梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

児童ポルノ規制の問題と過去から今

2013-05-31 18:52:28 | 雑記
児童ポルノ法改正が取り沙汰されている、確かに今の漫画も凄い表現の物も有るらしいがどちらかと言えばネット上に出回る物と同人誌的な物が酷いようだ、
性犯罪を助長する、或いは切っ掛けを作ると言う事なんだろうが果たしてこの表現をやめたからと言って性犯罪特に幼児に対する性犯罪が減るとは余り考えられないのではないか、
どう言う表現が猥褻かと言う問題はずっと続いている、「チャタレイ婦人の恋人」が日本では上映できない時期もあった、大島監督の「愛のコリーダ」が日本では上映できないがハワイではつまり日本以外では上映出来た事もある、
アメリカでは成人ポルノはかなりオープンであるが日本では其処までは行っていない、しかし幼児に関しては非常に厳しく聞く話によれば父親が娘と入浴するだけでも訴えられるケースも有ると言う、本当かどうか解らないがアニメの「ちび丸子ちゃん」でおじいちゃんと丸子が一緒に入浴するシーンはカットされたと言う話も有る、しかしその反動なのかアメリカ産の児童ポルノはネット上に大量に出回っている、禁止すればするほどその反動は大きくなるだろう、極端な例を出せばアマゾンや東南アジアの未開地に居る裸族は最初から全てオープンなのだ、要するに子供の服装がどうあろうがその手の性癖が有る連中には意味はないだろう、子供の裸が及ぼす影響は恐らく其れを売り物として或いは蒐集を趣味とする連中にであって規制が強くなればこの連中の中で希少価値として価値が上がるというだけだと思う、
無論、それらが無秩序に広がる事は好ましくは無いがそれを何処に線引きをするのかと言う事は実に難しいのではないだろうか
「劣情をもよおす漫画等」と言うと一体誰がその「劣情をもよおす」と判断するのかと言う問題だ、に幼児の下着姿や裸を見て興奮する、劣情をもよおすと言う輩が居るので規制するのだろうが大半の大人は小学生以下の幼児が下着で居ても劣情はもよおさないだろう、つまりこの法律の判断基準はそのての感覚が有る人間が判断をすると言う実に逆説的な話になってしまう、
考えてみるが良い、いい大人が恐らく密閉された部屋で漫画を広げて「此れは非常に卑猥だ」とか「この程度はまあ良いんじゃないか」とやる訳だ、出なければ「何歳以下の女の子を描く時は必ずこの辺りまでしか描いてはいけない」と言う様な規制になるのか、
此れをやると女子高で「スカート丈は膝から何センチ以下で無ければならない」と言う様な実に不毛な争いになって結局泥仕合になるだろう
政治家と言う連中と社会学者と言う連中はおそらく何の苦労もなく幼児期を過ごし、遊びの換わりに知識を詰込んで来た連中が殆どだろう、子供の社会には子供の社会が有って上下のルールも団体のルールもしっかり有る、それは大人社会の様な勉強が出来るからリードが出来るという物ではない、年齢が少しづつ違う社会は大人の年齢差とは違う重みがあり、上から下へ順繰りにルールを送って行く、性に関する好奇心も年齢にあった形で徐々に申し送られてきていたのだが恐らく前述の方々はそう言う部分が比較的欠如しているのではないか、子供達は「大人の世界」を大人から得ようとしても大人の都合の良い知識だけだと言う事をよく知っている、だから少し上の先輩から「ある程度の知識」を「本当の知識(秘密のと言う魅力的な言葉で)」身に着けてゆくのだ、
私は男だが恐らく女子は女子で同じ様にワクワクする様な気持ちで大人の世界をのぞいていてゆくはずである、此れは恐らく何処の文明国でもそして歴史的にもそうして来ただろう、確かにそう言う意味では今のネット普及は「皆で」其れにふれると言う部分が無いだけ危険かもしれないが今取り沙汰されている新法は少し違う気がする。

