ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第711号 当たった!そして観た歌謡笑劇団

2012年03月31日 | 展覧会、催事など
NHK地デジで放映されている人気番組「ごきげん歌謡笑劇団」。
函館局の開局80年を記念して、26日に市民会館で録画撮りが行われた。



往復葉書で観覧応募。高い倍率のなか抽選で見事に当選。
とても嬉しかった。
久し振りにミケとの外出だった。
会館向かいのレストランで夕食を。
ボリュームがあって、二人とも完食はできなかった。
(タッパを持参すべきだった。残念!)

そこから会館までは5分。
猛吹雪と寒さで体がすっかり冷え込んでしまった。
会館に入ると暖かさが伝わってきて、微笑みが。

入場時(18時)の混雑と長時間の長蛇の列を防止するため、局では一考した。
正午から会館入り口で、予め指定席券を交付する方法をとった。
引くのは当選者自ら。
これなら安心し、時間にゆとりをもって入場できるからだ。
いい方法だと思った。
「それで、いい席だったの?」「いや、後ろから4番目だったのさ!」。

18時45分に開演。
レギュラー=瀬口侑希、テツandトモ
ゲスト=青空球児、岩佐美咲、京本政樹、春風亭昇太、藤田朋子、
細川たかし、美川憲一。



細川さんは、北海道出身。
蝦夷富士と呼ばれている羊蹄山の麓の真狩村。
美味しいジャガイモの名産地だ。
豊かな声量とユーモアあふれる話術が光っていた。

昇太さんは、笑点でお馴染みの落語家。
函館にお嫁さんを探しに来たんだろうか?
立っての寄席は、やりづらかったろうに。

美川さんの衣装は今回も派手派手。
でも、自然体で見事に着こなしていた。

料理コーナーでは、地元の名産魚として「ドンコ」を取り上げ、
調理方法などを紹介していた。
しかし、この魚はむしろ東北が多産地。
函館だから、市の魚「いか」にして欲しかった。
一層のこと、当地でより獲れない「ごっこ」を紹介して欲しかった気もした。

劇中芝居は、「いか」をテーマにしたストーリー。
ドタバタそのもので、よく理解できないうちに結びとなってしまった。

コロッケさんの司会は、スタートしたばかりだから、
これから切磋琢磨が必要と感じた。

終了となって家路に急ぐ皆さん。
雪も風も止み、満足した表情だった。



出演者の皆さん、運営に当たられた皆さん、ご苦労さまでした。
有難うございました。


今回の録画の放映日は、5月3日。
時間は19時30分から。ぜひご覧下さい。


ミカエル

第710号 キャベツが硬かったので

2012年03月27日 | 料理
近くのスーパーで買い求めたキャベツ。
ピーラーで引き、生で食べた。
ところが、瑞々しさに欠け、しかも硬かった。

そこで、炒めることに。
包丁でキャベツをざく切りにし、フライパンに油をしいた。
しめじ、人参を加え、ほぼ炒め上がったとろで、天かまも加えた。

仕上げは、うすめた「めんつゆ」のみ。

 

ミケから「おいしいよ!」と、合格点をもらった。
「豚もおだてりゃ木に登る」。
さて、私は登らないで、黙々とまた台所に立つ。

高齢者でも、たまには力が出る朝食を摂る。
ざく切りキャベツをフライパンで2分ほど茹でる。
上に、トマト、ショルダーベーコン、目玉焼きを載せて
出来上がり。
簡単すぎて、料理といえるかどうか?



クッキングも大分手早くなって、楽しさを覚えるようになってきた。
これからは、創痍工夫を重ね、品格あふれる?ものにしたい。

♪ 包丁一本~ さらしに巻いて~ ♪ ・・・。


ミカエル

第709号 函館が遭遇した三大災害

2012年03月22日 | 災害
どこの地にも思いがけない悲しい災害の出来事がある。
ここ函館にも大きな災害が3件ある。
その中で一番大きなのが、昭和9年3月21日に発生した「函館大火」。

函館は江戸時代にペリーが来航し、国際開港地となって以来、大きく成長した町であった。
このころ、市街地は、現在の赤レンガ倉庫あたりから函館山寄りの狭い区域。
しばし、大火が起きていた。

最大の延焼理由は、水不足。
と、風が吹き抜ける地形も起因していた。
もっとも、当時の建材は、木と紙、仕方がないのかも。
だから、市内には幕末の建築物が残っていないのである。

