梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

育児休暇

2010-06-30 08:49:26 | 日記
育児休暇を男性社員も取るように推進すると言う法律が施行されるらしい、言わんとすることは充分に分るが此れが可能な企業がどの位有るだろうか、日本の企業の大半は零細企業である、特に厳しい現在の経営状況で「半年の休業を認める」と言うことがどの程度企業に負担を掛けるのか、優良大手企業は1人半年休むと言う事はさして負担ではないかもしれないが人員が30人以下の企業の場合、1人居なくなる事は即人手不足になる、そんな余裕はないのだ、それどころか今の人件費で利益を上げる為に経費を削減し効率もぎりぎりまで上げている、替わりの人間はそう簡単に補充が出来ないのが現実だ、仮に単純労働者で他所から短期で入れられるとしても派遣法の問題で半年だけの雇用は難しい、しかも単純労働者は派遣の精神に反すると言われている、その間育児休業の社員には法令ぎりぎりの80%の給与を保証し半年したら戻ってくるとするとその間は180%の経費になる、しかも法令に準拠して派遣は使えないとすると雇った臨時社員を辞めてもらわなければならない、国は「法令に従って」と言うだけでこの間の補助はない、仮にに失業保険から支出するとしても破綻状況にある、本当に現実を分っているのか疑いたくなる、半年したら子供を預けて仕事に戻るとしても預ける場所がない、人員も問題も場所の問題も有る、民間での保育所は確かに危険が伴うが今働く場所のない女性が多く居る、学校も少子化でスペースは空いて来ている、此れを上手に運用できないのだろうか、品川区で2校だがその方式を取っている、一校は老人施設も一緒になっているが効果は上がっていると言う、他の学校が此処に踏み込まないのは「何かあったら責任問題になる」と言う事が一番の理由らしい、教育関係者が全く自分の仕事に責任を取りたがらないのは今の風潮だ。しかし自分のやっている事は将来に関して重要な仕事であるという自覚を持って貰いたい、仕事に関して結果に責任を持つのは世間一般の常識だ、企業は嫌でもPL法の下でやっているのだ、重大な過失を証明しなければ責任を取らされない教師の世界とは違う、もう少し世間的な常識を持って貰いたいものだ、子供の将来を託されているのだから、保育、老人施設に関しては負担が多くなるならそれこそ自治体が乗り出して責任を持って運営するべきだろう、保育士が必要なのはわかるが従事する人間全てにそれを求めるのは現実的ではない、不動産会社社員は全員不動産登記士でなければいけない様な話だ、学校でも用務員は教師の資格は不要だろう、無論ある程度の教育は必要だが定期的にスクーリングをする事で半数以上は間に合うだろう、大抵は子供を育てて来た経験はある筈だ、何としても雇用を増やさなければならない、現実に即さない規制が多すぎる、民間では責任問題がと言うなら管理するシステムを別に用意すれば良い、天下りの会社でなく本当に知識を持った人間を置いて運営する、無論適正な給料で、官僚だったからと年2千万以上も取り、数年で移動して又数千万もって行くような奴は要らない、年収を一般平均になっていれば実力の有る人達が10人は就業出来るのだ、無論その前に子供を預けても働く所が無いと言うこの現実を先に何とかしないとならないのだが

景気回復には

2010-06-28 09:35:26 | 日記
景気が悪い、今まで会社を20年やって来たが此れだけ長い不況は初めてだ、ニューディールでは建築業界と言うより土木だけにしか廻らない、しかし公共投資が無ければ自然回復力は無い、瀕死である、とりあえずカンフルは必要だが体力をつけ病巣を切除しなければならない、病巣のひとつは税金の無駄だが消費の喚起の為には停滞した金の流れを動かす事が必要だ、彼方此方に鬱血した金と言う経済の血液を動かさなければ成らない、動脈瘤自身は抵抗するかもしれないが断固として切除しなければ下部に血液が流れないのだ、公共投資は即効性の部分と将来的な展望が必要だ、今取敢えず投入する物が単なる痛み止めでは何時まで立っても体調不良は続く、そしてどんどん体力が衰えてゆく。経済の基本は食料とエネルギーだがその両方共自給が出来ない、一方で減反政策が行われている、「大量に出来ると値段が下がるから生産調整をする」と言うことだと思うが此れは国が言うべき事ではないだろう、自由経済の原則だから生産者と消費者が決める事だ、生産者がそれを逆手にとって生産調整をして高い米しか供給しなかったら独禁法違反だしお互いに話し合っていればいわば談合だ、終戦直後の米不足に対応すべく取った政策が今足かせになっているのではないか、米離れが進んでいるのならその心配は無いだろうがそうすると確かに余っている米をどうするかだがそれを考えるのが政治だろう、麦と大豆とコーンは殆ど輸入だが食料品の大半を占めている、転作として難しいのだろうか、転作できる物にではなく輸入に頼っているものを何とかする方向に官民産共同で取り組む、そのためにこそ公共投資を廻せないだろうか、この部分でどの程度就業を確保出来るかは未知数だが農業を工業的な視点で見直して労働力を吸収してもらう、今までの農家からは抵抗が有るかもしれないが今までの農政を変えるに為には思考を変えてもらう必要も出てくるだろう、エネルギーも化石燃料は既に底をつく事が見えているのだから此れこそ税金を投入して将来の為に新エネルギーを開発して貰いたい、原子力は世界的趨勢で難しいなら今考えられるエネルギーの効率化、全く違った視野での開発に力を注いで貰いたい、新エネルギーの研究は有る程度選ばれた人間になってしまうだろうが例えば今世界で注目されている地熱エネルギーは火山列島日本にはそれこそ無限にある、その為には辺鄙な場所に開発し、新たなインフラが必要になる、しかし完成すればそのスパンは多少長くても将来的には必ずプラスになる、何よりこの方向なら一般的な労働力を吸収できるのだ、どの程度の効果があるか見込めない高速道路よりずっとリターンが見込める方向だろう、素人考えだが今の閉塞から抜け出るには夢のような話でも真剣に考えてこう言う理由で無理だと示して欲しい物だ