電球

2013-05-30 16:53:25 | 雑記
昨日の朝、トイレに入ろうとスイッチを入れたらパッと光って電灯が切れた、
非常に古い建物なので防水グローブに入った白熱灯である、17Eの口金に60Wの白熱球を入れてある。入居して直ぐに切れたので交換する時に少し迷ったが結局安いので100円ショップで買って来た、なんと2個で100円だったが入れてみたら妙に暗く感じる、
もう一個の電球を見たら(53W)と書いてある、入れ物の紙にはちゃんと「60W」と書いて有るのだが電球に印字してあるのは(53W)だった、(トイレだからまあいいか)とそのまま使う事にする、電気も節約できるからと納得をさせて使って居たのだが僅か半年足らずで切れてしまった、それでも1ヵ月あたり9円少々だから此れは手間を惜しまなければ消耗品だと思って居たのだが今回はちょっと驚いた、
グローブをはずして電球をつまんで外そうと廻したらなんとガラス部分が口金だけを残して簡単に割れて仕舞ったのである、ガラス部分は実に綺麗にあの涙滴状の形のまま私の手に残っている、口金はきっちりとソケットに収まったままでフィラメントが其のまま出ている、永い事電球と付き合ってきたが口金を残してガラス球部分が取れたという経験は初めてだ、落とした訳ではないのでガラスが飛び散ったと言う事は無いが「ピシッ」と小さな音を出して非常に細かなガラス粉が便座の上に降りかかってしまったのでペーパータオルを水で湿して廻りを拭き取っておいた、その前にラジオペンチで口金を摘んで慎重に外したが口金が残ってしまったら更に困ると思ったが簡単に取れたのでほっとする、若しかしたらシールが最初から弱く本来ガスで満たされている筈がもれてしまいフィラメントが焼ききれたのかも知れない。
確かにあの電球が一個50円と言うのはどう考えても原価割れだろう、たしか2年ほど前に国で白熱電球の製造を禁止したのと其れにあわせて口金タイプの蛍光灯電球やLEDが価格を下げてきたので在庫処分的に売っていたのだろうが呆れた物である、
明くる日女房が60W相当のスパイラル蛍光灯を買って来た、970円で13Wだったと思う、此れから此れもLEDに替わって来るのだろうな。
昔はこの白熱電球が灯りの代表で其のままソケットに着けて天井からぶら下げるのが普通だった、街灯もアルミの笠を被ったソケットに裸電球を取り付けたものが殆どで町の角々に点いていた、バックを黒く落として街灯の裸電球の絵と吹出しのトンカチの絵で懐かしいのは滝田ユウと言う漫画家だったな、一コマ漫画だったが挿絵の様な物も書いていた、
あまり政治掛かった風刺漫画は書いていなかったと思うが本人の黒っぽい着流し姿と黒メガネを覚えているので何度か週刊誌か新聞に出いたのだろう、懐かしい古い漫画で地味な存在だったがこの吹出しをパロディにしている漫画家も居るくらいだったからそこそこ有名だった。昔から色んな漫画を見て来てつい最近まで随分見ていたが最近は見る物が少なくなった、ビッグコミック系と数冊になったな、さいとうたかお氏の池波正太郎シリーズとオリジナルのゴルゴサーティンが楽しみだったが最近はどうやら別の人が書いているらしい、動きやデッサン力が余りに低いのでつい途中で止めてしまう、氏の作品は好きだったので残念である、

