ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第36号 水道共同栓 

2006年09月30日 | 珍話、懐古品、珍品

所在地=函館市水道局元町配水場内

先の35号から、いよいよ函館観光のトップ地、西部地区にやって来た。
そこで見つけた物はこれ。

           

 懐かしい水道共同栓だった。
私が小学生低学年のころ、学校から帰ると真っ先にやった仕事が水運び。
街角のあちこちにこの共同栓があって、1箇所で約20軒が共同で使っていた。

鍵が各家庭に配られていて、それでバルブを開けバケツに水を入れ、天秤棒でかつぎ、台所の水がめに溜めた。
小さい体の肩に棒が食い込んで痛かった。冬はそりに載せて運べるので楽ではあったがきつい用事に変わりがなかった。
高学年になって、我家の台所にようやく水道蛇口がつき、うれしくて、嬉しくて小躍りしたものだった。

黒く光る鋳物製で、頭部にはライオンの顔がかたどっていて、口から水が出る構造だった。
写真のそれは、そのままの形をしており、蛇口を開けると水が勢い良く出てきた。口に含むと昔の味がほんのり感じられた。
函館の水の美味しさは、他都市に行った時に初めて分かる。
水の大切さを知って、無駄のない使い方をしたいもの。

明日から10月。一年の四分の三が過ぎ去ろうとしている。
紅葉が終わったら雪が降り、クリスマス、お正月がやってくる。
ユックリズムで過ごしていても、
月日が経つのは早いもの。
いちにち、一日を有意義に送りたいと思っている。   ミカエル

 

 

 

 


第35号 高田屋嘉兵衛銅像、高田屋屋敷跡

2006年09月28日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市宝来町緑地帯内     

    
 

高田屋嘉兵衛像は箱館開港100年を記念して、昭和33年に函館出身の彫刻家・梁川剛一氏によって制作された。
嘉兵衛は1769年に淡路島で生まれ、28歳のときに箱館に渡った。
1818年に故郷に帰るまで、箱館を基地として造船、海運業、漁場経営、などを手がけ、国後島・択捉島の航路や漁場を開拓し、函館発展の基礎を築き大きな功績を残した。
さらには、民間人でありながら日露間の外交問題の解決にも力を発揮した。
像の姿は、箱館に入港したロシア軍艦に乗り込んだ時の正装である。

この像から約150m市役所寄りに、屋敷跡がある。
高田屋の全盛期は1801年ころ。嘉兵衛のあとを継いだ弟・金兵衛が、幕府からこの地一帯50,000坪(後楽園ドーム敷地の約3倍強)を拝借し、その一角に豪壮な邸宅を建てた。
敷地面積は、220m四方というから前記ドームの約1個分。
築山、池、高価な石を配置していた。

事業で得た利益は広く住民に還元したり、困窮者の救済にも手を差し延べた。
住吉町の浜から大きな石を屋敷まで運ばせ、賃金を支払った話しは有名。
後年、幕府から法を犯したとして財産を没収されたのは悲しい出来事。

大町の電車通りに高田屋本店跡の標柱があり、末裔の方が末広町で
私設博物館(北方歴史資料館)を開設している。
嘉兵衛をモデルにした小説が出版され、これをテレビドラマ化もした。
宝来町では「高田屋まつり」が開かれる。
とてつもないスケールの大きい人物・高田屋嘉兵衛。
いまの函館は、まさに彼の再出現を待ち望んでいる気がする。

今日の函館は風が強いながらも青空が広がり、予想最高気温は21℃と過ごし易い。
妻が若々しく可愛らしくなって美容院から戻ってきた。
いくつになっても、妻も夫も小奇麗でいたいもの。老後にだって青春はあるんだから。
     ミカエル

 


第34号 ブログ解説書を購入

2006年09月27日 | 我が家のもろもろ

昨日、ブログの解説書を求めた。

ブログのシステムに興味を覚えたのは、NHK教育テレビの番組を見てから。
何となく自分でも開設から投稿までが可能と思い、買い求めた番組テキスト、goo編集画面を頼りに進めてきた。

しかし、これだけでは壁に突き当たり、解決の糸口を探していたところ的を得た解説書を見つけた。
これまで時間をかけてクリアした技法、今の難問解決手法も載っていて買う意欲をわかせてくれた。

