梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

道路交通法と交通委員会

2013-04-29 08:05:50 | 雑記
高速道路入口で安倍総理の乗った車が事故を起こした、先頭の護衛車両がETCゲートの手前で急停車し、2台目にいた総理の公用車が止まりきれずに追突したという事故だった、
数年前にETCゲートが上がる前に通過する車で破損する事故が多くなって上がるまでの時間を遅くする事にしたのだが単純に考えれば全く逆の方法な事はすぐわかる、
上がりきる前に車が来るから衝突するのだから上がる時間を短くするのが科学的な処理だが「遅くするから侵入するのを遅くしろ」と言う事で対処しようとしたわけだがこれは無理がある、「もっとゆっくり」と言うならそのままでも良かったわけで個人の対応に依存すれば当然こういう事も起き得る事は考慮すべきだろう、
単純に考えて進入速度と距離の関係を変えれば対処できるはずで進入路はかなり手前から専用道路なのだから車両感知器の位置をずっと手前にすれば良い筈である、
道路交通委員会と言う組織が決めたのか高速道路が決めたのかわからないのだが交通法規という物の決め方がどうも一般的な発想とはズレがある感じが多くある、
私の住んでいる大田区の幹線道路に未だにかなりの歩道橋が残っているのだがどういう訳か幹線道路に接続する枝道から出てくると右側に歩道橋がくっついている所がかなりある、
幹線道路に合流する時に道側に歩道橋があると進行してくる車両が非常に確認しにくい事は運転している人間なら分かるはずである、また幹線同士の合流取付道路も実際に走るとわかるがかえって危険な方向に付けられている、
例えば第二京浜行からから環状七号線に入る松原橋交差点に入ると斜めに合流車線があるのだが合流点に入ると右手からくる車両を確認するには首を大きく後ろに向けないと確認が出来ない、高速道路の様にバックミラーでの確認が出来る角度でもないようになっている、確かに一時停止すれば出来なくはないがこれなら直角に合流し角を落とした方が楽である、この交差点は月に一度か二度必ず違反のチェックをやっている、その内容は良く解らないのだが必ず何台かが捕まっているのだがこれもおかしな話で「必ず違反者が出る」と言う事は規制状況が解り難いと言う事にほかならない、「違反を減らす目的」ではなく「違反をしやすい状況を作り違反者を捕まえるのが目的」ではないかと言われても仕方あるまい、こう言う場所はかなり見かける、あの公安委員会と言う所の人間は免許を持っていないのかそれとも殆ど運転していないんじゃないかと思うのは自分だけではないのではないか

盲人用押ボタン信号と思い出

2013-04-28 15:27:25 | 雑記
大森駅山王口を降りて正面の信号から北側一つ目の信号に押しボタンが付いている、普段は通常の時差式信号なので気にも留めていなかったがよく見てみると「盲人用押しボタン信号」と表示されている、
深夜に此処を通ることは殆どないので知らないが多分ある時間帯から押しボタン式になるのだろう、しかし我々が見ていても探さないと解らない程度の表記だが考えてみると「盲人用」と言う表記自体どう言う意味があるのだろう?健常者が「信号が盲人用なのだ」と解釈したとしてどう言う意味合いがあるのだろうか?
更に言えばこの表記自体いわゆる「目の不自由な」人達には見る事が出来ない訳だから更に表記の必要性が解らない、
気になって通る道で気をつけていたら蒲田の東口にも有る、この表記は全国的な物なのか大田区近郊独自の物なのか興味が涌いて来た、
盲人用信号というのはあちこちで見ることがあるが信号の変化に合わせて音楽がなるタイプが殆どである、音で信号を表しているのだろうと思うのだが自分にはどの方向から音楽が聞こえるのか理解する事が出来ないのだが彼らには恐らく永い経験で分かるのだろうなと思う、自分が全く視力を失ったらと想像すると本当に大変だろうなと思うが彼らあるいは彼女らは同情される事を嫌うので言うべきではないが感心をする、
自分がまだ幼いころ近所に姉の友人で全盲の女性が居た、彼女の家で姉が遊んでいた時のことを帰宅した姉が感心して話してくれた話がある
田舎の家は入ると土間(この地方では此処を庭と呼んで外は“おうど”と言う)が裏まで貫通していて大抵右側に風呂が有ってその先がお勝手である、余談だがあの頃水道はなく大きな瓶に水が入れてありその脇に土で拵えた竃があった、私の田舎の家々は大抵南側が正面で右側に入口が有って入ると土間が裏側まで貫通し東側がトイレ、風呂、勝手と並ぶ、(トイレは別棟である事も多い)、北側は山際である事が多くその付近に井戸が有って前述の水瓶には此処から汲み入れて置く、東側はいわゆる「田の字」に部屋が有って大きさは八畳から12畳位、南側には縁側が付いている、南に面した部屋の西側は「座敷」と呼ばれていて仏間である、手前が居間だが家族はその奥の所に炬燵か座卓の大きな物を置いた部屋で過ごす、ここは只「部屋」と読んでいてその西側が「納戸」と言われていてまあ倉庫である、
姉達は4~5人で居間で何かして遊んでいたらしい、両親たちは野良に出ていてまだ立ち歩きの出来ない幼児の面倒を見ながらだったのでそこで遊んでいたらしい、なんの遊びをしていたかは知らないのだが突然その盲目の子が「危ない!落ちる!」と言ったそうだ、びっくりして子供を見たら本当に庭に落ちる寸前だったと言う、
生れ付き彼女は全盲だったらしいが姉たちは普通に友達だった、五体満足で生まれた事を感謝しながらハンディを持って生まれた人達を尊敬する人生後半だ

