ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第223号 思いがけないお年玉~税金還付

2008年01月31日 | 我が家のもろもろ

「嬉しくて、嬉しくて」

所得税の確定申告はまだ先の話ですが、還付分だけは既に受け付けています。
 
先日、ざっと計算をしてみたら、なんと還付金が発生することが判明。
早速、パソコンを使って申告書を作成、きのう提出しました。
結果的には、納め過ぎた自分の税金が戻ってくるわけなのですが、追徴かな?と思っていただけに嬉しいものです。
妻は残念ながら”追徴組”。
しかし、この分を差し引いてもなお臨時収入となります。

申告する方法は、ここ数年の間で様変わり。
①自宅のパソコンから、国税庁HPへアクセスして申告書を作成。
これを印刷して提出。
②上記のデーターを、税務署のコンピューターへ直に送信して完了。
と、大幅に進歩しました。
あの騒々しい混雑会場は、なんとかならないものかと思っていただけに、画期的な改善方法だと思います。

さて、還付金の使い道ですが・・・
春のオシャレ着? 靴? それとも家族そろってホテルの豪華なディナー?
このように、小さな小さな夢を膨らませているミカエル家なのです。

                    

 


第222号 地球に優しい乗り物~函館市電

2008年01月28日 | 乗り物

今回は、地球温暖化防止に役立つ路面電車をご紹介。
函館の路面電車の歴史は古く、明治30年に西部地区で営業を始めた馬車鉄道が原形。
大正2年には、現・市役所あたりから湯の川地区までを営業区域とする路面電車へと引き継がれた。
これは国内では7番目、本道では初の事業であった。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
左の赤の車両は「箱館ハイカラ号」。右の青と白の車両は「らっくる号」。
これらは、現在の市電のなかで人気を二分する車両。
「ハイカラ号」は観光客に、「らっくる号」は超低床車として、お年寄りや子供たちに人気があり、また車椅子にも対応できるなど福祉的要素を持っている。
 
「ハイカラ号」の歴史~
明治末に米国で製造され、同43年12月に千葉県内成田市を走る成宗(せいそう)電気軌道株式会社(現・千葉交通らしい)が購入。
同月、同社の事業開始とともに使われていたのを、大正7(1918)年5月に函館が購入した。
昭和11(1936)年まで函館市電で客車として運行されたあと除雪車に改造され、平成5年に、函館開港の記念事業の一環として購入当時の姿に復元された。
(この工事費用3千6百万円)定員は33人。
乗務員のクラシックな服装が、レトロ調車両に合っているのも人気の原因。
運行期間は構造上の理由で、4月中旬から10月末までとなっている。

「らっくる号」は、平成19年3月に運行開始。
購入費は2億3百万円。定員62人。連結車で在来車よりも1m長い13.25m。
車体はアルミ製で大阪府摂津市で造られた。

市電の運行間隔は、湯の川~十字街間が5分、他の区間は10分と大変便利。
今年は洞爺湖サミットの開催年です。
排気ガスを出さない、地球環境に優しい乗り物・函館市電を積極的に利用しませんか。

                    

 


第221号 息子殿、ありがとう!~誕生祝いプレゼント

2008年01月26日 | 我が家のもろもろ

「お二人さん、誕生祝いのプレゼントは、また湯の川温泉一泊でいいの?」
夕食を囲みながら息子が聞いてきました。
「勿体無い。無理しなくていんだよ(一応遠慮がちに)」と私たち。
「いや、無理なんかしてないよ。なにか希望はある?」
「そうかい。(いやに素直) じゃー、ベッドで小ぢんまりとしたところがいいなー」
「分かった。27日に泊まるということで予約しておくからね」。

 

湯の川温泉は、家から車で10分の距離。
「ほかでもいいんだよ」と息子は言ってくれますが、この時期は大雪と雪道が怖いから、近くても湯の川が一番安心なのです。

我が家は3人家族で誕生日が近い。
トップが妻で1月27日、私は30日、そして息子が2月5日と続きます。
皆の星座は当然のことながら水瓶座。また血液型もそろってO型です。

この「誕生祝い温泉宿泊プレゼント」が始まったのは、息子が30歳を超えてから。
彼には感謝、感謝の気持ちで、身も心も温まってくるのですが・・・。
果たして息子から見た私たちは、「よい父、よい母」であったのでしょうか?
いつも疑問を持ちます。

でも、こうして心配りをしてくれるということは、「それなりの父と母であった」からではないかと、都合のよい方向に決め付けています。
そうなると気がとても楽に。
さぁー、明日は温泉にどっぷり浸かって、うまいものをいっぱい食べるぞー。
いつもの超卑しい性格が、むき出しになってくるのでした。