左側の本は、PCに関する一連の「できるシリーズ」で、
これ以上の細やかな解説は望めない優良書でしかもgoo対応専用本。
右の本は、ハイテクニックが主体で私にとっては難解。よくよく見たらライブドアブログの対応本。でも、応用できる事項はありそう。

画面にすぐ反映可能な技法、編集時間を短縮できる技法などを少しずつマスターしてきた。その都度喜びが生まれ、自信がついた。
ブログについて、語り合える仲間が身近にいれば心強いとも思う。
だんだんと楽しくなってきたブログ。
これからも肩を張らず、マイペースで進めていきたい。
今日の函館は 
予報最高気温は18℃と肌寒い。
夕方からストーブの出番となったが、高い灯油を考えれば今年は暖冬であって欲しい、と願うばかり。   ミカエル
  

 


第33号 中島れんばい

2006年09月25日 | 美味満足技処、買い物処

所在地=函館市中島町

   

第31号でご紹介した「中島三郎助父子」の最後の地として、彼の名を冠した町にしたのは昭和6年であった。
昭和9年の函館大火の直後から、このあたりに露店が建ち並び昭和11年にはその数100を超えていた。

朝市、自由市場とともに函館三大市場と呼ばれているこの中島廉売が、これらと性格を異にするのは、商店街を構成しているから。
即ち、商店主が店の奥や二階で生活している。ここで生まれ育った主が多いことから、お得意さんとは強くて長い信頼関係で結びついている。

中島町商店街振興組合、中島町親睦会、仲通り会で構成するこの廉売の店舗数は約200。
新鮮食品だけでなく、幅広い生活用品も安く売られており、観光名所になってきている。
我家に来られた方も、最終日にここで買い物をして空港へ直行。その夜の食卓に刺身を並べるという。

駐車場の確保、協業化による共同店舗の建設は長年の課題となっているようであるが、消費者はそれにお構いなく上手に買い物をしている。
函館弁が飛び交う庶民の台所としての地位は、この先も不動であろう。
私のお薦め品堂守豆腐店の「きんちゃく」は絶品。11時ごろ店頭に並ぶ。

今日の函館は素晴らしい秋晴れ。デジカメ持って西部地区の名所を40枚のかため撮影。PCに取り込んで写り具合に満足。
5回分の投稿に使えそうで一安心。明日も天気になぁ~れ! 
   ミカエル

 


第32号 NHK函館放送局

2006年09月21日 | 放送局

所在地=函館市千歳町13番1号

この放送局の歴史を振り返ってみた。
昭和7年2月6日、汐見町(現在の元町一番館敷地)に開局し、この地に移ったのは昭和42年、そして平成14年に開局70周年を迎え多くの記念行事があった。

局建設前のこの地には、「相互自動車」の車庫があった。
黄色と青のツートンカラーの路線バスと青のタクシーがずらり並び、タクシーは国産車でなくフランスの小型車・ルノーであった。
路線バスは、旧銭亀沢、戸井地区を走っていた。
2年前、大河ドラマ・新選組を放映した年、番組モニターの委嘱を受け、レポート書きに追われたのを思い出した。

訪れた今日は、「ハートプラザ」で民謡の佐々木基晴さんを迎え、ラジオの生放送が行なわれ、「ギャラリー・いろどり」では「はこだて切り絵愛好会」主催の第7回作品発表会が開かれていた。

   

どの作品も、とても繊細な下絵にナイフが走り、人物などの表情を見事にとらえ、奥深さと力量の高さを感じさせてくれた。
人力車を中央に配置させた構図の作品、「浪漫の街函館」が気に入りパチリ。

体験コーナーは満員盛況。教わった要点は、「下絵を上手く描き、根気よくナイフを動かす」。
お持ち帰り勉強セットを頂戴したので、今夜挑戦。
皆さんもチャレンジしてみませんか。   ミカエル


 

 

 

 

 


第31号 中島三郎助父子最後の地碑

2006年09月20日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市中島町37番(函館税務署前)

  

 彼の名を知らない人達が多くなっているが、明治2年の箱館戦争では、この地にあった千代ヶ岡陣屋の守備隊長として明治政府軍と長男、二男とともに戦い戦死した。
十代の二人の子供を道連れに挑んだ姿は、涙を誘ったことであろう。

もともとは、浦賀奉行配下役人。江戸徳川幕府が開設した長崎海軍伝習所の一期生で、五稜郭に置いた蝦夷共和国の総裁・榎本武揚の先輩。
その後、オランダに建造依頼した軍艦・開陽丸の機関長になり、榎本らと雪舞う蝦夷地にやって来て、徳川家の再興を願ったが夢ははかなくも消え去ってしまった。

