ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第271号 わっしょい、みこし行列 

2008年05月30日 | お祭り

私が住む町内には宗教施設が多い。
代表的なのが「トラピスチヌ女子修道院」で、ほかに2寺、2社がある。
その中の「高穂(たかほ)神社」の例大祭が今月の第三土、日に行われた。
勇壮な「みこし」が、幅員6メートルしかない住宅街を丁寧に清めながら練り歩いた。
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
その後を氏子やその家族が続く。
地域が一丸となってこの例大祭を盛り上げているようだ。
約160人の行列は3時間半の行列を終え、無事社に戻った。
ご苦労様。
頂いた家内安全などのお札は、鬼門に貼った。
一年間、何事もありませんように!

                  


第270号 庭は花いっぱい!

2008年05月28日 | 我が家のもろもろ

安定したお天気が続きませんが、それでも庭の花々は咲いてくれ、美しい姿を見せてくれます。

昨年は牡丹が台風の影響で枝が折れてしまいましたがそれにもめげず、今年もたくさんの枝がつき蕾の数は8個。

白の牡丹も出番をまっています。

北海道の季節のなかで一番カラフルな花たちの競演の始まりです。
狭い庭ですが、鳥が運んでくれた種から思いがけない花や木が顔をのぞかせてくれびっくりします。
このような自然の営みに日々幸せを感じる私です。

                 ミケ

(写真をクリックすると拡大できます。)
 

                   


第269号 日光から帰って日光消毒!

2008年05月27日 | 我が家のもろもろ

今回の旅行から帰ってから、青空が出た日に普段お日様の顔を見ることができない水回りものを庭に出して、思いっきり日光浴をさせました。
普段大変お世話になっているこれらの品々。

 

どれも満足そうな表情で、「また、よろしくね!」のアンコール要望。
「まかせなさい!」と私。

思う存分お日様を浴び、殺菌を済ませた用具は、夕方にそれぞれの位置に戻りました。お日様の大きな力に感謝、感謝です。ミケ

                      


第268号 旅を終えて~旅レポ④

2008年05月25日 | 旅行  

旅の最大のご馳走は「よいお天気」。予報に負けなかった空に感謝、感謝です。
  
今回の旅でも多くの方のお世話になりました。
添乗員さん、ドライバーさん、ガイドさん、有難うございました。
とても印象に残る接遇と案内でした。
私どもは全てがお任せ。気楽なものです。
ホテル、ドライブインの皆様にも心からお礼を申し述べます。

そして、お天気の女神様、Mさん、Hさんに格別なお礼を。
まるで「平成の天照大神様」でした。

どこの観光地も、大型連休を終え、寂しさを感じさせた所もあれば、客層が学生に替わり変化が見られました。
そんな学生の姿に、自分の学生時代の姿を重ね、懐かしく思ったりもしたり。

舟下りは、物足りなかった距離でしたが、景観には満足した。
Mさん、Hさん、また旅に出かけましょう。
楽しい想い出をたくさん作るために・・・。
今回はご一緒できて、とても嬉しかったですよ。   

                      

 


第267号 日光山見学~旅レポ③

2008年05月22日 | 旅行  

さわやか長瀞舟下りと草津・鬼怒川二大名湯紀行」の三日目は世界遺産の日光山を見学した。
日光山は2社1寺で構成されている。
すなわち「輪王寺、東照宮、日光二荒山(ふたらさん)神社」。この順で見学した。
昔、昔、この地方は、春と秋の二回お天気が荒れ、「二荒」と書いて「にっこう」と呼んでいたそうである。

①輪王寺
この寺の創建は奈良時代というから、武士が台頭する前の事。
天台宗の寺院で、徳川家の庇護を受け繁栄を極めた。
(写真をクリックすると拡大できます。)
                
                        (本堂)
②東照宮
東照宮は、江戸城の鬼門・北東に位置している。
徳川家康は「死後、一年間は静岡に葬って、その後はこの地に埋葬を」と遺言を残している。
死後も徳川家の繁栄を見守りたかったのか。
一時、全国に東照宮なるものは500社にも及んだが、明治になってから廃社が続き現在は130と言われている。
  
      (あまりにも有名な陽明門と三猿の彫刻がある神厩舎)

