行き先は、福島県会津若松市。
どんな理由でその地を選んだのか?よく覚えていないが、強いていえば「白虎隊」だったのかも知れない。
姉夫婦も誘い、総勢4名。
交通公社に依頼してそれなりのクラスに。
寝台車が福島駅到着をアナウンスし、早朝のホームに降り立った。
初秋で顔には冷気があたり、ひんやりさが感じられた。
駅を出て、近くの大衆食堂に腰を下ろし、朝定食を。味噌汁に旅の味を覚えた。
駅前から、9時発の会津行き観光バスに乗り込んだ。
大型バスなのに乗客は我らを含めてたった5名。
これではガイドさんが可哀そう。
途中、名所・旧跡で下車。丁寧な説明に大満足。
お昼は5人でドライブインへ。
豪華であろう夕食膳を創造し、軽い麺類で抑えた。
宿は会津の奥座敷「東山温泉」。藩の湯治場として賑わいをみせたという。
夕食、朝食とも、食べきれないほどの豪華さとボリューム。
いつもの格安団体旅行の食事とは雲泥の差。
でも、食べ残しが多くて、勿体無かった。(タッパを持参すべきだったかな?)
翌朝はハイヤーがホテル玄関までお迎え。
お見送りを受けて、出発。
①お城(鶴ヶ城)
天守閣までのぼれる。市内が一望でき、お殿様気分。
戊辰戦争では、明治政府軍の砲撃標的に。ズタズタになりながらも、倒壊は免れた。
強固な造りがうかがえた。
城壁には非常時を考慮し、乾物魚を塗りこんだそうな。
広い敷地には、驚いた。
政府軍との戦いで負傷した藩士を収容し、婦女子は治療手当てにあたった。
②家老屋敷
マネキン像の婦女子は鉢巻をし、白装束姿。
政府軍兵士による暴行を避けるために自決をしたという。
驚いたのはトイレの構造。便槽のかわりにトロッコ荷台。用が済むと使用人がレールの上を押して下げ、処分した。
藩の大方針として「火」の徹底した取り扱い。火災を恐れたのである。
そのために「かまど火」以外は一箇所のみ。
広いお屋敷であっても、「火鉢」が一つとは、さぞかし寒かったであろう。
③白虎隊
隊士が自決した飯盛山へは、麓から簡易リフトで上る。
おみやげ屋がずらり並び、呼び込みに熱心。資料館は観覧価値が十分ある。
ただ一人の生き残った隊士「飯沼貞吉」は、逓信省の通信技師として業務に精励。
誤情報による悲劇を、悔やんでいたのであろうか?
④ラーメン
このころ「喜多方ラーメン」が頭角を出してきた。
「きたかたし」は、会津から近い。
お店の選定は、タクシードライバーさんに一任。公道らしき広い道から、水田が広がる地区へ。
ポツンポツンと建つ民家。ラーメンの、のぼりの家へ。
あっさり味。なぜか新漬けがたくさん。どちらも美味しかった。
夕方、JR会津駅へ。帰途に1ついた。
会津旅行の思い出がだんだん薄くなってきている。
年をとったのだから、仕方がないのか?
現在行くとしたら、もっと時間をかけ丁寧に見て歩きたい。
方言や伝統料理も口にしたい。民芸品も見てみたい。
「八重の桜」の場面が、浮かび上がって来るかも。
ミカエル