函館には、五稜郭築造時の功績者や箱館戦争の旧幕府軍の名将の名を冠した町がいくつかある。
土木工事を請け負った松川弁之助が開通させた道路沿いの松川町、榎本軍の野戦病院があった榎本町、榎本武揚の号をとって梁川町、そしてここ中島町がある。

毎年5月に開催される五稜郭まつりの際には、ここで碑前祭があって読経が流れ、浦賀市長からの言葉もある。
忠義に散った3人のご冥福を心から祈りたい。

 

昨日、gooだけの函館を題材にしたブログを見たが、一日分の投稿だけでその数は50を超えている。
なかには、素晴らしい写真技術を駆使された方、長い間投稿されている方などがあってとても参考になるとともに、自己研鑽の必要性を感じさせられた。   
        ミカエル

 

 

 

 



 


第30号 新星映画劇場跡

2006年09月18日 | 映画館、娯楽場

所在地=函館市千代台町2番4号

堀川町の電停そばにあるこの建物は、現在「キングストア」として使われているが、昭和30年代は新星映画劇場であった。
多くの映画館は取り壊されてしまったが、ここは唯一姿を残しているから貴重だ。

私が中学生のころは、映画館の全盛時代。
西部地区から順に挙げてみる。
末広町銀座通り近くに「銀映座」。宝来町現JALシティホテル敷地に「銀座松竹」。市電東雲線宝来町に「ロキシー」。大門松風地区に「大門座」、「巴座」、「公楽」、「大映」、「東映」、「函館松竹」、「日活」、「セントラル」、「ロマン座」、「名画座」、棒二森屋の「ニュー東宝」。若松町に「中央座」。新川町に「文化劇場」。行啓通りに「東劇」。五稜郭駅前に「○○(名前忘れ)」、湯の川お菓子の銀月向かいに「湯の川公楽」。
記憶ではこれらで、計20館。

この新星で見て記憶にあるのは「じゃんけん娘シリーズ」と「ゴジラ」。
美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの3人が繰り広げる友情をミュージカル風に仕上げた作品。私はいずみさんの大ファンで、ブロマイドを集めたもの。
お正月は年玉でお菓子を買い、それを持ってここに来るのが何よりの楽しみだった。

大型台風13号が本道にも上陸の予報。
既に通過した山口県萩市に実家がある友人に、メールをうったら大丈夫の返信。
ホッと一安心。
我家でも庭にある強風で飛ばされそうな物を、物置に入れなくちゃぁー。

  ミカエル
映画館の追加~大森町に有楽座、万代町消防通りにパール劇場。(10月4日)
若松町に富士館(11月2日)で合計23館

新映→新星 18.11.08誤り訂正

 

 

 

 

 


第29号 湯川公園

2006年09月17日 | 公園

所在地=函館市湯川町1丁目32番

  

湯川公園といってもピンとこないが、市民会館と市民体育館の建っている敷地一角が公園。ここの目玉は、噴水と花時計。
どちらも誇れる施設で、心を癒してくれる。
噴水中央の像は、日露漁業の創始者であり運輸大臣まで上り詰めた平塚常次郎氏。偉大な人物であった。

札幌の大通り公園は、噴水と花壇、芝生がセットになっている広場がたくさんあって、羨ましい。

函館の噴水はここ以外に、函館公園と元町配水池の2箇所で、中心部から離れている。新川町の裁判所前の広い道路を、5号線まで噴水、花壇、芝生でつなげたらどんなに潤いのある街並みになるだろう、といつも考えている。
歩道を広くし、木陰を作り、ベンチを並べたら素適な憩いの場となる。
実現したら、ロマンの町・函館が一層輝きを増すと思うのだが・・・。

明日は敬老の日。戦後の苦しい時、歯を食いしばって国の復興にあたってくれたお年寄の皆さんの労苦に感謝し、末永く穏やかな日々を送っていただきたい、と願うばかり。  ミカエル

日露漁業→日魯漁業 18.11.08訂正

 

 

 


第28号 湯の川球場跡地

2006年09月16日 | 旧跡、史跡

所在地=函館市湯川町2丁目41番(現=湯川中学校)

    

