸員による解説があるということで急遽参加することに。
受付前ホールに二時までに集合。
現れた学芸員は、ペリー提督の服装を模していたのでビックリ!

 

展示品は、写真、錦絵、ポスター、洋式建造物の模型、絵画など約300点を超えていた。
幕末、開拓期、明治、大正、昭和初期へと展示品が移り変わる。
そこから感じとられたのは「モダン、繁栄、おしゃれ」。
一時は、東京以北最大の都市だった時代もあった函館。
夢が叶うのであれば、当時の賑やかさがカムバックして欲しいもの。

特に展示点数が多かったのは写真。
幕末、明治初期の資料解説には力が入っていた。

日本の写真発祥地は、長崎、横浜、函館の三開港地。
①長崎には、龍馬を撮った西の写真師・上野彦馬。
②横浜には、東の写真師・下岡蓮杖。
日本のお土産にと、外国人向けの国内の風俗写真を数多く撮った。
③函館には、下岡の門下生で写真油絵師でもあった横山松三郎。
そして、土方を撮った田本研造がいた。
田本だけは、ロシア人に写真術を学んだ。
開拓使や明治政府などから依頼された公共事業の撮影作品が多い。
土方を撮った写場は、八幡坂にあったらしい。

 

およそ20名の参加者は、学芸員の解説に、遠い時代の出来事を想像しながら聴き入っていた。

映画館やランチ会場もそうであるが、ここでもご婦人の姿が圧倒的に多い。
「男性諸氏よ、積極的に外へ出て、人生を楽しもうではありませんか」。
そんな事も思い浮かべた。

幕末から現在までの興味あふれる40分旅は、新しい知識と深い感動をも与えてくれながら終わった。

学芸員さん、有難うございました。  
またの解説展示を待っています。
 

                

 

 


第429号 残り僅か~プレミアム商品券

2009年08月20日 | 我が家のもろもろ

函館開港150周年記念事業の一つとして、函館商工会議所が6月30日に売り出した「プレミアム商品券」。

額面10,000円ながら500円券が23枚綴りで1,500円のお得。
さらに、取り扱い事業所によっては、500円券が550円に換算してくれるところも。
ダブルでは、ワンセットで2,650円もお得とあって超人気。
一人3セット限定で、三万セットを発売。即日完売となった。

 

我が家でも3ットを購入。
使える事業所は幅広く、デパート、スーパー、コンビニ、ガソリンスタンド、レストラン、ホームセンター、衣料品店、靴店、ホテルなど。

使って、使って、残りは4枚(2,000円分)。
再発売を、心からリクエスト。
この願い、叶えてくれないかなぁー。      


                

 

 


第428号 さようなら、ドリームボックス150

2009年08月17日 | 展覧会、催事など

函館の西部地区の緑の島で、8月8日から開催されていた
            
が、昨日16日に無事幕を下ろした。

昭和63年に開催された「青函トンネル開通記念博覧会(青函博)」以来のビッグイベント。
函館は盛り上がり、そして燃えた9日間だった。

私は昨日、三度目の見学。
好天に恵まれた最終日とあって、ひと、ヒト、人で大盛況。
終了を惜しむ声があちこちから聞こえてきた。
期間中の入場者数は約133,500人。
函館市の7月末の人口が284,927人だから、およそ半数の住民が観たことになる高人気だった。

こちらは評判の高い、出来立ての「さきいか」の無料配布所。
暑いので塩分補給にはもってこいの存在。
一日中、作っては配布、有難かった。

 

ここはフードゾーン。
レストランとビヤガーデンで大賑わい。
空席を探すのは至難の業だった。

 

函館名物「バスラーメン」も張り付いていた。
イベント会場には、なくてはならない存在になってしまった。
青い空に白と赤の車体が映える。
「暑いときこそ暑い物を!」。お客さんの列が続いていた。

 

ステージは二箇所。
オールテントのイベントホールと、このような観客席が屋外のシーサイド・ドリームステージ。
後者でのショーは、子供たちのハワイアンダンス。
小さな体をリズミカルに動かし、観客席から大きな拍手を浴びていた。

 

こちらは観客席。
炎天下にもかかわらず満席。
熱心に観て、声援と拍手をおくっていた。

 

ここは武道の演武会場。
ちょうど空手の形が披露されていた。
額には汗が光っていたが、拭おうともせず演武に打ち込んでいた。

 

ステージに上がる前の緊張感をときほぐす場面。
お母さんから「落ち着いてね!」の言葉に「分かった」。
本当に可愛かった。

 

