梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

少女の自殺、虐めるのが楽しのか?

2016-10-30 07:41:41 | 雑記
「明日から虐めよう」6月一人の生徒の一言で始まったそうだ、それが延々と1年半も続き、更にエスカレートし、虐め続けられた少女は13歳の命を絶った、
青森の虐め自殺事件の報道が伝えた余りにおぞましい事件の詳細だ、なんでそんなことを思いつき言い出した?なぜみんなそんな事に着いて行った?断れば自分が標的になると思ったと言うが言い出した人間はただ一人だろう、それだけ影響力が有るなら恐らくそれなりに内心では敬遠されている人間だろう、そんな人間が心から尊敬も親愛も感じられるわけもなかろう、
人が悲しむのを、苦しむのを楽しいと思う心がわからない、人種国を選ばず共通している人間が持っている心は他を慈しみ互いに支え合う、それが弱い裸の猿が地球の覇者になった大きな理由だ、権力者の中には人を殺し合わせ、妊婦の腹を裂きそれを楽しみにするという者もいたがそれは悪逆無道の歴史として残される程度の異常者だ、
しかし現在の日本で庶民レベルのしかも幼児レベルで起きている、幼児レベルではまだ人間に必要な最低限のスキルが確立されていない時期でまま見られるがその時期は大人がその社会を把握し規制できる範囲に居る、しかし今回の事件は中学に入ってからであり子供の社会が独立して形成されつつ有る時期であり外部から計り知れない上に反抗期に足をかけていて大人の干渉を必要以上に嫌う、それがこう言う悲劇を繰り返す事になるのだろう、大人と子供の間と言うには余りに危険な隠された社会だがその世界に大人が立ち入るのは難しい、
しかし「一人の生徒が言い出した」事がわかった以上はこのまま「未成年」と言う理由、直接危害を加えたのではないと言う様な言で済まされることではない、危害は物理的な外傷以上に心に与える障害の方が大きいことは繰り返される自殺で十分にわかっているだろう、この言い出した人間は「少女A・少年B」でも構わないから個人を特定し責任を取らせる必要が有る、恐らく「未成年の将来のために」と言うだろうがそれはかえって加害者の将来に「やったほうが得」と言う人生観になってしまっている、
罪は罪である、罰の量刑をどうするかと罪ではないと言うことでは全く違う、「まだ未熟」とい言うのが理由ならそれこそまともな社会的大人にするためにこそ厳罰で対処すべきだと思う、
原因を作った人間を特定することを「魔女狩り」だというならそのとおりだと言いたい、その子供は間違いなく「現代の魔女」なのだ、ハローウィンの魔女ではなく中世の魔女狩りでターゲットを讒訴する「本当の魔女」だと言いたい。

政治家も官僚も経済界も庶民でもある

2016-10-29 13:16:07 | 雑記
暴力事件の低年齢化が進んでいるという、小学校2年生の男子生徒が「静かにしなさい」と注意した女性教師を足蹴にしようとしたらしい、彼女は妊婦だったが廻りが止めて事なきを得たという、妊婦の下腹部をけるという事がどういう事かなどと言う知識のある齢ではないのでそれをもって「特に酷い」と言うのは的を得ては無いが問題は「注意されたら暴力になる」と言う事だ、
今の子供達は我慢することが出来ないと言われてずいぶん経つ。
教育の場、学校で行う範囲ではないだろう、学校はあくまで知識の習得の場であり集団生活、社会生活の基本を教え学ぶ場所である、多くの同年配が集まって共同生活を行うと言う事はたしかにストレスになる事は確かだが10年前後をかけて社会と個人と言う仕組み、その中の個人と言う事を理解させる為には重要な訓練である、社会のルールは誰かの為ではなく不特定多数の利害を調整し最大公約数的ではあっても力では無く大多数の人間が納得できる仕組みを理解するにおいて必要な知識と精神を得るために長い歴史を通じて出来上がって来た仕組みである。
しかし「自分が気に入らない事でも仕方がない事が有る」と言う事は最低限言葉を理解した子供に教え込むのは親の責任だろう、「小学校に通うようになればそこからで良い」と言うのは非常に大きな間違いで保育園に行ったから、幼稚園児だから、小学校になったからある日突然群衆のルールを課せられたら戸惑うのは子供本人だ、親が何を考えているか解らないというより理解できない、現在老若男女全て全く自分の事しか考えられない輩が多すぎる気がする、無論最たるは政治家と官僚(上級だけか?)で彼らは確かに明治維新以降蔓延り増長しかつ力と富を増やして来た、しかし江戸時代の大商人と言う連中も役人と組んで太って行ったと言う話の中でも何かあればお助け米とか救済小屋などに私財を投じている、しかし今の企業は私財を投ずるところか如何に庶民から吸い上げ財政投融資や補助を受けて内部留保を増やすかに執着し税金も「国際競争力を上げるために」法人税を下げさせ、不足した分は消費税で庶民に負担を廻す、
どうやっても現状から脱出できそうもない庶民は他人を卑下することで自らの立ち位置を相対的に上げたとして満足し用とする、恐らく苛めの構図はこういうところから発生するのではあるまいか、
人は相手が悲しむのを見ると自分もそこに我が身を置き換えて悲しみ、例えわずかな力でも手を貸そうとしてきた筈だ、なぜ今の社会はこの優しさが無くなってしまったのだろう、「我が身を抓って人の痛さを知れ」と言う言葉があるが幼児の頃他の子供が注射針を刺されて泣いているのを見て自分も泣いていたころの事をなぜ忘れてしまうのか、
弱い相手を攻撃する事が面白いと言う感覚はどうして生まれたのか、社会のせいにするならその社会を直す努力をしなければならない、その手始めとして
そんな考え方をする子供に育てた事を恥じる気持ちを持って貰いたい、道徳教育が必要だ、宗教が大事だと言う前に単純に「この子達の未来の為にすべての人が安心して暮らせる為に」人が人にやさしくする事を最大の遺産として残して貰いたい、自分はやがて死んで行くが唯々命を紡いできた結果が今の人類の現在である、
ある人が「安倍総理は子供が居ない、だから未来を考える気持ちが欠如している」と言っていた、確かにそういう面もあるかもしれないが逆に子供に資産を残す事、地位と金を世襲する事のみを目的に政治経済に関わるよりいいともいえる、何よりもそれは子供が欲しくとも恵まれない人に対して偏見だともとられかねないが「一将功成りて万骨枯る」と言う名誉欲で政治を廻されてはかなわない、そう見えるのもあながち間違いでもあるまい

