梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

選挙とマニフェスト

2010-06-23 10:08:39 | 日記
今度の選挙は本当に迷っている、民主は最初からあまり期待はしていなかったがそれにも増して酷かった、子供手当てより先にやって欲しかったのはやはり最低生活保障だ、自民が5万民主が7万と言っていた年金保証はどうなった、今度のマニフェストから自民は消えた、とりあえず手を付けたと評価された現政権が一番時間的には早そうだが内容が全く見えない、無論原資の確保が重要だが、鳩山政権は「今しばらく高齢の方は我慢して頂いて子供手当を」と言われた時に「こいつは馬鹿だ」と思ったのは私だけではないだろう、高齢の方は先が無いのだ、一生懸命働いて来て「リタイア後は年金で現所得の半分は最低保証しますから」と言って給料から所得の10%を取られ続けてきた、それに企業が同額を負担して積み上げて来たのだ、元本保証、高配当と言う謳い文句でしかも強制的にだ、「予定通り行かなかったから配当は半分にします」では詐欺だろう、民間なら訴えられるケースだ、若し配当が出せないなら解約をさせて欲しい、今まで積んだ年金はいったん全額返してくれ、企業がつんだ物もだ、私が払い始めたのは昭和38年だ、初任給は8千円の頃今の所得水準に計算しなおして返して貰おう、銀行に預けたとしたら付く筈の金利も付けてだ、それならどう言う結論になったとしても納得はする。少子化対策が大事なのはわかる、しかし育てても仕事が期待できず最低生活の保障も無いのに子供を増やせと言われてもモチベーションは上がらない、大体子供が欲しくても出来ない体の人達の事も考えているのか、不妊治療は保険外だ、子供を増やすなら其方の手当てはどうなっているのだ、穴だらけの子供手当だが本当に必要な家庭には出さなければ成らない野はわかるが所得制限は必要だ、嫌それ以前に社会整備に掛けるべきだろう、教育に掛かる費用を国が持てば貧富の差が子供に影響する事も少なくなる、例えば未だ30%程度しか進んでいない学校の耐震化工事に振り当てて工事を大手建設会社ではなくその学区内の会社で行わせる、此れだけでも最悪状況の建築業界に仕事が出来る、金が廻りだせば3次産業も潤い始める、働く事も難しくなった高齢者世帯に充分な社会保障が出ればここからもサービス産業に消費が廻る、優良な住居を国や自治体が負担して建設すればそこからも消費を底上げする、あらゆる手を打つと言っている政府が打っているのは高額所得者と大型企業の優遇でしかない、何とか今度の選挙は我々に寄った政策を行ってくれる政党にしたいのだが、あまりに多いマニフェストの羅列では焦点がボケている、投票の後にどの政党に入れたかどのマニフェストを最優先して欲しいかと言う投票も一緒にやって貰いたい、我々は政治家を選ぶのではなく政策を選んで投票したいのだ、そしてそれは全国規模で精査して選挙後にマニフェストに関する有権者からの契約書だ、その後半年毎位に評価をする、評価が半分以下に成ったら内閣不信任を国民が突きつける形になると言うのはどうだ、

