ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第31号 中島三郎助父子最後の地碑

2006年09月20日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市中島町37番(函館税務署前)

  

 彼の名を知らない人達が多くなっているが、明治2年の箱館戦争では、この地にあった千代ヶ岡陣屋の守備隊長として明治政府軍と長男、二男とともに戦い戦死した。
十代の二人の子供を道連れに挑んだ姿は、涙を誘ったことであろう。

もともとは、浦賀奉行配下役人。江戸徳川幕府が開設した長崎海軍伝習所の一期生で、五稜郭に置いた蝦夷共和国の総裁・榎本武揚の先輩。
その後、オランダに建造依頼した軍艦・開陽丸の機関長になり、榎本らと雪舞う蝦夷地にやって来て、徳川家の再興を願ったが夢ははかなくも消え去ってしまった。

函館には、五稜郭築造時の功績者や箱館戦争の旧幕府軍の名将の名を冠した町がいくつかある。
土木工事を請け負った松川弁之助が開通させた道路沿いの松川町、榎本軍の野戦病院があった榎本町、榎本武揚の号をとって梁川町、そしてここ中島町がある。

毎年5月に開催される五稜郭まつりの際には、ここで碑前祭があって読経が流れ、浦賀市長からの言葉もある。
忠義に散った3人のご冥福を心から祈りたい。

 

昨日、gooだけの函館を題材にしたブログを見たが、一日分の投稿だけでその数は50を超えている。
なかには、素晴らしい写真技術を駆使された方、長い間投稿されている方などがあってとても参考になるとともに、自己研鑽の必要性を感じさせられた。   
        ミカエル

 

 

 

 



 



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