梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

紅葉

2020-11-12 09:08:28 | 旅行
仕事で身延に行く、行きは高速道路で下部早川インターまで直行したのだが昼過ぎに終えたので本栖湖から河口湖インターに抜けて行くことにする
国道300号は本栖みちと言う名前がついている、殆ど雲の無い好天気の道は殆ど車は走っていない、暫く走ったら道の駅があったので休憩を取る事にする
広い庭に楓が真っ赤に紅葉している、

バーベキューコーナーの様な所の下に小さな沢が流れていてその上が良いロケーションになったので何枚か写してきた






駐車場の周りは銀杏の黄色が映える


少ない客は流石にみんなマスクをしているが都内の様なコロナがと言う雰囲気はないが売店に入って土産を見ていたらちゃんと対応している



疫病退散のお菓子があった、機を見るに敏である、取り敢えず買って来た、味は悪くないが少々食べにくい

西湖を過ぎたあたりから電気工事で片側交互通行の渋滞にぶつかったがおかげで車を降りないで見事な富士山が撮れたが雪は未だない上に逆行でシルエット



6時半に出て会社に戻ったのは4時半だったが久しぶりにドライブをしたという感じの一日でした


婆娑羅峠と百日紅

2020-08-13 16:27:37 | 旅行
中伊豆方面から新天城トンネルをぬけ、ループ橋を降りて河津七滝を過ぎ下り坂が緩やかになり始めるところから右に橋を渡り狭い山道を登る、
静岡県賀茂郡松崎町と下田市を繋ぐ県道15号下田松崎線の峠の名前婆娑羅峠(ばさらとうげ)サンスクリットで金剛石と言う意味らしいが何となく好きな名前である
この辺りには姥捨ての伝説があるそうだが峠の頂上付近に小奇麗な喫茶店があったが今でもあるのだろうか、
峠を通り過ぎるとやがて右手が開けてきて小さな谷沢を挟んで傾斜地にポツポツと家が見え始める、
この辺の家には大抵百日紅が植えてあって家まで続く小道にも彼方此方に咲いている
普通の淡い紅も多いが白い花の木も多い、間に混ざって紫色の花も咲いている
この景色がとても好きで、あれから40年近く経ってもう一度今度は写真を撮りに行ってみたくなった、
若いころ友人とこの峠を超えて松崎の方まで素潜りに行ったことが何度かある、
お盆に入ると猟師は殺生を控えるので漁に出なくなるので狙い目である、
東海岸は爪木崎付近まで海水浴客が多いので漁に出なくても小型漁船で素潜りの監視がかなり厳しいのだが西海岸は線路が無いうえに道が狭く砂浜も少ないので海水浴客は少ない、
松崎の断崖を降りるとゴロタ石の海岸があってこの辺りから大瀬崎に向かって潜りながら沼津方面に移動する、
石廊崎から中木と言う小さな港までの海水は驚くほど澄んでいて10m近くの底に沈んでいる王冠が見える位である、
しかしそのせいでサザエやアワビと言った獲物は殆ど居ない、姫サザエがたまにいればいい方で大抵尻高くらいしかいない、
二人で半日潜って蛸が2匹と言う有様だがそれでも塩揉みをして海水で茹でると中々いける、
テントを持って伊東の菖蒲沢から中木、大瀬崎と泊まり歩き結局大瀬崎のやたらに大きい尻高と雑魚ばかりでそろそろ塩を落としたくなって静岡の知り合いの旅館に泊まった、
最後にと近くに潜ったらここで凄い根を見つけてしまったがこれは密漁になるので詳細は×!
その時一緒に潜って歩いた悪友夫婦も既に鬼籍に入ってしまった、
未だ潜れるのだろうか?自転車と泳ぎは体が覚えているので大丈夫だとも、若い時のつもりで泳ぐと体力が追い付かないから危険だとも言うが、それよりなによりこの暑さに既に追いつきそうもない、やはりクーラーの効いた部屋でビールでも飲むのが無難々、