鈍行電車で

2010-06-27 10:51:59 | 旅行
浜松に用事が有って此処数回出掛けているがなるべく安い方法をと色々調べて恐らく一番安い方法だと思われる方法で落ち着いた、JR東海に休日フリーパスと言う切符が有る、土日と祭日のみだが熱海から豊橋まで、身延線の甲府までが全て乗り降り自由で2600円だ、まず熱海までの切符を買う、此れは往復割引範囲に入らないので片道を2枚、3200円だ、此れにフリーの2600円を加えると5800円で浜松往復が出来る、高速バスと比べて200円だけ安いが新宿発なので此処までの往復が入ると1000円近く違う事になる、5時20分発東海道本線普通静岡行:8時44分静岡着、8時49分静岡発普通浜松行:9時58分浜松着になる、東京発の電車は特急の車両を使っているので乗りごごちが良い、大抵普通列車は窓際のベンチシートなのだが此れは全てリクライニングハイバックシートで4列掛けである、東京駅から乗るのは7~8割だったが新橋で立ち客が出始めて品川では入り口付近が一杯になった、しかし川崎でかなり降りて替わりに又大勢乗ってきた、しかし大船を過ぎる頃から空いてきて小田原で略椅子の半分が空く、この頃になるとスポーツ選手らしい高校生と中学生が乗って来たが沼津で降りていった、静岡で乗り換えたが結構混んでいてかろうじて座れた、朝から曇っていたが大井川を過ぎる頃雨が降り出したがそれも降ったり止んだりしている。浜松に着くと構内の切符売り場でフリー切符を買って此れで改札を出る。駅で軽くモーニングセットで食事を済ませる、何しろ時間が早いのと乗り換え時間が殆ど無いので何も食べていない、此処からバスで目的地に向かい2時半まで仕事、途中で激しい雨が降って来た、3時15分駅到着、浜松始発3時51分発沼津行きに乗る、沼津から6時09分始発の東京行きに乗り込んで東京着8時22分、1日の殆どを移動に費やすがそれなりに面白い、次々乗り降りする人達が飽きないのだ、静岡で乗って来た恐らく18~20歳位のかなり太った男性、座れたのだが次の安倍川で70代と見られる女性3人連れが乗って来て彼の横に2人座ったら実に明るい声で「あっすみません、どうぞ座ってください」と軽快に立ち上がった、見ていて実に気持ちの良い感じだった、藤枝かな、此処でやはりふくよかな体系の同じ位の女の子が乗って来て暫くは立っていたが島田か金谷で並んで座る、仲の良い爽やかな感じのカップルで微笑ましかった、帰りはどう言う訳か浜松から乗ってきたのは女子高生が多くどうやら3つ位の学校らしかったが三々五々と静岡までに居なくなった、その静岡からどう見ても小学生らしい2人が乗り込んできたが未だ声変わりのしない声で甲高く話しながらなんとそのうち1人が鏡を出してアイラインを書き始めた、あきれ返っていると興津を過ぎる頃サングラスを持ち出して掛けると寝始めた、確か富士川付近で降りたがどう言う家庭環境なのか特殊とは言え日本の将来が心配になる出来事で今朝見たカップルの記憶が思い起こされた、沼津近くなったら電光掲示板に「次は沼津」と出た後「NEXT NUMAZU]と出たが此れは間違いだよ、JR東海さん、沼津の後ろは元々「津」でつの濁りだからNUMADUが正解、変換しないよ。帰ってビールが美味しかったが湿気が凄かったな

