梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ポケモンGOは法で規制すべき

2016-07-28 09:31:13 | 雑記
ポケモンGOでは危惧したとおり侵入や軽度だが事故が散見される、スポットを検索すると都内の公園や公共施設に多くの表示が現れると言う、
日比谷公園にかなりの数が出たと言う、早々に出雲大社は「禁止」を表明、その他の文化施設も禁止を掲げている様だ、
福島の原発に表示が出ていたので削除を申し込んだら流石に此れは削除されたと言うが削除できると言う事は意図的に此処に老いたと言う事だろう、放射能汚染区域で立ち入りが制限されている場所に置くと言うのはどう言う神経なんだろう、人気が有るから除染作業員が遊ぶとでも思ったのか、
その他も削除を申し込んだがノーコメントらしい、ポケモンGOと言うのはゲームである、営利目的の事業だがステージは彼らの持ち物では無い、個人の家に侵入すると聞くから私有地である、公園は自治体か国の持ち物で「公の園」でありゲームとは関係ない人達の憩いを提供する所だ、神社仏閣は歴史と文化の継承地であり精神的な清浄地域だ、
此れを野放図に一企業が遊びの場所として誘導する事が法的に許されるとは考えたくない、
侵入者はゲーム企業ではないが其処に行かなければ完結しないと言うスキームをくみ上げれば教唆犯だとも言える、
道路は社会上重要なインフラで都会の交通事情を考えれば廻りの状況を考慮できない状況でゲームに熱中すると言う事は社会的秩序を乱す事は既に証明済みだ、
やくみつる氏が「ゲームなんかに云々」と言うコメントが有ったがそういう問題以前に世界中のあらゆる場所を勝手にゲーム場にするなと言いたい、
一方地方では「人が来るなら大歓迎だ」と言う地自体が有る、確かに人を集めると言う事に関しては効果が有るだろう、そう言う意味合いにおいては良いツールではありそうだ、無論遊びだから一過性の物だろうが取り敢えず移動に伴う経済効果も宿泊や飲食の経済効果が期待できるなら取敢えず集客システムとして有償でもかまわないから彼らの言う「レア」なアイテムを地方に置いて貰うのも良いかもしれない、
しかし文化遺産や重要なエリアにあるポイントは強制的にでも排除できる法律を早急に成立させなければならないだろう
大げさな言い方をすれば一番楽で効果的なサイバー+リアルテロが可能なシステムだ、思想犯でも無い一般人が事の重要さを考えず国の重要施設に大挙して集まるとしたら緊急時の混乱は避けられないだろう、
アメリカと言う国は未だ300年しか歴史が無い、知識階級は文化と歴史に憧れを持っている様だが利益最優先の人間には「歴史的文化」は金を産まない黴の生えた集客効率の良いポイントでしかないのだろう
国の文化は法で守るしかない、革新的技術は常に歴史的文化を破壊して来たがそれでもその恩恵が新たな文化を生んで来たがそれが「新たな遊び」ではたまらない、それも一企業の収益の為にでは納得できる話ではあるまい、取敢えず不法行為で訴えたい位だ

本当のモンスターは可愛くない

2016-07-23 13:29:34 | 雑記
ポケモンGo!の配信が開始された、先行した国外では多くの問題が起きている、日本ではもう少し慎重に開始をして欲しかったが法的な規制が無い限り事業者の意識に頼るしかないが自由経済社会においては間違いなく利益が最優先されるから止める事は難しい、
しかしそれ以前から「歩きスマホ」の危険性と迷惑行為には社会的な問題として取り上げられ「何とかすべきだ」とされてきたがこのゲームは更に危険で迷惑な行動になる事は間違いない、現状ではゲーム自体を規制する法律は無いが現行法の範囲で此処から発生する事を予測される事態には厳重な責任を課す事が望ましい、
先ずは事故に関して発生する損害に関してはゲーム中に起きた事故に関しては基本的に過失割合を70%程度付加しておく必要がある、刑法上で言えば「未必の故意」と言ってもよい位危険な行為なのだ、
此れに付随して一般的な傷害保険の対象から外す事も検討して貰いたい、
「外に出て自ら動く事で今までとは違った健康的なゲームだ」とメーカーは言っている様だがスマホの画面を見るだけで外を歩く事健康的だとはとても思えない、
渋谷のスクランブル交差点を見た外国人が「何でぶつからないんだ!」と言っている放送を見たがそれは人々が常に廻りに神経を配って行動しているからで都会の雑踏はその注意力で維持されている、注意力を仮想空間に取られてしまえば現実空間の認識は極端に下がる、人間社会は無意識に他の人との距離を計算しながら生活して居るのだが一企業の利益の為に仮想ゲームを現実社会にばら撒いて平穏な生活を侵す事は許される事では無い、
それが杞憂だとは言えない現象が先行各国で起きているではないか、
良識ある国民はそんな反社会的な遊びは控えるだろうが此れに踊らされて飛びつく人間達はとても社会的環境に適応した良識人だとは思えない
一方では「既に飽きはじめた」と言うネット情報もあるのでこっちが「杞憂」である事を強く望む

