函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、次の天下人を求めていたのです!!

2016-08-22 | 歴史

秀吉亡き後、自身で最高権力者になれない武将達は次の天下人を

求めていたのです

長い物には巻かれろ!!ではないですが、この時点でも家康こそが次

の天下人だと殆どの武将は思っていた筈です

俄か作りの五大老・五奉行の合議制など上手く機能する筈がない事

は亡くなった秀吉自身が一番理解していたのかも知れません

秀吉は五大老・五奉行制度に一縷の望みを託しただけなのではない

のでしょうか??


頼みにしていた上杉・毛利も動かず孤立する三成、細川忠興を自ら

が説得に向かいますが、土産に持って行った干し柿を見て「人の心

分からぬのか?馬鹿にするのも大概にせい!!」とかえって怒らせ

始末

宇喜多秀家、小早川秀秋を除く殆どの武将は家康に走った今、もう

打つ手がありません

吉継が言っていた様に今は刀を納め時期を待つのが得策ですが、熱

くなった三成にはすぐには無理なようですね


話は逸れますが…

三成が関ケ原で負け、処刑される前に食べたのも干し柿でした

三成は干し柿が大好きなのでしょうかね


ところで…

三成の重臣、猛将島左近が登場しました

秀吉が言ったとされる「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近

に沢山の城。」

4万石だった知行の半分・2万石で召し抱えたとされているのが島左近

です

実際には半分の知行を与える筈がありませんので、かなり誇張した話で

すね。

もし?本当だとすればどちらが主君なのか分からなくなります

それほど優れた武将だと言いたいのでしょうが…

関ケ原での左近ですが…

通説では小早川秀秋が裏切ると最前線で奮戦

西軍総崩れが明確になると黒田長政の軍勢に突撃、銃撃により

死亡したと伝えられています

しかし、左近の遺体は見つかっておらず戦場から逃走、逃げ延

びたとも言われているのです

眉唾物ですが、京都・立本寺に左近の墓があります。

没年1632626日…

本当だとすれば関ケ原から32年後に亡くなった事になりますよ

当時としては天寿を全うした事になります。

左近は関ケ原の後、ひっそりと身を隠し生きていたのでしょう

生きていれたとすれば何故?大坂の陣に参陣しなかったのでし

ょうか??

左近ほどの武将なら居ても楯も居られなかった筈です

夏・冬の大坂の陣で名前が出て来ないという事は、左近が関ケ原

で戦場の露となったのは間違いなさそうですね

何れにしても島左近、謎の多い武将です





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真田丸、多数派工作!!

2016-08-15 | 歴史

政界に付き物の多数派工作がいよいよ始まりましたね

家康VS三成、誰の目から見ても家康有利は間違いあり

ません。

付け焼き刃の五大老・五奉行の合議制度が上手く機能し

ないのも仕方ありませんね。

血を流さずに独裁から合議制へと移行するのは至難の業

なのです

 

秀吉の死は新しい戦乱の幕開けとも言えます

長く続いた戦乱の気質は直には変われません。

家康は勿論ですが、他の武将達も虎視眈々と次の天下人

座を狙っていたのです

豊臣家の忠臣・三成も例外ではありません。

秀頼の名の許、実権を握ろうとする筈です

もしかすると?次々と政敵を陥れ鎌倉幕府の執権の様な

形で権力を握ろうとするか知れません。

権力とはそれほど魅力的なものなのでしょうか??

二番ではなく一番じゃないと満足出来ないものなのでし

ょうか??

凡人には理解し難いものがあります

 

禁止されている大名同士の婚儀の件で信繁が家康を問い

ただしますが、豊臣政権の筆頭・大老に向かって問いた

だすとは有り得ない話です

主人公なので仕方ないとは思いますが、個人的にはかな

り違和感を覚えます

「太閤殿下の死去が公表されていない以上、遺言は無効

!!」と言い返す家康ですが、五大老・五奉行の合議の

席では流石に言えなかったでしょうね。

信繁にだから言えたともいえますが…

 

