函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主の趣味と感じたことの
日記です。

チーズケーキ、白らら!!

2016-05-27 | グルメ

ちょっと見はザル豆腐

いや、どう見てもザル豆腐

ラップを外してもザル豆腐にしか見えませんが、かご盛り白らら(しらら)

というチーズケーキなのです

ぶどうの木・銀のぶどう社で作っているそうです

食べて驚き!!今までのチーズケーキの概念が変わります。

チーズの香りとほのかな酸味、口の中でスーット溶けてなくなります。

こんなチーズケーキは初めてです

チーズケーキであってチーズケーキではない、新しいスィーツですね


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真田丸、落首事件!!

2016-05-24 | 歴史

今の時代と違い一夫多妻が当たり前、正妻を離縁して有力者の娘を正妻

として迎い入れる事に昌幸はじめ信幸にも躊躇はなかった筈です

とはいえドラマとしては当たり前を当たり前として描く訳にはいかない様

です

ドラマでは仕方なく妻・こうを離縁する信幸ですが、真田の為とはいえ苦

渋の決断だったと思います

そんな信幸の前で「信幸がどうしてもと言うので認めたと言わんばかりの

昌幸。」

全く呆れた父親です

離縁されたこうは里へ帰ったとばかり思っていたら何と!!小松姫の侍女と

して再登場

いくら何でも有り得ません

流石というよりも驚きの三谷脚本ですね。

 

秀吉による虐殺事件、いわゆる落首事件

犯人とされる尾藤道休を含め60人以上が殺されたと言われています

現代ならネット上で匿名の書き込みに対し怒った作者が犯人を捜し報復した

といったところでしょうか??

京都ですので一揆を起こす事も出来ず目安箱も有りません。

溜まった市民のフラストレーションを吐き出す術がないのです

聚楽第の壁に落首を書いた市民感情が分からなくもありません。

 

当時、秀吉は刀狩令を発令していましたが、名目は方広寺大仏の建立です

一般市民からは嫌われた政策です。

一方で側室をたくさん持っていても中々跡取りに恵まれず、やっと懐妊した

子供が本当に秀吉の子なのか??

と市民に揶揄されてもおかしくはありません。

市民ばかり臣下の武将の殆どがそう思っていた筈です???

老境にさしかかった絶対権力者・秀吉には聞き流すだけの度量も残っていなか

ったのでしょうね

歴史上、秀吉ほど類稀な運と人並み外れた能力を兼ね備えた人物はいないと個

人的には思っています

秀吉を見るにつけ、年を重ねる怖さを感じてしまいます

ところで

信幸に離縁された(こう)は昌幸の兄・信綱の娘だと言われています。

信幸とこうは従妹という事になります。

信綱は長篠の戦いで弟の昌輝とともに戦死しますが、信綱・昌輝兄弟は中々の

人物だったとも伝えられています。

父・幸綱と真田三兄弟(昌幸は当時武藤嘉兵衛)は武田二十四将に数えられてい

たとか??

武田家臣団の中でもこのような一族はおらず新参者としては稀です

信玄がいかに真田親子の能力を高くかっていたか分かりますね



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真田丸、不思議な糸!!

