新聞の発言欄に「第二の国歌が有ってもいいのでは」と言う記事が載っていた、「国歌の歌詞に思う事があるなら別の国歌が有っても良いのでは」と言う趣旨だった、
国家斉唱と国旗掲揚に反対する団体がある、どう言う訳か公務員の団体が多い気がする、特に問題になるのは何時でも教員関連だ、卒業式、入学式に式次第にある筈の国旗掲揚と国歌の斉唱に起立すらしない、教育の場に政治信条を持ちこんではならないと言う事を言うならその行為自体信条の問題の様な気がする、国旗と国歌と言うより彼等の理由から推し量ると「日の丸」と「君が代」が帝国主義、先の大戦を象徴するから駄目だと言うらしい、だったら「日の丸」と「君が代」を替えろと言うのが妥当な気がする、
日独伊の敗戦国で国旗と国歌がやり玉に挙がったと言う話は聞かない、ドイツの反省は「ナチ党」のハーケンクロイツである、ネオナチが好んで使うのもこの鉤十字の旗でドイツの国旗では無い、日本で言えば海軍の「晴天旭日旗」に当たる、恐らくアジア諸国も嫌日の韓国も一番問題に居しているのは「旭日旗」だ、取りあえず朝日新聞でもやり玉にあげたらどうかと言うのは良くない冗談だがそれでも日の丸が駄目だと思うならそう言ってキャンペーンをすれば良いのではないか、一般的にハレの行事に国旗と国歌を掲げるのは世界的に普通の事で両方ともないと言うのはまずあるまい、革命軍でもテロ組織でも取敢えず国旗、未だ国になって居ないから国旗ではないが「旗の下に」結集するのは自然の事だ、
決められた事が思想信条に合わないから従わないと言うのは勝手だが「罰則はおかしい」と言う方がずっとおかしい、「法律は少ないほど良い国だ」と言うが罰則が無ければ従わない、秩序の為には規律が必要だしそれは全てが従うと言う前提で組み立ててある、従わない事は本来想定していない、だから措置も決められていない、口頭で従う様に指示するだけである、しかし再三の指示にも従わなければ罰則を決めるのはやむを得ない、
学校なら校則と言う物があるだろう、殆ど冗談の様な規則だがそれもそれまでに生徒と教師で同じ様なやり取りからあんな下らない文章になった筈だ、
「学生らしい服装を」に「学生らしいってなんだ」となり「余り短いスカートは」「余り長い髪形は」と言えば「自分ではこの長さは短くない、この髪形は長くない」と言う、仕方ないから「膝から何センチ」「耳が隠れてはいけない」とか言う様な文章になる、
思想信条に合わないから起立しないと言うのは「制服は自分のセンスに合わないから着ない」と言う事と理論的には変わらない、制服が有るのを承知で入学した生徒と式典には国旗の掲揚と国歌の斉唱は有ると言う事を承知で教師になった事と理論的にどう違うか説明して貰いたい物だ、「思想と趣味は違う」とか言うなよ、思想信条は教育の現場にそぐわないというのは教育基本法に書いてある
更に言うなら私は昭和23年生まれでそろそろ古希である、今国旗と国歌に異を唱えている方々よりずっと戦争に近いが日の丸を見ても君が代を聞いても戦争の記憶が戻る事は無い、記憶そのものが無いのだから当然だ、彼らがなぜそんな記憶がよみがえるのか理解に苦しむのだが
国家斉唱と国旗掲揚に反対する団体がある、どう言う訳か公務員の団体が多い気がする、特に問題になるのは何時でも教員関連だ、卒業式、入学式に式次第にある筈の国旗掲揚と国歌の斉唱に起立すらしない、教育の場に政治信条を持ちこんではならないと言う事を言うならその行為自体信条の問題の様な気がする、国旗と国歌と言うより彼等の理由から推し量ると「日の丸」と「君が代」が帝国主義、先の大戦を象徴するから駄目だと言うらしい、だったら「日の丸」と「君が代」を替えろと言うのが妥当な気がする、
日独伊の敗戦国で国旗と国歌がやり玉に挙がったと言う話は聞かない、ドイツの反省は「ナチ党」のハーケンクロイツである、ネオナチが好んで使うのもこの鉤十字の旗でドイツの国旗では無い、日本で言えば海軍の「晴天旭日旗」に当たる、恐らくアジア諸国も嫌日の韓国も一番問題に居しているのは「旭日旗」だ、取りあえず朝日新聞でもやり玉にあげたらどうかと言うのは良くない冗談だがそれでも日の丸が駄目だと思うならそう言ってキャンペーンをすれば良いのではないか、一般的にハレの行事に国旗と国歌を掲げるのは世界的に普通の事で両方ともないと言うのはまずあるまい、革命軍でもテロ組織でも取敢えず国旗、未だ国になって居ないから国旗ではないが「旗の下に」結集するのは自然の事だ、
決められた事が思想信条に合わないから従わないと言うのは勝手だが「罰則はおかしい」と言う方がずっとおかしい、「法律は少ないほど良い国だ」と言うが罰則が無ければ従わない、秩序の為には規律が必要だしそれは全てが従うと言う前提で組み立ててある、従わない事は本来想定していない、だから措置も決められていない、口頭で従う様に指示するだけである、しかし再三の指示にも従わなければ罰則を決めるのはやむを得ない、
学校なら校則と言う物があるだろう、殆ど冗談の様な規則だがそれもそれまでに生徒と教師で同じ様なやり取りからあんな下らない文章になった筈だ、
「学生らしい服装を」に「学生らしいってなんだ」となり「余り短いスカートは」「余り長い髪形は」と言えば「自分ではこの長さは短くない、この髪形は長くない」と言う、仕方ないから「膝から何センチ」「耳が隠れてはいけない」とか言う様な文章になる、
思想信条に合わないから起立しないと言うのは「制服は自分のセンスに合わないから着ない」と言う事と理論的には変わらない、制服が有るのを承知で入学した生徒と式典には国旗の掲揚と国歌の斉唱は有ると言う事を承知で教師になった事と理論的にどう違うか説明して貰いたい物だ、「思想と趣味は違う」とか言うなよ、思想信条は教育の現場にそぐわないというのは教育基本法に書いてある
更に言うなら私は昭和23年生まれでそろそろ古希である、今国旗と国歌に異を唱えている方々よりずっと戦争に近いが日の丸を見ても君が代を聞いても戦争の記憶が戻る事は無い、記憶そのものが無いのだから当然だ、彼らがなぜそんな記憶がよみがえるのか理解に苦しむのだが