マイカー 7

2010-06-22 08:42:13 | 日記
三菱デリカスターワゴンは如何にもそれらしい風貌で元々好きなデザインだった、シートもルーフも気に入っていて走破性も結構高い、未だこの頃まではマニュアル車だったがこの車体に2300ccは如何にも非力だった、高速で走る設計ではないのでその辺は良いのだがワンBOXの弱点でエンジンが椅子の下にある為に速度が低いと水温が上がってしまう、一番堪えたのは真夏に東名で渋滞に嵌った時にどんどん水温が上昇しレッドゾーンに入ってしまった事だった、真夏で暑い中高速の渋滞である、周りの車からの熱風、路面の照返しで室温は耐え難い温度に成るのにクーラーが掛けられないのだ、真夏に渋滞するコースを避けなければならないとは不便な車だ、乗り始めて数ヶ月でその真夏になったが大きな設計ミスが見つかった、仕事で秋葉原に行く事が多かったが燃料を満タンにして秋葉原に着き万世橋をわたった頃、嫌に社内がガソリン臭くなった、秋葉原警察の交差点を超えて道路わきに止め手見たら燃料キャップのしたからガソリンが滝の様に噴出している、直ぐにエンジンを止めて警察に行って事情を話し処置をして貰う、消防車は来なかったが廻りをロープで囲い暫く人を遠ざける、噴出は数分で収まったが原因がわからない、今まで問題は出なかったのだが未だ走り始めて半年も無く事故も起こしていない、恐る恐る乗ってディーラーに入れた、1日預けた後報告が来た、ガソリンタンクにはエア戻りがしないようにタンクの最奥部分の上方にエア抜きのパイプがあり、注入口の手前に繋がっている、この位置が注入口に近すぎて満タンにした後高温になるとガソリン自体が膨張し、その時にこのエア抜きを通ってエアではなくガソリンが吹き上がってしまったという事だった、タンクの構造自体を替えるかエア抜きの位置を替えなければならず、時間が掛かるので「暫く満タンにしないで乗って下さい」と言う話になって、その後暫くして引き取り修理をしたがこの事故は多分私が最初にクレームを入れた様だった、その後数ヶ月したらメーカーから無償修理のはがきが来た、しかし公表はされなかったな、その数年後パジェロ問題が沸騰したから体質的にそんな会社であった事は間違いなかった、しかしそれ以外はロードクリアランスが高く荒地の走破性も良くって丁度友人間で流行っていたのでずいぶん彼方此方に行った車だった、しかし車検前に又病気が出た、RVマガジンでレンジローバーの小型車が出ると言う記事を見て嵌ってしまった、記事の内容だと実に凄いらしい、今では無いのかも知れないが南米で行われるキャメルレース(だったかな?)での記事やTVの紹介ですっかり虜になってしまい見分不相応のこの車を購入することになった、Ⅴ8-4Lの380万と言う車は無茶だったが走破性はデリカの比ではない、パジェロでも良かったのだがこの時期のパジェロは仲間内で「ガンダム」と言われていたデザインでどうも趣味に合わない、値段はほぼ同じだったので落ち着いた感じのこちらになった事も含まれる、が、此れも問題児だった

参院選

2010-06-21 08:02:41 | 日記
参院選が始まる、各党のマニフェストが発表されたが、結果的に前回のマニフェストは変更または取り下げられたわけだから昔の選挙公約とあまり変わらない、まあそれはそれとして各党のマニフェストを見てみるが党の独自性が色濃く出ているとは言えない、殆どは概念的なものの羅列で此れを実現する為にこうすると言った視点が欠けている、出来なかったらどうするかと言う話はマニフェストにはそぐわないが実現不可能な項目を論っただけでは何の説得力も無い、今我々が一番苦しんでいるのは国民の半数を占めている低所得者層だろう、此れをどうにかするのにばら撒きでは直ぐスタックする、財源の確保が重要だ、間接税は致し方ないだろうが再三言うが経済格差を何とかしなければやはり重税感だけが残る、消費は下がり間接税は今の消費率では無理だろう、企業の競争力を高める為に、直間比率の見直しに法人税を下げると言う事は確かに一つの方法だろうが実質中小企業以下は殆ど利益が出ていない、法人税の恩恵を受けるのは内部留保が多すぎる優良大手企業だけだ、ソニーのCEOの様に報酬が8億も出せる会社だけが恩恵を蒙る事になるのだ、年間8億の金を高齢になって手にしても本人が使い切れるわけも無い。それでも残った何百億か何千臆の利益に掛かる税金が下がる、零細企業の大半は黒と赤のはざかいにある、そこで税率が5%下がっても影響はあまり無い、まあ国税と地方税を合わせると合計50%を超える税金は異常といえば異常だが。兎に角今の国の優遇処置は一定の所得層以上にしか恩恵は無い物が多い、車のエコポイントは新車を変える世帯、電化製品のエコポイントも新しい薄型TVを買わないと恩恵は無い、家を買ったら税金免除が有る、でも本当に困っている世帯は借りる事もままならない、経済格差の解消をうたったのは共産党だけだった、この党の意見は恐らく一番我々庶民の感覚に近い、しかしこの党が政権をとる事はあるまい、共産党と言う名前に違和感が有る、社会主義をどうしても連想するのだ、社会主義は近代史の中で既に否定されているに等しい、特に経済論としての共産主義は人間を性善説で捉えられている、文化を前に進めたのは恐らく人間の果てしない欲望だろう、此れを否定すると経済的発展は停滞するのは歴史が証明している、自由経済主義はその欲望を叶えるのに「全て自由」と捉えて運営されている、だからこそ弱者の救済と最低生活の保証がセットでないと又昔のロシアで言うと農奴の世界に戻ってしまう、帝国的貴族が経済的独占貴族に置き換わるだけだ、行き着けば又革命に行くしかないだろうがそろそろ歴史から学ぶべきだろう、我々が選ぶ事が出来る時代だが判断基準が難しい、いみじくも官僚が言う「政治のテクニック」が必要なら理想を掲げて当選しても国を維持管理する事が難しいだろう、そうなると結局独善的な強権者が必要になってしまう、タイの政情の様にその時は正しくとも時間が強権的独裁者にする危険は大きい、若い者に夢を持たせる政治が出来ないと日本は埋没する

