ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第30号 新星映画劇場跡

2006年09月18日 | 映画館、娯楽場

所在地=函館市千代台町2番4号

堀川町の電停そばにあるこの建物は、現在「キングストア」として使われているが、昭和30年代は新星映画劇場であった。
多くの映画館は取り壊されてしまったが、ここは唯一姿を残しているから貴重だ。

私が中学生のころは、映画館の全盛時代。
西部地区から順に挙げてみる。
末広町銀座通り近くに「銀映座」。宝来町現JALシティホテル敷地に「銀座松竹」。市電東雲線宝来町に「ロキシー」。大門松風地区に「大門座」、「巴座」、「公楽」、「大映」、「東映」、「函館松竹」、「日活」、「セントラル」、「ロマン座」、「名画座」、棒二森屋の「ニュー東宝」。若松町に「中央座」。新川町に「文化劇場」。行啓通りに「東劇」。五稜郭駅前に「○○(名前忘れ)」、湯の川お菓子の銀月向かいに「湯の川公楽」。
記憶ではこれらで、計20館。

この新星で見て記憶にあるのは「じゃんけん娘シリーズ」と「ゴジラ」。
美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの3人が繰り広げる友情をミュージカル風に仕上げた作品。私はいずみさんの大ファンで、ブロマイドを集めたもの。
お正月は年玉でお菓子を買い、それを持ってここに来るのが何よりの楽しみだった。

大型台風13号が本道にも上陸の予報。
既に通過した山口県萩市に実家がある友人に、メールをうったら大丈夫の返信。
ホッと一安心。
我家でも庭にある強風で飛ばされそうな物を、物置に入れなくちゃぁー。

  ミカエル
映画館の追加~大森町に有楽座、万代町消防通りにパール劇場。(10月4日)
若松町に富士館(11月2日)で合計23館

新映→新星 18.11.08誤り訂正

 

 

 

 

 


第21号 キャバレー・未完成

2006年08月31日 | 映画館、娯楽場
所在地=函館市大森町17番 → 松風町9番

東京に住む義姉の孫二人が、高速バスとフェリーを乗り継いで函館にやって来た。
池袋発が22:10で、函館着が13:00。往復料金19,600円也。
「安いけれど疲れる」の声。連絡船時代は、上野まで約11時間かかったから、やはり特急列車は速かったのだと思う。
現在はトンネルと新幹線で6時間余り、やがて北海道新幹線が開通すると3時間40分に縮まるというから、技術の革新に驚く。


            (左は初代店舗跡地、右は廃業した新店舗)

私が社会人になった頃、函館市内にはキャバレーが3店あった。
祇園通りにハーバーライト、高砂通りにフロリダ、さいかデパート通りに未完成が。
未完成は、最初、19号でご紹介した巴座の裏にあったが、中学生だったので内部の様子は全く分からなかった。その後、店は松風町に移った。

私は年2回(夏、冬のボーナス時)、主に未完成に行き雰囲気を楽しんだ。3店の中で一番広く豪華で、専属バンドをかかえ、有名な芸能人のショーが連日繰り広げられていた。
12月になると、クリスマスパーティー券をホステスさんから頼まれる。
1枚3,000円くらいだったと思う。店の帰りに、ケーキと紙製の帽子をもらい、千鳥足で帰ったこともある。

最期の隆盛期は昭和40年代~50年代までと思う。バブルがはじけて不況になったのと、繁華街が五稜郭地区へ移ったのに伴い閉店となったようである。
空き店舗を見て、華やいだ雰囲気で飲み、踊った場面が思い出されてきた。
経営者は確か平形さんという方だった。  ミカエル




第19号 劇場映画館・巴座跡地

2006年08月26日 | 映画館、娯楽場
所在地=函館市大森町

今日も快晴、写真撮影には絶好な日和。松風町へ行ったついでに足を延ばし宝来町の肉屋へ。ここのコロッケの味は絶妙だ。
我家へ10個、お世話になっているご近所にも10個求めた。観光客らしい若いカップルも5個求め、歩きながら味わうという。
「観光パンフで紹介されていました」と、語ってくれた。

                

大森交番から函館山方向へ進むと、ホテル函館ロイヤルがあって、その手前の駐車場に巴座があった。
昭和20年代までは、花道、畳敷き升席がある実演専門館で、時代劇や歌謡ショーが盛んに行なわれていた。
巴座裏に3年ほど住んでいた時、出演者専用口で待って、花形スターの横顔を拝見したものである。
専属時代劇スターは、君島道之助さん。瀬川瑛子さんのお父さん、瀬川伸さんもよく出演していて、マドロス姿は夢の世界から抜け出たような華麗さがあった。

その後、椅子席にして映画館になったのが30年代で洋画封切館であった。
ジェームス・ディーンのジャイアンツ、007シリーズなどを見た。

35年頃、国鉄青函船舶鉄道管理局の家族慰安会が年1回、半月か、1カ月位の長期にわたり行なわれていた。
当時は、テレビの普及前だったから実演と映画を組み合わせたこの慰安会が大人気で、一日3回の公演は、入場を待つ職員、家族の列が大森交番まで続いた。
お菓子などのお土産をもらい、半日を楽しく過ごすこの会は大好評で、青函局が終わると、市役所などの慰安会が続いた。

ここの館主、経営者は代々地原さんで、映画館が斜陽化になってからも、娘さんが「映画の灯を消したくない」と頑張ったが、遂に時代の波に押し切られ、数年前永遠に幕を下ろしていた館は取り壊されてしまった。

跡地の駐車場を利用するたびに、華やいだ巴座の銀幕を見つめていた頃が思い出される。  ミカエル