三成一人では家康に太刀打ち出来ないと考えた大谷吉継が、

上杉景勝宛に密書をしたため信繁に託します 

しかし、肝心の景勝が全く頼りなく、合議の場で怒られた

子供の様にボソボソと話す始末。

実際の景勝はこれほどいじけた人物ではないとは思います

が、家康との人物対比としては面白い設定ですね。 

「声が小さい、耳に入ってこぬは!!」と一喝されディベート

上手な家康のペースを崩す事が全く出来ません

家康にやり込められ助け舟もいない三成、塩漬けとなった秀

吉の遺体の前で孤独感に苛まれている様です

結局、自分が動かなければと悟った三成。

次週では腹を括った三成がいよいよ実力行使に出る様ですが、

確か?史実には無かった筈…

どのように描くのか楽しみですね





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真田丸、家康暗殺!?

2016-08-08 | 歴史

遺言の書き換えに翻弄する家康と三成

遺言がどうであれ政治体制が盤石でない状態では

実力勝負です。

戦乱へ逆戻り、立身出世を望んでいる武将達にとって秀吉

の死は好都合

昌幸もその一人ですね。

秀吉亡き後、天下人となるのは家康だと殆どの武将が思って

いた筈なので、ついでに家康も居なくなれば混乱に拍車がか

かります

昌幸も大々名となれるかも知れません

 

死が近づいている秀吉から三成へ最後の命令が…

「家康を殺せ!!

忠実な三成は秀吉からの暗殺命令を昌幸に頼みます

血が騒ぐ昌幸と出浦昌相、「この話は聞かなかった事にいたそ

う。」と一応答えますが、やる気満々です

家康暗殺は結局失敗し、昌相は瀕死の状態で真田屋敷へ…

最後を迎える昌相ですが、まさか?ここで亡くなるとは

出浦は昌幸が九度山で亡くなり、信繁が大坂の陣で死んだ後、

信之に仕え生涯を終えたとばかり思っていました。

あくまでもドラマなので仕方ありません

昌相は忍者の棟梁だったとも言われているので、もしかして??

復活何て事もあるかも知れませんよね

ところで

あれほど無益な殺生を重ねた秀吉、せめて堂々と死を迎えて欲

しいと思うのは僕だけでしょうか

殺生関白とは秀次ではなく秀吉の事です。

伝え聞く信長の死に様とはあまりにも対照的。

朝鮮出兵などせず、官僚体制をしっかり整えておけば秀吉一代

で豊臣家が滅亡する事はなかった筈です。

天下を統一するのは難しい事ですが、維持するのはもっと難しい

のです

秀吉にとって天下統一が到達点だったのでしょうか??

そう考えると豊臣家滅亡は必然性があったのかも知れません。

秦の始皇帝も有能だった長男を遠ざけ宦官に牛耳られ滅亡します

が、秀吉も利休を殺し個人的には有能だと思っている秀次まで

も殺し、自ら豊臣家滅亡の原因を積み重ねていきます

いくら秀頼の事を頼んでも哀願だけでは人は動きません

因果応報とはこの事ですね



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真田丸、既に死んでいるのです!!

2016-08-02 | Weblog

必死に秀吉の異変を隠そうとする三成と信繁

それ自体かなり無理があります。

人の口に戸は立てられないのです

「殿下はいささか長く生き過ぎたのかも知れん。」と呟いた大谷吉継

の言葉が全てを物語っている様ですね。

晩年の秀吉は英雄だった欠片も感じません

権力に任せやりたい放題、罪の無い者まで手当たり次第に処刑すると

は…もはや老害以外の何物でもありません

一代の英雄・豊臣秀吉は既に死んでいるのです

醜い老人と化した肉体だけが残っていただけなのかも?