2016-05-16 | Weblog

つくづく人間の欲は尽きないものですね

太政大臣として位人心を極めた秀吉が次に欲しいものは

どうやら茶々の様です

茶々が信繁に言った言葉が将来を暗示している様で意味

深でしたね。

「私と源次郎とは不思議な糸で結ばれている気がする。

離れ離れになってもあなたは必ず戻ってくる。そして私達

は同じ日に死ぬ。」

予言と言うよりは強烈な愛情表現と取れなくもありません

愛情を感じられない茶々が、愛情を取り戻した瞬間なのか

も知れません。

茶々は自分の運命を受け入れ秀吉の側室となりますが、三成

だけは胸騒ぎを覚えている様ですね

「これから殿下は何処に向かわれるのか??」と信繁に対し

呟きます。

伊達と北条が秀吉に服し天下統一となったその後…

日本の中で秀吉の欲しい物が無くなってしまいます。

三成の不安な気持ちも分からなくはありません

ところで

ドラマでは信幸との縁組に乗り気ではない忠勝ですが、小松姫

との婚姻を提案したのは本多忠勝だと言われています

武人としての忠勝は真田の武略を恐れ尊敬もしていた筈。

忠勝が溺愛していた愛娘の婿に信繁を選んだのも頷けます

小松姫は容姿端麗にして気性も非の打ちどころがなかったと伝え

られています。

そんな小松姫だからこそ真田家が幕末まで家名を保つ事が出来た

のでしょうね

この婚姻はあくまでも政略結婚です。

信幸には既に正妻がいましたが、正妻を側室にまでしてこの婚姻

を受けています。

ドラマでは…側室になった正妻をどう描くのでしょうか??

小松姫とあまりに器量に格差がある為自ら身を引いたのでしょうか??

興味が尽きません。

おそらく後世の作り話だと思いますが…

家康が婿候補を並べ小松姫に品定めをさせたと言われています。

婿候補達は家康と忠勝を恐れ髷を掴んで顔を覗き込む小松姫に対し

されるがまま状態

唯一、信幸だけが無礼な振る舞いの小松姫の手を扇で払いのけたとか

このことで小松姫が信幸との結婚を決めたと言うのですから世の中分

からないものです??

もしこの話が事実なら…

幕末まで続く真田家の命運がこの時決定した事になりますね




 

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真田丸、上洛出来なかったのです!!

2016-05-09 | 歴史

ようやく届いた信繁からの手紙

「上洛すれば大名にしてやるとの秀吉からの伝言が!!

さぞかし喜ぶと思ったら「大名の座は力で勝ち取るものだ!!

と駄々を捏ねる昌幸

その昌幸を必死で説得する信幸

三者三様の親子模様ですね

 

ようやく上洛した昌幸の前にもう一人の身内…阿国の一座に

いた姉の松。

すっかり記憶を無くしています

何とか記憶を取り戻させようと必死に昔話を始める親子です

が、中々上手くいきません

てっきり松の夫・小山田茂誠との再会で記憶を取り戻すものだ

とばかり思っていましたが、まさか!!きりの足だったとは

流石、三谷脚本です。

ところで

昌幸が上洛出来なかった一番の原因は北条です。

沼田城に固執する北条は沼田城を再三攻めています

守っていたのは昌幸の叔父・矢沢頼綱。

昌幸とすれば沼田城へ援軍を出したいところですが、徳川

の動きも気になり中々援軍を送る事が出来ません

信濃の豪族小笠原や木曾は既に上洛していますが、臨戦態

勢のさなか昌幸が戦場を離れる事など有り得ません。

ドラマでは昌幸の遺志で上洛を先延ばしにしたかの様な描

かれ方でしたが、昌幸は上洛しなかったのではなく出来な

かったのです

表面上秀吉は昌幸に対し激怒したと言われていますが、本心

は違うところにあったのでしょうね。

家康は一旦は許可された真田攻めの梯子を外され、昌幸は家

康上洛の餌に使われただけ

翌年、秀吉は建前上昌幸に恩赦を与え上洛を促しています。

全て秀吉の筋書き通り、結局、昌幸も家康も秀吉に利用され

ただけの様ですね



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真田丸、惣無事令!!

2016-05-03 | Weblog

久し振りに信繁の姉・松が登場しましたね。

行方不明になっていましたが、まさか出雲の阿国の一座にいたとは…

驚きです

どうやら記憶を無くしているようですが、果たして戻るのでしょうか??

おそらく最愛の夫・小山田茂誠が登場して記憶復活のパターンでは…

個人的には今からそのシーンが楽しみです(違うかも知れませんが?)

