ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
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第810号 明治の函館ビールは、どんな味?

2013年06月28日 | 建物
北海道のビールは、明治9年に開拓使が札幌に設置した官営ビール醸造所(現・サッポロビール)の製品が有名だが、函館でも明治15年に末広町の石黒源吾がビールを製造していた。

その年間生産高は、大瓶換算で11,000本余。
製品名は、「山鱗麦酒」。価格は1本が25銭だった。

函館は幕末に国際貿易港になってからは、外国人の往来が多くなり、明治6年からビールが輸入されていた。

その後、明治31年に、アメリカでビール醸造の研鑽を終え帰国した金沢正次が、当時の函館大実業家・渡辺熊四郎の資金援助を受け、「函館麦酒」を設立し、生産開始。

これが、そのビール工場跡。
場所は、谷地頭町の目立たない小路奥。









(明治31年建築。1階はレンガ造りで、工場と貯蔵庫。機械類はドイツから輸入。原料の大麦は北海道産。2階は木造で、当初はビアホール。現在は住宅。よく残っていたと思う)

年間生産量は、大瓶換算で約165,000本と好調だった。
しかし、ビール業界の競争は激化。
明治37年には閉業してしまった。
さぞかし、市民も残念だったに違いない。。

それにしても、どんな味だったのだろうか?
「冷やす」技術がまだ普及されていない時代。
「のどごしの爽快さ」は?果たしてあった?



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2 コメント

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知らなかった (ビールおばん)
2013-07-02 05:13:34
ミカエルさん、おはようございます。
函館地ビールの第2号ですね。
私も、このビールを飲みたかったです

谷地頭に、よくお客が集まりましたね。
明治のビアホール。
お客は、どんな服装だったのでしょうね。

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ビールおばんさんへ (ミカエル)
2013-07-02 21:15:23
こんばんは。ようこそお出でくださいました。
ここの敷地は落差があって、一階の入り口は谷地頭に。二階の入り口は青柳町に面しています。

函館公園とは道一本はさんでいます。
公園内には、博物場があって、人の出入りは多かったようです。

服装には私も興味が。
たぶん、和洋折衷だったのでは?

また、ぜひお出かけください

ミカエル
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