梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

官僚と東電の欺瞞が原発推進の根本では

2011-09-30 08:40:26 | 雑記
東電の原価見積が10年で六千億円だと言うと単純に国民一億二千万人で割ってみると国民一人当たり10年で5千万の金が電気代金に乗せられていると言う計算になる、
無論こんな高額な電気代を支払っているのは企業と公共施設が殆どだろうが企業原理で言えば其れは全部最終価格に上乗せされている筈だし、公共施設の維持費は税金である、しかもこれは東京電力だけだから実際の分母はもっと小さくなる、
この金は何処にあるのかと言えば何と今日の新聞記事ではエネルギー特別会計に年間1700億円も廻っていると言う、此れは殆どが原子力関係団体だ、それでも総予算の半分だそうで残り半分は税金だ、
原発をやめるとすればこの殆どは不要な組織だとすれば年間3400億円と言う金が不要になる、直接電気代として負担しているのは月110円だそうだが税金を加えればこの倍になる、つまり全て国民が負担しているのだ。
此れをもっても「コストは一番安い」と言えるのか、何故こう言う詭弁を使っても原発を残すのかずっと疑問だったが天下り組織を温存する為にインフラ独占企業と高級官僚が国民から金を徴収する組織だったと考えると辻褄が合う。
法律を作る組織が自らの為に策定するなら三権分立は機能していない、どうにかしてこのシステムを変えなければ日本はやがて立ち行かなくなる、
暴動を起こさない国民だが歴史的に暴動が起きなかったのは必ずと言って良いほど対抗し改革する組織、リーダーが現れて来た為だ、
もし、そう言うリーダーが出なければ暴動になるしかないのかも知れないが唯でさえ日本の経済力は世界からの風に晒されている、国内の混乱は漁夫の利を他の国に与えるだけになってしまう、本当に日本の未来を託せるリーダーが欲しいと思う

烏瓜の実がそろそろ色付く


電力の自由化と増税の行方

2011-09-29 11:20:45 | 雑記
東京電力が電気料金の基礎となる原価を過去10年間で6千億円高く見積もっていたと言う、
自由競争なら此れは見積書だが独占では見積もっても意味は無い、経費の報告でしかないだろう、その経費で販売額が決められている訳だから此れは「経費の水増し」以外の何物でもない。
競争なら国民は安くて良質の物に移行すればいいのだが電気は電力6社からしか購入出来ない
正確に言えば送電線を独占しているからと言う事だが大容量の電線を布設する事は法律で禁じられているから同じ事だ、
自由競争になると安定供給が保証出来ないと言う理由は自家発電の発電量が余る企業がある今では理由にはなるまい。
この状況で「10%の値上げでは資金が不足する」というがそもそもその原価計算が信用出来ないのでは理由として認めることが出来るわけはない、戦後米が配給だったのは米が不足して統制をしないと江戸時代の米騒動の様な事が懸念されたからだが米が充分に行き渡ったら返って現状にそぐわなくなったと廃止された、
三公社と言われる専売公社、国鉄、電電公社はそれぞれ自由競争になり、電話も鉄道も煙草も基本的には自由である
確かにNTTの通信網の利用料金は高額で他の通信会社が支払う金額が競争力に格差をつけているとは言え、他の通信網を敷いては行けないとか、NTT以外を使ってはいけないと言う法律はない、
電力会社は「民間企業」では有るがそれ以外の会社にマーケットを開放していないと言う事は電電公社以上に特殊な法人なのだ、
増税論はある程度致し方ないと思うが「原発事故補償金」に関しては東電が負うべき負担である事は間違いない、
世界的に企業の負う責任は「過失の有無ではなくその製品が原因で起きた損害は製造元が負わなければならない」と言う「PL法」に拠っている、
今回の未曾有の損害は一社で負担するのは不可能だと言う論が有ったとしても独占事業で得た利益は一旦全て清算し、肩代わりさせられた国民から強制的に吸い上げて「借りは返した」と言う様な事の無い様に約束をさせてからではないと納得は出来ない

涼しくなってきたので散歩を再開した、今年も暑かったので果実は豊作の様だ

蜜柑が大きくなっていた



此花はなんと言うのか知らないがよく見かける、蔓性で花は10Cmまではない



今まで何度も歩いていたが気がつかなかった、普通のお宅の車庫に付いていた


モノクロの頃

2011-09-28 11:07:31 | 雑記
モノクロの写真を撮り始めたのは16歳位か?モノクロだと自分で焼き付ける事も出来るので田舎に帰った時友人と市の施設にある暗室を借りて焼いた事もあったがカラーになったら其れもやめてしまった、
カメラがハーフになったら枚数が凄い事になるので一旦ベタ焼きで焼いてからピックアップして焼き増す様になる、大抵手札版で少し気に入るとキャビネ版で焼く、
其れが八つ切り、四つ切、半切とエスカレートしていってこの頃から画質の荒れが目に付くようになって来る、ISOが400位以上になると少し暗い所でも写せる替わりに四つ切以上だと機になってしまう、感度32のFを使ってみたが此れでは三脚を持っていかないと難しい写真になってしまう、で結局ライカ版になり最終的に6×7のブローニーになってしまった、
その頃からネガは殆ど残してあるがあまり気に入った写真は撮れていないな
休みになると近隣をぶらぶらとカメラを持って歩き回る、その内狛犬が気になって来た、
行く先々で撮って見るがこうなると住んでいる区域の狛犬を全部撮ってやろうかと言う気になったが結局根気が続かず目に付いた物を撮り貯める程度で納まってしまった、
デジタルカメラになると整理が楽なのとコストが掛からないのでもう一度とろうと思ったらインターネット上にかなり多くの人達のHPが出ていた、(未だブログの時代ではない頃)
名前を覚えていないが狛犬で有名な落語家が居たと思うがこうなると少し熱は冷める、
それでも旅行に行くと目に付いた物を写してくる、少し余裕が出来たらもう一度整理してみようかと思っている。