 

上杉の助けもなく秀吉からのお墨付きを得た徳川と戦わなければなら

なくなった昌幸ですが、ここで徳川の家臣となっていた弟・信伊から

吉報が

秀吉からの停戦命令発令

命拾いした昌幸ですが、「実は勝てないと思っていた。」と心の内をあ

かします。

「秘策がある!!」と言っていましたが、どうやらハッタリだったようで

すね。

昌幸の周りにいる人達はもう暫く昌幸に翻弄されそうです

ところで

秀吉が発した惣無事令、大名間の私闘を禁止したものですが、さすがの

家康も無視出来なかったようですね

上田征伐にあたり家康は秀吉に許可を求めてきました

後顧の憂いを無くし上田征伐に専念したかったのでしょうが、この時点

で家康は秀吉の軍門に下ったと見た方が良さそうです。

 

惣無事令は秀吉が初めてではありません

信長も甲州征伐(武田氏)の後、惣無事を発令し甲州での戦闘停止を命じ

ています。

惣無事令は秀吉の専売特許ではなく信長の二番煎じだった訳です

因みに、惣無事令違反の名目で九州征伐(島津氏)と小田原征伐(後北条氏)

が実行されていますが、島津氏は残り北条氏は滅亡しています

この差は一体何だったのでしょうか??

島津は遠隔地、北条は遠隔地とはいえ島津ほどではありません。

うがった見方をすれば…

北条の周りには徳川・上杉・佐竹・伊達などの有力武将がいます。

それらの武将達が同盟し反秀吉で結束するとしたら

秀吉にとって北条は何としても潰しておきたかった大名だったのでは…

この後に起きる名胡桃城事件が切っ掛けで北条氏は滅亡しますが、

秀吉の術中に北条が嵌った感じがしなくもありません



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真田丸、いたちごっこですね!!

2016-04-26 | 歴史

頼りにしていた上杉までもが秀吉に下り右往左往する真田ですが、

気が付けば四面楚歌状態ですね

信幸までもが、「源次郎に頼むしかない!!」と言う有様。

真田として打つ手が無いようです

馬廻衆に抜擢された信繁、秀吉の懐に入り情報収集に余念がありま

せん

「殿下は徳川に貸を作っておきたいだけ、本気で真田を潰す気は無

い、徳川が真田を攻めたら殿下が止めてくださると言い切る三成。」

そうは言っても疑心暗鬼状態の信繁ですね

 

家康に対して強硬路線で臨んでいた秀吉ですが、天正大地震が引き

金になり協調路線へと変更します

大阪は特に被害が大きく復興にかなりの時間とお金が掛かるためで

しょうね。

今も昔も自然の前で人間は為す術がありません。

家康にとっては直接対決を避ける事が出来たのでが、この時から秀

吉による家康への上洛要請が始まります

秀吉と家康は一応和睦したものの家康は中々上洛しようとしません

秀吉の妹・旭を家康の正室として差し出しますが、それでも家康は

動こうとしないのです。

家康は真田討伐を画策しますが、昌幸も指を銜えて見ていた訳では

ありません。

徳川領・佐久群へ侵攻を開始しますが、秀吉によって阻止されます

昌幸は上洛しないのではなく出来なかったのです

秀吉からすれば命令違反なのですから激怒するのも分かります。

結局秀吉は家康の真田征伐を支持し上杉景勝にも真田支援を禁止。

昌幸最大のピンチ

真田への援軍を禁止された上杉ですが、昌幸はその上杉を通して釈明。

秀吉はその釈明を受け入れ真田征伐を中止し真田問題を話し合うため

と称し家康に上洛を求めるのです

秀吉は初めから真田を潰す気は秀吉にはなかったのでしょうね。

真田は秀吉に翻弄された事になります。

流石秀吉、一筋縄ではいきません

一方の家康も、したたかさでは秀吉にひけを取りません。

屁理屈を並べ又もや上洛拒否

いたちごっこですね。

九州征伐を決定した秀吉ですが背後の安全を確保しなければならなく

ります。

ここで秀吉苦肉の策、何と生母・大政所を実質的な人質として家康の許

へ差し出す事に

何たる秀吉のしつこさでしょうか?流石の家康も降参です

 

ところで

感情を殆ど出さず笑う事も生涯で一度しかなかったと言われている遠藤

憲一演じる上杉景勝

ドラマでは信繁にだけは心を開いている様ですね

かの有名な前田慶次郎でさえ景勝の前ではふざけた態度をとらなかつた

とも言われています。

寡黙な景勝ですがどうやら衆道(ホモ)だったようですね

今の時代と違い衆道は武士の中ではマイノリティーではなく嗜みといった

ところでしょうか??