 アメリカのプロ野球界に名を残した二人の名選手、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックほかが、かって函館のこの地に来てプレイした。それは昭和9年、函館大火の年である。
迎えた31名の全日本選抜チームは、函館太洋倶楽部久慈次郎を主将に、5ー2と善戦したが敗れた。
この試合には、旭川中学のスタルヒンも選ばれ出場した。

当時、日本にはプロ野球球団がなかったし、球場設備は、現在とは比較にならないほどお粗末で木製の観客席であった。
今日、同じ場所で中学生が部活のテニスをやっていたが、当時の熱狂さが黒松の木陰から聞こえそうな気がした。

5日間快晴をもたらしてくれた高気圧にもお疲れが見え、天気は下り坂。
一雨降ったらキノコが顔を出し、秋の速度が早まりそうである。  ミカエル


 

 


第27号 無事戻りました。

2006年09月13日 | 旅行  

墓参りから無事戻りました。
三日間快晴で、新車でのドライブを満喫。
往復全てを妻が運転してくれ、ご苦労様。
有難うの感謝の気持ちでいっぱいです。

ニセコ温泉は、ゆったりとした露天風呂に大満足。
ホテルそばにある、ニセコ連山の伏流水を噴出している「ニセコ甘露泉」の水の冷たさ、美味しさに驚きました。
ニセコ道の駅・ビュープラザでとれたての農産物をお土産に帰宅、ホッとしています。
 一段落したらブログ本来のテーマに戻り、取材、投稿に努めます。
 ミカエル       



 

 


第26号 有給休暇をもらいました。

2006年09月10日 | 旅行  

明日から妻の母の墓参りで札幌に出かけます。
帰途、ニセコに寄って温泉をゆっくり楽しむことにしました。
7月に新車を求めてから初の遠乗り、快適なドライブが期待できそうです。

そんな訳で申し訳ありませんがこのブログ、数日間休ませていただきます。

それでは気をつけて行ってきます。   ミカエル


(宿泊するニセコのホテル露天風呂)

 

 


第25号 緑園通り(自転車・歩行者専用道)

2006年09月09日 | 通り、坂道、散策路
所在地=函館市湯川町3丁目~深堀町+本通3丁目

  
(左=湯川小学校向かいの入り口、右=産業道路から見下ろしたトンネル付近)

旧国鉄戸井線跡地を利用した自転車と歩行者の専用道路で、開通は昭和57年。
湯川小学校斜め向かいから函館自動車学校の手前まででいったん切れる。
その先は、テーオーストアの前、テニススクール・ファイン横から再び専用道に入り、函工裏のミスタードーナッツの交差点が終点となる。

深堀町までは約1.8㎞、本通区間は約0.5㎞ある。
歩道と自転車道は、舗装の色で完全に分離されており、分離帯には樹木や花壇があり、起伏に富んでいる。
春の桜、秋の紅葉、四季の花々を見ながら散策する人、犬連れの人が多い。
朝のラッシュ時は、学生や通勤者の自転車で込み合う。

トンネル、橋がそれぞれ2箇所ある。
暑い夏の日は、産業道路下のトンネルが涼しくて、ひと休みの穴場。
私も何度となく自転車走行しているが、舗装面の損傷が激しく、ガタガタして走り心地が悪い。補修はところどころ手直ししているが、全面の舗装し直しが待たれる。


一昨日、北斗市のかなでーるで、NHK・BSTV番組「ふるさと皆様劇場」の公開録画が行なわれ、観覧することができた。
競争率6倍、遠くは東京、千葉からの応募もあったという。

録画順序は、1.歌謡ショー、2.地元家族の紹介・対談、3.コントで、時間は約3時間。出演はレギュラーの梅沢富美男、前川清、ゲストは長山洋子さん。
長山さんは、小柄で綺麗、まるで博多人形みたいで、とても40代には見えない。
お客さんからそう言われると「皆さん、そう言います」と笑わせる。
楽しく盛り上がった雰囲気で無事終了となった。

それにしても、リクエストをする女性の派手なジェスチャーに出演者もたじたじ。
大和ナデシコの恥じらいは何処へ?   ミカエル


第24号 ミカエルのミニ菜園のベイナス

2006年09月06日 | 我が家のもろもろ

祝・秋篠宮家御親王誕生

   

親王誕生のニュースを見ていたら、取材を忘れてしまった。身近な話題でお許しを!