                    

 


第220号 結氷の五稜郭

2008年01月23日 | 旧跡、史跡

大寒が過ぎた昨日は、最高気温がマイナス1度の暖かな晴れ。
久しぶりに五稜郭へ出かけました。
堀全面に氷が 張り、その上にうっすらと雪が。
今年の函館は、寒さこそ厳しい日が続きましたが雪は少なめ、舗装路面が顔を出し、車はスムーズに流れています。
(写真をクリックすると拡大できます。) 
 
一の橋を渡り二の橋の前に。
小学生のころ、この橋周辺は市民スケート場で賑わいました。
そばにあるボート屋さんの木の階段を下りるとそこはリンク。
当時のスケートは、長靴にゴムバンドで固定する”雪スケート”が主流。
バンドは寒さに弱く、よく切れて小遣いはバンドを買うと残りませんでした。
昼食は、経木と新聞紙にくるんでくれた”おにぎり”。
海苔ではなく、黒ごま。そして梅漬け。
冷たくなっていましたが、その美味しさは格別でした。

二の橋、ふじ棚をくぐって郭内へ足を運びました。
昨年11月に閉館になった博物館前で、珍しい組み合わせの光景を発見。
それは”雪つりと大砲”。
和と洋の不思議な融合に、思わずシャッターを切りました。
郭内のあちこちで、春の花見に向け、桜の剪定作業が真っ盛り。
切り落とされた枝を頂いて花瓶にさし、五稜郭桜が咲くのを待つことにしました。

                     

 


第219号 北海道限定~木札かるた

2008年01月20日 | 我が家のもろもろ

小正月も彼方に去り、お正月を感じさせるものはすっかり消えてしまいました。
「今年こそは、出来る?」と思っていた「かるた会」。
しかし、人数が集まらない、来客があってもすぐ帰る、ということで会はまたしても来年へと持ち越され、かるたは出番なく納戸へ静かに戻りました。

我が家の「小倉百人一首かるた」の取り札は木で出来ています。
これは函館地区のみならず、北海道全域で見られます。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
何故木札なの?由来はこうです。
本道の初期開拓者にとって、紙は高価で貴重な物。
ましてや、かるたには厚い紙が使われますから、一層手が届きません。
遊びの道具ですから形には拘らず、かるたとして使える材質であれば良いという考えが芽生えました。

そこで、代用材とし目をつけたのが建物や船を造るときに出る半端材。
これを、かるた大に切りそろえ使い出しました。
すると「丈夫で長持ち」という評判、道内全域へと広がっていったようです。
木の取り札には、ご覧のとおり「下の句」より書かれていません。

公式競技では、北海道独特の「下の句読み」。ほかに細かい規定があります。
我が家に伝わる方法は、読み手は上の句からの読み。
読み始めたら、下の句を素早く思い出さないと負け。
そして、遠慮なく敵陣まで手を伸ばし突くことが勝利へ結びつきます。

北海道開拓者にとって、寒さ厳しい長い冬の最大の楽しみは「かるた」だったのでしょう。
外は吹雪、赤く燃える囲炉裏の回りで、どてらを着込んだ家族が笑いながらかるたの取り合い。そんな姿が浮かんできます。

       「天津風 雲の通い路吹きとぢよ 乙女の姿 暫しとゞめん」

                    

 


第218号 函館のグラバーさん~ブラキストン氏

2008年01月18日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

函館に来られた方なら必ず上る函館山。
頂上広場に、このような記念碑が建っているのをご存知だろうか?
ここに刻まれている人物は、函館のグラバーさんとも呼ばれた実業家「トーマス・ライト・ブラキストン」。

ところで「グラバー」とは何者?
幕末から明治にかけて、長崎で幅広く事業を展開したかの有名な英国商人で、同市の高台には「グラバー庭園」が残されている。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
ブラキストンは、英国男爵の長男として生まれ、砲兵大尉で退役。
探検家、鳥類研究家、気象観測家の顔も持っていた。
函館には、1863年~1883(明治16)年まで20年間居住し、箱館戦争では軍用物資や食糧の輸送で財をなし、戦後は海運業のほか商社、製材、製氷を営み函館経済に与えた影響は大だった。
なかでも製材には、わが国初の蒸気機関を導入、産業の近代化を図った。

しかし、事業拡大に伴い資金不足が表面化。
打開策として、明治8年にドイツの印刷会社に証券を発注した。
これを知った明治政府は大慌て。
外務、大蔵の意見が対立、一時は英国公使も巻き込んで国際問題となったが、結局は不通用と決定された。