そういう意味で遠藤・景勝を見ると、何となくホモに見えなくもありませ

んよね



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真田丸、乱世の信繁、平時の信幸!!

2016-04-18 | 歴史

屁理屈をこね上洛しない昌幸

原因はまたしても沼田問題です。

真田にとっては沼田はいつも厄介な問題ですね。

信長のこともあり中々上洛に踏み切れないでいる昌幸ですが、

本能寺の変のせいでしょうか?かなりのトラウマ状態です

少ない情報で判断するのは流石の昌幸でも決断がつかないよ

うですが、それにしても大阪にいる信繁に丸投げし暫くは静

観するとは…

よほど信繁を信頼していたのでしょうかね?

信幸が不貞腐れるのも分かります

あまりにも信繁に頼り切っている昌幸に薫の一言、「息子は信

繁だけではありませんよ。」

昌幸曰く、「乱世が過ぎて世の中が落ち着いた時こそ信幸の出

番なのだ。荒れ果てた土地を再び耕し国を立て直す時こそ信幸

が役に立つのだ。あの生真面目さが役に立つのだ。」

乱世の信繁、平時の信幸といったところでしょうか??


いよいよ一日遅れで景勝と会う秀吉。

景勝が秀吉に謁見する前に信繁が秀吉と会っていた何て信繁から

言える筈がありません

しかし、謁見の場で秀吉が自ら暴露!!

秀吉は確信犯なのです

人たらしの面目躍如ですね。

 

有り得無い話ですが、検地を決定する大事な会議の場に何故か?

信繁も同席。

的外れの答えを連発する秀次に対し「升の大きさを統一すれば

良い。」と答える信繁ですが、前振りがあましたね

初対面の席で福島正則が飲んでいた升と秀吉が飲んでいた升です。

同じ一杯の酒でも量が違い過ぎます

三谷脚本ならではなのかも知れません。

因みに、秀次は言われているほど無能な人物ではありません。

明暗をつけるため仕方ない人物設定なのではないのでしょうか?

 

いよいよ窮地に陥る昌幸ですが、このままで済む筈がありませ

徳川と北条を巻き込みまたしても沼田問題がネックに。

今度ばかりは秀吉の仲裁案を断れなくなる昌幸ですが、暫くは

長い物に巻かれるしかなさそうですね



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真田丸、数正と且元!!

2016-04-11 | 歴史

梅の死を引きずって中々立ち直れないでいる信繁ですね

一方、徳川が再度攻めて来るというのに、「信伊が何

とかしてくれる!!」と静観を決め込む昌幸

ドラマでは信伊が石川数正を調略し秀吉に寝返らせた

という設定のようですが、かなり無理がありますね。

「大名ではない父上に何故?上洛を…」といぶかる信幸

ですが、昌幸は抜け目がありません。

上田合戦と並行して秀吉とコンタクトを取っていたの

です

秀吉の家臣となれば徳川も迂闊に手を出せません。

信幸ではありませんが、昌幸の頭の中を一度覗いて見た

いものですね

ところで

秀吉へ出奔した石川数正、家康にとって竹馬の友と言っ

ても過言ではなく酒井忠次と並ぶ重臣です

その数正が何故?家康を裏切ったのでしょうか??