こちらは、「YOSAKOI」の一団。
昼食のお弁当を食べるところ。
しっかり食べて、エネルギッシュな踊りを披露してくれるのだろう。

 

17時からは「グランドフィナーレ」。
観たかったが、自宅に来客の予定が。
後ろ髪を引かれる思いで、シャトルバスに乗り込み会場を後にした。

実行委員会の皆さん、会場スタッフの皆さん、裏方の皆さん、本当にご苦労様でした。
そして、夢と活力を与えてくださり、有難うございました。

                     

 


                  

 

 


第427号 ドリームボックス150を見学

2009年08月14日 | 展覧会、催事など

函館は今、開港150周年記念メインイベント・ドリームボックス150を開催中。
戦後、函館で開かれたビッグイベントは二つ。
一つは、昭和29年の北洋漁業再開を記念しての北洋博覧会。
もう一つは、昭和63年の青函トンネル開通記念博覧会(通称・青函博)。
久しぶりのビッグイベントに町は盛り上がりを見せている。
会場は、西部地区にある人工の緑の島(写真対岸)。

 

この島は港内の深度を高めるために、しゅんせつした土砂で造ったもの。起伏はあまりなく、殆どが平坦地。

ここは中央広場。
芝生なので何処にでも腰を下ろせる。

 

ここはNHKファミリーランド。
人気キャラクター「スプー」のジャンボエアークッションが人気。
お母さんに手を引かれた幼児たちの長蛇の列があった。
一番人気かな?

 

私が一番興味をもったのはこの復元した「北前船・みちのく丸」。
この船は、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われた。

全長32m、幅8.5m、千石積み。帆柱の高さ28m。船形は弁財船。
幕末に勝海舟や福沢諭吉らが乗船し、太平洋を渡った「咸臨丸」は、全長48.8m、幅8.7mだったから、この船は大きな船だったと思う。
使われている木材のごついこと。

      

低いところに張ってある板をはがすと荷物室。
重い物を船底に敷き、軽い物を上に積んだ。

 

ここは居住区。
寝室、居間、台所を兼ねる。
北前船は動く商社と呼ばれ、寄港地で荷物の売買をしながら蝦夷地目指して北上した。
帰途には、蝦夷地の産物をいっぱい積んだ。
船頭は、商社の社長のような存在だった。

 

会場の緑の島と赤レンガ・金森倉庫群とを結ぶシャトル船だ。
10分間隔で運航、定員は12人と小回りがきく。

 

私は往復乗船して、港内遊覧を楽しむことに。
潮風を体全体で浴び、清々しい感じ。
それにしても、ヨットの多いこと。
湘南を思い出させる。

 

これは、「シーサイクル」。
有料で、港内をサイクリングできる。
6人乗りもあって、楽しそう。

 

ステージショーには、芸能界やスポーツ界の有名人が登壇し、賑やか
モード。
また、美味ゾーンは内容豊富で満足すること間違いなし。

残りは、15日、16日の二日間。
ぜひ、お出かけして、楽しみましょう。

スタッフの皆さん、お疲れモードでしょうがあと少し。
頑張るモードで乗り切ってください。

実行委員会事務局は市役所内 電話 0138-21-3493
HPはこちらからどうぞ!


                     

 


第426号 「てくてく函館元町+緑の島」に参加

2009年08月11日 | 町の話題

家族、お一人、友人同士で函館に来られた方。
そんな方々のために、観光ボランティアガイド「愛」、「一會の会」がご案内しています。 
ガイド料は無料で予約不要。ただし、有料施設は参加者の負担です。
コースは期間により次の二つ。

1.元町散策コース(これからの日程は下記のとおり)
約1.2km 所要時間1時間30分から2時間程度
 8月21日~10月25日 (金・土・日・祝のみ)10:00~
 12月4日~25日(金・土・日・祝日のみ)15:00~

2.開港150周年記念散策コース 約2km
 元町散策コース+緑の島入り口まで
 8月8日~16日(毎日) 10:00~所要時間2時間程度

※ 問合せ先
(社団)函館国際観光コンベンション協会
http://www.hakodate-kankou.com/
0138-27-3535
土日祝日は元町観光案内所へ
0138ー27-3333

私は歴史などの勉強のために、10日「2コース」に参加しました。
9時50分に元町公園内にある元町観光案内所前に集合。
参加者は11名。こじんまりとして説明がよく聞こえる人数。
先ず、ガイドさんのご挨拶とコース説明があって、いよいよ出発。 

 