我が子??秀頼に対する愛情??だけが生きる術とは…

怒りを通り越して哀れみすら覚えます

家康の晩年と比べると月とスッポンですね。

 

兄・信幸から問われても真実を話せないでいる信繁

「太閤殿下が亡くなれば世の中は必ず揺れる。その時、真田は誰に付い

て行くのか見極めるべきなのだ!!」と信繁に詰め寄る信幸

真田家次男の立場より秀吉側近としての立場を優先しているとしか信幸

には見えなかったのでしょうね

豊臣家の家臣としての自分、真田家の人間として自分、二つの顔を持つ

信繁、板挟み状態ですが、信幸にはお見通しの様です

遂に信幸に秀吉の病状を打明けますが、その情報を持って信幸は直に徳

川へ直行

信幸には迷いはないのです

 

平時には居場所がない昌幸ですが、伏見城の普請に情熱を傾けていた矢先、

又もや大地震が…

すっかり気力を無くし吉野太夫にのめり込んでいきますが、その吉野太夫

も徳川の息の掛かった忍びだったとは踏んだり蹴ったりです

その昌幸も秀吉の病状を背中で聞き何やら息を吹き返したみたいですね

世が乱れれば昌幸は元気になるのです


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真田丸、山手殿の出自!!

2016-07-26 | 歴史

母・薫が菊亭晴季の娘だとばかり思っていた信幸・信繁兄弟。

遂に昌幸の口から真相が語られましたね

「薫は菊亭晴季の娘ではない、侍女だ。決して人に話してはな

らんぞ!!分かったらわしが殺される!!」と…

昌幸の正室・山手殿(ドラマでは薫)ですが、出自がはっきりと

していません

信玄の家臣・遠山右馬助の娘だとか?小笠原氏の家臣・宇多頼

忠の娘だとか言われていますが、真偽のほどは定かではありま

せん

真田家の資料では「京之御前様」と記されていますので、京都

出身の可能性が高いと個人的には思っています。


武田信玄の正室・三条の方は名前の通り三条家の娘です。

山手殿は武田家輿入れの際の侍女だった可能性が高そうです

三条家ともなれば侍女とはいえそれなりの家柄の娘が選ばれた筈

です。

昌幸が武藤喜兵衛を名乗っていた頃、信玄の命により三条の方の

侍女と結婚したとしても不思議ありません

武藤家は甲斐の名門です。

昌幸は名門武藤家を継いだのですから氏素性のはっきりしない女性

を妻に迎える筈がありません。

「京之御前様」言われるくらいですから、山手殿は京都出身でそれ

なりの家の出だったのでしょうね

 

ところで、信幸・信繁兄弟にも何となく亀裂が入ってきましたね

「お前は豊臣に肩入れし過ぎだ!!」と信繁をたしなめる信幸ですが、

兄弟といえども立ち位置にかなりの開きが出てきたようです

将来への布石でしょうか??

真田家存続を考えると信幸の考えの方に一理あると思いますが、豊臣

政権の中枢に入り込んだ信繁にとっては受け入れられないのも分かる

気がしますよね



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真田丸、秀次逃走!!

2016-07-19 | 歴史

ドラマでは…

拾の誕生で被害妄想からどんどん自分を追い詰めていく秀次

遂には関白職を投げ出し聚楽第から出奔

逃げ出した先が何と!!真田邸とは驚きですね

信繁の知恵で乗り切ろうとしたのでしょうか??

秀吉の怒りを恐れるあまり次第に情緒不安定になっていく秀次、

身の置き場がありません

信幸を伴い高野山へと又々逃走

まるで一人相撲をしているみたいですね。

実力を伴わない者に官位だけを上げて自滅させる位打ち。

意味は少し違いますが、秀次も位打ち状態だったのかも知れませ

実際には秀吉の命で切腹した秀次ですが、ドラマでは職責の重さ

や秀吉の恐ろしさに押し潰されノイローゼ状態で自刃した事に…

あくまでも秀吉に殺された様には描かれていませんでしたね

だとすれば少し無理があります。

秀次乱心のため自刃だとすれば妻や子供をことごとく殺す必要は

ありません

その中にはまだ嫁いでいない側室・最上義光の娘も含まれていま

す。

「わしを怒らせたらどんなに怖いか孫七郎に見せてやる」と言う

秀吉に対して「あの子はもう死にました。」とやり場のない表情

を見せるお寧

可愛さ余って憎さ百倍で済ますには辻褄が合いません

我が子可愛さのあまり…謀反の疑いがあった…素行が悪かったなど

など、秀次殺害には諸説ありますが、年老いた秀吉の命で三成を含

めた側近達の策謀だと個人的には思っています。

不思議なことに…この事件の後、三成は秀次の有力な家臣をかなり

召し抱えています。

もし、秀吉に見つかれば罰せられるかも知れません

危険を冒してまでも召し抱えた三成。

もしかして??