スイカの話

2016-07-22 08:30:11 | 雑記
友人がスイカを送って来た、久しぶりに丸のままのスイカだ、彼は定年で嘱託になってから時間が余るので趣味と健康の為にと近くの家庭菜園を借りて栽培をしている、彼の住まいは辻堂なので未だ結構農地はあるらしい、最初の2年位はとても人様に見せられる様な野菜どころか実にもならなかったらしいが段々と収穫が安定して来ると面白くなって栽培面積を更に増やしたのだが当然彼の家庭では食べきれない、そこで毎年何回か送って来るのだが同じく夫婦だけの我が家でも食べきれない量だ、半分は近くに済んでいる娘の家に行くのだがそれでも我が家は暫くベジタリアンになる、
新鮮な野菜を無料で戴いて大変失礼な言い方になったが決して迷惑して居ると言う訳ではありません、次もよろしくお願いします。
しかしスイカは今年が初めてで随分きれいで大きなスイカなので感心して居たらどうやらこれは近くの農家から手に入れた物らしい、買ってまで送られてはと聞いてみたが「大丈夫だから」と言う返事だったらしいが何が大丈夫か分からない、
私は果物が好きでスイカも大好物だ、余談だがスイカは野菜なのか果物なのか気になる処だがやっちゃ場では季節の走りは果物扱いで出廻る頃は野菜扱いだと誰かに聞いた記憶が有るがあまりあてにはならない。
ストアで買って来るのは綺麗にカットされたパックの物で晩酌の締めくくりに(抓みかわりにも)食べているのだが何時も何か物足り無いと感じていたのだが丸のままのスイカを見て気が付いた、皮が無いのだ、それが楽で良いのだがやはり自分にとってのスイカは皮が付いているスイカだった、舟形でも三角でも皮の部分を持って上からシャクシャクと食べるのが美味しいのだ、
子供の頃は貧乏でスイカもそうちょくちょくとは食べられなかったので白い部分に付いた赤い実をこそげとる様に食べた、のこった皮をお袋がぬか漬けにしたが此れが実に美味しかった記憶が有る、
育ったのは農村だったがどう言う訳かスイカを作る農家は無くその代わりはまくわ瓜だった、通常の白瓜(田舎ではジバイ瓜と言っていたが普通の胡瓜が棚造りだったので地に這うと言う意味の様だ)と胡瓜が主でおまけの様に作っていた、子供のおやつはまくわ瓜と胡瓜、トマトで此れを笊に入れて川で冷しておいてくれる、学校から帰ると此れを幾つか咥えて川に泳ぎに行く、スイカはもっと海に近い農家が砂地で栽培して居て此れをリヤカーで曳売りに来ていた、
元に戻る、我が家は70に近くなった夫婦だけでとてもスイカ丸ごとどころか半身でも喰いきれない、こいつはうれしいと言う処だが丸のままのスイカは我が家の冷蔵庫には入らない、未だ子供が小学生の頃かなり大ぶりの冷蔵庫だったがやはり入りきれず瓶物を出しお手冷やした事もあったが今の冷蔵庫は全部出した処で丸のままなどとんでもない、
「さざえさん」で風呂に浮かべて冷やしておいたら気が付かず沸かしてしまって茹でスイカを作る話が有ったが我が家も風呂に浮かべるかと話たが一回に半分も食べられないなら残りをどうしよう、切って仕舞ったのを風呂に浮かべるのはぞっとしない、と言う事で未だお勝手の板敷きに転がっている、どうしたものか

