梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

安保関連法案の方がずっと問題だ

2016-03-29 18:49:51 | 雑記
新聞の発言欄に「第二の国歌が有ってもいいのでは」と言う記事が載っていた、「国歌の歌詞に思う事があるなら別の国歌が有っても良いのでは」と言う趣旨だった、
国家斉唱と国旗掲揚に反対する団体がある、どう言う訳か公務員の団体が多い気がする、特に問題になるのは何時でも教員関連だ、卒業式、入学式に式次第にある筈の国旗掲揚と国歌の斉唱に起立すらしない、教育の場に政治信条を持ちこんではならないと言う事を言うならその行為自体信条の問題の様な気がする、国旗と国歌と言うより彼等の理由から推し量ると「日の丸」と「君が代」が帝国主義、先の大戦を象徴するから駄目だと言うらしい、だったら「日の丸」と「君が代」を替えろと言うのが妥当な気がする、
日独伊の敗戦国で国旗と国歌がやり玉に挙がったと言う話は聞かない、ドイツの反省は「ナチ党」のハーケンクロイツである、ネオナチが好んで使うのもこの鉤十字の旗でドイツの国旗では無い、日本で言えば海軍の「晴天旭日旗」に当たる、恐らくアジア諸国も嫌日の韓国も一番問題に居しているのは「旭日旗」だ、取りあえず朝日新聞でもやり玉にあげたらどうかと言うのは良くない冗談だがそれでも日の丸が駄目だと思うならそう言ってキャンペーンをすれば良いのではないか、一般的にハレの行事に国旗と国歌を掲げるのは世界的に普通の事で両方ともないと言うのはまずあるまい、革命軍でもテロ組織でも取敢えず国旗、未だ国になって居ないから国旗ではないが「旗の下に」結集するのは自然の事だ、
決められた事が思想信条に合わないから従わないと言うのは勝手だが「罰則はおかしい」と言う方がずっとおかしい、「法律は少ないほど良い国だ」と言うが罰則が無ければ従わない、秩序の為には規律が必要だしそれは全てが従うと言う前提で組み立ててある、従わない事は本来想定していない、だから措置も決められていない、口頭で従う様に指示するだけである、しかし再三の指示にも従わなければ罰則を決めるのはやむを得ない、
学校なら校則と言う物があるだろう、殆ど冗談の様な規則だがそれもそれまでに生徒と教師で同じ様なやり取りからあんな下らない文章になった筈だ、
「学生らしい服装を」に「学生らしいってなんだ」となり「余り短いスカートは」「余り長い髪形は」と言えば「自分ではこの長さは短くない、この髪形は長くない」と言う、仕方ないから「膝から何センチ」「耳が隠れてはいけない」とか言う様な文章になる、
思想信条に合わないから起立しないと言うのは「制服は自分のセンスに合わないから着ない」と言う事と理論的には変わらない、制服が有るのを承知で入学した生徒と式典には国旗の掲揚と国歌の斉唱は有ると言う事を承知で教師になった事と理論的にどう違うか説明して貰いたい物だ、「思想と趣味は違う」とか言うなよ、思想信条は教育の現場にそぐわないというのは教育基本法に書いてある
更に言うなら私は昭和23年生まれでそろそろ古希である、今国旗と国歌に異を唱えている方々よりずっと戦争に近いが日の丸を見ても君が代を聞いても戦争の記憶が戻る事は無い、記憶そのものが無いのだから当然だ、彼らがなぜそんな記憶がよみがえるのか理解に苦しむのだが