三成は秀次を殺す事に反対だった可能性もあります

勿論、秀吉の命令には逆らえませんが、光秀の本心は違ったところ

にあったのかも知れませんね


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真田丸、信幸の嫉妬!!

2016-07-11 | 競馬

妊婦の腹を裂いて子供を取り出したとか?辻斬りをしていたとか?

殺生関白と言われている秀次ですが、秀次を殺した事への大義名分

を作る為には秀次は悪でなくてはならないのです。

実像の秀次はかなり違った人物像だったのでないでしょうか

 

ドラマの中では秀次の娘・たかが秀次の性格を言い表していましたね

「父は弱い人なのです。自分が人にどう思われているか?気にし過

ている。悪い人ではないが波があるとも…」

意外と実像の秀次もそうだったのかも知れませんね。

 

秀次謀反、その可能性はかなり低く、秀吉又は秀吉を唆した石田三成や

増田長盛・前田玄以など側近の官僚達による謀略の可能性が高いと僕は

思っています


大和豊臣家(秀長)を継いだ秀次の弟・秀保が亡くなりましたが、跡取り

もいなかったため大和豊臣家は断絶となっています

本来なら秀次の子供に継がせ存続するのが豊臣家にとっても良い筈です

が、数少ない豊臣の身内を自ら排除していく晩年の秀吉を見ると絶対権

力者が老いていく怖さを感じます

豊臣家を潰したのは間違いなく秀吉です

一代の英雄・豊臣秀吉にも限界があったという事なのでしょうね

ところで

真田兄弟が目出度く官位を貰う事になりましたね
信幸→従五位下伊豆守、信繁→従五位下左衛門佐、どちらかと言うと信

の方が少し上でしょうか

しかし信繁の口利きで叙任した事を知った信幸は怒りをあらわにします

ましてや父・昌幸も知っていたとは「又、自分だけが蚊帳の外か~。」

と怒るのも無理はありません


「弟の情けで官位をもらっても嬉しくも何ともない。出来る事なら官位

を返上したい」と怒りをぶつけるのも分かりますよね

実直な信幸には立ち回り上手い信繁に嫉妬があったのかも知れません

その嫉妬心があった信幸だからこそ幕末まで続く松代真田藩の礎を作れ

たのかも知れません

徳川の時代に天敵・真田の家を残すのにはかなりの深謀遠慮が必要だっ

た筈です

信幸でなければ成し遂げられなかったでしょうね



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真田丸、きり危機一髪

2016-07-05 | Weblog

今週はあまりにコミカル過ぎて個人的には大河ドラマを

見ている感じがしませんでした

これが三谷ワールドなのでしようか


鶴松が亡くなり落ち込んでいた筈の秀吉ですが、謀反を

起こさない為と訳の分からない理屈を付けて唐入りに突入。

殆どの武将は無益な唐入りに反対だったと思いますが、秀

吉の暴走を止める事はもはや誰にも出来ません

日増しに悪化する戦況の中、名護屋城では秀吉発案の仮装

大会が始まりましたね。


最初はぎこちなかった昌幸ですが、日に日に瓜売りらしく

なっていきます

仮装大会にあまり乗り気ではなかった昌幸ですが、上達も

早く完璧な瓜売り状態、優勝間違いなし

と思ったところに何と秀吉も瓜売りに仮装するとの情報が…

秀吉の顔を潰す訳にはいかず止む無く病欠。

すっかり落ち込んでいる昌幸、後ろ姿に哀愁を感じます

せっかく練習を積んできた瓜売りをようやく披露する機会が…

何と!!母・とりの臨終の席

悦に入って瓜売りを披露する昌幸ですが、その母にまでウル

サイと言われては形無しですね

 

一方、きりにご執心の秀次、側室になって欲しいと哀願して

いましたが、ならなくて良かったですね

後に切腹した秀次ですが、秀次に関わった者は女・子供に関

わらず殆どが処刑されています

きり、危機一髪といったところでしょうかね





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真田丸、魔性の女??

