ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第819号 湯川にあった「西国三十三観音像」

2013年08月03日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
湯の川3丁目にある浄土宗・「湯川寺(とうせんじ)」に、この観音像は立っている。







戦国時代が去り、徳川政権が安定し、平和な世の中が続くと、民衆に「旅=参拝」ブームが起きてきた。
「お伊勢まいり」、「こんぴらさん詣で」、「四国八十八巡り詣で(お遍路さん)」。
、そして「西国三十三所観音菩薩巡り」などが人気の上位だった。
これらは、伝統的に人気が高い旅のコースになっている。

では、「西国三十三所」とは?



西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。
これらの霊場を札所とした巡礼は、歴史ある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。

「三十三」とは、法華経に説かれる観音菩薩が、衆生を救うとき、33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与えるために三十三の霊場を巡拝することを意味。
西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。

このお寺にある三十三観音様は、昔、函館山にあったもの。



歴史的背景や都市計画などの理由で、旧湯川村に点在していた像を、ここの境内に再配置したもの。
その陰には、歴代ご住職が、観音様信仰を唱えていたからである。


湯川寺開基百十五年記念行事として、「西国三十三観音菩薩巡拝の旅」を3回に分けて実施。
(①平成17年10月4日~7日 ②18年4月11日~14日 ③19年4月10日~14日)

この時に持ち帰った「聖土」を観音様の台座へ埋め、「庭園型西国移土三十三観音」として、平成19年10月5日、遷座式を挙行した。
これで、記念行事が終了し、綺麗で魅力的な庭園が出現した。


※※ それでは、境内の庭園をご案内。

一番の那智山・青岸渡寺(せいがんとじ)
このお寺は山中にあって、境内からは、有名な「那智の大滝」が見下ろせる。



そして33番の谷汲山・華厳寺は、門の左側に。



お参りの心得



手を清める泉



園路に面して、観音像が立ち並ぶ



我が人生を振り返れば、観音様の前で、ざんげをしなければならないほど。
何度でも、何度でもお参りに行く必要あり。反省、反省そしてまた反省。

今回は、かなり長い文章になってしまいました。
最後までお読みいただきまして、有難うございます。



第808号 上湯川町におられる「子育て、安産」の神さま

2013年06月22日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
市電・湯の川終点から、女子修道院、南茅部地区へと道々を進む。
松倉川を渡ると、セブンイレブン、ローソンが連なる。

間もなく右に赤い鳥居が見えてくる。
勾配のきつい石階段を上ると、「稲荷神社」だ。
正確な創建は不明だが、1845年(明治維新の23年前)には、収穫物奉納の記録があるようだ。
周囲は杉木立。正月の「どんど焼き」も行われることから、「村の鎮守さま」のようだ。



この本殿の左横に位置しているのが、「石神神社」で、創建は明治10年ころ。
地元に古くから住む方々は「石神さま」と呼んでおり、
子育ての神、安産の神として信仰されている。



大きさは、たたみ3枚ほど。
近年、改修し、綺麗に変身した。



祭行事は年2回行なわれ、1月16日と8月16日。
小正月とお盆と記憶すれば覚えやすい。
同じ町内に住んで43年になるが、一度もお祭りを観たことがない。

昨年5月に生まれた「マドモアゼル初孫」は、安産だったので感謝。
あとは、「子育て」を、息子夫婦にかわって祈願。
「どうか、よい孫に育ってくれますように!」。

(※ 明治元年初冬。大沼駒ヶ岳の北にある森町鷲の木に旧幕府軍榎本艦隊は上陸。
直ちに新撰組副長・土方歳三を隊長にし、噴火湾沿いに南下。
五稜郭を目指した。川汲峠で官軍と交戦し撃破。
この上湯川でも夜営し、翌10月26日(旧暦)、五稜郭に入城した。
野営地は、この神社境内が有力のようだ。

土方の大ファンである私。話が横道に曲がってしまい申し訳ありません。)





第755号 いっきゅうさ~ん!

