梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

高齢者運転と高速道路逆走

2024-08-30 16:58:08 | 雑記
高齢者の重大事故が頻発している
一番多いのがアクセルとブレーキの踏み間違えだと言うが永い事運転をしていて取敢えず未だ正常域に居る自分からすると本当に「なぜ?」と言う感覚しかない
何かをしていて意図した行動と違う事が起きたらまずいました事を止めると言う事は普通の行動ではないのだろうか
車を止めようとしてペタルを踏んだら止まる筈が走り出したとしたら反射的に足を引っ込めるのではないかと言うのが普通の考え方だ
それもバックで車庫入れをしようとして今までアクセルを踏んで車を動かしていたのに(止めようとしてブレーキを踏んだらアクセルだった)と言うのは絶対におかしい、
アクセルとブレーキは別のペタルで当然2つある、が使っている足は右足一本だから踏み変えなければ逆の動きをするわけがないのに、
動いている車を止めようとそのまま踏み込むと言うのが全く分からない
此れを「高齢者の一般的認知能力低下」と言われたら納得のいくものじゃあない
こんなおかしな行動を突然発症するわけもないだろうから前哨的なミスは起こしているのじゃあないか、
家族が気が付く前に当人はちょこちょこと小さなミスを繰り返しているのではないかと思うのだが池袋事故ではそんな兆候は無かったのだろうか
それともう一つが高速道路の逆走が有る、割合は高齢ドライバーが多いが若い連中も結構見られるらしい
これに関してはこんな事は出来ないかと思う方法が有る
高速道路には何カ所も電光表示板と多くの道路標識が有る、当然ながらこれは進行方向に向かって設置されているがこの表示板の裏側に逆からしか見えない形で電光表紙装置を設置したらどうか
同時に速度検知器、速度レーダーを設置しておく、当然通常ならマイナス速度を検知するわけだが逆走車を検知すればプラス速度になる
検知したら目立つ様な表示で逆走である事をフラッシングし、高音の警告を流す
通常走行車にも逆走を検知した地点の相当の距離の掲示板に「逆走車あり、退避」と注意勧告を表示する事で事故を回避する
こんな事を愚考しています、どうだろうか

君の名は 真知子巻

2024-08-29 15:28:09 | 映画
元祖「君の名は」は1952年(昭和27年)に始まったラジオ放送で「その時間になると銭湯の女湯が空になる」と言われるほどの人気で
松竹から映画になった、
昭和20年5月24日の東京大空襲の時数寄屋橋で互いに命を助け合った男女が「半年後同じ場所で会おう」、と約束をして別れると言うドラマで所謂すれ違い物の走りだったらしい
男性後宮春樹を佐田啓二、女性氏家真知子を岸恵子が演じて彼女のスカーフを「真知子巻」と呼ばれ当時の女性ファッションとしても一世を風靡した                         
有楽町駅を降りて晴海通りを新橋側にわたり通りを4丁目の方に進むと小さな公園があった、その先は東芝ビル、半球数寄屋橋店でその前の路地を右に抜けると
藤村や北村透谷の通ったと言う名門泰明小学校に抜ける、その前の通りはみゆき通りである
その三角形の公園には小さな噴水があってその脇に小さな石碑があってそこには「数寄屋橋ここにありき」と書かれていてが如何にこの放送が売れたかが良く解る

此処は元江戸城外堀でそこに掛かっていた橋を昭和33年に埋めたてて高速道路にした際にこの橋が無くなった

いま「君の名は」と検索するとアニメの「君の名は。」が出てくるが今ブームとなっている「聖地巡礼」とやらはこんな時代にもあった
世紀の二枚目と言われた佐田啓二は本当に整った顔をしたスターだった、その息子が中井貴一である
現代ではこっちの方が彼の方が受けるのかもしれないがやはり昭和の老若男女に受ける色男は佐田啓二の方だろうな

狼の挽歌と「う~ん、マンダム」と

2024-08-28 17:10:34 | 雑記
「さらば友よ」で共演していたのはチャールスブロンソンだった、我々の年代では「う~ん、マンダム」でおなじみの強面
彼の映画では「狼の挽歌」が一番好きな作品だ、
フランス映画はこの手のアウトローヒーロー作品が多い、粋でオシャレでハードだが大抵はアンハッピーの事が多い
「さらば友よ」も奪った現金は追い詰められて放り込んだプールから彼の前に広がり、警官が彼に迫ってくるシーンがラストだった
ジャン・ギャバンの「現ナマに手を出すな」にしても結局全員が銃撃されてFINであった
彼の「ヘッドライト」もギャングでは無く中年のトラックドライバーだったしそれが又似合っていた
アメリカ映画もよく見たが「スターウオーズ」辺りから見る気が無くなった、これは定番の少年少女向け物語でいわゆる「竜王物」を宇宙に広げただけだし、「ハリーポッター」は魔法使いの学校物語だ
「ドリトル先生不思議な旅」や「チキチキバンバン」「メリーポピンズ」などの映画もあったがこれは最初から子供を主にしたファンタジーで大人が夢中になると言うものとは少し違う気がする
映画が芸術だった時代は20世紀の終焉とその役目を終えたかもしれない
まあ、こっちが歳をとって今の感覚にはついていけないだけかもしれないが
「今どきの若いもんは」と言う言葉はソクラテスの頃の碑文にも出ているらしいから準繰りだ、
Z世代達も同じ様に歳をとれは「今どきの奴らは」と言うんだろうな、
その時には「老害」などと言われない事を願っているよ