2016-06-27 | Weblog

鶴松の死の影で何となく利休の死が薄れた感がありましたね

 

ドラマでは利休の見張りを命じられる信繁ですが、利休の邸

宅の周りには上杉をはじめとする3000の兵が取り囲んでいた

と言われています

何故か?利休の見張り役を命じられた信繁ですが…主役なので

仕方ありませんよね

その信繁の問いに「人の命を金で操る業の深い商人である自分

は、それがゆえに茶をたてるのだ。茶の道を究める事が出来た

のは、その自分の業が深いからだ…」と答える利休ですが、何

となく理解出来なくもありません

大徳寺の木造の件では「あれで足元を掬われた!!一言でいえば

定めだ!!」と言っていましたが、答えになっていません

利休の木造が欲しいという茶々の我が儘で木造を作った利休で

すが、寸法を間違え等身大利休が完成

置く場所に困った茶々の一言「大徳寺に預かってもらえば~。」

この一言で利休の運命か決定。

とすれば…やはり茶々は魔性の女ですね。

利休からすれば茶々の要望を聞いたあまり三成や吉継に隙を見

せてしまったという事なでしょうか??

 

鶴松危篤の知らせにニンマリしている武将が二人

50を過ぎた秀吉には跡取りが出来る可能性が殆ど無く、豊臣も

秀吉一代で終わり、乱世へ逆戻りとほくそ笑む家康と昌幸

家康はともかく、息子・信繁と同じような立ち位置では生きら

ない自分に昌幸は気が付いていたのでしょうね。
昌幸は乱世でしか才能を発揮出来ないのです

 

ところで…

一度権力を手にした者はそれを失う事を必要以上に恐れると言

います。

もし、権力を失うとすれば身近にいる実力者が…

 密室の茶室は情報交換の場としては最適、情報が洩れる事も殆

どありません

利休の弟子である武将はあまたいますが、その武将達と権力を蓄

えた利休が共謀すれば…

秀吉が疑心暗鬼にかられても不思議有りません

陰の実力者として動いている分には良かったのですが、財力も兼

ね備え発言力も増してくると絶対権力者から見て脅威でしかない

のです

利休失脚は必然性があったと僕は思っています。

秀吉から蟄居→切腹を言い渡された利休は一切の弁明もせず受け

入れたと言われています

茶の湯を通したネットワークと情報力を持っていたがため秀吉に

重宝された利休ですが、それ故排除されたとも言えます。

秀吉からすれば諸刃の刃だった訳です。

もしかして?利休は何れこうなると思っていたかも知れません

生き様も含め、分かっていても後戻り出来ないのが人生なのでし

ょうかね


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真田丸、北条幕府?何てことも??