撮り始めるきっかけになった狛犬 昭和40年前後西船橋駅近郊の神社で

阿形



ウン形







フィルムカメラの頃

2011-09-27 11:53:01 | 雑記
暦通りに涼しくなってきた、又少し戻りが有るかも知れないが30度を超える事は無いだろう、暑さは苦手な自分にとっては実に有難い、
昨日から女房が新宿の現場に手伝いに行く事になった、8時45分に間に合う様に電車に乗ったがラッシュアワーの電車と言う奴は二十歳の頃から乗っていない、久しぶりと言うより初体験に近い、女房は本当に初体験だったが凄いもんだな、持っていたビジネスバッグはとてもあの時間帯ではもって乗ってはならない物だと言う事を知った。
女房が現場に行った代わりに自分の仕事は実に静かだった、休みの間に仕上げた仕事をメールで送り電話を何本かやり取りした程度だったので昔の写真を整理してみた
中学を降りて働き始めて直ぐに写真に興味を持った、最初買ったのはミノルタのハイマチック7と言うファインダーカメラでその頃は未だモノクロが殆どだ、
富士フィルムのネオパンSSとトライXだった、カメラは次にオリンパスペンFと言うハーフカメラになる、オリンパスペンはハーフカメラの代表格でFはレンズ交換の出来る珍しいハーフの一眼レフだった、持ち歩きが便利なのと枚数が倍撮れるので此れを使っていたが段々大伸ばしをしたくなって次に買ったのはミノルタの一眼レフでSR7と言う機種、レンズは「緑のロッコール」と宣伝していたレンズで確かに除くと薄い緑色に見える、このレンズとコダックの400が実に相性がよく、黄色が素晴らしい色に出た、25歳前後から段々病膏肓になってきてアサヒ光学の6×7になる、
中版カメラで一眼レフそれもファインダーと言うのは此れだけだったので此れにする、しかし一寸した運動会や宴会に頼まれると此れでは重過ぎるしブローニーだと焼き出しも結構大変でもう一台同じアサヒ光学のペンタックスSRを買った、しかしカタログを見ていると6×6も6×4.5も欲しくなる、そしてマミヤの6×6とゼンザブロニカの6×4.5も購入、一番多かったときはカメラ本体が5台と各々のレンズを合わせると20本位になった、
時代が過ぎて来てデジタルカメラが進化して来るとやはり此方に移行して行き今では全部の銀板カメラはオークションで処分してしまったが今考えると持っていた方が良かったような気もする

浜名湖の夕陽は35mm、多分28mmだったと思う、30年位前


御前崎の夕陽の方は6×7此れは恐らく150mm(35mm換算だと80mm位)


お会式の纏は35mmmペンタックスの標準50mmでストロボ


黒いコスモスと洋館の景色

2011-09-26 12:14:33 | 雑記
黒い花びらと言う歌があった、黒百合の花と言うのも有ったが少し調べてみると黒薔薇とか言うのも有る、昭和記念公園では黒いチューリップを見たが日曜日に近くのDIYに行ったら黒いコスモスが有った、黒い花は大抵赤か、赤紫の濃い物だが此花もそうだった、





最近は今まで作れないと言われた花が多くでて来たが華やかさで言えば微妙な所がある、
青い薔薇が出たと言うので写真を見たがやはり華やかな感じは無い、アヤメやアイリスには元々薄い青や紫色が有るので薔薇には無かったと言う珍しさだったろう
緑の花もかなり出回っているが葉の色が緑なのでどうしても葉の中に埋没する、緑の牡丹は確かに変わった感じがするがやはり元々有る花のほうが好きだ
クリスマスローズは元々の花は薄い緑だが此れは寒い時期に咲く花が無い北欧で珍しいと言う事が希少価値だと言う事らしい。
此れに比べれば黒い花の方が見た目が華やかだ、蕾の物は黒い感が強いが少し開いていくと臙脂色の濃い物になってビロードの様な感じがする、コスモスもそんな感じだったがこれからコスモスの群生地に咲くのだろうか、
その後時間が余ったので駅舎が替わってから未だ一度も行っていなかったのと東急バスの1日切符を買ったので暇潰しにバスで田園調布に行ってみた、
昔のロータリーはモニュメントのように残っていて線路沿いに少し多摩川方向に行ったら古びた洋館の様なレストランがあったので写真に収めてきた、気持ちの良い秋空だったが此れが雪もよいの空だったら一寸したホラー向きの建物だった、



駅の前に小さな蓮池があって鯉が泳いでいたがその脇に小さな花壇があり、小型の薔薇が咲いていたが其処に白い札がぶら下がっている、呼んでみると「この枝を切っていった方へ、この切り方ですとこの後3年は花が咲かなくなります、来年も花を付ける切り方をお教えしますので連絡してください」と書かれていたが面白い管理人だなと写真に収めてきたが、まあ掛かっては来ないよな