梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

さて大晦日

2010-12-31 07:31:20 | 雑記
今年は久しぶりに鎌倉の大晦日としようかと夫婦で決めたがその辺はいい加減だから変わるかも解らない。良い年では無かったと言える、仕事はどんどん減って1月から3月までの稼ぎは3月初旬に徹夜をやって稼いだ分と派遣の分だけ、その後も減り続け派遣の仕事も10月で終える、もう駄目だと覚悟を決めたら11月に一つ、12月に1つ入って何とか歳を超せそうだ、28日で顧客が全て年末休暇に入り此方も休みに入る、29日にTVで今年1年を天気で表現したら、と言う街頭インタビューをやって居て女房が「我が家はどう思う?」と聞いた、お互いに顔を見合わせて同じ事を思った様だ、曰く「雨じゃなかったね、曇りかな」と女房が言う、自分もそう思っていた「そうだな、風は強かったけどな」「そうだね、結構強かったね、でも何とか越せるから雨と言う気持ちは無いね」と二人で笑った、「打たれ強いよな」と言うと「そろそろ痣だらけだから来年は良い年になるでしょ」と言う事になった、さあどうなるか、
話は変わって昨日の続き
人間と動物を分けるのは色々あるが社会生活から起きた文化がもたらしたものが多い、しかしどちらか解らない物も多く有る、動物で言えば雄と雌だが男と女の関係、恋愛感情と言う物だが此れは恐らく人間だけの感情ではないだろうか、恋と愛の大きな違いは独占欲に有る、恋情が強ければそれだけ独占感が強くなりその結果として嫉妬が生まれる、親子兄弟やライバルでも有る事は有るし愛玩動物の一部にも多少有るがやはり嫉妬は男女間が一番多いだろう、またそれが恋の味でも有る。此の感情が人類に多くの芸術と事件を生んで来たが此れが無ければ人類は随分つまらない生活を過ごす事になったろうかと思う、体の関係は恋愛の中でも重要なファクターでは有る、がしかしが目的では無い、幼い初恋と老いらくの恋を考えればそうだと思う、しかし完全なプラトニックは(無いとは思うが)有ってもそれは未だ完成していない恋愛だろう、その関係から新たな、或いは愛憎を含めた本当の男女関係が始まる、更に体関係だけをを取り出して付き合う事も確かに有るし、必要でもあると思うが両者の納得の上で無ければ一方が傷ついてしまう、恋愛関係のファクターとしては重要だが此方が目的な時は恋愛と言えない、しかし若い時は自分でも区別もつき難い事も確かだな、特に男は好きになると言う事が性欲と完全に分けられないだろう、恋は激しく燃え上がり愛は静かに輝く、恋から夫婦間の愛に移って行き更に少し恋情を残せれば最高だ。

数年前、正月の富士山



ベストでなくともベターであれば

2010-12-30 14:45:21 | 雑記
50~さん、此方こそ何時も読んでくれて有難うございます、1年を超えたら停めても言いかなと思ったり、今日は面倒だからと思ったりしますが50~さんのコメントを見ると「続けてみるか」と言った気持ちになります、他に何人か見てくれる人が居るのは励みに成る、元々文章を書くのが好きで試しに書いたのですが何処まで行くか続けてみますよ、
夫婦に関しては私も偉そうな事は言えないのですがタイプが余り恋愛対象にならないらしく愚痴の聞き役を仰せつかる事が多かった、「飲みに連れてって」と若い女性に言われてちょっと期待して飲みに行くと本当に人生相談をされて邪な行動に出られなくなった事がかなりある、特に「彼が・・」と言う話になったりすると内心(誘っているのかな?)と言った気持ちに成るのだがどうも話しているとそうでは無さそうだ、と言うわけで「Iチャン(あだ名です)と話していると悩みが無くなった」と言う事で終了してしまう事が殆どだ、特に水商売の女性や遊び人タイプが好きな女性からそう言う話しを聞かされる、大抵同じパターンを2~3回繰返して居るのが多い、「もう男は信じられない」と言う言葉が必ずと言って良いほど出るので「同じ石に2度躓くのは馬鹿だけど躓くのを恐れて歩くのを止めるのはもっと馬鹿だ」と話す事にしている、パートナーの選択は一回で最高の選択が出来ると言うのは難しい、しかし何度も繰返せるほど時間は待ってはくれない、白馬に乗った王子様は先ず来ない、と言うより王子様はそんなに大勢居ないだろう、ベストパートナーは夫婦間ではかなり難しい、だったらベターのパートナーがベストだと思った方が良い、ヨーロッパで言うベターハーフとはギリシャ神話で出てくる話で神話時代に神が創った人間は男と女と両性具有の3種類有って各々2つの顔と二組の手足を持っていたが増長して神々に反抗し始めた、そこでその力を半減させる為に神は真ん中から2つに分けて今の様な人間を作ったと言う、その時分かれた半分を探すのが恋であり、元に収まるのが結婚だと言う、つまり残りの半分と出会った時が理想的な結婚であり「ベターハーフ」だと言う、此れにはおまけがあって両性具有でない人間を分けた結果が所謂同性愛だとも書いてある、神話も結構粋な事を言うものだ。