2016-06-20 | 歴史

この時点で惣無事令違反に当たるは、北条と伊達ですが、

名胡桃城を乗っ取った北条と蘆名を滅ぼし領地を併合した

伊達と比べれば誰が見ても伊達の方が重罪ですよね

本来なら伊達を取り潰し北条が生き残るところですが、秀

吉の裁定は違いました

実の母に毒殺さかかった正宗ですが、その為予定より遅れ

て小田原に到着します

得意のパフォーマンスで秀吉の心の中に素早く入り込み攻

め滅ぼした蘆名領のみの没収で一件落着

流石に秀吉の御前でズンダ餅の作り方までは披露しなかった

と思いますが…


一方の北条ですが…氏直は早くから秀吉に下る道を模索して

いた様ですが、氏政が中々首を縦に振りません

家臣達も相変わらずの小田原評定、当主・氏直と実質的な権

力者・氏政のツートップも決断を下せず時間だけが過ぎてい

きます

氏政・氏直父子の決断力、政治力の無さには目を覆うものが

ありますね


武田が滅んだ後、北条の領土は最大になります。

氏政は凡庸な国主だと言われていますが、政治家としてはと

かく、武将としては優れた資質を持っていたと僕は思って

います

この時点での石高から見れば豊臣の次が北条です

秀吉としては240万石の大々名をそのまま残しておく訳には

いかなかったのです。

北条を取り囲むように伊達・上杉・徳川も犇めいています。

その他、佐竹・里見・最上などなど…

もし、これらの大名達が反豊臣を掲げ結束すれば流石の秀吉

でも太刀打ち出来ないかも知れません

その時に盟主となるのは240万石を領している北条です

北条幕府!!源頼朝の再来、何て事も絵空事ではなかったのか

も知れません。

秀吉は北条を潰し、その後に徳川を入れ、伊達・徳川の楔と

して旧蘆名領に蒲生氏郷を配置、睨みを利かせます

災いの種を無くそうとしたのでしょね

 

 

三成が攻めた忍城ですが、秀吉の命で水攻めを敢行。

決して三成自ら水攻めを主張した訳ではなさそうです

攻め難い湿地帯にある忍城ですが、周りは平地。

水攻めともなれば大規模な土木工事が必要になります。

現地視察を終えた三成は水攻めは難しいと考えていた様ですが、

現地を見ていないとはいえ秀吉からの命令には逆らえません

小田原征伐で唯一落ちなかった忍城ですが、そのため戦下手の

レッテルを張られる羽目になった三成

忍城攻めは水攻めに固執した秀吉の失敗といっても良いのかも

知れません。



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真田丸、窶れて行く二人!!

2016-06-14 | 歴史

暫く行方知れずとなっていた信繁の姉・まつの夫・小山田茂誠

どの場面で再登場するのかと思っていましたが、籠城中の小田

原城だとはは驚きでしたね

史実では茂誠が北条に仕えていたのは間違いなさそうです


それにしても…信繁が氏直を説得するため単身小田原城へ行くな

んてドラマとして見る分には面白いですが…

吉継や三成、家康までもが信繁に氏直説得を託します。

北条の命運が信繁の肩に掛かっているのです

全く有り得ない話ですが、ドラマならではですね

 

小田原攻めで日に日に窶れていく武将が二人。

三成と氏直

二人共、思い通りにならない戦局が原因のようです

有利不利に関係なく悩みは尽きないようですね

 

ところで

後北条の祖・早雲(伊勢新九郎盛時)は桓武平氏の末裔だと言われ

ています

足利幕府の官僚として仕えていた様ですね。

鎌倉執権の北条家の後裔ではありませんが、先祖を同じくすると

いう意味では同族と言っても良いのかも知れません。

伊勢氏から北条氏を名乗ったのも頷けます

 

いよいよ北条征伐ですが、氏政は何故?秀吉に臣従しなかったの

でしょうか??

信玄や謙信ですら攻略出来なかった小田原城があったせいだけで

しょうか??

それとも秀吉の出自を蔑んでいたからでしょうか??

豊臣軍20万、北条軍8万、軍勢の数は少し誇張した数だと思います

が、この数だけ見ると全く歯が立たない相手ではなさそうです

難攻不落の小田原城と8万の軍勢が有れば氏政でなくても勘違いする

かも知れません

 

氏政はおそらく…希望的観測も含め徳川や伊達の援軍を期待していた

のでしょうか

全国の武将を敵に回し籠城しか選択肢がない戦いに勝ち目がない事く

らい氏政も分かっていたでしょうね。

巨大な小田原城には35年分の兵糧は有った筈です。

数年持ち応えれば…攻めている秀吉軍の武将達にも亀裂か入ります

しかし、この戦いには唐入りの為か九州勢は加わっていません。

戦況が膠着すれば九州勢も加わるかも知れないのです。

頼みにしていた徳川も秀吉軍に加わり、残る伊達までもが秀吉に降伏

して万事休す

援軍の期待出来ない籠城戦ほど惨めな戦いはないのです



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真田丸、惣無事令違反!!