生活保護と不正受給

2013-05-28 15:46:46 | 雑記
テレビの刑事物でよく出てくる「アリバイ」と言う言葉がある、日本語で「不在証明」と言うらしい、其処に居なかった事の証明である。
実際には「此処に絶対に居なかった」と言うのは証明する事は出来ない、密閉された空間か絶海の孤島で遮蔽物が無い場所で録画装置でもない限り其れは無理だ、
従って「不在証明」とは「その時刻に別の場所に居る事」を証明する事で間接的に「ある時間はA地点に居た事が証明されたからその時刻にはB地点には居なかった」と言う間接的な証明である、
こんど生活保護の受給要件が変わって「財産がない事を自ら証明しなければならない」と言う事になるらしい、これは難しい、資産が有る物が、或いは所得がある者が「無い」と虚偽を申し立てたとしたらこっちは「有る事」の証明だから其れは可能である、
しかし、無い人間が「無い事」を証明するのは一体どうすれば良いのか、「絶対に隠匿した資産が無い」と言う事を、或いは「収入が無い事」を証明するのは何を持ってすればいいのだろうか、大抵生活保護を受けなければ成らなくなっている人にとっては銀行などは殆ど意味を成さないし当然付き合いは有るまい、「通帳はありません」と言った時に「ない事を何とか証明してください」と言われたとしても如何し様も有るまい、現実に困っている人は時間的な余裕など有る訳も無い、移動の為の金すらないのが現実だ、
役所で「もう一度来て下さい」と言われてもまた出てくる為の交通費も難しい、そして明日まで暮らす食費も乏しい、場合によっては「明日まで何処で寝ようか」と言う人すら居る筈である、
無論一方には先だって大阪で起きたような「年商一億円」と言う女性が生活保護の申請をしていたり、車を所有して毎日何もしないで生活保護を貰う輩も居る、
確かに此れは何とかしなければならないが本当に苦しい人の為でありながら入り口を狭くしてはならないだろう、この手の連中はどんな条件にしても必ずクリアしてくるだろう、
表現は妥当ではないがいわば彼ら彼女らは「プロ」なのである、本当に苦しい状況にある物で意欲があってもどうにもならない、或いは怪我病気で働けない者達と其れを装う者たちをどうやったら見分けられるのか、罰則を強化しても発見する方法を確立しなければどうにもならない、日本人も本当に程度が低くなったものだ


気遣の要求

2013-05-26 08:53:06 | 雑記
武洋匡氏が銀座のイタリアンレストランを予約したが車椅子では入れなかった事をツイッターかフェイスブックに書き込んだという記事を見た、
読んだ限りではこの店は2階にある小さな店で二人で切り盛りしている上、エレベーターが有るが止まらないと言う、乙武氏は「人で運んで欲しい」と頼んだが「二人しかいないから無理です」と断られたと言う、そのことに関して「車椅子の客を拒否した」と言うニュアンスでツイートしていた様だがこれは若干違和感がある、
電話した時に「車椅子は入れないならそう言うべきだ」と言う様な事だったが電話予約に対して「車椅子では無いですか?」と聞く方が失礼に当たるだろう、小さな店舗では階段しかない店は結構ある、人気のある隠れた名店等と言う店は特にそう言うケースがある、
乙武氏は何かの情報で人気の店だと聞いて予約したというがその際店の位置情報は調べなかったのだろうか?もしそうだとしても自分の状況は車椅子であるという事を告げるのは乙武氏の責任ではないだろうか?
もしかしたら彼の中に「乙武洋匡だと伝えたのだからそんな事は当たり前だ」と言う意識が働いたのではないだろうか、彼の事は私は知っているしすごい人だと思うが日本人全員が知っているとは限るまい、知らなくても決してその人の落ち度ではあるまいと思うし、仮に知っていても営業中に予約電話を受け付けた時に思い至らなかったとしても責められる問題ではないだろう、小さな二人で営業している店では忙しい事は言うまでもないのだ
私にとってその後の言動は今までの乙武洋匡と言う人間の素晴らしさを半減させるのに十分だった、奢りと言うのには当たらないかもしれないが「謙虚さ」はどんな人にも重要なファクターだと思う
互いに気遣いをする事は世の中には重要で現在はそれが減少し彼方此方で摩擦を齎している、電車に乗るベビーカーの問題も出ていたが互の思いやりで成り立つ物だが互いにあるのは自己利益の主張だけに終始する、その為に数多な事件すら起きている、
「出来るだけの事をするのは当たり前」と考えるのは人間として当然のことだが「してくれるのが当たり前」と思った時点で、あるいはそれが相手にわかった時点で感情は拗れてしまう、
仏教では「施す」と言う言葉を嫌い「喜捨する」と言う、それは見返りや優越感の為ではなく喜んで捨てると言う意味だろう、無論捨てると言う言い回しにも若干の違和感もあるが少なくとも「施しを授ける」と言うより気持ちとしては尊いだろう、
気遣いは要求するものではなく受けたときに「有難い」と思うべきものではないだろうか