最初は、旧北海道庁渡島(おしま)支庁庁舎。
明治42年の木造建築で広さは約964㎡。
巨大なエンタシス柱がダイナミックで美しい。
現在は1階が観光案内所、2階が写真歴史館で、ペリー来航時に撮影された日本一古い松前藩士の写真(レプリカ)などが展示。

建物が老朽化し危険となったとき、札幌郊外の北海道開拓の村への移転話もあったが、市民運動で現在地保存となったのは嬉しかった。

 

旧渡島支庁庁舎向かいにあるこの建物は「旧開拓使函館支庁レンガ造書庫」。
明治10年代の建築で瓦葺き2階建。
使われたレンガは、郊外の茂辺地(もへじ)で作られ、明治7年、8年、
9年函館製の刻印が一枚一枚に見える。

 

元町公園から市街地を眺望。
函館の歴史説明があった。
幕末の箱館奉行所はここにあったが、開港にともない防御上の理由から五稜郭へ移転した。

 

旧函館区公会堂へ移動。
明治40年の大火で函館区の三分の一が焼失し、区民が集まる施設も焼け、再建を図った。

そして、明治洋風建築を代表する建物(コロニアル・スタイル)が完成したのは明治43年。
明治天皇のご宿泊所としても使われた。

 

教会通りの八幡坂へ。
障害物がなく真っ直ぐ下に港を望め、また旧青函連絡船・摩周丸も見えることから、テレビCMでお馴染みの坂。
代表的なCMは「チャーミーグリーン」。
赤いチョッキを着た老夫婦がダンスをしながらの場面は美しかった。
坂の名の由来は、幕末にこの坂の上に八幡様が祭られていたからである。

坂を上り切ったところに、北島三郎さんの出身校・函館西高校がある。
次は、函館の顔と呼ばれている「ハリストス正教会」へ。

        

ハリストスとは、ロシア語でキリストを意味する。
教会は、この地に安政6(1859)年に建てられたロシア領事館の付属聖堂として同時に建設されたが、明治40年の大火で焼失。
大正5年にレンガで再建したのが現教会。
ロシア風ビザンチン様式の本堂丸天井に特徴があり、美しい姿を誇っている。。

 

そして隣に位置するのが、日本聖公会函館聖ヨハネ教会。
イギリスの聖公会の牧師が来函して伝道したのに始まる。
大火で二度焼失。
現教会は昭和54年の完成で、教会通りでは一番新しい存在だ。
教育や福祉活動に大きな功績を残した。

        

風見鶏のある元町カトリック教会は、明治8年に初代教会を建設。
明治40年に木造であった聖堂が焼けたため、ゴシック式のレンガ造りの聖堂に変わった。
ところが、大正10年の大火でこの聖堂も焼失。
同年レンガ部分を修復。増築した鐘楼部分だけは鉄筋コンクリートで造った。

完成後、ローマ法王・ベネディクト15世から豪華な祭壇が寄進された。

 

幅20間(約36m)の二十間坂を見て寺院へ。

東本願寺函館別院の境内へ入った。
1710年に近郊の現木古内町 から基坂付近に移ってきた。
1747年、現弥生小学校付近に移り、明治12(1879)年の大火で焼失。
現在地に移転新築したが、これも明治40年の大火で焼失。
再建は、国内最初の鉄筋コンクリート造とし、明治45年に着工、大正4年に完成した。
本堂は間口約33m、奥行約35mと大きなもの。

工事期間中は、「大屋根が、この構造で支えられるのか?」の疑問に応えるるため、梁に芸者を上げ手踊りさせたという。
瓦の美しさは見事である。

 

このように狭い地域に世界の宗教が集まる元町。
この存在は国内はもとより、世界でも珍しい町並みと評価されている。

元町コースの最後の見学施設は、旧イギリス領事館(現・開港記念館)。
安政6(1859)年、初代領事・ホジソンは、現弥生小学校にあった称名寺の一部屋を借りて執務を開始。
元治元(1864)年、ハリストス正教会隣に移ったが、慶応2(1866)年、ロシア病院からの出火で焼失。
旧函館病院敷地へ移ったが、明治12年の大火でまたもや焼失。

現在地へ移ったものの、明治40年の大火でまたまた焼失。
現在の建物は明治42年に完成したもの。

昭和9年、領事館は閉鎖、市が買い取り、市立病院の看護婦寮やカルテ保管庫として利用された経緯がある。

 

