ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第614号 ひじきに主役を奪われた「切干大根油炒め煮」

2011年03月30日 | 我が家のもろもろ

毎月、みそかが近づくと冷蔵庫および食品庫の整理をする。
野菜の半端物や賞味期限が迫っているもので一品作る。

今回の主役は「切干大根」。
宮崎産で、そちらでは「せんぎり大根」と呼んでいる。

「油炒め煮」に挑戦した。

色付けに少量の「干しひじき」を加えようと水で戻した。
ところが、想像以上に膨らんでしまった。
これでは、見た目は大根に代わって主役の座を奪ってしまい、
何だか「ひじき料理」に見えてしまい、失敗だった。

  

具材は、
①油抜きした大揚げ ②人参 ③ごぼう ④椎茸 ⑤私のように、
しなびた・ほうれん草 ⑥きぬさや ⑦豚肉 ⑧切干大根
⑨干しひじき

調味料は、
①サラダ油 ②味醂 ③砂糖 ④塩 ⑤顆粒鰹だし ⑥醤油 
⑦麺つゆ (※残念ながら日本酒は切れていた。)

結果的には量が多くなって、姉にもお福分けすることに。
果たして、美味しく食べてもらえるだろうか?


間もなく4月。
耕作のシーズン到来である。
今回の津波で、田畑は流れ込んだ海水の塩分で、
劣悪な環境になってしまった。
また、近海で漁をする船は転覆、漂流、陸に押し流されてと、
すぐの出漁は困難なようである。

これに、原発事故による政府が出荷停止とした野菜、
風評による野菜や魚の買い控えなどもあって、
これらに従事されている皆さんの苦悩は計り知れない。

避難所で生活する方々の改善とともに、これらの事にも十分な
配慮をお願いしたいものだ。
「頑張れ!頑張れ!」の応援掛け声も必要だが、
「頑張れる環境造り」がもっと大切だと思う。

 

                

 


第613号 本州への送電はここから

2011年03月27日 | 町の話題

北海道、本州に電力不足を生じた場合、相互供給を補える
事を目的に、津軽海峡海底に電線を敷設している。
今回の東京電力・福島原発の発電休止で、この施設は大いに
役立っているようだ。

写真は、北海道函館に設置されている施設で、ここから
陸上部を地下2kmほど潜り、海底へとケーブルは延びている。
施設の名称は「電源開発株式会社・古川ケーブルヘッド」。

建物の大きさは、およそ(目視)間口が7m、高さは10m。
三棟が不気味な黒い開口部を持っている。

 

位置は、函館空港から車で東に10分ほど。

ただし、ケーブルの送電容量は、60万KWが限度とか。
この数量では、北海道の電力供給に支障はないようだが、
休止中の福島原発発電量の20%にも満たない。

反対に、北海道電力・泊原子力発電所が非常時になったとき、
対応がどうなるのか?心配である。


地震、津波、原発事故で大きな被害を受けておられる皆さんの姿を
拝見すると、涙が止まらない。
行方不明者の捜索は困難を極め、避難所の不便な生活は長期化
が予想されている。
自由を奪った原発事故にも、極度の疲労が感じられる。

先が見えてくる国の強力なバックアップが必要で、
早期に住民が希望を持てる素案を示して欲しいものだ。

そして、現在稼動している原発。建設中の関連する施設。
これらの防災対策を、どう練り直すのかが大きな課題である。

                 


 

 




第612号 ピッチをあげる五稜郭橋の敷板交換。

2011年03月24日 | 町の話題

北海道で唯一の特別史跡・五稜郭跡。
郭内に入るために最初に渡るのが「一の橋」。
現在、その敷板の交換中で、月末の完成を目指して工事は
急ピッチで進行中。

    

大分傷んでいた敷板。
昨年、箱館奉行所が復元完成し公開されたのに合わせての
工事だ。

 
通行部分を確保しながらの半断面ずつの施工。
新しい材木は、北米産で厚さ10センチ角のヒバ。
欄干は、既に塗り替えられていた。
大型連休を迎えるためのお化粧直し。
市民にとっては、観光客をお迎えするための
嬉しいウエルカム工事となりそうだ。