最低生活

2010-06-25 08:03:43 | 日記
昨日保険事務所に行ってきた、会社に未納が有ったので行ったのだが時間が有ったので自分の支給に関して再度聞きに行ってみた、支給開始時に聞いたのだがあまりに少なかったので再度聞いてみた。今日のの相談員もかなりストレスになっているらしい、結論はやはりその時の記憶に間違いは無く15から掛けてきた結果65歳満額で13万だそうだ、「40年掛けたら基礎部分は満額になるのですね」と聞いたら「皆さん誤解されていますがあくまで”20歳から60歳までに40年”でそれを外れた部分はカウントされないので此れから幾ら納付しても満額にはなりません」と言う、後私は4年程納めれば40年になるが「今から納付した分は給付に影響しますがその金額は」と相談員は教えてくれた、給料を増やし個人負担を5万にすると企業側を併せると月10万に成る、此れを私が65歳になるまで3年間納めると納付金学は360万、年120万である、しかし給付の増額分は年7万弱だと言う、此処で納付を終えて給付だけにしたとしてもその後17年掛かる訳だ、最初の相談の時に「貴方の給付した全額を支給し終えるのは88歳と少し、それからは貰う部分が上まります」と言われたが「現在の男性平均寿命は80歳少々、払い損だ」と言った覚えが有るのだが更に掛けつづければその後更に17年、丁度100歳になる、相談員も「貯金した方が確実で多い」と言う、「貴方方の年代は殆どが掛けた分は貰えていません」とも言う、「年金はお互いに支えあうと言いますが支給が始まったと言うのは支えられる側になったと言う事です、それが誰を支えると言うのでしょう」と言う、更に最低期間を収めていない人達も涙金で掛け金は没収だ、支給金も掛金を支払う前に死亡するとなれば何故金が無い?それだけでべらぼうな利益率ではないか、年金の収支監査をもう一度やってくれ、この計算ではあまる事は有っても不足する筈は無い、しかもその至急金額が「生活保護は14万4千円です、貴方の給付より多い、65歳まで掛けた年金より無年金でもらえる金額の方が多いのもどうかと思いますね、年金システムは完全に崩壊して居ます、と言う彼らはいつも矢面に居るのだから愚痴のひとつも出るだろうし結局自分も貰う立場になるわけだから同じ様な気持ちになるのだろうな、税金を投入して無年金者に支払うならとりあえず今まで掛けた金額は全て返して貰いたい、上記の様な収支が何時ごろからか知らないが単純に考えてそれでも残る筈だろう、其処から改めて税金で全員に最低生活保証金を出して貰おう、それで無ければ全員に最低支給をして貰わなければ本当に暴動が起きるだろう、何なら私が暴動の旗振りをしても良いぞ

極論、でも無いと思う

2010-06-24 08:43:07 | 日記
民主党政権で話題になったのはやはり事業仕分だろう、子供手当てと普天間問題も相当話題になったし政治と金の問題も話題になったがマイナス評価としての話題だ、しかし事業仕分は結構プラス評価としての話題だ、自民党の石原議員に言わせると「我党もやっていたのだがあんなパフォーマンスにしなかった、失敗だったな」と言っていたが確かにパフォーマンスだとしても庶民の溜飲を下げるには充分なインパクトは有った、しかし消化不良である事は否めない、仕分てもその後どうなったかが見えないし時間ばかり過ぎてゆく、そして今回の選挙になってしまい更に遅れるだろう、必要不可欠か無駄かは重要だが天下り先と言う範疇で行けばやはりその所得の高額さに庶民としては一番納得の行かない部分だ、天下り先を精査するのはそのまま時間を掛けて行うとして即効薬としては税で賄われている事業に関しては個人所得を制限するのが一番手っ取り早い、2~3年で渡り鳥をやるとその度に高額の退職金を受け取り年棒も数千万だと言う、退職金と言うのは今までの功労に関して慰労金的な意味合いが有る、つまり現職時代の清算を済ませると言う事だ、その後は一般の平均所得である事に何の不都合も無い、通常退職すると嘱託扱いだか、あるいは子会社の社長になるが(このケースに該当する)所得は半分近くに下がる、それも実際に会社に貢献をしての話だ、昼近くに来て3時頃は帰ると言う、もしくは週に半分位しか来ないと言う、元の省庁とのパイプとしての存在だとしたらしがらみそのものだ、此れを順送りで現職が退職した時の用意に椅子を残す、しかし此れは全て税金だ、税金の使い道を納税者が決める事に何の問題は無い筈だ、要不要は時間をかけるとして税で賄うもしくは税を投入し経理的に採算の取れない法人の年棒は同年代の平均所得より少し下を限度額にすれば庶民も納得をする、平均年収は偏差値方式で全対象世帯から上下10%をカットして計算する、上10%の所得には年収数十億と言う世帯が含まれる、此れが平均所得を押し上げているのだから此れは対象外だ、下10%だが実際生活保護家庭が世帯所得層としてどうカウントされているかわからないがこちらは切り捨てても数字には影響しないかもしれない、少し低目と言うのはその高額な退職金だ、充分だろう、何度も書いているがそんなに貰って使いきれるのか?この生活余剰金で子供をこの国のシステム上位に押し込んで支配を子々孫々に繋げるのが彼らの生き方だろう、貧富の差が大きかった唐の国ですら科挙制度があった、あの当時は蛍の光で科挙を突破する事もあっただろうが、今日本では金が無ければ済む所すら確保できない、少し脱線した、上限を設けるだけなら複雑な計算もいらない、民主主義が多数決だと言うなら庶民は恐らく誰も反対はしないだろう、此れをマニフェストに掲げてくれる党があれば少なくとも我が家の票は其処に行くだろう