では、国有地である函館山に何故実業家である彼の記念碑があるのか?
「津軽海峡を境に、北海道と本州では、鳥類や哺乳類の分布が異なる」という論文を発表、これがのちの「ブラキストン・ライン」として学術的に認められ、その功績をたたえ建立されたもの。

氏の洋館風邸宅の写真が残っている。
これを基に、元町の観光コースに復元できたならば、教会群に溶け込んで異国情緒の魅力度を増すと思うのだが・・・
                      

                 


第217号 足湯が出来たのですが・・・

2008年01月15日 | 町の話題

昨年の暮れ、函館の湯の川温泉街に、待望の足湯がオープンしました。
北海道で一番早く開湯した湯の川温泉。
しかし、足湯に関しては他地域に先行されてしまい、後進地区になっていました。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
折角設置して頂き、しかも無料なのですが、場所が市電通りの交差点に位置しているのが難点です。
設置者である「函館湯の川温泉旅館協同組合」にとっては、宣伝効果抜群なのでしょうが、利用者にとっては騒々しく落ち着かない場所なのです。

しかも、信号待ちで停車する電車、バスなどから丸見えの状態。
「あれじゃ、目隠しが必要ねー」の声が聞かれます。
植栽などして、視線の遮断が必要です。
 
効能書きがありました。
①自律神経失調症
②冷え性、肩こり、足のむくみ、立ち仕事、足が冷たくて眠れない
③足の筋肉症
④全身の疲れ、倦怠感、不眠症、低血圧、ストレス
こんなに効能があるとは知りませんでした。

寒中のこの時期は遠慮して、「暖かくなったら使わせてもらおうか」と言いながら、二人でしばらく湯煙を眺めていました。
組合のご好意に感謝しながらも、出来れば環境整備に配慮して頂きたいもの。
氷点下の中、旅行者らしき家族連れが、「暖まったね!上がろうか」、足を拭き始めました。

                     

 


第216号 お見事!台場石をリサイクル~函館漁港

2008年01月12日 | 川、沼、湖、ダム、港湾

漁港所在地=函館市入舟町(市電どっく前下車 左300m)

函館が、国際港として開港したのは、ペリーが来航した翌年の1855年だった。
幕府は、外国船からの万が一の攻撃を想定し、箱館港防備のために現・函館どっくのあたりに「弁天台場」を築いた。
しかし、この思惑は見事に外れ、皮肉なことに、1869(明治2)年の箱館戦争では新撰組が立てこもり、日本人同士が血を流し合う戦場になってしまった。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
                              (下段が台場の石材)
明治後半になると、函館港には出入りする船が急増、港湾の整備拡充に迫られ、
同29年にその工事に着手した。
支障になったのがこの台場。
解体決定されたのだが、使われていた石材は函館山裏から切り出した安山岩。
「まだ使える」と睨んだ設計者は、ここ函館漁港の護岸にも使うことにした。

この台場の石積工事を箱館奉行から請け負ったのは、備前・岡山の石工・喜三郎。
彼は、東京品川台場や五稜郭の石積工事も手がけた名工で、工法は強固。
解体は難工事だったと伝えられる。
こうして、幕末遺産・弁天台場の石材は、明治に漁港の一部としてリサイクルされたのだった。

函館と同じ国際開港地になった横浜。
ここにある有名な山下公園は、1923(大正12)年に発生した関東大震災のガレキを埋め立てて造られたもの。
開港地同士の知恵比べがあったのかも知れない。

弁天台場のマイブログは、こちらから。 http://blog.goo.ne.jp/mikaeru171/d/20070222   

                         ミカエル


第215号 ひと足お先に~どんど焼き

2008年01月09日 | 町の話題

正月の玄関飾りなどを焼いて、一年の無病息災を祈る”どんど焼き”。
函館は早くも7日に行われました。
道内の他地域、全国各地でも15日が主流と思いますが・・・。

(写真をクリックすると拡大できます。)
 

函館はこればかりでなく、早くに行事を済ませる風習があります。
七夕祭りは、道内各地域が8月7日に対し、函館は7月7日。
お盆も道内各地域が8月に対し、函館は7月。

お盆について言えば、当初は新暦の8月に行っていましたが、大正6年から函館の各寺院が協議し、7月に変更しました。
その理由としては、
①函館一の祭礼である函館八幡宮の例大祭と重なっていたため。
②お正月を太陽暦で行って、盂蘭盆を陰暦で行うのはおかしいのでは。
という二説があげられます。

 