大火発生当日、北海道付近を発達中の低気圧が通過し、函館市内は最大瞬間風速39mに及ぶ強風。
午後6時53分頃、立待岬へ行く途中左側・住吉町91番地の民家から出火した。

火は強風にあおられ、またたく間に燃え広がった。
さらに強風による電線の切断による新たな火災地も発生し、
木造家屋が密集する市街地20箇所以上でも次々と火の手が上がり、
手が付けられない状態となった。

時間の経過とともに風向きは南から南西、西風へと変っていった。
火流もそれに従い向きを変え、最終的には市街地の1/3が焼失するという
大規模な火災となった。

死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして失敗し溺死。
あるいは、東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって、
逃げ場を失い溺死した者(917名)。
また、溺死しないまでも凍死した者(217名)もいた。

当時母は、21歳の独身。
もちろん私も兄も生まれてなかった。
母の実家はこの大火の数年前に、現・中島れんばい近くに建てた。
火が近くまで迫ってきたという。

家の前には「女子職業学校」があり、この建物が反対側に焼け落ちたため、
外壁の漆喰を焦がしただけで済み、火は付近で止まったという。
なんという幸運だったことか。

このときの被害概要。
罹災者数102,001人
死者2,054人、行方不明662名(当時の人口約210,300人)
焼失戸数24,186戸(当時の市内戸数約40,835戸)
市役所も焼け、元町の公会堂に仮庁舎を設けた。

昨日午前、大森町の「函館大火慰霊堂(昭和13年建立)」において、
「函館大火殉難者79回忌慰霊法要」が執り行われた。
主催は「函館仏教会」。
参列者は、年毎に減少し、今回は総勢80名ほど。
仕方がない現実なのだ。
私は午後からお参りに出かけた。





函館市は、この大火を契機に、区画整理事業に着手。
道路の直線化、幅員の広げを図った。グリーンベルトと呼ばれる防火帯は、多く見られる。
消防力の増加も図った。

全国から救援の手が差し伸べられ、市民の復興力となった。
全国の皆様、本当にお世話になりました。
いまある函館は、皆様方のおかげです。


二度目の大きな災害は、昭和20年7月14日、15日の「函館地方空襲」。
死者477人。消失家屋約400戸。
青函連絡船12隻、鉄道車両120両損壊した。

低空での機銃掃射はパイロットの顔が見えたという。
男子学生は海に浮かんだ郵袋を集め、女学生がその郵便物を出し、
風で飛ばぬように小石を置き乾かし、戦地へ送ったという。
一ヶ月後の8月15日に終戦。
ようやく我が国に、安堵感が訪れたのだった。



三度目の大きな災害は、昭和29年9月26日「青函連絡船・洞爺丸沈没」。
台風15号の強風にあおられ横転沈没した。
救助に向かった同連絡船3隻も沈没。
死者1,173人。タイタニック号に次ぐ大きな海難事故となった。
この事故により、青函トンネルの建設に弾みがついた。



私が今こうしてブログを書けるのは、先祖や父母、私も災害に遭遇しなかったため。
幸運な人生に感謝しながら、残りの人生を精一杯生きてゆきたい。

(数値は、函館市市史編纂事務局発行の「函館市略年表」から転載しました。)


米 長い文章になってしまった今回のブログ、最後までお読みいただき、有難うございました。



ミカエル






















第707号 一年が過ぎて

2012年03月12日 | 災害
東日本大震災から昨日で一年が過ぎた。
各地で霊を弔う式典が行われ、悲しみが一層増してきた。

地元紙の報道によれば、
死者 15、854人
行方不明者 3、155名
避難・転居者 343、935名
と発表されている。(2月23日復興庁まとめ)
(インドネシア津波では死者・行方不明者合わせて22万人)

冷たい海の中で一年を越された犠牲者の無念さを思うとき、
涙が流れてしまう。

報道特別番組を見て驚いた。
陸前高田市の出来事。
市役所は海から一キロほど。
四階まで津波が押し寄せ屋上に逃れた人たちは助かった。

しかし、向かい側にある指定避難所・市民会館へ非難した方々は
不幸なことに命を奪われた。

津波がくる時は、一度海水が遠くまで引くという。
陸前高田市でもその現象が見られたという。
高校生のころ「チリ津波」が、函館までやってきた。
このとき、青函連絡船桟橋で状況を観ていた。
確かに遠くまで海水が引き始めた。
津波の前兆とも知らない人々は、海底に残された貝や魚を求めて
殺到した。