元町散策コースを終え、函館開港150周年記念散策コースがスタート。会場の緑の島へと足を運んだ。

最初はアメリカ合衆国・ペリー提督像。
この領事館向かい、基坂を挟んだ旧市立函館病院の敷地に北を向いて立っている。
制作者は、函館出身でローマ在住の彫刻家・小寺真知子さん。
五稜郭タワーにある土方歳三像も手がけた。
繊細な技法が見る者を唸らせる。

      

中華会館(華僑会館)
基坂を下り、バス通りから左に目をやると見える。
華僑の集会所は、最初同徳堂といったが、明治40年の大火で焼失。
二代目のこの総煉瓦造の建物は、明治43年に完成した。

釘を一本も使わない純中国(清朝)様式としては、日本に現存する唯一の貴重な建物である。
函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に、在函華僑が信仰する三国時代(220年~280年)の武将・関帝(商売と学問の神様)を祀る聖所として建設した。

中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦等の資材も中国から取り寄せ、約3年の工期と巨費を投じた。
内部は朱色の漆塗り、金色の関帝壇を中心として周囲に小部屋を配し、装飾、調度品は壮麗である。

会館は華僑の公儀場所、祭事と交際の場所として使われてきた。
中国領事館が置かれた時もあった。
戦後、日常的にはほとんど使われていないが、例外的に国慶節(10月1日)、関帝祭(5月13日)の祝宴、結婚披露宴、中国からの賓客の歓迎の場として使われている。

 

コースの最終地・緑の島へ到着したのは丁度正午。
予定どおりであった。
ガイドさんからお別れの挨拶。
{楽しかったですよ。有難うございました。」と、参加者の声。
「またのお越しをお待ちしております」。

参加者は緑の島へと消えて行った。

 

感じたこと。

① 何と多い函館の大火。
それでも、くじけず復興へ立ち上がった人々。
強い意志があったればこそだと思いました。

②函館検定を受検するにあたり、歴史テキスト本を多数読破しましたが、ガイドさんの説明に、新たな知識がたくさん吸収されました。
また、機会を見て参加し、郷土函館の歴史・文化を身につけたいと思いました。
気配り、目配りして下さったガイドさん、ご苦労様でした。 


                    

 


第425号 「花火あじさい」が咲きました。

2009年08月09日 | 我が家のもろもろ

庭のあじさいが、今年はたくさんの蕾をつけて咲き始めました。
居間の窓のすぐ傍ですから、いつでも眺められます。 

 

これは 「墨田の花火」という品種で、ご覧のとおり花びらが打ち上げ花火が開いたような形状をしています。
10年ほど前に鉢物で購入。それが大きく成長しました。

毎年やっている剪定を、今年の春先にやらなかったのが、綺麗な花を咲かせた原因かも知れません。

 

白からブルーに変化して、しばらくの間、目を楽しませてくれる大切で大好きな花です。


                & ミケ


 


第424号 小さな庭からたくさん収穫

2009年08月07日 | 我が家のもろもろ

初めてテンプレートを変更しました。

楽しかった港まつりが全て終了し、我が町内会の舞台も解体され来年の夏まで休眠です。

替わって、明日8日から16日まで、開港150周年記念イベント「ドリームボックス150(イチゴーマル)」がスタートします。
主会場は緑の島。
数々の多彩な催事が、10時から22時までの時間帯で繰り広げられます。
ブロ友さんもお手伝い中。
皆さん、ご家族揃ってお出かけになりませんか。

実行委員会事務局は市役所内で、電話は0138-21--3493。
公式ウェブサイトはこちらからどうぞ。

 

話は本題へと替わります。
我が家の庭の隅に小さな小さな菜園を設け、ミニトマト4株、キューリ5株を植え、ようやく収穫時期を迎えました。
今年は長雨に日照不足の天気。

キューリはこのアクシデントもなんのその。順調に育ちました。
トマトは影響をもろに受け、生育遅れ。
赤色と確信していましたが黄色でビックリ!
身近なところで採れた野菜は、旨味が違うような気が。
食卓に載せ、自然の恵みを味わっています。

 

庭には早くも「コスモス」が咲き始めました。
昨年の「こぼれ種」からの発芽。
砂利の間から逞しく伸びてきました。

 

今年の函館の最高気温は27.3度。
明日からの週間予報でも26度。
お盆を過ぎると秋風が吹くことから、真夏日が一日も来ないまま秋を迎えそうな函館です。


                    

 


第423号 またハズレ!町内会の抽選会

2009年08月05日 | お祭り

函館は今、開港150周年記念・港まつりを開催中。
1日の港内花火大会、2日のワッショイ函館=十字街・松風コース、3日同じく=堀川 ・五稜郭コースが無事終了し、あとは町内会の舞台が賑やかさを感じさせます。