秀吉側が数正が秀吉に内通したという噂を流します

勿論、家康は信じませんでしたが、家臣達は違いました。

広まった噂話に尾ひれがつき数正は次第に浮いた状態に

なります

豊臣との折衝を任せられていた数正ですが、豊臣と敵対

する事は得策ではないと考えていた筈。

数正は小牧・長久手の戦いの最中に豊臣との和睦を提言

したとも言われています。

小牧の戦いで局地的に勝利したとはいえ徳川が豊臣に勝

つ可能性は殆どありません

 

一方、武断派からすれば弱腰外交だと言われ数正は内憂

外患状態。

豊臣との対立を避ける為奔走して来た事が意味を為さな

くなります。

数正の心の中に虚しさが込み上げてきたでしょうね

出奔の理由は、内通を疑われ徳川家中での立場が低下し

ていたと言うのが本当のところではないでしょうか?


もう一人数正と同じような人物がいます。

豊臣家の忠臣・片桐且元。

豊臣から疑われ出奔するしかなかったという点でも数正

とソックリ。

徳川を去った数正、豊臣を去った且元。

同じ時代生きた徳川と豊臣の忠臣ですが、この二人、時

代の犠牲者といってもよいのかも知れません

 

もう一説。

家康から送り込まれたスパイ説ですが、秀吉に仕えた数正

は、決して厚遇されていた訳ではありません。

この説は信憑性がかなり低いと思います 

 

スパイ説より有り得そうなのが…

徳川が信濃を攻めれば秀吉が動き、秀吉が動けば上杉も動

かざるを得ません。

北条の寝返りの可能性もあります。

数正は信濃攻めを中止する術として自らを犠牲にして出奔

したというのです

結果的に信濃攻めが中止になったのですからまんざら有り

得ない話ではありません

 

余談ですが、数正は講和の後、於義丸(結城秀康)を秀吉の

許へ人質として送り届けますが数正の嫡男と次男も人質と

なっています。

数正の息子達も大阪に居たわけです。

何かキナ臭い匂いもしますね。

何れにしても不可解な出奔です



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真田丸、滅亡していたかも知れせんね?

2016-04-04 | 歴史

急拵えの六文銭の旗を掲げ昌幸の支持通り徳川軍を挑発する信繁

いよいよ第一次上田合戦の始まりです

史実ではおそらくこの合戦に信繁は加わっていない筈ですが、ド

ラマとして見ると面白さが倍増

真田一族が一丸となって大敵に立ち向かう様は痛快です


ドラマとはいえ、子供を産んだばかりの梅が少し出しゃばり過ぎ

の感じもします

呆気無く亡くなりますが、釈然としないのは僕だけでしょうか?

 

昌幸の策略に嵌り大敗した徳川軍は小諸城へ撤退しますが、手

こまねいていた訳ではありません。

井伊直政をはじめとする5000の兵が新たに加わり10000を超える

軍勢で反撃体制を整えていたのです

その矢先に大事件が

徳川家を背負ってきたと言っても過言ではない石川数正が…

事もあろうに徳川家を出奔、秀吉の家臣となってしまうのです

家康を幼少の頃から支えてきた数正の裏切り、昌幸の裏切りと比べ

ても裏切りの格が違いすぎます

このままでは内部崩壊に陥るかも知れません

家康にすれば上田城攻めどころではなくなった訳です。

撤退も仕方ありませんね

もし、石川数正の出奔がなければ上田城の戦いはどうなっていたで

しょうか?

奇策も一度目ならまだしも二度目は利きません。

ましてや相手が徳川家康。

信濃の小大名相手に二度も負けるとは思えません

真田家滅亡の可能性すらあった筈です

運を味方につけると言いますが、ここまでの昌幸の運は相当なもので

すね

ところで

梅が信繁の為に紐で編んだ六文銭ですが六連銭とも言われていますよね

六文銭の由来としては三途の川の渡し賃というのが一般的ですが、死を

覚悟して戦うという事でしょうか?

真田の先祖・海野氏も六連銭を掲げていたと言われています。

六連銭の旗印は鎌倉時代から続いていたという事になりますね。

一文は今の価値でいえば50円位だと言われていますから、六文で300

くらいでしょうか??

これって、三途の川の渡し賃としては少し安過ぎますよね



 

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真田丸、おちょくられてる感じがしますね!!