琉球王国、中国と日米

2013-05-24 11:59:42 | 雑記
中国で「沖縄は日本が中国から掠め取った、取り戻せ!」と言う論調が広がったと言う記事が出たが最近になって論文を書いた学者のコメントが載っていた、
「沖縄は170年ほど前に日本が武力で併呑した事は間違いないが現在は明らかに日本の一部である」と言う内容の様だ、此れを「中国の領土だ、取り返さなければならない」と言う論調に仕上げたのはやはり中国共産党なのか、それとも長い教育の成果で出来上がった愚かな国民なのか判らないがいずれにしても知識人はそれ程愚かではないと解っただけでも今後の中国にも望みは有りそうだ。
元来沖縄は「琉球王国」として独立した国だった事は紛れも無い事実だし、琉球語と言うある程度独立した言語もある、距離的にも中国・台湾・九州と略同じ位だが日本の島津藩が併呑した時期では台湾は中国の一部だったのでどちらかと言えば中国に近いかもしれない、しかし其れは琉球王国が選択した結果で独立した国家運営が困難になった時に「島津の配下が納得出来ない」事が「中国の支配下に入る」より多少なりとも意にかなったと言う事だろう、出なければ中国に援助を依頼したはずで其れをしないで「止むを得ず」島津に就いたと言う事だ。
中国の論文を書いた学者が「琉球王国は長い間中国に朝遣していた事実がある、」と書いているが「その後日本にも朝遣していた事実」も指摘している、
日本は永い歴史の中で実質は兎も角宗主は常に「皇室」であり常に「日本国」(そう言う表現だったかは別だが)として統一して来た、従って「琉球王国」が朝遣していた国は常に日本なのだが中国は数百年、或いは数十年で宗主が替わる、
しかも覇者が交代するたびに徹底した粛清を行い、自ら「国は違う」と宣言して来た訳で琉球王国が朝遣していた相手はその度に替わっている、最後の相手は「清朝」でありこの国は内容的に言えば現在の台湾である、中国共産党と言う組織はそう言う意味では違う組織である、
確かに現在の沖縄は「日本の庇護の下に有る」と言えるかどうか、現状を見れば未だアメリカの支配下に有ると言っても過言では有るまい、アメリカが沖縄を日本に返したのは税制と経済の負担であり司法権も及んでいるとは言い難い、経済的には「思いやり予算」などと言う法的或いは政治的に何の根拠も見出せない形で米軍の負担を半分も負わされていて犯罪捜査権も無い状況はどう考えても「対等な関係」では有るまい、
日本国民として日本に税金を納めている者の財産を自分の意思では処分出来ないと言う事は沖縄県民が「もう一度琉球を独立させよう」と言うのも解る気がする
納税の義務の対価として自由と平等を教授できていないと言うのは言いすぎだろうか?沖縄の県民が言う我々「本土人」が沖縄をそんな風に考えているとは思わないで欲しい、中国共産党のプロパカンダもアメリカが「ベース」としか沖縄を見ていないのもその事に何もしない日本も全て「国家」と言う欲の塊と其れを我物としているだろう一部の人間達だ、
しかし、其れを選んだのは国民だと言う事も自覚しなければ成るまい、米中日の中では唯一「軍隊」を持たない我が国は当然シビリアンコントロールが一番有効な筈だ、