昨夜、我が町内会でも、まつりの最大イベントである抽選会が開かれました。
薄暗くなって照明が灯り、賞品が飾られ、高額なのは自転車が2台。
皆、「私が乗って帰るぞ!」の意欲満々。

 

我が町内会は今年、目出度く結成40周年を迎えました。
お祝いにと、西部地区からチンドングループ「遊源会社・大黒笑事」が駆けつけ、賑やかに花を添え、盛り上げていただき感謝、感謝です。
有難うございました。

グループの記事は、こちらからどうぞ。

 

そして、キングレコード所属で函館出身の近江亜矢さんの登場。
今回でたしか2回目。(NHKどどんと道南ラジオにも出演された)

舞台をおりて、美空ひばりヒットメロを歌いながら握手のサービス。
気さくなので皆がファンです。
ラスト曲は6月発売の「函館ブルース」。大きな拍手がわきました。
「あやちゃん、また来てねー」の熱いコール。
それに手を振って応えてくれました。
お疲れさまでした。

近江亜矢さんの公式ウェブサイトは、こちらからどうぞ!

 

20時40分に抽選会開始。配られた抽選券は510枚。
役員の方々が券を引き番号を読み上げると、笑顔で走り寄り賞品を受け取る当選者。「おめでとう」。
「次こそ私よ」という声があちこちから。 
そんな状況のもと、20分の会はため息とともに終了。
私も残念賞のボックスティッシュをもらいました。

 

こうして、町内会の最大行事は21時にお開きとなりました。
役員の皆様、本当にご苦労さまでした。

帰宅途中、夜空を仰ぎ見て、「明日も天気になーれ!」。
靴は飛ばしませんでした。 


                     

 

 


第422号 これは美味! 「うに素麺」

2009年08月03日 | 我が家のもろもろ

昨日、息子が殻から外した「うに」をどーんともらってきました。 
夕食は炊きたてご飯に山盛りのうに。 
豪快な「うに丼」に満足しました。 

そして今日は初めての「うに素麺」。
庭からきゅうりを採って添え、美味、美味、美味でした。

 

私はこれまで、素麺は温、冷ともに「汁+たっぷりマヨネーズ派」。
今回だけはマヨ抜きで食しました。
(秋田では、鯖缶と併食が習慣)

息子に限りない謝々です。 
できたら・・・もう一度・・・お願い。
とっても気の弱い父なのです。


                     


 


第421号 「感謝」と「豆記者交歓会」との再会

2009年08月01日 | 町の話題

先号で「天照大神さま」に、夏らしい天候をお願いしましたところ、神様はこれをきちんと聞いてくださり、アイスが欲しくなる空模様になりました。
神様、本当に有難うございました。

昨日はアイスを求めて、函館牛乳直営の冷菓の名店「あいす118」へ。
夏休みに入り、多くの子供たちが親御さんとともに来店。
賑わいをみせていました。 

  

そこの芝生に立つパラソルの中に、どこかで見たグループの顔がありました。
30日(木)午後、NHK函館放送局・ハートプラザで一緒にラジオ番組を見学していた函館と愛知県豊川市の豆記者交歓会の豆記者たちでした。
「こんにちは!おじさんのこと知っている?きのうNHKで一緒だったんだけどさ」。
「あー、一番前にいたおじさんだ!」

 

そこから会話が進みました。
豊川の豆記者は総勢10名。二泊三日の日程でホームステイしながら函館の歴史や名所旧跡を見学勉強。

「どんなところへ行ったの?」
「市役所、旧公会堂や西部地区、裁判所、箱館奉行所の復元工事現場・・・」
「楽しかった?」。
「とっても楽しかったです」。
子供たちの目は、光り輝いていました。

 

塾通いに追われる小学生活も多々ありますが、こうして見聞を広める生活もとても大事。
今回案内役になった函館の豆記者たちは、近々根室市を訪ね北方領土の取材をする予定とか。
スケールの大きい夏休み生活に驚きと拍手。

別れ際、子供たちから立派な名刺をいただきました。
その渡し方が礼儀正しく感激しました。

「豊川市からの皆さん、遠いところからお疲れ様でした。帰ってからも函館のことを勉強して函館ファンになってくださいね」。
「函館の皆さん、ご案内ご苦労様でした」。

「どちらも、これからも頑張って、素晴らしい記者になりますように!願っていますよ」。