ところで、五稜郭にはかって5本の橋があった。
しかし、箱館戦争が始まると、防御上の理由から
2本が切り落とされた。(ボート屋さんのところと東側)

現在、橋は3本。
一の橋は、昭和57年の架け替え。工事費は約5千万円。
ニの橋は、昭和56年の架け替え。工事はは約8千万円。
裏門橋は、昭和39年の架け替えでコンクリート製。
郭内での工事や重量物運搬に使用されている。

私が小学生のころ、川の傍に住んでいた。
近くに架かる橋は木製。
敷板が傷んでいても直ぐには修理しなかった。
馬車が敷板を蹴破って動けなってしまう光景を何度か目撃。
引き上げるのに、時間を要したのを記憶している。
馬の目には涙。
可哀相だった。


               





第611号 ほうれんコン

2011年03月20日 | 我が家のもろもろ

この名は聞きなれない。
新しい花?いえ、料理の名。
先日のクッキング番組で紹介されたもの。

 

茹でたほうれん草を細かく切って、丸ドーナッツ風に盛り付ける。
凹んでいる丸部分にコンビーフ缶を盛り付け。
あとは、花かつお+乾海苔を適当に飾りつけ。
彩りにトマトを適当に散らして完成。

ソースは、マヨネーズ+味噌。
でも、コンビーフは脂肪分が多いから、マヨでなく、
次回は酢味噌和えにしようかと思った。

コンビーフは、100グラム缶であれば3人分はとれる。
手間かからずのもう一品。
お試しあれ!


                 

 

 

 


第610号 悲しみに声も出ない「大津波」。

2011年03月14日 | 町の話題

今回発生した大津波。
それは、黒い鉄爪をかざし、濁った海水を伴って集落を襲い、
壊滅させた。
自然現象とは言え、あまりにも悲しい。

ご遺体はあちこちで重ねあうように発見され、地震から逃れる
暇がなかったのだろう。

苦しかったろうに。
どんなにもがいたことだろうか。
どんな事を言い残しかったのか。
思うと涙、涙。

季節がら、新入学を迎え、ランドセルを飾っていたご家庭も多い
ことだったのでは。
今まで苦労人生で築きあげた財産、これからの夢が僅か数分で
失われたとは・・・。
心中を思うと、・・・。

明治以前から使われていた用語の「津」とは、舟の休息地
(港)の意味。

しかし、近来はその用語の使用は薄くなってきている。
今回の大津波は、「川津波」でもあった。
河川改修が進み、それが津波の進行を早めたのかもしれない。
川を遠くは10kmも遡っていた。

私が初めて津波を見たのは、10代の学生のころ。
南米・チリで起きた地震の津波だった。
およそ一日かけて函館にもやって来た。

青函連絡船桟橋付近で、海水の変動を観ていた。
その時間になると、港の海水が引き始め、海底が現れた。
そこには、貝や魚がいっぱい。
何人かの大人がそれを拾おうとしていたが、「大波が来るぞ!」
のお年寄りの声に、慌てふためいて上がってきた。

間もなく、大きな音を立てながら海水が流入してきた。
函館駅前、朝市は腰までの海水だった。
今回も同程度ほどの海水が襲ってきたらしい。

我が家が建つ地は、海抜10メートルに満たない。
西に50メートルほど離れた所を流れる二級河川・松倉川。
津軽海峡からは僅か3kmほど上流。
恐怖を感じてきた。

避難生活をされておられる皆さん。
「頑張ってください」。
あまりの悲しさに、文章がおどってしまい、申し訳ございません。

寝具などの救援物資をお届けしようと思い、市役所へ問い合わせた
ところ、「現地役所では現金より受けつけていない」とのこと。
寒さに震えているお年寄りや子供の姿を思い浮かべると心が
痛む。


                  

 

   


第609号 行って感激、北島三郎記念館。

2011年03月09日 | 教育施設

来月からの始動を目指す私の「町あるきガイド」。
観光地を改めて巡ってみた

交通手段は、函館バスと市電。
共通一日乗車券(1,000円)を買い求め、3日間歩きまわった
マイカーで回る時よりも
目の高さが違い、新しい発見が広がるのがよく
分かる。
店舗の閉鎖や新規開店を探せるが、概ね寂しさを感じるのは、
この地だけではないようだ。