ボルサリーノ

2024-08-26 12:04:58 | 映画
アランドロンが亡くなった
太陽シリーズで洋画時代の一世代を確保した美男スターだった
自分はこのシリーズは残念ながら見ていない、何時か見てみようと思っているのだが中々その機会が無かった
彼の作品を最初に見たのは確か「世にも怪奇な物語」と言うオムニバスだった気がする
※Wiki
エドガー・アラン・ポーの怪奇幻想小説を、ロジェ・バディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニらフランスとイタリアを代表する三人の名匠の競作で映画化したオムニバスホラー。
 バディム監督が当時のパートナーであったジェーン・フォンダを主演に据え、莫大な財産を相続した若き伯爵令嬢に降りかかる災いを描いた「黒馬の哭く館」、アラン・ドロンとブリジット・バルドーが共演し、同姓同名で見た目も自分に瓜二つの男の存在に悩まされる男と、賭場で出会った美女の対決を描くマル監督作「影を殺した男」、テレンス・スタンプ演じる落ち目の俳優が異国の地イタリアで酒に溺れ少女の幻影と対峙する姿を描いたフェリーニ監督作「悪魔の首飾り」の全3話で構成。

この映画はみゆき座に掛かって当時東宝映画の関係会社に居たので仕事の合間に見た
大抵良い男の俳優は誰かから「見た目だけで売れた大根役者」と言う評価が付く、アランドロンも結構そういう評価が付いていたが若い売り出し時分の作品を見ていないので分からないが自分が見た頃は下手な役者と言う感じはしなかった
次に見たのはジャン=ポールベルモンドと共演した「ボリサリーノ」だったかチャールスブロンソンとの共演の「さらば友よ」だったかだが印象に残っているのは「さらば友よ」の方だが何方の作品もいわゆる「カッコいいやつら」の映画で(白人は格好いいよな)とつくづく嘆いたもんなんだが、
政治家と言うより20世紀のフランスギャング風ではあるが麻生太郎さんはボルサリーノを中々こなしてるね、

As Time Goes By

2024-08-25 13:33:38 | 雑記
アズ タイム ゴーズバイは「時の過行くままに」と訳されているが実際は「時が経っても(変わらない)」と言う意味らしい
カサブランカの中で使われていたが元は古いミュージカルの中の曲だと言う
しかし自分には「時の過行くままに」と言う訳の方が好きである、
有るがままに、過ぎ去る時間を淡々と受け入れて、飄々と生きる事が出来れば素晴らしいと思う、難しいけどね
時間は人の力ではどうにもならない、これからの時間は努力すればある程度変えられるかもしれないがそれも成る様にしかならない、
過ぎ去った過去は嫌な事でも楽しい事でも固着して変える事は出来る訳もない
ビデオテープの様に記憶は巻き戻せてもその記録されたものは編集する事は出来る訳もない、仮に切り貼りしてもその記録が変わる訳ではない
だったらすべて受け入れてつらい記憶は「あの時より今は良いじゃないか」と思い、楽しかった記憶は「楽しかったな」と思い出して楽しむがいい
時が経っても変わらないのは良い想い出だけ、ネガティブの思い出は時と共にうすれ、変わった方が良い
※「時の過行くままに」は沢田研二が歌ってヒットした曲で阿久悠の作詞だ、同じ組み合わせで「勝手にしやがれ」と言う曲もある
「勝手にしやがれ」はフランス映画でジャン=リュック・ゴダールの初長編作品で無名だったジャン=ポール・ベルモンドとジーンセパーグを一気に有名にした作品だ
この歌でも、映画でも日本では平気でこうやって同じ名前を使って発表する
テレビドラマの「家なき子」、アニメで有名になった「君の名は。」こっちは最後にピリオドを付けたので違うとでも言うのがあざとい気がする
終戦後のラジオ番組でのちに映画になり数寄屋橋での台詞、まちこ巻が一世を風靡した
言うまでもなく「家無き子」はフランスの作家エクトール・アンリ・マロが1878年に発表した児童文学作品である。
大衆迎合、マスコミ作家にクリウエイターとしての矜持を問うのは愚かなのかもしれないが多少は恥を知った方が良い