石和温泉

2017-11-08 08:46:44 | 旅行
昨日山梨県の石和温泉と言う駅に行って来た、と言っても仕事で打合せ、恐らく実際の必要時間は1時間程度だと予想、しかし先方の都合で14時と言う事で殆どが移動時間になりそうだしどうにも真ん中を抜かれたので則哲気味の私としては往復鈍行と言う事にした、
大森から東京→高尾→石和温泉と乗って3時間弱、13時過ぎに到着し待ち合わせまで30分ばかり、昼飯を近くのイオンで中華て済ませて駅前に戻ると閑散としているが電車が来ると年配の女性団体がホテルで仕立てたらしいバスに乗って行った、
その団体が居なくなると駅前は又誰も居ない状態になった、駅前のロータリーに綺麗な薔薇が幾つも咲いている、表示を見ると石和産の品種らしいが柔らかな花びらの大き目な薔薇である、

臙脂色の花は逆行で見ると厚みのある漢字が良い

黄色は日陰になったが青空が良い感じになった、

薄紅の大柄は華やかだがもう少し全体的に整理されていると駅もいいんだがな
取引先の方は「今の駅舎もいいんだが昔の木造が好きでしたね」と言う事だが見てみたい気がしたがその時にこの薔薇はあったのかはわからない
案の定1時間弱で打合せを終えて15時前に石和温泉駅を出る、塩山から恐らく60~70代の女性団体が10人弱で数グループ乗って来た、足まわりと荷物からするとどうやら山歩きの様だ
一時「山ガール」と言う話が流行ったのだが「ガール」には違わない、(失礼)でも本当に女性は元気だよね、そう言えば石和温泉で降りた団体もシルバーレディの団体だったな、
二組ほどご夫妻と思える方々が居たが男性のグループと言うのは居なかったな、まあ熱海辺りで団塊世代の男連中が居たりするがこれはこれで近寄りがたい

行きの列車でこんなものを見つけた、なんだろと思ったがすぐに気が付いた、昔は此処に灰皿が有った、当時は当たり前の様にタバコを吸っていたのは観光バスなんかも前の席背にこれが有ったな
今電車でたばこなんかは考えられないがごく自然になった、こういう列車を見ると私は喫煙者では無いのだが隔世の感がある
税収と保険支出の綱引きはどうなるか?国際的には孤児になりつつあるがどうなんかね、結構大きなお世話的な感もあるがね

浜松凧まつりの”ウトイペンコ”

2017-07-29 12:52:35 | 旅行
会社の近くに「木曽路」と言うしゃぶしゃぶの店が有る、店の前道路に染抜きの幟がたっていた、歩道側から見ると裏文字になるのでなんて書かれているのか少し時間が掛かった、どうやら「なつのすきやき」と書かれている様だ、
染抜きの幟や暖簾でよくお目に掛るのだがこれを見て少し前の事を思い出した、
掛川の山奥には家族が無くなった私にとって姉のいる浜松は現在の田舎みたいなところなのだがこの街の祭りである凧揚げ祭りは行った事が無かった、正確に言うと一度クラスメートに連れて行って貰い見学したことはある、が見学より呑み屋の時間が長くてあまり祭りの印象は無い、
ゴールデンウィークの最中に行われる祭りで人出人数では三大祭の一つの様なので女房と一度見ておこうかと言ったことがある、
昼行われるのが凧揚げ合戦で海辺の中田島砂丘と言う処で行われるのだが結局そっちは省いて宵祭りの方に出掛けた、
街は通行止めになって町会毎の山車が華やかに引廻される、しかしこの祭りの特徴はこの他にその町会毎に若者が祭り装束で2~30人位の団体を作り戦闘ラッパを吹き残りの全員がホイッスルを咥えリズムをつけて走る、本当にただ「勢いよく」走るのだ、
それが彼方此方の街角から次々と現れて別の街角に走り抜けて行く、全く意味が分からない!確かに見ていると訳も無く可笑しくなってきて夫婦で「なんだ!ありゃ」と本当の意味で面白かったのだが地元の方には大変失礼な感想かもしれないな、
ぶらぶらと夜店を見ながら歩いていたら女房が「あれってなにを売ってるんだろ?」と言う、「“うといぺんこ”ってなに?」と言うので指さす方を見たら夜店の上の横断幕に白抜き平仮名で「うといぺんこ」と書いてある、自分も??と思ったがすぐに気が付いた、
「右から読んでみな」と言うと女房は少し間をおいて大笑い、
そう言えば昔「有平糖」てのもあった気がするが金平糖の夜店と言うのも珍しい処に持ってきて平仮名でかつ右から左に書いてある、今の子供だったら左から右に書いてもあまりわからないかもしれないのだがさらにわからない、
姉が小学校の頃やはり看板に「うこんきんまめとうや」と書いたあったけどなんだろう?
と言っていたことが有るが「やうとめまんきんこう」だとしても良くわからない、文語体なら「用途目万金膏」かな、なんでこんなことが頭から抜けないんだろうね