タレントではないと言うが

2016-07-21 08:31:41 | 雑記
都知事選に鳥越氏が立候補し野党連合が推薦をした、ドタバタと急きょ立候補したと言う印象が強い、このジャーナリスト系タレントと言うのは随分と多い、前知事の枡添氏もその前の副知事から滑って来た猪瀬知事も同じ系統だ、政界に入る前は結構舌鋒鋭く政治批判を繰り返していたが実際の政権の座に就くと見事に堕落してしまった、
昔誰かが「評論家は居ない、批判家だけだ」と言ったが冷静に批評すると言うより終えた後の結果に批判をするだけだと言う意味だろう、批評は完全に中立の位置で分析し解説と意見を加えると言う事でどちらかの位置に立ったらそれは相手を「批判する」と言う事となんら変わらない。
町の碁会所と一緒にしては失礼だが「岡目八目」」と言う、政治は対立する多くの問題を裁く事になる、拮抗した反目する案件を何処かで結論を出さなければならない、それには清濁併せ呑む、少数意見の納得する裁定を事後に不満を残さないで処理しなければならない、打ち手の後ろから見て居るのとは違う、今まで批判して来た事にどれだけの力を見せられるかと言うのは頗る疑問である、
まあ大阪の様にお笑いタレントやバラエティタレントよりはましだろうとは思うが結果的に余り変わらなかった気がする、
それに付けても野党連合と言うのはもう少し足を地に付けた政策が出来ないのだろうか、未だ宇都宮氏の方がまともだった気がするが反与党の有権者の中には此の事で増田氏に流れる票もあるのではないだろうか、自民党推薦では有るが公認では無いしそれなりの実績がある、都政は「これから勉強する」とか「今までも興味を持って見ていた」程度で取り掛かれる話ではないだろう、運営の方向には政治的理想は指針にはなっても運営には障害になる事の方が多いだろう、
増田氏の方針には「原発の再開」が有ったが此れは国政の話だとは思うが東京は東電の代株主だ、此れだけが危惧する処だがその他を考えると実質的には増田氏になるかなと思う次第である、
もう一人の女性議員は残念ながら選択の余地はない、「独断と偏見」(或いは人相見)で言わせてもらうと彼女は都政を運営する事より「都知事になりたい」だけにしか見えない、具体的な都政の運営は難しいのではないかと思う、世界的には多くの女性大統領や首相が活躍しているが彼女達に比べてかなり見劣りがする、無論ドイツもフランスもイギリスも言った事は無いし彼女達の演説を聞いた事も無いので勝手な思い込みでは有る。
「人間の半分は女性だから半分の議員が居なければならない」と言うのは一見正しい様に聞こえるが「女性だから成れない」事と「女性だからなれる」は同義語である、
男性に対して女性の為の政治を同数でと言うなら衆議院と参議院では無く「女性院」と「男性院」にすればまさしく同権で戦わせる事が出来る、しかしその選挙は男女に分かれて行うが良いか今まで通り男女混在で選挙するが良いかは難しい問題かもしれない、実際の選挙は男女一緒でおこなわれているがその結果が今の男女差なのだから女性の有権者が女性の政治家をを希望して居るかどうかは頗る疑問なのだ

浅草寺の稲荷

2016-07-17 07:13:20 | 雑記
川柳に「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言うのが有る、犬の糞と同列に扱われた神様も気の毒だ、しかしそれくらい江戸には多かったのだろう、今の東京にも結構あちこちに有るが大きな稲荷神社といえば赤坂の豊川稲荷ぐらいで後は殆ど他の神社と同じ敷地に有る、
それも合祀ではなく居候的な扱いだが置き候も何の違和感もないので神様と言っても実に庶民的と言いうか人間的な扱いである、
神社境内から寺の隅、その内大きな個人宅の庭にも街角の空き地にも出来る、別当寺ではなく寺内に居候神社だがそれだけ庶民には人気があったのだろう、
元は秦氏の氏神だそうだが名前の通り農耕の神様だが江戸時代から商売の神様になったようだ、狐がお稲荷さんと言われるがあれは「お使い」で稲荷神そのものではないが具体的に目に見えるのは狐だけだからしょうがない、
伊勢屋はもう伊勢丹くらいしか残っていないし「犬の糞」も殆ど見られないが「お稲荷さん」は未だまだあちこちに残っている、赤鳥居の景色では根津権現神社や花園神社が知られているが稲荷神社が有名なのは関東では鎌倉の佐助稲荷くらいか、

今月カバーで使ったのは浅草寺の境内にある浅草神社の更に境内に居候しているお稲荷さんで面白い絵になったので撮ったのだがどうやら近くの店で焼き物のお稲荷さんに願い事を書いて奉納するらしい、シンプルで色合いが良いので並んでいるとこんな感じになる、季節感はないが使ってみました、

因みに前回は品川の「東海寺」の紫陽花、日の出の写真