駅前・大門地区、西部地区、谷地頭地区と3日間に分けた。
一番感銘を受けたのは「北島三郎記念館」だった。

 

外観は以前ここに建っていた「金森デパート」に似せて建築された。
昔の西部地区を知る者にとっては、心嬉しい配慮だ。
このデパートは、明治2年(土方歳三が戦死した年)に、
渡辺熊四郎が当地で事業を開始し、大正期に建設したもの。

当時、この辺りは大繁華街。
金融機関や商社が軒を連ねていた。
昭和9年の大火で、繁華街が駅前に移動。
それに合わせて、呉服店と共同出資で「棒ニ・森屋デパート」
として移転新築した。

サブちゃんは、函館の二つ離れた「知内町」で生まれ育った。
高校は道立・函館西高校。
坂道の多いなかでも、八幡坂の突き当たりに校舎はある。

お母さんは、早朝に出かけるサブちゃんのことを思い弁当は
二つ用意したそうな。
朝の弁当を汽車の中で美味しそうに食べるサブちゃん。
上にのっかっているのは、黒砂糖だった。

 

人間、誰しも下積み生活があるもの。
サブちゃんだって、上京してから3畳間生活。
新宿盛り場を流しながらの貧乏生活。
それを支えてくれたのは奥様。

 

カレーライスの差し入れが、何よりの嬉しさだったらしい。
ところで「奥様は函館のひと?」。
お尋ねするのを忘れてしまった。

お別れは等身大の立像との握手。

     

「いつまでもお元気で!そして、函館のPRをよろしく
お願いいたします」。

ご案内を務めて下さった、「伊藤さん」。
新しい知識を頂戴して有難うございました。
「函館の女」を歌う時、もっともっと情感を込めて
声高らかに歌わせてもらいます。

位置は市電末広町電停付近。
どうぞお立ち寄りください。

 

                   





 


第608号 「あと少し!」のかげに!

2011年03月05日 | 町の話題

昨日の函館は、道央圏の記録的大雪を全く想像できないほどの
青空が広がっていた。
でも、低温でとても寒かったのは同じ。

南に面した庭の残雪は、ご覧のとおり。
大きさは畳一枚ほどで高さは約15センチ。
これが消え去るのは、あと数日。
惜しむ気がしないわけではない。

 

日記をめくると、今年の冬は雪かきが5回だった。
でも、春を迎える今日この頃にあっては、もっと多かったような
気がする。

地元気象台へ問い合わせした。
昨年の降雪量(積み重ね)は、4.39メートル。
今年は3.46メートルと少ない。
しかし、体力的には多く感じてならない。

この一年間で、体力が衰えたのかな?
「そりゃ、そうだ。前期高齢者だもの!」。

周辺の家は、独り世帯や高齢者が増加。
果たして、これから先、除雪はどうなるのだろうか?
時間がかかっても「協力+助け合い」の心が大事。

戦後、「おばさん、味噌、醤油貸して!」の
「向こう三軒、両隣」の結びがあった。
それらの付き合いを、今、再び噛み締めたいと思う。


              


第607号 我が家のひな人形

2011年03月02日 | 町の話題

きょうの函館は、晴れで風も無くおだやか。
明日は雛祭り。
我が家でも人形を飾った。

こちらは、ミケが新婚間もない頃、材料を買い求めて
作った「木目込み人形」。

 

勤務を終え、家事を終えてから、一心不乱に作業をしていたのを
想い出す。
その頃二人も若く、お人形?のようだった・・・かな。
玄関に飾っているので、お客様に「ウエルカム」と言っているようだ。

こちらは紙を立体的に織ったものを購入。
居間の南向き壁面に飾っている。

    

 

私たち夫婦は共に病持ちでお医者との長いお付き合い。。
そんななかで、今年もこれら人形と対面し、「雛祭り」を
できることはとても嬉しい。
間もなく本格的春を迎えることができるという一面もある。

日本の伝統的行事は、これからも衰えることなく、伝承して
行かねばと思った。

ニュージーランドの地震に遭遇し、いまだに行方不明の方々。
一刻も早く救助されて、一緒に「雛祭り」をお祝いできたらと、
心から願っています。