2012年10月02日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
五稜郭タワーの向かいにある「最上寺」。

 

こちらの境内に入って、珍しい工作物を発見し驚いた。
それは窓なのだが、まるで「日本昔話」に登場する味のある構造。

 

 

だから「いっきゅうさん」が出てきても、不自然さを感じさせない。
この窓「かとうまど(火灯窓)」と呼ぶ。

おもに寺社建築・城郭建築・住宅建築などに見られる。
上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓。
ほかに、華頭窓、架灯窓、瓦灯窓などと表記する。

歴史的あゆみ。
元は、中国から伝来したもので、禅宗の窓として使われていた。
しかし、安土桃山時代頃にそのデザイン性から、
禅宗以外の仏教寺院でも、また、仏教建築ではない神社や天守などにも採用。
城郭建築、書院造の邸宅に使われていった。
また、仏教建築以外にも、
イスラム教やキリスト教の宗教建築にも見ることができる。

国際的ブランド建造物で、この窓を見ることができるのは、
①円覚寺舎利殿(15世紀前半)
②慈照寺銀閣(1489年)
③松江城天守(1607年)
④西本願寺書院対面所(1632年)
⑤姫路城小天守(1601年)

近代化建築が隆盛となればなるほど、
哀愁を感じさせるこの窓の存在が大きいと思う。


ミカエル

第703号 ルルドの洞窟にやわらかな日差し

2012年02月24日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
我が家の近くには、散策コースが二本ある。

①家の横約50メートルを流れる「二級河川・松倉川」の両岸にある
クッション舗装した歩道。
この歩道を下って、津軽海峡に出るコース。

②息子が通っていた小学校から、徒歩15分。
小高い丘に建つ「トラピスチヌ・女子修道院」までのコース。

①は、現在、除雪作業が懸命に行われている。

数日前、忘れていた、暖かで青空が広がった日がやってきた。
家にいるのは勿体無いし、このところの運動不足を補完する意味で、、
修道院コースを選び、散策することにした。

 

敷地内の前庭は、修道院のご好意により通年開放されている。
この時期にも観光のお客様の姿を見ることができる。
入園すると、すぐに「大天使・ミカエル」がお迎え。



現在は観光オフシーズン。
それと、着いた時刻が昼食時とあって、数人の方とすれ違っただけ。
静寂さが、厳粛さを感じさせた。

 

「ルルドの洞窟」の斜面は、暖かな日差しを浴びて、ほぼ雪が消え、
ここだけが春のようだ。

 

 

洞窟は、元町・カトリック教会にもある。
協会通りの石塀の裏になっており、教会敷地の奥まったところ。
また、郊外の男子修道院にも姿を見ることができる。

青い空、暖かな日差し。
そして、来週は「ひなまつり」。
「かすかに聞こえてくる春の足音」を、感じた。

 


ミカエル

第682号 鯨族の霊を弔う供養塔

2011年11月23日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像
子供の頃、よく食べた鯨肉。
赤肉をフライパンで焼いたステーキ。
皮膚に近い部肉は、ウネスハムに加工され、おやつだった。
暮れに大鍋で作る鯨汁。
牛や豚よりもはるかに安く、庶民の胃袋を満たしてくれた。

近年は世界的反捕鯨気運が高まり、本格的捕鯨は休止中。
僅かに調査捕鯨という名目で、細々と継続中。

函館山の麓、西中学校の東側、大谷派船見支院の下にあるのが
この”鯨族供養塔”。

捕鯨船船長兼砲手だった”天野太輔さん”が、昭和32年、
83歳の時に建立した。

天野さんは、明治40年から捕鯨に従事、26年間で二千数百頭を
捕獲したという。
食料にしたとはいえ、命を奪った罪の深さを思い、
自費でこの供養塔を建てた。
塔の上には、セミクジラ像が横たわっている。

 


① 江戸時代、函館近海でも捕鯨が行われていた。
幕府は、1857(安政4)年、ジョン万次郎を派遣し、捕鯨指導を
行わせた。
ペリーの来箱から3年後のことである。

② 函館山は、約1200万年前にできた火山島。
約6000年前から砂州がゆっくりと成長し、亀田半島とつながった。

昭和30年代のこと。
市役所そばの変電所増改築工事で、地中から鯨の骨が出現した。
このことから、上記①、②のことが証明されたと言えよう。

春には関係者、僧侶らで慰霊祭が行われている。

鯨よ、有難う!