函館五稜郭にあった箱館奉行所の鬼門にもやはり東照宮が建立されたが、明治2年の箱館戦争では新政府軍に焼き払われてしまった。
その後、再建移転を繰り返し、現在は「北海道東照宮」の名称で市内陣川町に美しい社殿を持っている。

③日光二荒山神社
               
神社の由緒によれば、「二荒山」とは「男体山」のこととあるから、山岳信仰の社かなと思った。
境内には、「夫婦杉、親子杉、縁結びの杉」があって(笑)を誘った。
親子杉は真ん中に父が肩身を狭くしてスモールに立っていて、縁結び杉は幹の途中からミズナラ(どんぐり)の枝が伸びてこれがその理由らしい。

昼食はこの地の名物である「湯葉定食」。
ここのレストラン1階の売店では金粉入りのカステラが名物だ。
東北自動車道を通って羽田に着いたのは15時5分。
ガイドさん、ドライバーさん、添乗員さんが挨拶。
車内には大きな拍手が沸いて別れを惜しんだ。  

                     

 


第266号 滝ざんまい~旅レポ②

2008年05月19日 | 旅行  

さわやか長瀞舟下りと草津・鬼怒川二大名湯紀行」の二日目は滝見学ざんまい。
ホテルを出て間もなく、みぞれが降ってきたのには驚いた。
気温は3℃と表示されていた。
どうりで昨夜は寒気がした。フロントへ「暖房を入れてください」と頼んだのが「個別には入れれません」との返事。
ポータブルストーブと毛布を借りてしのんだ。

最初は、群馬県沼田市にある「吹割の滝」。
(写真をクリックする下記2枚だけ拡大できます。)
  
地元では「東洋のナイアガラ」と宣伝している。
落差は15メートルと低いが形状が不思議。
上流、下流、横の三方向から滝壺に流れ落ちていて、対岸に渡らないと滝つぼを見ることはできない。
滝までの通路はよく整備されていて、階段は127段。

二番目(左下)は、中禅寺湖の近くにある湯湖から流れ落ちる「湯滝」。
(所在地=栃木県日光市字湯元)
落差は75メートル。
                
とりは、やはり{華厳の滝」(所在地=栃木県日光市中宮祠)でしょうね。
上から望める第一、第二展望台からパチリ。
エレベーターで降りて(630円)下からも望めるのだが、あいにく「霧で見えません」とご親切な案内があり諦め。

日光に来たのは、中学の修学旅行だから、もう50年も前のこと。
外人さんの多さにビックリ。
平和で安全な日本を信じて、いらっしゃるのであろうか。

余所見をしていたら外人さんにぶつかってしまった。
得意?の英語で「パードンミー」。
そうしたら「イエイエ、ドコ、イタクシマシテ!」とりゅうちょに洒落をかました返事。
「べりーグッド」と思わず声が出て、「にっこり顔」でバイバイした。

下り専用の「いろは坂」を通行してホテルに着いたのは16時10分。
団体旅行にしては異例の早い到着だ。
寒いから、皆早めにバスに戻って来たのがその理由。
部屋に入って目を疑った。
主室は12.5帖間。それに4.5帖の控えの間に総ガラス張りの広縁付き。
暖房もばっちり入って申し分がない。
ひと風呂浴びたら、強烈な眠りの世界に誘われてしまった。

吹割れの滝の拡大写真はミスがありまして、申し訳ありませんでした。
追記5月20日11時45分

                   

 


第265号 旅から戻りました~旅レポ①

2008年05月16日 | 旅行  

出発日の早朝、旅行先の関東、甲信越地区の天気予報を入念にチェック。
太平洋側には台風2号が接近中、日本海側には大陸から寒波を伴った低気圧が次から次と接近中とあってお先真っ暗となった。
しかし、「二人の好天の女神」が同伴、奇跡を信じ旅立った。

結果的には、女神のねばり勝ち。
ホテル滞在中、バスでの移動中、お土産店での買い物中は降雨、しかし、下車観光地では雨具の世話にならなかった。
でも、寒かった。寒さの本場から出かけたのに・・・。
草津温泉ホテルを出たバスは、間もなく「みぞれ」の洗礼を受けたのには「びっくらこいたー」。
ここは、標高が約1,100メートルと高いという。「なるほど」と思った。