2016-03-28 | 友人

この時期、秀吉と家康は小牧長久手の戦いの真っ最中

徳川優勢とはいえ背後に控える北条と豊臣が同盟を結

べば徳川はひとたまりもありません

何としてでも北条の機嫌をとらなくては

その為にも目の上のたん瘤・真田を潰す必要性が徳川

にはあったのです。

徳川からすれば上杉と真田の再同盟など天地がひっく

り返っても無いと…

有り得ない同盟を昌幸はやってのけます

それにしても上杉の条件の何と寛大な事。

裏切者の真田に対して、上杉は真田を庇護する、沼田

や小県を真田領として認めるというもの

おそらく昌幸の想像を超えた条件だった筈

それだけ対徳川・北条の最前線として真田の重要性が

高いという事なのでしょうね


いよいよ一回目の上田城の戦いが始まろうとしていま

真田軍40、徳川軍1300、戦死者の数からして真田の

大勝です

史実ではこの戦いに信繁は加わっていなかったようで

昌幸にしても万が一真田が負けた場合の事も考えてい

た筈

もしもの時に真田家を継ぐ者がいなければお家断絶と

なるからです。

上杉にしても真田家の後詰として出陣している限り人

質は必要。

信繁はおそらく春日山城にいたのではないでしょうか

上田城の戦いには家康も参陣していません

家康は真田攻めを安易に考えていた節があります

徳川7000に対し真田はせいぜい2000、数の上では全

く勝負になりません

大敗した後、徳川軍は小諸城へ撤退しますが、この隙

を狙って昌幸は上田城を改築、それも上杉の力を借り

ての改築です。

徳川に作ってもらった城を上杉に改修してもらった訳

です

徳川も上杉も昌幸におちょくられている感じがします

ね。

実は、この戦いと前後して秀吉が関白に就任していま

この時期昌幸は秀吉への帰属を申し出ていたと言われ

ています。

それを取り次いだのが大谷吉継だとも…

信繁の正室の父ですね。

機を見るに敏な昌幸ならありそうな話しです。

生きていく為とはいえ全く抜け目のない人間です

ところで

信繁には正室の他に三人の側室がいたと言われています

最初の室はドラマで祝言を挙げた堀田作兵衛の妹とも娘

とも言われている梅?ですね。

高梨内記の娘・きり?や豊臣秀次の娘、九度山に蟄居し

た時は百姓の娘にも子供を産ませていますが、11人の子

供の内8人は九度山で生まれているのです

蟄居中はせっせと子作りに励んでいたという訳です

英雄色を好むという事でしょうか??

少し意味が違うかも知れませんね





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真田丸、間が抜けた話でね!!

2016-03-21 | 歴史

家康に唆され昌幸を殺そうとする室賀正武、この時期正武は

小県の殆どを制圧した昌幸に従っていたようです

不本意ながら昌幸に従っていた正武ですが、家康の調略に乗

る下地はあった訳です。

ところが…正武の家臣・室賀孫右衛門が既に昌幸に内通

家康と正武の陰謀は全くの筒抜け状態、間が抜けた話ですね

ドラマの内容とは違い正武は信繁の祝言に呼ばれたのではな

く、囲碁の観戦を名目に上田城に招かれたのです。

絶好の機会だとふんだ正武は家臣・室賀孫右衛門に命じ家康

に報告。

上田城に徳川の兵を入れ昌幸惨殺を図ろうとします

戦略としては完璧だったかもしれませんが、まさか、陰謀が

昌幸に筒抜けだったとは…流石の家康も思わなかったでしょ

うね

昌幸の情報戦略の前では流石の家康も形無しです

 

上田城ですが…

家康は、あくまで信濃北部へ侵攻する足掛かりとして上田城

普請を開始。

上田城は中途半端な城ではなくかなり大掛かり城です。

対上杉の最前線の城として築城にあたり徳川はかなりの財力

と兵力を注いだのも頷けます。

徳川にすれば完成した城は一時的に真田に預けていた感覚だ

ったでしょうね

まさか!!真田に乗っ取られるとは!!家康も思わなかった筈です

そればかりか、上田城に籠り徳川に反旗を翻すとは

それにしても、上田城を真田の本城としてまんまとくすね取っ

た昌幸はかなりの悪党ですよね

 

