大晦日だが特に何にもない、
子供達が来ることも無いし公営住宅の狭い住まいだから来られても困る
孫も一人を残して働き出しているのでお年玉は無い、
無いとなったらこっちも来ない、現金な物である
いつもより2時間ほど遅く家を出て何時もと同じ様に30分位歩いて事務所に向かう
少し雲は有るが良い天気で気持ちが良い
流石に人も少ないし車の通りも少ない、
呑川の脇に初詣の幟が出ている、「北野天満宮」の様だ、
そう言えば少し川を下ると右手に古い神社が有ったな
ショートメールが来た、「資料が整ったが何時送れは良い」と言う内容だった
「毎日事務所には寄るからいつでもいい」と「来年も宜しく」と返事を送る、
昨日京浜蒲田の駅通りで北原ミレイのCDを買って来た、
「石狩挽歌」が流れて来た、何年か前に糖尿の合併症で逝ってしまった先輩が好きで良く歌っていた曲だ、
親兄弟だけではなく友人もボロボロと欠けて行く、寿命100年時代と言ってもそろそろそんな歳になった訳だ、
フェイスブックにそんな友人達の子供達が繋がってくる、
良い時代かもしれない、これがリアルに顔を合わせればお互いに気を使いかえって疎遠になるが此れだと「おじさんも元気でね!」とか「そんな歳なんだな~」と言った軽いやり取りが続けて行ける
しかし当の奥さん達はSNSなんかが苦手の様で本人よりこっちの方が近況の顔なんかを知って居たりする、
今年の締め括りは歳末福引特賞と言う締め括りになったがさて、新しい年、どんな年になるやら、
二宮尊徳は小田原城の脇にある報徳社に祀られている
小学校の庭には必ず薪を背負って勉学に励む「二宮金次郎の像」が有ったものだが大人たちは「本が読める位なら後2~3杷は背負える」と言ったものだった
第一山道は危なくて歩けたもんじゃない、
裏山の竹藪中には紫蘭が良く咲いていたが薪を担いでこんな道を歩いた、
風呂を沸かすには山に入って枯れ枝を集めて焚き付けにして乾かして割った薪を延々と1時間くらいくべる、ずっと窯の前にいるのだが真っ暗だからここで本を読むことは出来ない
もっとも読めたとしても漫画だったろうがね
昭和の人間は金は無くても随分生活は楽になった、周りと比べれば貧しいかもしれないが随分楽な生活である
上を見ればきりがない、下を見ても切は無い、後何年生きるか解らないが不満を持たずに行けばいつ死んでも「終わり良ければ総て良し」と言う事だ、
在るがままに淡々とを座右の銘とするか
子供達が来ることも無いし公営住宅の狭い住まいだから来られても困る
孫も一人を残して働き出しているのでお年玉は無い、
無いとなったらこっちも来ない、現金な物である
いつもより2時間ほど遅く家を出て何時もと同じ様に30分位歩いて事務所に向かう
少し雲は有るが良い天気で気持ちが良い
流石に人も少ないし車の通りも少ない、
呑川の脇に初詣の幟が出ている、「北野天満宮」の様だ、
そう言えば少し川を下ると右手に古い神社が有ったな
ショートメールが来た、「資料が整ったが何時送れは良い」と言う内容だった
「毎日事務所には寄るからいつでもいい」と「来年も宜しく」と返事を送る、
昨日京浜蒲田の駅通りで北原ミレイのCDを買って来た、
「石狩挽歌」が流れて来た、何年か前に糖尿の合併症で逝ってしまった先輩が好きで良く歌っていた曲だ、
親兄弟だけではなく友人もボロボロと欠けて行く、寿命100年時代と言ってもそろそろそんな歳になった訳だ、
フェイスブックにそんな友人達の子供達が繋がってくる、
良い時代かもしれない、これがリアルに顔を合わせればお互いに気を使いかえって疎遠になるが此れだと「おじさんも元気でね!」とか「そんな歳なんだな~」と言った軽いやり取りが続けて行ける
しかし当の奥さん達はSNSなんかが苦手の様で本人よりこっちの方が近況の顔なんかを知って居たりする、
今年の締め括りは歳末福引特賞と言う締め括りになったがさて、新しい年、どんな年になるやら、
二宮尊徳は小田原城の脇にある報徳社に祀られている
小学校の庭には必ず薪を背負って勉学に励む「二宮金次郎の像」が有ったものだが大人たちは「本が読める位なら後2~3杷は背負える」と言ったものだった
第一山道は危なくて歩けたもんじゃない、
裏山の竹藪中には紫蘭が良く咲いていたが薪を担いでこんな道を歩いた、
風呂を沸かすには山に入って枯れ枝を集めて焚き付けにして乾かして割った薪を延々と1時間くらいくべる、ずっと窯の前にいるのだが真っ暗だからここで本を読むことは出来ない
もっとも読めたとしても漫画だったろうがね
昭和の人間は金は無くても随分生活は楽になった、周りと比べれば貧しいかもしれないが随分楽な生活である
上を見ればきりがない、下を見ても切は無い、後何年生きるか解らないが不満を持たずに行けばいつ死んでも「終わり良ければ総て良し」と言う事だ、
在るがままに淡々とを座右の銘とするか