夫婦と言うか伴侶と言うか

2010-12-30 08:49:23 | 雑記
我が女房殿に関して言えば理想的とは言えないが「自分にとっては」と言う言葉を先につければ理想的だったかもしれない、私には2人の姉が居る、理屈っぽい私にとって2人の姉から学んだ事は「自分は結婚をもしない方が良い」と言う事だった、その為結婚したのは36歳、田舎の友人は「お前独身主義だったんじゃなかったか?」と言われた位だった。今の女房とは子供を2人連れた再婚で、彼女はよく言えばさばさばとした、言い方によっては我侭で無鉄砲の女性、知り会った頃も「何時死んでも構わないけど自殺は負け犬の様だから嫌だ」と言う実に男っぽい性格でした、一方子供の様な部分を持っていて、此れは還暦を過ぎても替わっていない、無論結構振り回される事も有るけど「会社をやりたい」と言った時手「お父さんがそうしたいなら」と持ちの金を粗全部だしてくれたり、会社が厳しくなっても暗い顔を見せないとか良い所も随分ある、「結婚したら片目を瞑って」と言うなら両目を開けて見ても「其れも彼女の個性だ」と今は思っている、100%は有り得ないのは間違いないけど私の女房が務まるのも女房の亭主が務まるのもお互いしかないと思っていますね、無論女房は「冗談じゃないわよ」と言うと思いますが、
閑話休題というほどの話しではないが昨日の続き
人間は動物としてはかなりの変種だと思う、直立二足歩行と言う事も体毛が殆ど無い事も他の動物には見られない、両方とも進化の過程でこうなったのだろうとは思うが二足歩行が人類を進化させた事で行動範囲を広げ、其れが生活範囲も拡大し防寒法の進化に従って体毛もなくなったのではないかと思う、こうした人類の進化と関連が有るのかは解からないがいわゆる繁殖期が無い(或いは一年中)と言う生物は殆ど他には無いだろう、有性生殖動物は基本的に一年に1回、多くて2回である、そして其れにあわせて排卵の回数も決まっている(愛玩動物の犬猫は狂う事も有るが)しかし人類はどう言う理由でそうなったか解からないが基本的に月齢で排卵が有るので年に12回も有る、そして其れが本来の目的である繁殖行動の行為だった物が現在では行為自体が目的になり繁殖が結果にしか無いと言う様な様相を呈している、更に繁殖のパートナーが固定的だと言うのも人間が干渉しない野生動物にはあまりと言うか殆ど見られない、一繁殖期単位でペアを組んでいるのが通常だ、生まれた固体が繁殖可能になった時点で親子関係も解消する。しかし人類は一夫一婦制でも一夫多妻制でも繁殖の為のペアではない、生涯を共に過ごす事が前提のペアリングである、無論最初の伴侶が最高の伴侶かどうかは難しい、奇跡に近いかもしれないが人生は幾つも平行して出来る訳ではない、(別の伴侶の方がもっと言い人生)だったかどうかはやはりやってみないと解からない、思ったのとは全く違うと言うのは今現在と同じかも知れない、大体「こんなに酷い人だと思わなかった」から結婚したんだろうからもう1人がそうでない保証は全く無い、だったら現状をいい方向に持ってゆくのが最善だろう、歴史に「たら、とれば」は無意味だと言う、夫婦の今はやはり夫婦或いは家族の歴史なのだから