今回の旅行主催者は、先月のハウステンボスも企画した札幌の「普門エンタープライズ」。旅のタイトルは「さわやか長瀞舟下りと草津・鬼怒川二大名湯紀行」。
函館からは我々4名、新千歳からは26名、計30名の参加であった。
羽田空港で合流、目的地へバスで移動を始めた。
初日の13日の見学地は、「長瀞の舟下り」と草津温泉の「湯畑」と「湯もみショー」。

長瀞渓谷(ながとろけいこく)
埼玉県北部の長瀞町にある渓谷で、距離は約6km。
国道140号線沿いに流れる。
東京の隅田川、荒川の上流にあたるとは・・・。あまりにも清流だ。
1876(明治11)年、地質学者・ナウマン博士によって発見され、「日本地質
学発祥の地碑」がある
(写真をクリックすると拡大できます。)
 
船頭さんは前と後ろに2名。
船尾の方が冗談を言っては笑わせる。水しぶきをかぶったのは1箇所だけで、その時はビニールで身を守る。あっという間に20分の舟下りは終わった。
このライン下りは、秩父鉄道が経営していたとは知らなかった。

ここを出て、くねくね道を辿って着いたのが草津温泉。
群馬県吾妻郡草津町の人口は僅か8,000人ほど。
ここに年間280万人の浴客が集まるというからすごい集客力だ。
江戸時代の温泉番付では、当時の最高位であった東大関にランクされていた。
その人気をそのまま引き継いでいるよう。

泉質は、酸性泉、硫黄泉でかなり強い。
長時間の入浴は粘膜に悪く、また宝石などにもくもりの変化が見られるとか。
 
もうもうと湯煙を上げるのは「湯畑」。
数本の木製樋から濁った温泉が流れ落ちる。
この湯畑を取り囲むように200本ほどの石柱の柵があり、石柱にはここを訪れた芸能人、スポーツ選手、政治家、作家などの名が刻まれていて興味深い。

町内のあちこちの旅館やホテルで行われていると思っていた「湯もみ」は、現在では湯畑そばの「草津温泉観光協会会館」の常設ステージでのみ行われている。
520円を払って入場。30分のショーが始まった。
「くさつよいとーこ♪ いちどはおいでー♪ ドッコイショー♪ おゆのなかにーもー こーりゃ♪ はながさくよ♪ チョイナーチョイナー」の曲に合わせて10人の若い昔の美女たちが湯もみを。

そのあと、見学者からの参加を募ったので手を上げ、湯をかました。
賞状と賞品をもらい感激。

ホテルでの夕食は和食膳。食べきれない量にギブアップ。
満足な一日だった。(旅レポは続く)

                    


第264号 旅に出ます。

2008年05月13日 | 旅行  

今朝の一便飛行機で旅に出ます。
今回の行き先は、埼玉県長瀞(ながとろ)渓谷の舟下り、群馬県草津温泉、栃木県鬼怒川温泉、華厳の滝、日光東照宮など。
15日に戻る予定です。

内地への旅は今が旬。
来月になると梅雨、それが終わると暑さ。そして台風シーズンが。

でも、今回は早くも台風が来ています。
しかし、これまでの旅で一度も雨に遭遇したことがないという「100%晴れ女」が2名もご一緒、安心しています。

それでは、行ってきまーす。             

                     

 


第263号 土方歳三殿へ献花~祥月命日

2008年05月11日 | 新撰組

明治2年の旧暦の今日は、箱館戦争で亡くなった「新撰組副長・土方歳三」の139回目の祥月命日。
北の大地に散った若き獅子に、庭に咲く花を携えて朝6時にお参りに行った。
(写真をクリックすると拡大できます。)
  
遺体の埋葬地は未だに不明であるが、やはり五稜郭だと確信じている。
石垣の中なのか、堀の中なのかは分からないが「戦争」という非常緊急事態だから、遠くには運び出せれないと思う。

最期の地碑のある一本木近くで、松前藩士の米田幸治が放った銃弾が腹部に命中。
即死説もあれば、近くの味噌小屋で一晩中苦しんで亡くなった説など混乱の中だからこそ諸説が生まれた。

「ご先祖から聞いた話なのですが」と前置きし、米田の末裔(元大学教授)の方は、「撃った弾で落馬した大将らしき遺体に近づいたらもう首がなく、着用していた陣羽織の裏には”土方”の文字が見えた。この陣羽織は持ち帰るべきだった」と述べたことがあった。
米田の写真が残っている。風貌は「永倉新八」に似ている。
永倉も松前にゆかりのある隊士だった。