我家のミニ菜園で収穫したベイナス(米ナス)を紹介します。

ナスの種類は、長ナス、水ナス、丸ナスなどの種類があって、ベイナスは丸ナスに属する。

どうしてベイナスと呼ばれる?中国産の品種がアメリカに持ち込まれ、アメリカ人が交配、改良し定着させたからだと言われる。

長ナスのつもりで植えつけたが、なんだか様子が変で他の種類?と、思っていたが、こんな立派なベイナスになるとは・・・。長さ15センチ、重さ350グラム。このサイズなら1個90円で秋田の農家の方がHPに載せていた。

フライパンで焼き、味噌だれで食したが味の良さに満足。ベイナスを作り出したアメリカさん、サンキュー。  ミカエル


第23号 函館自由市場

2006年09月04日 | 美味満足技処、買い物処
所在地=函館市新川町1番2号  交通=市電・新川町電停下車すぐ

前号でご紹介した「土方歳三最期の地碑」から、歩いても10分の距離にある。
函館朝市、中島廉売とともに函館三大市場として位置付けられている。

 

歴史は終戦直後の昭和20年、現在地の近くで青空市場を開いたのが始まり。
その後、昭和26年に現在地に市場が建設された。
大門の隆盛化に伴い、プロとの取り引きが盛んになり、あわせてこれまでの庶民の台所としての地位も確立されていった。

ところが、忘れもしない大事件が起きた。
それは、平成7年12月31日の未明、この市場を出火場所とする火事が発生し、ほぼ全焼となったのである。
大晦日とあってどこの店も大量に商品を仕入れていて、被害は甚大、暗い正月を迎えることになった。

復旧に向け、組合員が一丸となり、行政の後押しも取り付け、翌8年8月、見事に新店舗は完成した。
この間、組合員は近くの建物を借り、バラバラになって仮営業した苦労があった。
現在の店舗数は約50、鮮魚店が半数を占める。
近年は、品質の良さに対面販売の利点があって、観光客のおみやげ購入地として伸びつつある。

8月31日、この市場でいかを買ったとき、無理を言って「刺身にして下さい」とお願いしたところ「よろしいですよ」と、綺麗に作って頂き足と氷も詰めてくれた。
サービス満点のこのお店は「金子鮮魚店」であった。お世話になりました。

毎月、8日、18日は特売日。皆様ぜひお出掛け下さい。
日曜日はお休みです。  

今日は私達の37回目の結婚記念日。
会場はこの市場のすぐ傍の「共愛会館」(現・函館中央郵便局)であった。
会費は確か2,000円、今夜は外食の予定。
さて、何処に行こうかな?  ミカエル




第22号 土方歳三最期の地碑

2006年09月02日 | 新撰組
所在地=函館市若松町33番 総合福祉センター敷地内
交通=JR函館駅から徒歩15分

 
(左の碑前には花が絶えない。右は平成16年NHK大河ドラマ・新撰組のPR用市電)

京都守護職のもとで、動乱の幕末の京都の治安にあたった新撰組。
その副長として重責を担った土方歳三が、五稜郭を舞台に繰り広げた箱館戦争では、榎本軍の陸軍奉行並だった。

明治2年5月11日、政府軍が箱館総攻撃を仕掛けた時、土方は35歳で戦死した。
戦死地については、鶴岡町(現・大手町)、英国橋(現十字街交番)付近、そしてこの地の三説があるが、函館市の公式戦死地は、この付近にあった一本木関門説をとった。

財政難に陥った榎本軍は、この付近から第16号でご紹介した啄木小公園あたりまで柵を張り巡らし、数箇所に関門を設け、通行人から通行税を徴し、一本木関門はそのうちの一つであった。

碑は、ご近所の方々が清掃にあたり花も供えて下さっている。
碑前に小さな引き出しがあって、ろうそく、線香、訪れる方が記帳するためのノートが入っていて、細やかな心づかいが感じられとても嬉しい。
若い女性の姿が絶えることなく、ノートに土方への思いがびっしり書かれている。
私も2年前の祥月命日に、庭の花を供え記帳した。

赤い陣羽織を着用し、抜刀し、馬で切り込んで行った土方が銃弾を受け落馬したとき、頭の中に近藤勇や沖田総司の顔が浮んだに違いない。
遺体埋葬地はいまだに不明であるが、探索せずにそっとしておいてもらいたい。
その方が、ロマンあふれる想像がわくからである。 

北の大地に描いた夢を実現出来ないまま散った、若き獅子の冥福を祈りたい。

ミカエル