ところで

信幸が梅との馴れ初めを問い質すシーンには噴き出してしまい

ました

「口吸いは」…一瞬、お吸い物かと思ってしまったぼくなのです

「子供を宿しています」と語る信繁に…

「口吸いどころではないではないか!!」と驚く信幸

何とも微笑ましい兄弟です

それに引き換え現実的な昌幸の発言。

「これで人質の駒が一つ増えた〜」と心底喜ぶ昌幸

何とも憎めない親子ですね



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幸せになりなさい!!

2016-03-15 | Weblog

この画像は、とある中学校で先生が卒業生に送った言葉です。

画像は→→こちら

・1時間後「最幸の卒業式にしよう」
・2日後 「高校入試がんばれ!!」
・3週間後「ここまでは中学生です」
・4年後 「東京オリンピック!誰が出るかな?」
・5年後 「成人式でまた会いましょう!」
・宿題  「幸せになりなさい」

1時間後には…最高ではなく最幸と書いていますね。

何となく伝わるものがあります。

宿題には…幸せになりなさいと…

もしかすると?宿題が一番難しい事かも知れません。

文章を見ているだけなのに涙が滲んで来ます。

さりげない言葉で綴られていますが、生徒に対する

先生の愛情が十分過ぎるほど感じとれます。

殺伐とした事件が毎日のように報道されていますが、

生徒達にとっては何よりの贈る言葉になった筈です。

何か久し振りにホッコリとした気持ちにさせられた言葉です。





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真田丸、戦争コーディネーター!!

2016-03-15 | 歴史

真田にとっては驚きの北条と徳川の和睦

北条を見限って徳川に臣従した矢先、ま

さか、まさかの電撃同盟

昌幸もさぞかし驚いたでしょうね

和睦は織田信雄の仲介らしいのですが、

その同盟のおかげで上杉・北条・徳川に

よる領土の奪い合いは一時休止となりま

しかし、その内容が…

甲斐・信濃が徳川、上野が北条といった

もの。

北条・徳川が勝手に真田領を分断する事

になるですから真田としてはとても受け

入れられる内容ではありません

普通の武将なら狼狽し縮こまってしまう

ところですが、昌幸は違います

のらりくらりと時を稼ぎ、離反先の徳川

の力で上田城を築城するのですから並み

の武将ではありませんね

 

徳川を防ぐ為の城を徳川に作らせる。

昌幸ならではというか?昌幸にしか出来

ない発想です

因みに、上田の地名も昌幸が名付けたと

言われています

表面上は昌幸の意に反し沼田城を死守す

る矢沢頼綱ですが、出来レースだったの

は間違いありません。

頼綱が上杉に対して和睦を申し込んだら

しいのですが、頼綱の単独行動な筈があ

りません。

昌幸のシナリオ通り頼綱が動いたという

ところでしょうね

 

天地人、天の時・地の利・人の和、全て

を昌幸は巧みに操る希代の戦争コーディ

ネーターといっても良いかもしれません



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真田丸、大名と国衆!!

2016-03-07 | 歴史

ドラマでは…

調略の名のもとに春日信達を騙し討ちした事を根に

持っている信繁

父・昌幸に対する反抗期といったところでしょうか

兄・信幸や出浦昌相にも諭されますが、後に信繁の

側室となる梅に諭されようやく納得

結局女性の力には及ばないようですね。

「お前の命を守る為ならわしも知恵を絞る」と宣言

する信繁ですが、これってプロポーズでしょうか

おそらく?そうなのでしょうね。


出浦昌相の説得にも躊躇していた昌幸ですが、よう

やく大名になる決心を固めます

北条と徳川が睨み合っている隙に近隣の国衆を配下

にすえ大名として名乗りをあげる筈が…

何と!!北条と徳川の電撃同盟

流石の昌幸も言葉を無くしたみたいです

昌幸にとっておそらく前編で最大のピンチが訪れます

どうやって切り抜けるのか??見ものですね

 

ところで…

真田丸では地域に根付いた武士を国衆と言ってますね。

国人という呼び名が個人的にはしっくりきます。

織田や徳川、毛利・長曾我部も元を糺せば国衆です。

近隣の大名の顔色を伺い人質を出し綱渡り状態で何とか

家を守っていたようですね

国衆と大名ではどう違うのでしょうか??