ミカエル



第588号 北の大地に龍馬が立つ

2010年12月23日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は、結びとなった。
しかし、函館の西部地区には威風堂々たる龍馬像が誕生し、連日
ファンが訪れている。

場所は市電十字街電停傍にある「北海道坂本龍馬記念館」の真向かい。
台座の高さ2.5メートル、本体像の高さ3.5メートル。
費用は約一千七百万円。

              

明治維新の立役者・龍馬の目は北海道(蝦夷地)にも向けられていた。
幕府解体により職を失う武士をこの地に移住させ、開拓と防衛に
あたらせようとする腹案を持っていた。
いわゆる屯田兵制度の基本構想である。

残念ながら龍馬は、蝦夷地を踏むことはなかったが、養子となった
甥の坂本直は
慶応 4(1868)年=明治元年に、五稜郭に赴任。
その後も坂本一族は、道内各地に入植し大きな足跡を残した。

龍馬の安住の地はひとつ増えた。
どんな想いでいるのだろうか?

たまには抜け出して、湯の川温泉に入浴し、ゆっくり癒して欲しいものだ。


                

 

 


第495号 ルルドの洞窟の雪は消え・・・女子修道院

2010年02月23日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

真冬日をもたらしたシベリア寒気団。
ようやく去って、やわらかな日差しと暖気がやってきた。
今日は青空が広がって、絶好の散策日和。
町内にある女子修道院へと足を運んだ。

訪れた方なら誰でも礼拝できる庭園内教会の周辺は、ご覧のとおり雪の山。しかし、入れるんですよ。

 

マリア像から望んだ北側の建物群。
11時15分とあって、午前の仕事終了の鐘が中央尖塔の鐘楼から響いてきた。
このあと、お祈りがあって、11時30分から昼食である。
「どんな修道女が鳴らしているのだろうか?」。
想像の心が動いた。

現院長は改革派。
男女を問わず住民を院内(一部)に招き入れてくれる。
しかも、お土産つき。
敷居の高さが薄らいできたのは喜ばしいことだ。

 

ルルドの洞窟は南向き。
お日様がよくあたる場所とあって雪解けが早い。
周辺には「ゆきつり」があって、和洋折衷の光景に微笑む。

 

庭園内の木々はまだまだ深い冬眠中。
広い駐車場には、大型バスが2台。
園内ですれ違った方は、外国からの観光客数名のみ。
今なら落ち着いた雰囲気の庭をゆっくり歩き、眺めることができる。
贅沢だと思う。

 

本格的観光シーズンまで、あと二ヶ月。
この静寂さを、これからもしばらくの間、体感したいと思う。

あっ、そうそう。
園内売店での買い物なら「マダレナ」をお薦め。
修道女の手作り菓子。常温で保存できます。


                

 


第473号 雪、雪、雪が降った!

2009年12月17日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

一昨日、どどんと雪が降った。
5時、8時、正午と三回も雪かき。

ママさんダンプは、一度に多くの雪を運べるけれど腰を痛める。
だから私は、プラ製の小さな雪かき器を愛用。
時間はかかるけれど、体には優しい。

それと手袋は、今は懐かしい「ぼっこ手袋」。
裏地は、うさぎの毛でとても暖かい。
デパートの紳士(私は紳士ではありませんが・・・)小物売り場の方が一生懸命探してくれたもの。
茶色も求めた。

  
    

あれだけ降った雪も青空続き。
そしてシバレの日々。
クリスマスには相応しい雪景色になった。
金森赤レンガ倉庫群前の海に浮かぶツリーも「出番だー」と、叫んでいるようだ。


                

 


第449号 ひっそりと碧血碑!

2009年10月17日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

立待岬の帰路に、必ず御参りするのがここ碧血碑(へっけつひ)。
明治元年、京都郊外の鳥羽伏見で新政府軍と旧幕府軍が衝突。
戊辰戦争の始まりだった。

幕府軍は流れ流れて蝦夷地まで。
明治2年5月、箱館総攻撃となって五稜郭に本営を置いていた幕府・榎本軍は降伏。
この碑は、旧幕府軍の戦死者を祭るため明治8年に建立された。 
碑の題字は、榎本軍の陸軍奉行・大鳥圭介とも言われているが定かではない。

官軍の戦死者は、一人一人に墓碑が立てられ埋葬された。
その歴史は、靖国神社よりも遡る。
この官軍墓地(函館山麓・護国神社)の造営にあたっては、幕府軍の捕虜が使役された。
さぞかし悔しかったことだろう。

      

いつもなら碑元に千羽鶴があるのだが。
見当たらない。どうしたのだろうか?