社会報道・マスコミ

2010-06-20 09:43:58 | 日記
今日の東京新聞の記事に「中学生、溺れた小学生を救助」と言う記事が出ていた、東京都綾瀬市で水遊びをしていた小学生2人(何れも8歳)が足を滑らせて溺れたがそれを対岸に居た中学生8人が気づき15歳と13歳の兄弟が服のまま飛び込んで6m離れた岸に引き上げ意識の無かった1人に15歳の女子生徒が心臓マッサージを施したら2分ほどで蘇生、2人とも命に別状は無かった、と言う記事である、しかしこのニュースはテレビを見ていたが全く報道が無い、(殆どサッカー一色に政治問題が少々、相撲賭博が少々)その後朝食を取りに近くの喫茶店に言ったら読売新聞が有ったので記事を探してみる、都内版も含めて全く乗っていない、三ケ日の転覆事故位である、夫婦で「何でこう言う素晴らしい記事をマスコミは出さないのか、嫌なことをあげつらって不景気だ、政府が悪い、あいつが悪いと言う記事はどんどん出るのにこう言う心が温かくなる記事がわずかに地方新聞にしか出ないのはどうしてだろうか」と話していたが、大手新聞もTV局もなぜこの様な記事を紙面のごく一部でもいいから、ニュースの本の短い時間でいいからなぜ流さないのか、とっさに服を着たまま川に入った兄弟も素晴らしいし、心臓マッサージをした女生徒も凄い、此れを見て遅まきながら私も機会が有ったら是非蘇生手当ての講習を受けておかなければと感じた、同じ様に考える人が増えてくればそれだけ悲劇は防げる、又教育関係者も「我校も課外授業でやっておく必要が有る」と考える学校が増える事もあるだろう、此の事件を学校で話し合う機会も出てくるだろう、少し前にも線路に落ちた80代の女性を会社員2人が飛び降りて救ったと言う記事を此れも東京新聞で見たが放送では殆ど見なかった、ニュースはNHKが主だが放送されたか記憶に無い、サッカーにあまり興味が無いのでと言われるかも知れないがあれだけ同じ様な報道を繰り返すならもう少し社会報道に時間を割いてくれないか、しかもどの放送局を掛けても内容が大同小異の同じソースだ、民放も含めて我局独自と言うポリシーは無いのか、衛星放送系は未だ見ていないが最近一般からBSに移動する視聴者が増えてきているという、仕方ないだろうな何処を見ても同じなのだから、序に書くと今のテレビ放送は映画も含めて漫画の原作が多すぎるな、私は漫画は好きな方だと思う所かかなりのファンであるが此れを放送化すると原作が持つ物がかなり失われてしまう、一つは漫画と言うある程度制限された世界、読みたい者だけが金を払っても読むと言う世界だから許されている毒が倫理とか見ている不特定視聴者にあわせる為にかなり消えてしまう事、又その時の人気タレントを無理やり使う事で漫画の持っていたキャラクターの印象が変わる事当不満が残りあまり見ないことにしている、どれはこちらの勝手だが放送局としてのプライドは無いのだろうか?プライドといえば何処かで受けると同じ様な番組が複数出て来る事もそうである、12Chの「何でも鑑定団」の人気が出た時は同じ様な番組がキー局に幾つか並んだ、グルメが受ければグルメ、クイズが受ければクイズ、此れでは視聴者はすぐに飽きてしまう、我々も馬鹿ではない、「恥も外聞も無く良くやるよ」と言っている事を知った方が良い