何となく国衆より大きいのが大名という感じですよね

 

決定的な違いは、政治的・軍事的に独立しているかどう

かです。

軍事・警察・外交・経済権を握り自国の領民の生活や治

安を維持出来て初めて大名と言えるのかも知れません。

又、国衆を統率しているのが大名といっても良いのかも

知れません。

国衆にとっても選択を間違えると滅亡に繋がる訳ですか

ら好き嫌いだけで選択出来ません。

尤も、昌幸のような国衆ばかりだと大名も大変。

見方だと思っていた国衆が突然の離反

元々敵だと分かっていればまだしも、損害が計り知れま

せん。

致命傷になる可能性すらあるのです

信玄も謙信も国衆を統率するまでかなりの年月を要して

います

戦国大名の争いは結局の処、如何にして多くの国衆を自

軍に取り込むかの争いだったようですね



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真田丸、悍ましさを感じます!!

2016-02-29 | 歴史

昌幸・信尹の策謀のお蔭で北条は信濃から撤退、上杉は越後へ引き

上げ、徳川も南下した北条のお蔭で身動きが出来なくなります。

結局信濃から有力大名達がいなくなってしまいましたね

昌幸・信尹の作戦勝ちといったところでしょうか

巧妙に仕組まれた罠の犠牲者になったのが海津城の城代・春日信達。

家の存続の為とはいえ調略の名のもとに信達を騙し討ち、裏切り者とし

て殺し上杉からは見せしめとして晒されるのですから信達が何とも哀れ

です。

昌幸の意を汲み取り真田の家名を残す為だけに働く信尹。

その冷徹さは若い信繁には理解が出来ないようでしたね

「わしのようになるな!!」と信繁を諭す信尹。

少しは人間らしい気持も残っていたようです

ドラマとしては信繁最初の調略として描かれていましたが、逆算すると

15,6歳の信繁には過酷過ぎたかも知れません

あくまでもドラマの中での話ですが…

ところで、悲劇の武将として描かれていた春日信達ですが…

信玄からラブレターを貰ったとされ男色としても寵愛された武田四天王

の一人高坂弾正雅信の息子です

雅信は川中島の戦いで有名な海津城を治めていたのですが、雅信の

跡を継いだのが信達だったようです。

そのまま武田家が続けば有力武将としての地位も安泰だった筈です。

信達は武田家滅亡の後は昌幸と同じく織田に降伏しますが、その信長

も三ヶ月後に亡くなり上杉の家臣となります

ここまでは昌幸と同じ道を歩んだ事になりますね

上杉に仕えてからも海津城に居たようですが、あくまでも城代としてです。

そこに調略の隙が生まれたのでしょうか??

信達が昌幸を通じて北条に内通したとして殺されたのは事実のようです

が、昌幸と信尹の調略で上杉を裏切ったわけではありません。

勿論、この件に信繁が関わっていた筈もありません。

北条家から海津城の城主としてお墨付きを貰ったので上杉を離反しよう

としたというのが真相では…

 

ドラマでは元同僚の息子まで罠に掛け殺してしまう昌幸ですが、真田家存

続の為とはいえ惨すぎます

冷徹、残忍、人間の悍ましさを感じます。

信達は歴史上有名な武将ではありませんが、海津城は徳川の世になって

松代城として信之が治める事になります

真田家と因縁めいた城の主として信達を描きたかったのかも知れませんが、

それにしても、今週の脚本は個人的には好きになれない僕なのです

 

 

 

 

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