向かい側の女性

2013-04-27 18:55:42 | 雑記
電車に乗っていたらある駅で向かいの席にひとりの女性が座った、襟の短い黒のミドルコートで同じく黒いあまりヒールの高くない靴を履いた足を揃えて流すように上品に座っている、
黒い髪を纏めて右の方から前に下げた今流行りのヘアスタイルで爽やかな目をした20代の半ばと見える女性だった、座るとA4位の紙を横綴にしたものを膝の上に出すと指で軽くリズムを取りながら何か歌っている様だ、(音楽家かな?)と考えながら見るともなしに見ていたら突然口を開いたなと思ったら全く無防備に大口を開けて欠伸をした、その後は何事もなかった様に同じように口ずさみながら続ける、
彼女が降りたらやはり女房が「素敵な女性だったけど、ちょっとがっかり」と耳打ちした、「本当に素敵な上品ででちょっと嫉妬を感じる位の女性なのに、ちょっとがっかり、せめて手で口を覆うとか楽譜で隠すとかすればいいのにね」と言っていたが女性なのでの見方なのか、それとも個人的な思いなのか、
私にしてみると清楚で上品な知的な感じがする女性が全く無防備に大きな口を開けて欠伸をするなどという処を見ると返って「可愛い」と思ってしまう、
女性に限らず今の服装やヘアスタイルはどうも馴染めない、それだけではなく何で皆殆ど同じ格好をするんだろう、各々の個性からするとどの人も同じ格好をして全て似合うわけもないのだがどういう訳かほとんどの女性が同じ格好をする、
オーソドックスな格好ばかりではつまらないかもしれないが流行に流されず自分のスタイルを持っている女性(男もだが)を見るとほっとするのは自分だけではないだろう、
落ち着いた品の良い服装が身に付いた女性を見るとやはり(素晴らしいな)と思うがふと無防備な子供の様な一面を見るとさらにほっとする、最近は電車に乗る機会が増えて大変失礼だと思うのだが他の乗客を眺めていろんな事を勝手に考えるのが楽しくなった、無論不躾に眺めるなんて事は決してしてはいないで自分だけの楽しみにしている、まあ自分も多分誰かからおんなじ様に見られていることもあるんだろうけどね

