梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

アメリカの本質を愚考する

2013-03-29 11:50:47 | 雑記
先日浜松で不発弾が見つかった、これは艦砲射撃の砲弾だった、艦砲射撃があったのは昭和20年8月3日だったそうだ、その前に浜松市は都合8回の空襲を受けていたと言う、
当時を知っている人の話だと「家は全て焼き尽くされて焼け野原の状態だったので此処までになったらもう爆撃は無いだろうと思っていたら爆発音がした、飛行機の音も無かったし爆発音が違う、必死で逃げたが未だ不発弾が埋まっているとは」と言う事だ
浜松には三方原航空隊と言う基地があったので此処が空爆されるのは恐らく予測は付いていたはずだが小さな訓練基地なので一回の空爆で略壊滅状態になった、しかし米軍はその後一般市民の住宅を標的に爆撃を繰り返し、さらに艦砲射撃を繰り返した、
遠州灘に戦艦を並べて陸地の奥側から徐々に海側に砲撃すると言う方法で一般市民を必ず殺すと言う意図の明らかな砲撃である
砲弾が簡単に届く距離に堂々と軍艦を横付けできる状況と言うのは既に日本に防衛できる戦力は全くないと言う事で相撲で言えば「死に体」ボクシングで言えばコーナーに崩れ落ちたTKOの状態である、たしかに未だタオルは投げ込まれていないが戦う意思は有ったとしても防御体制すら出来ない状態である、
米軍は其処に馬乗りになり顔と言わず体と言わず、元より攻撃してはいけないローブロウを繰り返した、最後の原爆は明らかに人体実験だったとしか思えない、
アメリカと言う国は有ってもアメリカ人と言う人種は居ない、全くの寄せ集めである
カナダ・オーストラリアも同じ様な国だがアメリカは少々その性格が違うような感じを受ける、
端的に言えばアメリカは「国家」と言うより「企業」と言う感じがする、アメリカの目的は文化の育成と継承より「利益」が最大至上だとしか思えないのである
第二次大戦の後ベトナム、中東と言った所でアメリカの行ってきた戦争も現在TPPに代表される経済政策も根本的には敗戦前の半年間で行ってきたアメリカの日本攻撃とその軸を同じにする様な感じがどうしても否めない、
歴史と文化が未成熟な国が世界に誇るのは戦力と経済力と言った直接的なものになるしかないではないかと思う、しかし文化は永い歴史と文化、其れは民族がずっと共有してきた記憶と継承に他ならない、各々の民族はその発祥から地域的な条件、宗教等の共有をしてその民族に一番有った方法で発展して来た、其れは個性であって他の民族が犯すべき問題ではあるまい、他の民族文化との接触は互いに取り入れられるものは取り入れ、出来ない物は排斥し、参考に出来る事は参考にして行けばよい、しかしアメリカの言っている事を聞くと「我々のルールは絶対だ、我々がスタンダードだ」として強力に押し付けてくる、それは軍事的であったり経済的な圧力だったり、更には自国内では禁止している「独占禁止」を「自由経済活動」と言い換えた経済戦争を繰り返している、このスタンダードはアメリカにとって有利だからと言うスタンスである事は一見すれば解る、
素人の私が考える事は専門家から見ると穴だらけの愚論だろうがこの疑問に的確な回答は見た事は無い、今の自民党政府は体質的にこの米国と良く似ているが本来永い歴史の有る単一民族が何故あのような非文化国家に隷属するのか分らない

成人後見人(被後見人)の選挙権

2013-03-28 17:21:43 | 雑記
成人後見人制度の被後見人に選挙権が無いのは違憲で有ると言う判決が出た、
確かに被後見人であっても1人の人格だから選挙権が無いと言うのは日本人としての権利の一端をみとめられないと言う事になり、その意味では憲法に違反すると言う事は間違いでは無い、
しかし、成人後見人制度とは被後見人が法的な判断を下す能力に欠けるから法律行為を制限する事で被後見人の財産等を守る為の物だろう、
つまり本人に自己の権利意識が希薄若しくは喪失していると言う条件を満たしたと裁判所が認めた場合に限りその法律行為を後見人に委ねると言う物だと解釈している、
だとすると被後見人の選挙権行使は本人の判断によると言う事は考え難いと言う事に他ならない、他の法律行為は後見人が行うのだからその流れで考えれば成人後見人は2つの選挙権行使が可能だと言う事になる、
今回の場合は父親の訴えで裁判が行われたのだが本来選挙の意思行為は親子であっても同じで有ると言う事は有っては成らない、それはお互いに考えた上で同じになるならそれは其れで構わないのだが「判断能力が著しく阻害されているから判断は後見人が行う」なら此れは後見人の意思そのものだと言っても良いだろう、
一般的な生活範囲ならやはり本人に任せるのが妥当だが本人に損得の理解力が欠如している、或いは悪意有る行為の判断能力に欠けると言う事から作られている法律だが選挙に関しては「本人の意思を尊重する」と言うのは矛盾するだろう、
選挙ではにそれで本人が大きな損害を蒙ると言う事は考え難いが選挙権を後見人が2人分光し出来るとすれば其れこそ法の下の平等に反する事になりはしないだろうか