砂上の楼閣

2010-12-29 11:11:15 | 雑記
タレント同士で浮気騒動が出ていた、そして昨日60代の女性が長年連れ添ったと思われる夫に火を点けて殺害したと言う事件が報道された、私はゴシップには興味は無い、しかし一連の報道とこの殺人事件を見て夫婦という者、或いは夫婦と言う事を考えさせられた、夫婦間がすっかり醒めて仕舞い家庭が安らぐ場所で無くなったと言う夫婦も多いだろうとは思う、しかし離婚する事には踏み切れないで形だけの夫婦を続けている、其れは家庭・夫婦関係は意味を成さない、お互いに苦しむだけだろうとは思う、確かに子供が有れば躊躇する部分も有るが冷え切った夫婦間で育つ子供にどう言う影響があるか、分かれた時の影響とどちらが大きいのか。確かに理想の伴侶と思われる相手は結婚した後で現れる可能性も充分有る、先年評判になった失楽園がその様な話しだった、しかし既に何年かの家庭生活を過ごしていれば自分だけの問題では片付かない部分が多い、それでも仮面を被ってるれ沿い続けると言うのは正に砂上の楼閣を対外的に繕っているだけに成る、60代の女性の事件はこの城が崩れてしまったのだろう、社会的に破滅する事を承知の上であの様な事件を犯すと言うのは「何故その前に離婚しなかったのか」と言う悔いが残る、
友人の娘さんで子供が2人居て離婚した女性が居る、子供は2歳弱と6歳、有る日突然実家に戻ったが其処には殆ど居ないで会社の同僚の男性の家に子供を連れて泊り込んでしまった、親には流石に「女友達の家に」と言っていたが6歳の子供にはずっと嘘を言わせていたらしい。その間夫は一度も迎えにも来なかった様だがそのまま離婚しその同僚と再婚した、しかし上の子は友人に「僕、パパが好きなんだよ」と言っていたという、「あのまま続けても何れは破綻しただろうが、親としてどうしても割り切れない」と友人は話していた、批判を恐れず言わせて貰えば1度の離婚は諸々の事情が有るとは思うし続けても返って悪結果に成るだろうから正しい判断かもしれない、しかし何度も離婚を繰返すのは本人にも原因が有るのではと思う、夫婦と言う単位、家庭と言う単位を維持するのは不満を我慢すると言う意識では不満は蓄積し取り返しのつかない事になりかねない、生まれも育ちも違う男女が暮すと言うのはそれなりに苦労は有る、ヨーロッパの格言に「結婚するまでは両目をしかり開けて、結婚したら片目は閉じるが良い」と言うのが有る、まあ大抵その逆だけどな

大善寺

2010-12-27 10:59:12 | 雑記
大善寺はぶどう寺として有名だ、甲州街道の笹子峠を過ぎると盆地に降りきらない所に有る、此処に行ったのも大晦日ではないが多分29か30日頃だったと思う、周りは殆ど葡萄畑で冬の時期は上から見下ろすと四方に延びた枝が面白い模様を描いている、川を挟んで向かい側の山肌に中央高速の高架橋が見えてひっきりなしに車が通っている、この寺の少し先に慶徳院入口と言う道案内が有り此処を左に上がってゆくと武田勝頼最後の場所に向かう。此処を通り越して更に上がってゆくと一軒宿の嵯峨塩温泉と言う宿が有る、彼此れ35年位前に飲み仲間と忘年会をやった事が有る、今でもある様だが当時は地元の人しか知らない鄙びた宿でむさい男達が7人ほど泊まった時は他の客は居なかった、面白かったのは此処の料理で箱膳が一人当たり4台(単位は此れで良いのか?)出て来た、そこに小さな器がびっしりと並んでいて数えると20種類を超えた、無論各々1口で食べ切りそうな物で殆ど煮物や漬物だったが此れがうけた、酒を飲むのに丁度良いのだ。この時代は喫茶店で知り合った仲間と毎年数回泊り込みで飲みに行った、北は北海道から南は熊本まで、仕事も電気屋、ペンキ屋、タクシーの運転手、食品会社の営業、金型工とバラバラで更に喫茶店のアルバイト女子が3人居たので短大生、美容師と言った仲間だった、何時も週末は喫茶店に集まって遊ぶ事を相談していたのでマスターが「悪童連中」と呼んでいたので此れを頂いて「悪童連」と言うグループ名を決めて未だに時々「K悪童連」として旅館を予約して飲み会をやったりしているが流石に今集まるのは4人位になった、女子はもう言いお母さんだ、北海道は帰ってしまい集まる連中も山梨と埼玉と都内が住まいだ、その頃は悪童連の各自の田舎を順番に廻る、と言っても北海道と熊本、宮城県は難しい、茨城が居たが余り行くところが無いと言う事で自分の田舎静岡の西側、そして今でも付き合っている奴が塩山なので山梨が多くなる、お陰で山梨の旅館で一軒宿に多く行った、又再訪したいのだが女房とその友人が魚好きでツイツイ近くに出かけると伊豆と房総が多くなる、鄙びた温泉も良いが中々行く機会が無いな