 

答えはこの東屋にあった。
近くのボランティアの方々が冬篭りの支度。
きちんとビニールに包まれて保管されていた。

 

戦死者の多くは、明治政府の命によって野ざらしのまま。
野犬やカラスによって傷められた。
収容され、この碑に埋葬されて安堵したことだろう。

この後も、鹿児島で殺し合い(西南戦争)があったとは・・・。
近代明治が産声をあげるのには、まだまだ時間がかかっていたようだ。


                  

 


第445号 秋深まる修道院

2009年10月08日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

家の近くにある 「トラピスチヌ女子修道院」。
散歩するときは、必ず立ち寄る。
昨日も行ってみた。
観光シーズンが一段落し、周辺も含めて静かな佇まいを見せてきた。

近くの売店では、ベンチに腰を下ろし「ソフトクリーム」を食べてた観光客の姿があった。

 

修道院に入ると迎えてくれるのが「ミカエル像」。
院を護っているようだ。

      

鐘楼をバックに立つ「マリア像」。
記念写真の人気場所になっている。
鐘楼で打ち鳴らす鐘の音は、風向きによっては家に届く。

      

前庭の左隅にある「ルルドの洞窟」。

 

赤レンガ造の本院棟が、太陽に映えて美しい。
青空に浮かんだ真綿のような雲。
風に流されゆっくりと進む。
枯葉が足元を飛んでゆく。
秋の深まりを感じさせる修道院だった。

 

数年前から、院は各種のイベントに参加。
院内に男女を問わず招いてくれる。
私は2回入館できた。
厳しい入館制限が、緩和されつつあるのは嬉しいことだ。


                

 


第432号 お寺にレンガ塀が~へぇー

2009年08月28日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

先日、「屋根の上のギター」を撮影のとき、北海道一の伽藍を誇る船見町の「禅宗・高龍寺」を訪れた。
大きな山門には見事な彫刻が施され、静寂さの中に心の安らぎを覚えた。

  

 

 元町の教会群と違って、このあたりは寺町。
海が見えなければ京都かな?と感じる。
国内で最初の鉄筋コンクリート造の寺院・東本願寺函館別院の船見支院。
箱館戦争時に、旧幕府軍の戦死者を弔った実行寺。
新撰組屯所になった称名寺。

高龍寺の開基時は万代町にあった。
その後、現・函館信用金庫弁天支店あたりに移転。
箱館戦争時には、箱館病院分院(野戦病院)として使われ、高松凌雲らが治療にあたった。
入院中の会津藩士が、官軍に斬殺されたのは悲しい出来事だった。

明治12年の大火で現在地へ移転。
さらに明治40年、飛び火で境内の一部を焼失。
この教訓を活かし、寺院としては珍しい「レンガ塀」を設けた。
レンガの積み方には、イギリス式(正面右・写真)とフランス式(左)があるから同居しているのは珍しいと思う。

 

函館には金森倉庫群や旧函館郵便局(現明治館)などのレンガ造の建物が多く点在する。
心のよりどころになる寺院が取り入れたレンガ。
これが、広く普及した理由かな?と思う。


                   

      


第394号 桜が終わって・・・

2009年05月25日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

北国の遅い桜も散ってしまいました。
代わりのエースは「芝桜」。

我が家でも少しだけ白い花を咲かせてくれました。
でも、ご近所のこの美しさには毎年ギブアップ。
ボリュームもたっぷりです。

 

オンコの緑との色調の対比の素晴らしさ。
道路と同じ高さに配置した感覚も素晴らしいと思います。
植えられた方の心の優しさが感じ取られます。

買い物に行くとき、ちょっと遠回りになりますが鮮やかな色コラボに会うのがとても楽しみで、苦にはなりません。

庭の手入れは、ご近所との会話のもとかと。
少しずつ綺麗にしようと思ってはいますが・・・。

でも、35歳になる息子殿の時代になったら、「花?」となるような気がします。
まー、それはそれで仕方がないのかなぁー。
先の先まで読んでの人生は「いかがなものかな?」と思ったりして。
庭にはあまりお金をかけないように!(かけれないが本音)。