花見の話

2013-03-27 09:10:48 | 雑記
寒の戻りで此処何日か寒い日が続いた、お陰で先週見に行けなかった桜が未だ今週末に見る事が出来るかも知れない、
先週土曜日に早く開花した桜を見に行こうかと話していたら今年で中学に進学する孫が泊まりに来る事になった、女房が「午前中ちょっと花見に行って来るから午後からね」と電話をしたら案の定「一緒に行く」と言う事になったのだが此れは懸念とおりの結果になる、
花見に行く前に「暫く行っていないから回転寿司に行きたい」から「ゲームセンターで太鼓のゲームをやりたい」になり結局其のまま買物をして家に帰ることになってしまった、
孫は銭湯が楽しみで必ず近くの銭湯に一緒に行く、夜桜見物は時間的に難しいし自分も余り遅くなってから銭湯まで出掛ける気も起きない、其のまま今日も家に居るのだが自分は仕事の都合で9時半頃まで帰宅しないのだが孫は1人でも銭湯に通っているそうだ、
そう言えば此処数年花見には行っていない、と言うより今までそれ程花見をした事は無い、ある時上野に行ったら花の時だった事は有るが朝早く行ったので未だ準備中だったので席を用意して居たりで花を見に行った訳ではない、
夫婦で出かけるのはそう言うメッカではなく新宿御苑とか浜離宮とか単立で咲いている桜を見に行く事は何回かあったが大抵こう言うところは宴会禁止なのでゆっくりと見る事が出来る。
子供の頃、多分小学生の低学年の頃粟が岳と言う550m程度の山まで1時間近く掛けて見に行った記憶が有るが多分お袋と一緒だったと思う、姉が居た筈だったが親父は居なかった、桜の下で和弓をやっていたのが印象にある、
20代の後半頃洗足池で行き付けの喫茶店の常連客同士で見に行った事、やはり飲み屋つながりの常連客同士で川崎の等々力公園で宴会をした事位なのだが洗足池では面白かった読みかけの本を無くしてしまい、等々力では本当に珍しく悪酔いをしたとろくな思い出はは無い、
まあそのせいで行かない訳では無いのだが態々花見に行くと言う事はあまりしない、
そのあまり無い中で今でも覚えているのは20代前半頃だったと思うがその頃一緒に飲み歩いていた悪友と向ヶ丘遊園の桜が綺麗だと言うので悪友の彼女と3人で行った事がある、
休日の昼下がりだと言うのに殆ど誰も居ない公園で満開の桜のしたで抓みもなしでワンカップをちびちびとやりながらぼんやりと青い空を背景に桜を見上げていた事が有った、あまり花が散っていたと言う印象が無いのでおそらく先はじめの頃だったのだろうがその時はその後どうしたかも覚えていないのだが「花見」と言うならあれが理想的だったかも知れない、
いずれにしても花を愛でると言うより単に宴会の理由付けにすると言うのはあまり好みではないな、「酒は静かに飲むべかりけり」とは言わないがあれなら別に花なんか無くても良いんじゃないか?