教師の資質

2016-03-23 09:09:48 | 雑記
また中学生が自殺をした、小学校の頃から父親から虐待を受け続け何度も「施設に入れてほしい」と周りに行っていたらしい、何度か面談をして改善されたからと打ち切った後も生徒からは同じ様にSOSが出されていたと言う、面談で話したと言うが虐待していた両親が「はい、虐待していました」と言う訳もないし、仮にそこまで認めたとしても「これからも続けます」と言う訳もない、その後その子供がどう言う報復に合うか考えるまでもなかろう、
中学になって父親に投げ飛ばされて腰を打ったと言う、それも学校に話したが担任は上に上げなかったと言う、彼にとっては「無視された」訳だ、親からの虐待を友人に話し、先生に相談し児童相談所も一度取り上げてその結果がこれだ、「家にいると虐待されるから施設に行きたい」と10歳前後の少年がいう境遇をなぜ汲み取れなかったのだろう、教師の質を言われ、一方でその苛酷な勤務状況も言われる、しかし彼らは大学を卒業してそのまま教職に就くのがほとんどだろう、そこは教員同士を望めば自分より年下の幼い知識しかない子供たちだけである、ずっと教室の強権者で居続ける、確かに保護者と言う監視者はいるが授業中は生徒だけである、しかも内申書と言う伝家の宝刀を持っている、先日の「間違った万引きの履歴」がいい例だ、
社会のルールを知らずに狭い学校の中でのポジション争い以外は常に強者である、おそらく自分の受け持つ生徒から問題が出る事をのみ恐れ本当に対象の子供たどう言う状況かを理解しようとしない、自分の担当する間に問題が顕在化しなければそれで自分は助かったとしているのではないか、
それが結果的に「自殺」と言う所に追い詰めてしまう、教育実習のほかに教師は数年の社会実習を義務付けるべきではないかと思う、
子供の授業参観や三者面談、進路相談を経験してきて若い教師の自信のなさと年配の古参教師の常識のなさには辟易をしてきた、それは素手に30年位前の話ではあるが今でも基本的には変わっていないなと最近の記事を見て思う次第である、役人根性と言う言葉の代表的な世界の様だ、おそらく坊ちゃんの赤シャツの様な教頭先生や定年まで何事もなく、いや無かった事にして過ごし年金と名誉を楽しみな校長先生と言う連中がこう言う悲惨な事を蔓延させているのだろうと思うと希望のない今の社会で底辺の子供達の将来は本当に夢も希望もないと言う事になってしまう、

生老病死と種の保存

2016-03-16 17:35:41 | 雑記
生老病死と言う、ブッタが生きる事の苦悩の根源だと悟り人生の苦悩を無くすには産まれて老いて死ぬ事を受け入れる為に欲望から脱却する事の実が救われる道だと説いた、
産まれたら老いてやがては死んで行く事は誰しも当たり前の事として理解はしている、理解はしていてもいざ死にいどめば恐怖するだろう、それは恐らく動物の本能だ、動物と言うより「種の保存、その継続」は生物に課せられた一番重要なプログラムだ、したがって動物が有る程度の知能があれば「死」に関しては本能的に回避すべき重要なシステムになっている、痛いと言う神経が無ければちょっとした怪我で出血多量で死んでしまうのと同じだ、そうでないとその「種」は簡単に絶滅してしまう、なぜ種が継続と進化をプログラムされているかは生物学的に何らかの理由が有るのかもしれないが浅識な私は知らない。
老いる、病を罹患する事はその先にある「死」と言うプロセスに対する「恐怖」と言う忌避行為のセンサープログラムだろう、しかし老いると言う事は「種の継続」においては「個体の耐用期間」が消化された事による「代の交代」だし高等生物においては他の遺伝子と交わる事によって「進化」に必要なプログラムなのだろう、老いた動物は粛々と死んで行くらしいが人間はこの老化に関しても忌避しようと言う気持ちがあり、特にあらゆる欲望を自分の物に出来た者は更に「生命」すら自分の思うがままにしたいと思うらしい、
私は子供の頃母親を無くし20代の前半までに親兄弟、友人を多く見送ってきたせいか、はたまた裕福な生活に無縁だったせいかあまり「死」に関した恐怖が無い、無論現実に其処に臨めば恐怖にパニックになるかもしれないが、
私が時々体調を崩すとその度に女房が「絶対に私より先に死なないと約束したからね」と言う、彼女は決して裕福な家に育ったわけではないが産まれてから一度も一人の生活をした事が無いと言う、父親が大好きで20代の半ばに無くなったがその時は子供がお腹に居て死に際には会えなかったらしい、母親は15年位前に87歳で無くなった、13年前に兄が、そして4年前に姉が無くなり家族は私と子供達になったが子供達はそれぞれ家庭を持っているので我儘を言えるのは私だけだ、「私を一人にしないで」と言うのが私との約束になっている、
「生老病死」と言う事は本人の事と言うより、廻りに居る人に対しての恐怖の様な気がする、となると仏教の悟りはそう簡単に「死」を達観されては廻りに対して不誠実なんではないかと言う様な気がする、無論その為に「出家」をして家族と言う柵を避けているんだろうが「在家仏教」と言う教派や「娑婆即菩提」と言っても後に残った人の悲しみをどうするかの方が重要だ、とは言っても世代交代が無ければ世は進化しないし人間には「忘却」と言う能力もある、時間がたてば思い出に昇華出来るだろうがその時まで生き続ける事が出来ないのはどうやら男の方が多い様だ、
そう言えばネットニュースで「150歳まで寿命を延ばせる方法が後10年位で完成する、その次は30年程度肉体も若返る事も可能になる」と言う記事が出て居た、但し「80歳を超えると若返りは難しい」そうだ、私と女房の年齢はかなり微妙だが女房は「そんなに生きるなんて御免蒙る、呆けずに体が今より衰えずぽっくり行きたい」そうだが私としては若い時の女房が戻ってくれるならそれは大歓迎だがそんな事を言ったら又ひと悶着か