五稜郭タワーに土方の立像が建てられたとき、この末裔の方と日野市にある土方歳三資料館・土方陽子館長とが対談した。
「悲しいできごと」と結んでいた。

五稜郭内で、箱館戦争の戦死者の遺体が最後に発見されたのは大正15年のこと。裏門近くにあった茶店のすぐそばだった。
一方遺物は、官軍の軍艦・甲鉄が七重浜から放った砲弾で、平成になってから石垣改修工事中に見つかるなどしている。
箱館戦争終結から139年、遺骨は確実に土にかえっている。

現在、五稜郭では「箱館奉行所」の復元工事が進められている。
完成したら、彼はきっと榎本武揚、中島三郎助、相馬主計らを呼んで、「箱館戦争戦友会」を開くに違いない。

最後の地碑横には、日野市から移植した「歳三桜」がある。
何故か、命日前後にならないと咲かないと伝えられている。
今朝も満開に近い歳三桜が美しく咲いていた。

(※ 土方歳三に関するマイブログは、カテゴリの新撰組をクリックしてください。)

                      

 


第262号 「しらねあおい」が咲きました

2008年05月09日 | 我が家のもろもろ

我が家の庭に「しらねあおい」が咲きました。
漢字で書くと「白根葵」となり、日光白根山に多く咲くことからこの名が付けられた
とあります。
本州中部以北の深山にに分布する多年草です。

           

3年前に旅仲間から頂いたもの。
花言葉は、①優美②完全な美。
少しでも近づきたいと思っていますが、もう遅しですねぇー(笑)。

                      

 


第261号 無性に食べたくて~きびだんご

2008年05月06日 | 我が家のもろもろ

我が家から歩いて5分のところに、食品を主体にした「百円ショップ 」がある。
ほとんど毎日のように通っている。
昨日のこと、そこで「日本一のきびだんご」を見つけた。
           
子供の頃、よく食べた懐かしい赤の包装紙。
早速買い求めた。4本入っていた。
当時、家の近くには「国産製菓」と「天狗堂」の二社があり、そこで作っていた。
その前を通ると、甘いにおいがして急激に腹がすいてきたのを覚えている。

内地の方ば、「棒状の形が珍しい」と言うが、私はこの形より知らない。
オブラートに包まれた「だんご」は、今となっては素朴な味。
30代の息子も口にして「さっぱりした味だね!」と二本目に手を伸ばした。
たちまちなくなってしまった。
「また、明日買ってこようかな」。
そう思いながらお茶のおかわりをした。

                       

 


第260号 ジューンベリーが咲きました。

2008年05月04日 | 我が家のもろもろ

今年も我が家の庭に、「ジューンベリー」が小さな白い花をたくさん咲かせてくれました。
(写真をクリックすると拡大できます。) 
  
この木はバラ科に属し、初秋には黒紫の小さな球形の果実をつけ、これを目当てに小鳥が集まってきます。
ジャムを作ることもできますが、「まぁー小鳥のご馳走になるからいいかー」と思い、そのままに。
秋には紅葉になって、季節の変化を楽しむことができます。

                   

 


第259号 函館さくら便り~桜が丘通り

2008年05月01日 | 町の話題

所在地=函館市松陰町と柏木町との境市道。

(写真をクリックすると拡大できます。)
 
市電・五稜郭公園前から湯の川方面へ進み、市電・柏木町停留所手前を右に入ります。(小さな「桜が丘通り」の看板が目印、お見逃しなく。)

前号で予告しました「桜のトンネル並木」が、満開になりました。
桜そのものは約600mにわたって植樹されていますが、トンネル部分は約400mの区間です。
この地区は市内にあっては高級住宅地、海産商などが別荘地として買い求めた土地が多く、庭の広い家が見受けられます。

昭和初期に、地主達がソメイヨシノを植えたのが始まりで、その後も若木を移植するなどして現在の並木に育てあげました。
街路樹としては手間がかかる桜ですが、皆が力を合わせこの通りを桜の名所とし維持して行こうと力を注いでいます。

撮影中も観光客がハイヤーで来られ、ドライバーさんに撮ってもらう姿があり、期間限定ながら観光地に変身します。
ここは、住宅街を走る道路ですから、駐車場や夜間照明の設備はありませんのでご注意ください。