2016-06-07 | 歴史

惣無事令…

秀吉の許可なくして戦が出来なくなるという事ですが、

武将同士の争いの殆どは土地問題です。

戦が出来なくなった代わりに秀吉が裁定を下さなくて

はならなくなります

一所懸命と言いますが、武士は命懸けで土地を守るも

のです

理不尽な裁定を下すと禍根が残り豊臣政権が揺らぐ事

にもなりかねません

鎌倉幕府二代将軍・源頼家も土地争いに対する裁定が

元で失脚したとも言われています

ある意味、戦で解決するより難しいかも知れませんね

 

いよいよ戦国裁判の始まりです。

被告・真田、原告・北条、裁判官・石田三成と秀次、

証人・本多正信、各々の思惑が絡んだ裁判です

裁判長・秀吉の判決が見物ですね。

判決…

沼田の2/3北条、残りの1/3を真田、徳川が真田へ代替

地を用意する。

北条氏政が上洛する。

掻い摘んで言うとこんなところでしょうか。

秀吉は北条氏直に大きく譲歩し沼田領の割譲と引き換え

に氏直の上洛を約束させます

長く続いた沼田領問題は秀吉によって解決されますが、

三か月後大問題が発生、いわゆる名胡桃城事件

この事件が引き金となって北条征伐が発動されます。

沼田城に入ったのは北条の中でも親秀吉と言われている

北条氏邦の家臣・猪俣邦憲です

その猪俣邦憲が名胡桃城の城代・鈴木主水を騙し城を乗

っ取ってしまいます

明らかな惣無事令違反。

そもそも沼田城の目と鼻の先に在る名胡桃城だけを何故?

真田領として秀吉は認めたのでしょうか??

秀吉の作為が感じられます

伊達・徳川⇔北条との間に楔を打つ為の時間稼ぎだったの

ではないのでしょうか??

戦国時代では名胡桃城事件のような争いは日常茶飯事です

が、天下人・秀吉が出した惣無事令に違反したのは確か。

何れこのような争いが起きると秀吉には確信があったと僕

は思っています

氏政が速やかに上洛し秀吉に謁見し形だけでも臣従してい

れば別ですが、大大名北条を潰す大義名分を秀吉に与えて

しまった北条氏政は凡庸な国主だったのでしょうね

 

ところで

個人的には裁判官・秀次が言った言葉がとても印象的でした

「譲り渡すにせよ、奪い取るにせよ、沼田城が暗に真田の城

だと認めている事にならないか?もし、沼田が北条のものだ

とすれば、取り返す、奪い返すと言うべきである。語るに落

ちるとはこの事。」

ドラマでは無能力な二代目として描かれていましたが、好人

物の片鱗を見せましたね

もし?秀次が殺されなかったなら…

豊臣家はあんなに早く滅亡しなかったと今でも確信している

僕なのです

 

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真田丸、江雪斎は有能なネゴシエーター!!

2016-05-31 | 歴史

残すは北条と伊達のみとなった秀吉による天下統一

関東の覇者北条は中々上洛に同意しません

秀吉を侮っているのか?秀吉の天下が長続きしない

と思っていたのか?

何れにしても天下の情勢を見誤った感があります

 

ドラマでは家康が氏政を説得しようとしていまし

が、現実的には有り得ない話です。

秀吉に頼まれたのなら分かりますが、家康自ら動く

となれば秀吉に不信感を与えてしまいます

「何の得にもならないが、たまには得にならない事

もしてみたくなる。」と家康が言っていましたが、

家康らしからぬ言葉ですね。

危ない橋を渡り得にならない事をするほど家康は愚

かな武将ではありません。

 

利休に「北条、潰なはれ。」と言われ北条征伐を決

めたかのような流れですが、秀吉は初めから北条征

伐を心に秘めていたと僕は思っています

秀吉は北条を潰す為の大義名分を求めていたのです

この後に起きる名胡桃城事件が正にそれ

北条は秀吉の術中に嵌ったともいえますね

ところで

北条の外交僧・板部岡江雪斎ですが…

鎌倉幕府14代執権北条高時の次男の末裔だと言われて

います

後北条とは名ばかり、北条氏と何の繋がりも無い後北

条氏に使える事になるとは皮肉なものですね

武田・上杉・徳川・豊臣との外交交渉に携わった江雪

斎ですが、後北条氏滅亡の後は秀吉に御伽衆として仕

えています

弁舌が巧みなだけではなく度胸も有り仁義を重んじ相

手の懐に入っていく交渉術は一級品だったとも伝えら

れています

有能なネゴシエーターといったところでしょうか?