高齢化社会の縮図

2016-03-13 08:16:40 | 雑記
自治会の年次総会が有った、公的な住居なので原則住民自治で管理することになっている、ゴミ回収当番は当然のこと毎月の草刈りや共用部分の維持管理、自転車置き場の管理等々かなりの仕事になる、3棟あり5階建が1棟4階建が1棟1棟は1階部分が区営の保育園で4階建で各々1フロア5世帯だこの1棟は住居は3フロアになる、
団地は建てられて40年以上になるが建てられた当時から住んでいる世帯も何世帯かある、結果的に高齢化が進み世帯数の3割以上は80歳を超えている、私の世代である60代後半を含めるとほぼ70%に上る。
役員は数年前から輪番制になった、自薦他薦を含めて任意では全く決まらないのでやむを得ない措置である、しかし基本的自治に全く参加しない世帯が複数出てきてこれもやむを得ないと言う事で掃除等の共同作業に出ない世帯には月500円の賦課金を徴収することになったがこれが更に不参加を増やす結果になった、「500円払えばいいんだろう」と言う世帯が増えてしまったのだ、またその一方で長期入院あるいは生活活動すら不自由な世帯に罰則金のような賦課金は酷だという意見もでる、来季の当番から2世帯が外れたがこれはその世帯が長期入院の人を抱えており一方の連れ合いが病院と家を毎日往復する生活なので役員が「独自で判断し」免除したという、このことに関して当然反対意見は無いのだがその役員から「ある程度基準を作ったほうが役員の精神的負担が減るのではないか、病人は当然だが年齢も80歳とか85歳とかは良いんじゃないかと思います」との意見が付加された、(ちなみにこの役員は30代前半の女性)しかし年配の方からは「年をとっても体が動く間は協力するのは当然」と言う意見が出たのだが一方で先の500円払うだけの世帯も2割くらい居る、当然年集会も出ていない、高齢者と病人世帯とこの自主的不参加を加えると半数になってしまうわけである、役員の負担が倍になると言う訳だが基本的に高齢なのであと何年かすれば更にこの割合は進んでしまうことは明らかである、当然高齢者の世帯は空いてくるがあくまで抽選で入居を決めているわけだからどの年代が入居してくるかはわからない、仮に抜けた世帯が全て若い世帯だとしても多数を占めるまではかなり時間がかかるだろうし半数世帯で自治を賄ってくれといえばまた不満も出るだろう、
若しかしたら今の老齢化状況の縮図のようなものかもしれない、一般世帯より生活共用部分が濃密で有るためシビアな状況を持っている、政府が「三世代同居の補助」を打ち出したが基本的に持ち家の改築補助金だ、持ち家の比率はそれほど高いわけではないし大半は2世帯でも子供が大きくなれば部屋が足らなくなる程度の家が多いし同居のための改築が可能な家に住む世帯は十分な資産と収入がある、基本的に政治家rと官僚は「貧しい暮らし」がわかるわけもないので仕方ないのだが、さらに言えば古今言われ続けている「嫁姑」の問題は大きな壁といなるだろう、
いま自分が住んでいる住宅もその反対にある限界世帯になるが小さな3DKで40平米ていどがが隣り合った住宅2軒で住まうことを条件に優先的入居にするとかあるいは民間のマンションでも隣り合った2軒か少なくとも同じ建物に居住することを条件に補助金を回すとか或いは優遇税制を適用することのほうが有効になる気がする、生活部分を共用しないことである程度互いのストレスを減らし、若い世代の子育てに親の手を加え更に高齢化し空き家になってもその頃には子供世帯が横滑りすることで利用もできる、「スープの冷めない場所に住むのが一番良い」と言う言い方があるがそういう意味ではマンションは理想的ではないだろうか。