季節が変る頃、武蔵野国から甲斐の国へ

2012-04-11 13:57:07 | 旅行
やっと暖かくなって来た、お陰で神経痛もやや沈静して来た様だ、私は春先のこの時期と秋から冬に変る頃が好きだ、季節の変り目といった方がいいのかもしれない,
冬の間葉をすっかり落して枯れ枝の間を木枯らしが吹きぬける山がもう少し立つと全体にふわっとした感じになってくる、植林された杉の部分は暗緑色の布団を置いたような按配になっていた雑木林全体がうっすらと白味ががって来る、この時期までは山の地肌は直接枯葉の折敷いた地面だったのが梢の先に小さな葉の芽が全体に吹き出して来るので其れが霞を掛けたような、ふんわりと紗を置いた様な按配になる、
所々に少し緑が濃くなってきたと思うとその部分が膨らむように白い花を噴出す、山桜である。
山桜が終える頃里では薄桃色の染井吉野が咲き始める、染井吉野は山桜と違い先ず花が咲く、
そして盛大に吹雪くように散ると咲く前裸だった枝は新緑の葉に埋め尽くされる、
この頃になると里山の雑木林も白っぽい靄の様な色から明るい黄緑色に変ってくる、
1ヶ月程度で夏の濃い緑の山に変るまでの萌黄色と言う様な山の色が一番好きな季節となる、
東京から山梨に入るのは甲州街道と青梅街道、秩父から雁坂峠を越える秩父往還がある、
此処も駆り坂トンネルが出来てから走り易い道路となったが余り交通量は無い、
八王子ジャンクションから中央高速道路を西に向うとそう高くは無いが切り立つような山々が迫る、
小仏のトンネルまでの付近がこの時期に通ると実に気持ちの良い風景に合う、
左右、正面に立ち上がった山肌は冬の高さから少しだけ背が伸びる、小仏峠を抜けると相模湖だが自分はトンネルに入る手前の数キロが大好きな景色だ、
青梅街道を抜けて柳沢峠から塩山に下りる道路もこの時期に行くと素晴らしい新緑に合うことが出来る、特に丹波山村を過ぎてから柳澤峠までの小さな沢沿いの道路は背の低い潅木が殆どで枝の先がいっせいに小さな芽を吹き出している様は匂うような暖かさをかもし出してくれる、
大菩薩峠の稜線鞍部の柳沢峠を過ぎると道路は急激な下り九十九折である、こちら側はかなり樹盛は濃く車の直ぐ上に迫る、所々に針葉樹林も有るので暫くは薄暗い道路である、
道が開けると正面に甲府盆地が見える、この辺りまで来るとそろそろ葡萄畑も見え始める、
昔は養蚕が盛んだったそうで古い家は大きな屋根に空気抜きの戸屋根が乗った趣の有る家々だが昭和時代には茅葺屋根だった物は今はトタンで覆われて銀色に光っている、私は静岡の育ちなので銀色に光るトタン屋根は見た事が無い、海近くだと直ぐ錆びてしまうのでペンキが塗られている、私の子供の自分はペンキではなく「コールタール」が殆どで固まるのに時間が掛かるので隅にツララの様にタールが垂れ下がり、下の土にもたまりが出来ていたものである。
近くに裂石温泉があるが最近は日帰り温泉が出来ていた、かなり昔裂石温泉に泊まった事が有るが直ぐ脇を小川が流れていて急流の音がしていて下戸の友人が「煩くて寝られなかった」と言っタ事を思い出した
彼以外はしこたま飲んでいたので川の音なぞまるっきり気にならなかったのだが確かにせせらぎとは言えない「瀑布」の音では有ったな