これらは驚くに足りません。
函館の葬儀では、先にご遺体を火葬に付してしまうのです。
お通夜、告別式の祭壇にあるのは、ご遺骨。
この風習を知らない参列者は、唖然とします。

理由については、諸説ありますが、私は「多発した大火原因説」だと。
つまり、火の中、ご遺体を安全な場所に安置するのは困難だったからでしょう。
そのため、「先に火葬を済ませておけば安心」と、考えついたと思います。

我が家の玄関飾りを持って行ったのは、近くの小さなお稲荷さん。
もともとは、無人の村の鎮守様でした。
行事があると、古くからこの地域に住んでおられる方々が奉仕活動をしてくれます。
皆、高齢になられました。
「来年は、手伝えるべがー?」
「んだなー、おらもおんなじごど、考えでだー」
そんな会話を耳にしながら、火の中に飾りを投げ込み、家族の幸せを祈りました。

                       ミカエル 

 


第214号 雪空に江戸の妙技~消防出初式

2008年01月07日 | 町の話題

以前から「見たい、見たい」と思っていた”消防出初式”。
その願いがようやく叶いました。

(写真をクリックすると拡大できます。)
 

6日10時から、市民会館駐車場を会場にして、”20年函館市消防出初式”が行われました。
観閲長である函館市長の前を、消防音楽隊の先導で
消防団員700人、消防職員210名、車両9台が堂々の行進をし、「無災害都市・函館」の誓いを新たにしました。

 

その後、”消防団町火消し組”80人が巨大な飾り壇前にまといを持って登場。
江戸防火組織を由来とする”伝統の梯子乗り ”の妙技を6mの高さで披露、集まった多くの市民や観光客が盛んに拍手を送っていました。

 

寒冷地の外での演技は、筋肉が固まるために危険が増すと言われ、それだけに演技を行う方、梯子を支える方の真剣さが伝わってきました。
子供消防隊による放水訓練もあり、見学に来ていた幼児らには記念品が配られ、新春出初式は無事終了しました。

新年を迎えたこの時期、全国各地で行われている”消防出初式”は、きびきびした行動が正月気分をしゃきっとさせる伝統行事で、国民の大きな財産。
後世へ永く伝えていきたいものです。

今朝の函館はくもり。
昨夜降った重たい雪が5cmほど積もり、居間の大窓見える景色は墨絵の世界。
これからメタボ防止のために、喜んで雪かきに出ます。

「今日から仕事」という方が多いと思います。
交通事故に遭わぬよう、気をつけてお出かけ下さい。

                      ミカエル


第213号 外国からも引っ張りだこ~新春凧の展示会

2008年01月04日 | 町の話題

展示会の名称=梅谷利治展~空を舞う凧たち(15日まで)
会場=函館市地域交流まちづくりセンター(大正時代に建てられた旧丸井今井デパート跡)   函館市末広町4番19号  ℡0138-22-9700

(写真をクリックすると拡大できます。)
 
(写真右は五稜郭と新撰組シンボル字を組み合わせた作品。欲しーいなぁー)

函館に長年住んでいる方なら、一度は耳や目にしたことがある氏のお名前。
以前、函館東高校の美術科教師を三十数年間勤め、同科に「たこクラブ」を結成したほどの凧愛好家でおられる。

梅谷さんは、最後の少年飛行兵として、青森県八戸航空隊に入隊したものの飛行機に乗ることなく終戦を迎えることになった。
その後、学芸大学へ入学、卒業後は教師の道へと進んだ。
「大空をキャンパスとする発想」で、立体だこ、連だこなどの独創的創作だこを作り続けている。
それが国際的に高く評価され、アメリカやカナダから「教えてくださーい」と指導依頼があり、「国際的凧博士」の一面を持っている。

 

飛行機の夢を凧に託された梅谷さんの個性あふれる作品の数々。
まちセンの業務開始は今日(4日)から。
皆さん、新年に相応しい「勢いある凧」の展示会に、お出かけになりませんか。

                    ミカエル 


第212号 新春を迎えて~ご挨拶

2008年01月01日 | 我が家のもろもろ

新年、明けましておめでとうございます。
皆様の今年一年が、希望にあふれ、飛躍の年になりますように。
そして、ご健康でご多幸でありますように祈っております。

(写真をクリックすると拡大できます。)
 

昨年は、当家へお越し下さいまして有難うございました。
心からお礼を申し上げます。
本年も、函館のいろいろな情報を発信してまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

「今年は明るいニュースがたくさん報じられますように!」と、願いを込めて、玄関前の”まゆ玉飾り”を大きなものに奮発しました。
この願いが届いてくれれば嬉しいのですが・・・。

                     ミカエル家