                      
 


第387号 ジュンベリーが咲きました

2009年05月07日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

ゴールデンウイークは「あっと言う間」に終わってしまいました。
庭の花々に目を配る余裕がなく、今朝はこんな光景が・・・。

 

苗を買い求めてから5年。
満開の美しい姿を見せてくれました。
「花の命は短くて・・・」と言われますが、何とか長命であって欲しいものです。
そして「実」の収穫も楽しみ。
「ジャム」を作ろうかな?と考えておりますが。

今日の函館は快晴。
心が躍る日になりそうです。

                       

 


第345号 雪のミカエル像

2009年01月14日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

函館のお正月は降雪がなく、黒い路面が出ていて走りやすい状態でした。
10日にはみぞれが。
そして昨夜はパウダーに近い雪が降り、雪かきが本格化しました。

この時期、静かな佇まいを見せる女子修道院へ散歩がてら向かいました。
観光バスも2台と少な目。
夏の賑わいはどこへやら。

 

「あれ、何か変だぞ!」
前庭には人の姿が皆無。
臨時閉館でした。

 

門扉の格子の間から庭内を眺めたら、そこには雪を頭にのせた「大天使・ミカエル像」の姿が。
寒そうでしたが、悪魔から日本を守っている勇姿にしばらく見とれていました。

 

 

                      
              


第326号 修道院院長とお話ができて・・・。

2008年10月26日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

21日に参加したオンパクに引き続いて申し込んだのがこのプログラム「祈りの時間・天使の聖母トラピスチヌ修道院 」。
15:15にこのミカエル像前に集合。
競争率10倍の難関をくぐった25名が晴れての参加。
参加料2,500円をお支払いして受付完了。
21日のオンパクプログラム同様、男性の姿が数人とは寂しいものでした。
ガイド役は市の方。

    

この建物は「旅人の聖堂」。
修道院の庭を訪れてお祈りをなさりたい方のために二千年の大聖年を記念して建てられたもの。
靴を脱いでだれでも自由に入ることができます。

     

     

いよいよ内部へ。
一般的に入れる男性は、皇族、総理大臣、道知事、市長のほか、職務上必要な方のみ。
今回入れたのはオンパクのスタッフの積極的な呼びかけとこれに応えてくださった院長のおかげと聞きました。
院内は撮影禁止。携帯電話のスイッチはオフにとの注意が。

非公開の「聖堂」を見学したあとは、集会室で院長との対談がありました。
院内で作られた「チョコとマダレナ、紅茶」が添えられていました。
15分ほどのビデオを見せていただき院の概要を知りました。

院長の「何でもお聞きください」の声にあちこちから手が。
これに対する院長の答えは次のようでした。

①ここに入るための条件は?
洗礼を受けたカトリック信者で、3年を経過していること。
3年間の社会人生活を経験したこと。
囲いのなかでの生活に耐え、人間的に完熟していること。
心身ともに健康なことなど。

②食事の準備は?
院生に数年の期間で専任させている。
調理師資格を持っている者もいて栄養配分に気をつけている。
原則、四足動物は口にしないが、鶏肉は年数回食卓にのる。

③自給自足と聞いているが?
そうはいかない。
米や麦は作っていない。
野菜のとれない時期には、信者さんや当別の男子修道院から援助の手がある。

④年齢構成は?
平均60歳代で、最高齢は100歳、若い方は26歳。
私(院長)は、26歳でこの世界に入った。

⑤外出は自由なの?
病気治療、選挙投票、親族の不幸には許される。

このあと信者聖堂で20分間の「晩のミサ」に参加。
心を洗い流しました。

帰りには院内敷地で収穫された「ぶどう、三種のジャム、お菓子マダレナ」を頂き笑顔に。
外に出たら真っ暗、正面には裏夜景が広がり、自転車をこぐ顔に冷たい風が流れて行きました。

 

関係者の皆さん、お世話になり有難うございました。
貴重な体験をさせていただき本当に感謝です。
お疲れ様でした。