お年寄りの制止の声「早く陸に上がれ!津波がくるぞ!」。
あわてふためいて陸に上がった人々。
九死に一生を得たのだった。

函館の津波は不可解だ。
函館山から見て、左側(旧連絡線航路)はいつも津波の被害をうける。
反対の右側が、影響なしである。

この疑問を解決する学説が地元紙に掲載された。
一言で表現すれば地形のせいとのこと。
永らく住んでいないと、このような現象は分からないと思う。

今日の函館は、重たい雪。
お日様は出ていないが、気温はプラス。
一日も早く帰郷できますように!
早く幸せになられますように!
心から願っております。

ミカエル

第706号 お昼でも「月夜のうさぎ」

2012年03月08日 | 美味満足技処、買い物処
ミケがお世話になっている美容師さん。
その方から「月夜のうさぎ」のランチが美味しいですよ」とのご推薦。
そこは、我が家から最も近い「ランチ処」。
まさに「灯台下暗し」だった。

位置は湯の川市電終点から、修道院へ向かって走り、
スーパー・アークスを過ぎて、すぐ左。

 

ランチは「うさぎ膳・980円」。
上品な小鉢に盛り付けられた料理が多く並ぶ。
ご飯は黒米を使用。
「少々もっちりとした食感をどうぞ!」と、ヘルシーでやさしい味が売り。

ボリュームと味に満足した。

 

座席は25ほど。
ランチタイムは、11時からで、女性が圧倒的に多い。
13時以降に入店すると込み具合が一段落。



自家製のクッキーも美味しそう。



ランチタイムは、16時までで、18時からは居酒屋に変身。
メニューの多さに驚くばかり。

住所、電話番号などは、こちらのHPからどうぞ!
駐車場は正面と右横に有り。


ミカエル

第705号 好企画!空港で、ひなまつり

2012年03月05日 | お祭り
3日は、ひなまつり。
函館空港でもお祭りが行われた。

主催は「函館空港ビルデング」。
会場は、空港ビル2階の名店街兼待合ロビー。
時間は11時から正午まで。
超近代的なビルと日本伝統行事との組み合わせが異色。

エスカレーターで昇った2階には、係員がパンフレットを渡しながらご案内。
大きな横断幕が掲げられ、雰囲気を盛り上げた。



おひなさまは、豪華な七段飾り。
その前には、茶席も設けられていた。



右側、少し離れた場所には「お琴」が。
優雅な響きを奏でてくださったのは、地元の「宮崎加奈古さん」。
曲が流れ出すと、見物客は皆うっとり。
(さくら、五十鈴川、小さな春、うれしいひなまつり)



私の隣に座られた同年輩の男性は、
「12時35分発で東京へ帰ります。時間があるので腰をおろしました。
久し振りに琴の音を聞きました。いいですね。
葬儀で来たものですから、気持ちが暗くなっておりましたが、明るくなって
帰ることができます。有り難いことです」と。

係員のご挨拶によれば、ひなまつりは、今回が初めてとか。
これからも、多彩な行事企画を期待している。
函館の印象が良くなりますように。

関係者の皆さん、ご苦労様でした。


ミカエル

第704号 ご近所の絆・雪かきで救われて

2012年03月02日 | 我が家のもろもろ
今シーズンの函館の積雪量は、半端ではない。
全国的にもそうなのだが・・・。

以前の大雪は、30歳代なかば。
その時は、在来の古い家。
玄関ドアを開けることができず、隣にSOS。

隣も大変だったらしかったが、たまたま親戚の馬力ある方が
泊っていたから救われた。
この日は祭日だった。
でも、私は仕事。あちこちに路線バスが埋まって放置されていた。

このたびの大雪は、そんな光景は見られなかったが・・・。

私は今シーズン、雪道・アイスバーンに足をとられ、2回転倒。
(老齢か進行中~笑)
このときに打った腰が思わしくなく、馬力が大幅低下。

そんなわけで、雪かきのとき、お隣、お向かい、斜めお向かいと3軒の
お宅から応援をいただいた。

 

3月に入り雪は下火。
皆さんのおかげで、今シーズンは、何とか雪かきを
乗り切ることができそう。

東北地方の被災者のみなさんだけでなく、
我が家も「日本人の絆の深さ」を感じた。

「有難うございました」。


ミカエル