そんな有能な人物だったからこそ秀吉の御伽衆として

召し出されたのでしょうね

その時の逸話があります

小田原城開城で生け捕りとなった江雪斎に戦争責任を

秀吉が詰問します。

江雪斎は「負けたのは誰のせいでもない。北条は滅ぶ

運命だった。全国の武将を相手に戦った事は北条の面

目躍如、これ以上の事は無い。遠慮なく首を刎ねよ。」

と言います。

主を全く批判しない物言い絆され「一命は助ける。今

後は豊臣に仕えよ。」と秀吉が言ったとか

豊臣が滅んだ後、江雪斎は徳川に仕え子孫は幕末まで

家名を守っています

因みに、江雪斎の姉の子供が家康の側室・万で、紀州

徳川家の祖・徳川頼宜と水戸徳川家の祖・徳川頼房を

産んでいます

御三家の内二家に江雪斎の血(北条得宗家)が潜んでい

るのです。

歴史って面白いですね




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チーズケーキ、白らら!!

2016-05-27 | グルメ

ちょっと見はザル豆腐

いや、どう見てもザル豆腐

ラップを外してもザル豆腐にしか見えませんが、かご盛り白らら(しらら)

というチーズケーキなのです

ぶどうの木・銀のぶどう社で作っているそうです

食べて驚き!!今までのチーズケーキの概念が変わります。

チーズの香りとほのかな酸味、口の中でスーット溶けてなくなります。

こんなチーズケーキは初めてです

チーズケーキであってチーズケーキではない、新しいスィーツですね


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真田丸、落首事件!!

2016-05-24 | 歴史

今の時代と違い一夫多妻が当たり前、正妻を離縁して有力者の娘を正妻

として迎い入れる事に昌幸はじめ信幸にも躊躇はなかった筈です

とはいえドラマとしては当たり前を当たり前として描く訳にはいかない様

です

ドラマでは仕方なく妻・こうを離縁する信幸ですが、真田の為とはいえ苦

渋の決断だったと思います

そんな信幸の前で「信幸がどうしてもと言うので認めたと言わんばかりの

昌幸。」

全く呆れた父親です

離縁されたこうは里へ帰ったとばかり思っていたら何と!!小松姫の侍女と

して再登場

いくら何でも有り得ません

流石というよりも驚きの三谷脚本ですね。

 

秀吉による虐殺事件、いわゆる落首事件

犯人とされる尾藤道休を含め60人以上が殺されたと言われています

現代ならネット上で匿名の書き込みに対し怒った作者が犯人を捜し報復した

といったところでしょうか??

京都ですので一揆を起こす事も出来ず目安箱も有りません。

溜まった市民のフラストレーションを吐き出す術がないのです

聚楽第の壁に落首を書いた市民感情が分からなくもありません。

 

当時、秀吉は刀狩令を発令していましたが、名目は方広寺大仏の建立です

一般市民からは嫌われた政策です。

一方で側室をたくさん持っていても中々跡取りに恵まれず、やっと懐妊した

子供が本当に秀吉の子なのか??

と市民に揶揄されてもおかしくはありません。

市民ばかり臣下の武将の殆どがそう思っていた筈です???

老境にさしかかった絶対権力者・秀吉には聞き流すだけの度量も残っていなか

ったのでしょうね

歴史上、秀吉ほど類稀な運と人並み外れた能力を兼ね備えた人物はいないと個

人的には思っています

秀吉を見るにつけ、年を重ねる怖さを感じてしまいます

ところで

信幸に離縁された(こう)は昌幸の兄・信綱の娘だと言われています。

信幸とこうは従妹という事になります。

信綱は長篠の戦いで弟の昌輝とともに戦死しますが、信綱・昌輝兄弟は中々の

人物だったとも伝えられています。

父・幸綱と真田三兄弟(昌幸は当時武藤嘉兵衛)は武田二十四将に数えられてい

たとか??

武田家臣団の中でもこのような一族はおらず新参者としては稀です

信玄がいかに真田親子の能力を高くかっていたか分かりますね



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