西船橋近くの春日神社

2016-10-27 16:00:36 | 雑記
昭和42年ころの西船橋駅前はほとんど店は無く道路を挟んですぐにこの神社があった、カメラに凝り始めの頃で当然銀塩フィルムのモノクロフィルムだ、フィルムは富士フィルムとコニカが主で私の使っていたのはネオパンSSと言うASA100の物、一番安かったせいもあるが当然どのカメラ屋さんでも置いたあると言う事もある、その頃写した写真をスキャンしてかなり前にUpしていたのだがふと思い出してもう一度行ってみた、今はデジタルカメラである、これだと安心して何枚でも映してこれるがその分カメラに集中する事がなくなったかもしれない、
思い出ではもっと大きな狛犬だったが今見てみると意外と小柄だった、ちょっと期待していったが全く昔の儘の石造り、どう取っても昔写したものとさして変わらないのが残念だ、まあそれだけ自分の感性も成長していなかったという事でもある、
向かって左




右が阿形で左が吽形か?表情が個性的で分かり難いが実に面白い狛犬である、狛犬は子犬を獅子は珠を持っているのが一般的らしいがこの像は躍動的でほとんど猫である
西船橋と言う駅は当時は何もなかった、隣の下総中山は国営競馬場の近く船橋は「船橋ヘルスセンター」と言うスパがあったがこの駅は何もない、第一「西」がついた船橋だからおまけのような場所だ
元が有ってその西とか東とか言うのだから駅間が長いので後から作ったという事だろうから人家が有っても取り立ててなんかある訳ではない。しかし日本はどこに行ってもこういう社があるので
何となく歩くのには丁度良い、恐らく昔からの村社なんだろう、春日神社だという事は改めて今回で分かった、
色が無いので近くの柿の実です

下総中山の東は「本八幡」駅だが「元が八幡」だったら今は何なんだろう?此処には確か「八幡の藪しらず」と言うのがあったと思ってWikiで調べたら今でも残っている様だ
昔写していた狛犬の写真、また写してみようか

鶴見総持寺

2016-10-18 09:21:40 | 雑記
鶴見総持寺

仕事の時間に少し隙間が出来たので近くでありながら行った事のない鶴見の総持寺に行く、鶴見は駅の南と北では随分町の様子が違う、繁華なのは駅の南側で沖縄の関係する店が多いらしい、此処からは湾岸の工業地帯に向かって鶴見線もあり多くの活動は此方側になる、
北側に降りると駅のすぐ前から総持寺の坂道が始まる、寺を巻くように道路が続きだらだらと高度を上げてゆき第二京浜国道の上を超えると住宅街に変わる、寺は坂を少し上がると左側に入り口があるが正面はここでは無く駅を出たら線路沿いに左手に7~800m程度行けば山門がある、
私は先に書いた脇参道から本堂の下側を辿って正面に廻る事にした、最初にすれ違ったのは墨染の法衣の女性で尼さんだが宗派によってそう呼ばないかもしれない、その後何人か僧形の男女とすれ違うが一般人の服装をした人に会ったのは須弥壇の近くで年配のご夫婦が初めてだった、会話からするとどうやら地方からのお参りの様だった、
本堂の隣にある須弥壇らしき建物で一人写真を撮っていたがここから庭を下り正面の山門までほとんど人には合わない、本堂と長い廊下で繋がっている建物は座禅堂の様だ、よく磨きこんだ起き廊下と土間だけの細長い建物は神社の回廊の様な感じだが中から写すと昔の小学校の様な雰囲気になる、