二宮尊徳の言葉

2013-04-23 13:45:47 | 雑記
小田原に寄って来た、小田原城天主は何度も行ったのでこの日は寄らず裏につながっている「尊徳神社」に寄ってきた、小さな池があり参道にお馴染みの薪を背負ってほんを読んでいる像が有った、
「本を読みながら山仕事をするなんぞはまず無理だな、そんな余裕が有るならもう少し背負えと言われる」などと憎まれ口を叩きながら参道の入り口に向っていったら今度は成人した二宮尊徳翁の銅像が有った、
誰かに似ていると考えたら間宮林蔵の地図測地の像に似ている、出で立ちが同じ様なのでそう言う印象を持ったのかもしれない、
その前に碑文が有り読んでみると「経済を忘れた道徳は戯言であり、道徳を忘れた経済は犯罪である。」と書かれている、
「力の無い正義は無意味であり、正義の無い力は恐怖である」と言う言葉に似ているが政治と経済を考えれば尊徳翁の言葉の方が的確であると言える、
現在の政局で言えば前回の民主党政治が「経済を忘れた道徳」だが途中から道徳すら忘れてしまった、「道徳を忘れた経済」とは言い得て妙だ、55年体制の自民党と現在の経済界は正しく「道徳を忘れた経済」そのもので罪悪そのものである、
「道徳」と言う名称が古臭ければ「哲学」とでも言うべきか、政治家は国民への奉仕者である、と言う「政治哲学」と言うのが相応しくなければ「政治の理念」が経済の根本になければ「経済界」は国民を利益の対象にしか考えない妖怪で、逆に理想を掲げての政治理念も実際の経済が成り立たなければ正に「寝言」(ネットでみたら「戯言」ではなく、「寝言」に成っていた)でしかない、経済と言う概念がなければ結局国政は暗礁に乗り上げてしまう、
しかし経済に理念がなければ富は徐々に集中し国政はその少数の為のシステムとしか機能しなくなるだろう、
どんな奇麗事を並べても今の政治は経済界よりである事は間違いない、政治そのものが動く為には経済が必要である事も一方では間違いの無い事ではある、しかし経済自体資産の偏りが大きくなれば当然の様に金は回転しなくなる、その為に「経済は罪悪」で無いように古の教え「道徳観念」を持った経済を進めて貰いたい物である
しかし、儒教は確か中国が発祥だが今の中国経済界、政界はとても論語を生み出した国とは思えないな、漢文なんだから「論語読みの論語知らず」にはならないと思うのだが、永い歴史はその教えを薄れさせてしまったのか、同じ人種とは思えない様な有様しか漏れ伝わって来ないとが残念だ。

農業に愚考する

2013-04-21 10:58:50 | 雑記
TPP参加協議が話題になっている、内容が良く見えないのだが見聞きした範囲ではどうも主導しているアメリカが有利の条項が多そうだ、
農業製品の関税は撤廃を推進し、金融関係も保険自由化など強硬だし牛肉の検査関係も更に検査をゆるくしろと言いながら自動車の関税は無期限に継続するという、
まあ、これから「協議」に入るのだから頑張って貰うしかない、しかし農業の件は今の関税を維持したところで先行きが不透明である事は間違いないだろう、
大規模農業をやるにも日本の土地は山からすぐ海であまり広い土地はない、そこに持ってきて所有関連も非常に細かくなっている、敗戦までの日本の農業は大地主のしたに小作が居るという構造でこれを進駐軍が解体したのだが結果的に小規模農業の欠点が徐々に日本の農業を衰退させてしまった、小作が土地を得て自主経営になったのだが今まで経営を担ってこなかった小作に長期間の経営ビジョンなど出来る訳もなく結局「農協」と言う一種のコミューンで運営基盤を得ようとしたのだが農協自体が長期にわたる経営戦略などもてる訳もなく丁度共産主義が行き詰まるように農家の借金が増えた分だけ農協幹部が肥大するという構造になりつつある、
加えて農家の承継者問題があって衰退はさらに顕著になった、若い人達が農業に付かない理由は複数あるだろうがまず経営の不安定さと時間的な不安定さがあるだろう、
方法としてこんな事を考えた、
農協単位で合資会社の様な形を取って全体で収入を一括して管理し、機械、種を提供し収穫も一旦会社に入れて労働に合わせて給料制にする、
農地は会社の財産として管理され設立準備期間を設けて設立前3年程度の土地面積あたりの収穫量に応じて株券を発行し、所得の一部を配当に廻す事で提供した土地の公平さを保つ、実際の従事者は出勤(労働した)日数、時間で報酬を支払い有給休暇、厚生年金等の福祉も充実させる、
出来るだけ畦は減らして大規模農業に近づけて遊休地の利用は会社経営の一環として進める、経営自体には専門の部署を設けて資金繰りや投資を行う、
地域的に協力関係を持ったグループと産出に分けたグループを連携し多作による値崩れも防げるし消費地との直接取引も可能になるし運輸関連会社も自社グループとして設立する事も可能だろう、
今までの旧態然(敗戦後数十年の旧態ではあるが)に拘泥しないでこんな方法が出来ないかと考えた