皇室典範まで口を出されて言い訳してんじゃない、昔なら不敬罪だ

2016-03-09 13:08:36 | 雑記
また「国連女性問題委員会」と言う所から「日本の女性地位が低すぎる」と言う「勧告」が来たそうだ,
何様か知らないが他の国に「勧告」とはおこがましい、「大手企業や政府における女性の割合が少ないから少なくとも30%にするべきだ」と言うがそれではノーベル賞の受賞者が全体の5%しかないのは割合が少ないか女性に30%は送るべきだと言うのか、
企業の役員割合も政治家の割合も意欲と努力の結果でしかない、女性が社会進出する基盤が弱いと言うなら分かるが「30%にしろ」と言うのは全く論理的では無い、日本人の女性が虐げられていると言う根拠は一体何なんだ?
無論こう言う事を書くと必ず何人かの女性から「男に分からない男女の壁がある」と言ってくるだろう、しかしそれを世間に発信するのは貴女方の役目だ、外から言われてそうだそうだとも言わないで匿名で噛みつくだけ、第一殆どの女性はそんな事を言っていないだろう、選挙に関すれば男女の区別はない上に投票率は女性の方が高いのだ、一般的な女性がそう思っていれば男の候補を落とす事は簡単だ、
皇室典範に女性が天皇になれないのは女性差別だとも書かれていたらしい、歴史的には女帝は数世代ある、元々そんな決まりはなかったが日本を乱れさせたきっかけの多くが皇位継承を利用した戦だったので徳川幕府が強制した(皇室典範を弄ったわけでは無い)のがそのまま残っているのだがこれは今上天皇に男子が生まれていないので確認されている、外国人が大した知識もないのに2千年に及ぶ日本の歴史文化に口を出す事自体傲岸不遜だ、アメリカ・カナダ・オーストラリアは歴史がは無い国だ、有るのは武力による占領立国と言う事実だけだ、フランスもドイツも産業革命時王族を捨てた、しかし文化として庶民には残っている筈だが権力の座にいる彼らに文化が解る筈もない、
古い文化に憧れている新国家の文化人は歴史的文化に敬意を払っているが経済主義の指導的連中は過去の文化、「歴史的醸成」と言う事が解らない、
日本文化はそれで上手くいっているんだから大きなお世話だ、他人が人の家庭にくちばしを突っ込むんじゃないよ、女性蔑視を「勧告」するならイスラム教国家にもっと強硬に言ったらどうなんだよ、イスラム教もキリスト教も絶対的一神教だが日本は五万と神様がいるんだ、そんな人材不足(神材不足)の神様と違って各々担当が責任と愛情を持って運営しているんだよ、キリストさん(キリスト教では神だが三位一体だから神様もキリストさまも同じだろう)はやたらに「神の試練」をお与えになるが我が国の神様はよっぽどの事がない限り「試練」はお与えにならない、八百万の神々より試練をお与えになるのはどの家にも居る「山の神」だ、山の神様は外に出て出世するなんぞと言う卑俗な事には興味はないんだよ、
こちとらの家庭が亭主関白に見えたってそれで女房子供が亭主を操縦していりゃそれで上手くいってんだよ、ざまーみやがれ