ドライブ

2010-06-18 08:26:40 | 日記
総じて自分は異動している時間が好きな様である、車でも電車でも自転車でも、あるいは散歩でもそうなのだが20代から今までの移動手段はもっぱら車だった、最近は処々の理由により電車も増えて来たが、やはり車が多かった、山でも海でも目的地は何処でも良くて走る事自体がすきなのである、「春は曙」と言う言葉が有るが季節に関係なくこの時間帯が一番好きだ、未だ暗いうちに出て例えば中央高速に向かうと府中を過ぎる頃少し東が白み始め、八王子を過ぎて小仏峠に入る頃になると西側の空もすくし明るくなって今まで判然としていなかった山の稜線がくっきりと見えて来る、トンネルを抜けて相模湖を過ぎる頃から更に明るんで来る、やがて大月の手前から左手に富士山が見えてくるがその頂に朝日が当たり始める、笹子を過ぎると甲府盆地と左正面に南アルプス、右手に八ヶ岳が見えて来る、既にこの辺りには日が降り注いでいる、秋から冬に掛けてだと甲府盆地に蓋をするように雲の様な霞がたなびいている、「さあ、今日はこれから」と言った気持ちで一杯になる、この気分を味わう為に不必要に朝早く家を発つ事が多い。又夕方の風景も捨てがたい、好きな景色としては浜名湖の北の方を湖岸に沿って走っていると素晴らしい夕陽に出会う事がある、観光道路としてはマイナーの様でごく普通の生活道路なのだが湖面と殆ど同じ高さにあり道路脇に小船が係留された入り江もコンクリートではなく葦の中に木の杭と板が渡してあって貸しボートより一回り大きい位の小船がある程度、晩秋だとこの先湖西方向に夕陽が落ちる、空の具合もあるが真っ赤に大きな太陽が丘の様な小高い稜線に落ちて行き湖面が夕陽に染まりゆっくりと消えてゆく、此れを見ながら南下してゆくと道路は湖岸から離れて丘の上に上がってゆくと薄暮になった湖面に対岸の道路や家の明かりが映り非常に趣のある景色になる、また夕景はごく普通の地方都市の街中も好きな景色である、長くなった影が消えて町全体が夕陽の色に染まりかかる頃、仕事を終えて岐路に付いた自転車や遅い買出しを済ませ子供をつれて行き交う人達の町の風景はどこか懐かしい感じがする、自分の生きて来た中で体験した記憶はあまり無いのだが、憧れがあったのかもしれない。夜明けも夕暮れも刻々と変化し、ほんの僅かな時間なのだがそれが魅力なのだろう、(此処まで書いて漫画の三丁目の夕陽を思い出した)、都会の時間としては深夜、誰も居なくなると言うことは無いにしても幹線道路やオフィス街は殆ど人の姿が無くなる、何処か知らない町に居る様な錯覚すら覚えるこの時間帯も好きである、移動している時間は現実とは違う空間と時間を得る事が好きな理由なの家も知れない