自転車に乗った学生らしい男女数人にすれ違ったがここには鶴見大学と鶴見女学園が有るのでその生徒かも知れない、
山門まで来ると細い路地の先に幼稚園があるらしい、茶店に母親らしき親子が談笑していた、少し山門側に寄った所から小山があり守護神社の様だ、折角来たのでと登る事にした、10数メートルほど登ると左手に山門が見える、大きな楼門造りでその下を人が歩いてゆくのが見える、見下ろして左側が本堂の方向で右側はゆったりとした下り参道だ、薄日が差してきた

右手に観音像が立っている、

平成救世観音と書かれているが未だ出来立てで銀色に光っている、この色は半田を思い出すのは私だけか、高崎観音も真っ白で「白衣観音」となっているが少し古ぼけてこないとありがたみがないというのは不謹慎か、出来立てはこんなもんだろうしその昔ありがたい観音像はやはり美しくなければ神々しさは無かったのだろうが勝手なもんである
観音様を左から巻くように上がって行ったらそれこそ古い鐘楼があった、私にとってはこっちの方がずっと有難みがある、鐘楼の前で4~5歳くらいの女の子が二人遊んでいた、鐘楼の前で遊んでいるのでカメラを向けたらこっちを見て何か言っている、「何してるの?」と言ったら「遊んでるの」と至極当たり前の返事が来た、此処で「何して遊んでるの?」とでも聞いたらそれこそ怪しい爺さんだ、
「なのを映してるの?」と言うので「鐘を映してるんだよ」と言ったら既に彼女たちは新しい遊びに向かって行ってしまった、髪型が最近のテレビの影響か、いわゆる「おかっぱ」で懐かしい感じがする、
中々いい感じの画になったが今では肖像権とやらがあるので今回の写真はUpしない事にした、
てくてくと駅まで歩くと少々汗ばんできたが小一時間、良い息抜きになった

コインランドリーで靴を洗う

2016-10-14 11:28:50 | 雑記
仕事で車に乗っていた時ラジオから「妻が子供の運動靴を洗濯機で洗い、続いてバスタオルを洗っていたので“靴を洗った洗濯機でタオルを洗うのは止めた方がいい”といったら“洗ったらきれいになるから同じでしょ“と返されたが納得できない」と言う話が流れてきて一緒に乗っていた同業者に「これはちょっと嫌だね」と話したところ彼が話したのは「今コインランドリーで子供の靴を洗う主婦がかなり多いらしいと聞いたがその後そんなことは知らないで衣類を洗っている他の人はたまったものじゃないよね」と言う、
自分も独身の頃は結構利用していたが妻は絶対に使わなかった、理由を聞くと「洗い終えたら洗濯槽を消毒するのかと思ったらそのまま次の人が使うと言う事を聞いてから使わなくなった、不衛生でしょ」と言う、ちょっと神経質かなと思っていたが彼の話を聞いたら女房のいう事に納得がいった、
コインランドリーの衛生に関しての法律はどうなっているのだろうか、定期的な立ち入り検査等はあるのだろうか、例え毎回水を流しているからとはいえ利用者によっては下着や簡単なシャツなど、作業衣等を洗うはずで中には食堂等で使用する様な衣類もありうるとすれば子供の運動靴を洗うという事は避けたいものである、基本的に我々世代はズック靴と言うものはブラシで洗うものだと思っていてまさか洗濯機に入れるとは想像がつかなかったが現代では当たり前の事なんだろうか、
全体、現在の主婦業と言うのは昔に比べて随分便利になっていると思うのだが二昔も前の生活を並べ立てても仕方がなし、しかし便不便の話ではなく「それは如何なものか」と言う様な話がよく聞かれる、テレビのバラエティ番組なんぞはどこまで信用できるかわからないが全く身近の人間でも布巾で床を拭いたのには驚かされた、確かにその直後に洗ったのだがそれは水道水を流してごしごしと数回こすって見た目に「汚れがなくなったから大丈夫ですよ」と言われた時は夫婦で「それは無いでしょう」と言ったのだが我が家は食器を拭く布巾とテーブルを拭く布巾は分けて使う、まして床を拭くのは雑巾である、
最もこの方は40代後半だから「現代の」とは言えないので恐らく育った環境ではないかと思う、
私と女房の間でこう言う生活の感性と言うものに殆ど違いがなく取り立てて神経を使ったり不快になったりしたことは無いので普通の感覚かと思っていたがどうやらそうでもなさそうだ、
しかしである、私の友人達、妻の友人達といききしていた間ではそんな事は無かった気がする、確かに何人か「Iさんの家は本当にいつも綺麗にしていて、家なんかごちゃごちゃよ」と言う友人もいたが訪れてみればやはりそれなりに綺麗に片付いている、
部屋を飾る装飾品が違うのは個人の好みで我が家は何も置かないのでその辺が「綺麗に片付いている」訳でしかあるまい、それ以外は洗濯に関しても特に話したわけではないが作業着と普段着を一緒に洗う事はあるまい、昔の話だが亭主の下着は割り箸でつまんで入れるという話があったが考えてみると同じ洗濯槽で洗っているのだから靴と洗ってもそれはそれでおかしくはないか、