あ~あ、嫌だね自分が

2013-03-26 20:54:12 | 雑記
今日仕事でスペイン大使館に行ってきた、自分の中のスペインと言えばごく一般的に闘牛とフラメンコと時節柄オリンピックか、
土地の名前で思い出すのは「アルファンブラの思い出」での名曲だ、ロンリコロドリゲスだったかな、そしてアンダルシア地方と言う名前、どの辺りかも分らないがスペインだった事は確かだ
スペイン動乱を舞台にヘミングウェイの「誰が為に鐘はなる」と「陽は又昇る」、風景としては同じ時代の外人部隊をテーマにしていたイタリア映画の「ひまわり」だがこう考えると殆どがスペイン以外の作品だ、そう言えばペレスブラードの「闘牛士のマンボ」の現代は「マカレナの乙女」だったから此れもスペインの地方らしいが結局知られたのはアメリカからの「マンボ」だった、
歴史に出てくるスペインは「イスパニア」或いは「エスパニア」だが聞いたら国のことではなく何か意味の有る言葉らしい、
鎖国前にはこの「エスパニア」と「ポルトガル」が日本にとって白人世界だった、
キリスト教の布教に有名なフランシスコザビエルとピサロは歴史にはっきりと名を残す数少ないヨーロッパ人だろう、
大航海時代と言う頃は強大な国家だったのだが近代になると舞台から遠ざかってしまった、
日本に文化を紹介すると言う文化部と言う所があるのだが「セルバンテス」だけではやはりインパクトが無いだろう、「スペインワインも今ひとつ好みに合わない」と言うのは単に好みの問題だ、
そう言えばスペインの地酒と言うのはあるんだろうか?どうせならそう言うものの方がずっと興味が有る、料理も海に近い地方ではかなり魚を食べるらしいが鰻も蛸も食べるそうだ、蛸はヨーロッパ人は「悪魔の魚」と言って余り食べないと聞いたがそうでも無さそうだ、
鰻は昔仕事でセントルイスから来た年配の社長にうな重を喰わせた時に「此れはなんと言う物だ」と聞かれて「鰻だ」と言ったら猛烈に怒り出した事を思い出すが日本以外で鰻を食べるのは余り聞いた事が無かった、
ただし調理法は輪切りにしてスパイスを効かせたスープ仕立てだそうだが其れはちょっと食指は動かないな、
仕事で自分の役割は今回殆ど無かったのだがそれでも後で「話題が暴走した」と言われたのだが、最近どうも会話能力が衰えたようだ、それも息子の様な連中から言われると少々堪えるな、此れで腹を立てたら本当に只の暴走老人になってしまう、しかし気分的には「あ~あ」と言った気分になってしまう、家に着くまでには忘れなければな

常夜灯と村の万屋

2013-03-21 17:55:40 | 雑記
田舎のバス停近くに石で出来た小さな灯篭があった、其れは未舗装の道路から3m位高い場所に有ってその後は傾斜した茶畑だった、元々はこの石灯籠に燈が入っていたらしいが自分が物心ついた頃は隣に細い木の柱が立っていて丁度石灯籠の笠の高さ位にアルミの笠をつけた40w位の裸電球が付いていた、
自分が小学校に入って直ぐに掛川からのバスが此処まで来て終点となった、どうやらその時に電灯になったらしい、
しかし今考えると何であの位置に石の灯篭があったのだろう、電灯がつく前にはずっと蝋燭が燈されていたようだ、要するに常夜灯の役目をしていたのだろうが何しろ人口密度の低い村で暗くなったら殆ど人は歩いていない、大抵そう言う村の常夜灯は神社か寺の入り口に有るのだがこの灯篭は全く関係の無い茶畑の外れに有った、確かにその下は県道だったのだが前述の通り人通りが殆ど無い所にずっと燈を燈していた、灯篭の場所から県道を挟んで万屋が一軒有ってこの店が燈守をしていた、この灯篭の前を東に折れてリヤカーがやっとと言う農道を少し行くと小さな川が有る、渡ると直ぐT字路だが右に折れると小さな寺が有り、左に行くと村社がある、村社の方には石灯籠があったのでこれの入り口だったのかもしれないが社に行くのは秋の祭り以外は子供の遊び場位だったのでその為と言うのもやや薄いがそんな事かも知れない、
万屋は「山川さん」と呼ばれている男性とおかみさんと言っていた女性で経営されて居たのだが「山川さん」は韓国人だった、本当の名前は「金」さんだったと思う、おかみさんといっていた女性は正式には籍は入っていなかったらしい、戦前からある村に一軒の店で酒も置いていて小上がりと丸椅子があって酒樽からコップに入れて飲ませていた、所謂もっきりである、後家さんの女将さんが切り盛りする店に何時の間にか金さんは一緒に住み始めたらしい、
未だ敗戦の空気が色濃く残っている時代で村にも戦地から帰って来た人が多く居てこの店で飲むと時として「金」さんと揉め事を起こす、無論戦前からの知り合いなので深刻な争いにはならないのだが罵りあいの喧嘩は結構あった、興奮すると金さんの言葉は韓国語になりガラスコップを握り割ったりするので大抵は客の方が退散する事になる
そんな時奥さんは全く動ずる事もなく亭主と客を同じ様に怒鳴りつけてお仕舞いにするとそこで飲むのが日課だった親父が話していた、
東京に出ても毎年墓参りに帰るとその店でお袋の好きだった和菓子と親父の好物のワンカップを買い線香と小さな蝋燭を買うのだが大抵この蝋燭は「無駄になるから」と小さな奴を一本とマッチを付けてくれた、何時の頃か「金さん」は無くなっていて奥さんが丸いメガネを花の上に乗せて対応してくれた、しかし有る事件で墓も無くなり、菩提寺だった村の寺(長源庵と言っていたので正式の寺ではなかったのかもしれないが)の住職が無くなって無住寺になったので40代からは殆ど行かなくなった、
果たして今どうなっているのだろうか