梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

伊勢神宮と熊野、那智

2011-01-31 08:15:41 | 旅行
10年も経つのか?夫婦で伊勢神宮と熊野神社から那智大社を見に出掛けた、朝早く都内を出て東名高速で東豊田から東名阪に移る、亀山で降りて先ず伊賀上野に寄った、城より堀が印象に残る所で芭蕉庵が趣が有ったが暗い建物だった、彼は幕府の隠密だったという話は話しとしては面白い。
欲をかいたので伊勢神宮に着いたのはかなり遅くなり内宮を見たら暗くなってしまい結局外宮は見なかった、梓川を渡り本宮を見てきたが遷宮が近いと言うことで隣に白い石を敷き詰めた空き地があったのが印象的だった。
宿泊を伊勢神宮の近くに連泊で取ったのは失敗だった、明くる日やはりかなり早く出て海岸を熊野神社に向かう、熊野神社は下社だけ見て来る、とても時間が足らない。一応と言った態度で参じると那智に向かう、
那智大社の下についたら既に昼を廻ってしまった、先ず那智の滝の滝壺を見る、鬱蒼とした杉林の中に降りて行くと林の一部が空いていて其処のはるか上方から水が落ちてくる、途中で霧に成る水で全体が湿気ているが清浄な感じが中々良い。
本宮は此処から長い上り坂を九十九折で登った上に有る、所々に食堂やお土産やが並んでいてかなり登ったと思い簡単に昼食を取る、「後どのくらいですか?」と聞いたら未だ半分程度だったのでトースト程度にして置いた、
この店に焼物が有った、旅行に行くと必ず買う事にしている珈琲カップを選ぶ、那智付近の焼物で最近出来たらしいが場所にちなんだ名前が付けられている、女房が買ったのはすっきりした青色で「熊野灘」と言うらしい、


自分が選んだのは黒と茶が縞になった物で「那智黒」と言うそうだ、那智黒は碁石では特級品だがこのカップも良い色合いだった。


那智の本宮まで登ったら其処に駐車場があった、どうやら何処かから此処まで上がる道が有ったらしいがお陰で良いお土産が出来たからよしとする、
本宮から滝の落ち口が見える所に綺麗な五重塔が建っている、滝をバックに写して来た、これは見事に嵌った写真だが嵌りすぎてつまらない、女房も「絵葉書だね、そこ等で買える見たいな」と言うが正にその通りの写真だ。



時間は既に3時を廻ってしまい何もしないで兎に角伊勢まで変える事になってしまった、途中で海亀牧場と言う所で休憩し宿に戻ったら又暗くなってしまった。
2泊目は和歌山に宿を取るべきだった、残念ながら和歌山城は見れず仕舞いだった、
帰りは志摩を通り鳥羽から知多半島にフェリーで渡り海岸を浜名湖まで走ると浜松から東名で帰ってきたが機会が出来たら和歌山城に言って見たいと思っている、奈良から吉野を抜けて紀ノ川沿いにもう一度海岸に降りて和歌山まで走ってみたいが、紀伊本線も良いかと最近めっきりスタミナの無くなったアラカンは思っているが、兎に角行ければ良いか。



霜柱と「ソドムとゴモラ」

2011-01-30 11:05:36 | 雑記
昨日、事務所の入っているビルの北側に有るスキップになった屋上の水溜りに氷が張っていた、そう言えば霜柱も最近余り見なくなったがそれでも郊外や公園の植込みの中なんかに見かけることがある、必ず女房は「子供の頃良くやったね」と踏みつける。
田舎ではかなり長い霜柱が伸びてきて寒くなると麦踏をするのが冬の子供の役割だった、霜柱で浮き上がった麦の根元を痛めない様に斜めに押し込むように踏みつける、大抵毎朝家族全員でやる、寒かった筈なのだがなぜか結構楽しい思い出と言うか、風景的に覚えている。
霜柱と言う言葉を聞く度に思い出すことが有る。
私の母親はクリスチャンだった、洗礼名もあった様だが自分が育った田舎には当然教会なぞ無かったから礼拝に行事は無かったし父親はガチガチの無心論者だから有っても行けなかったかもしれない、しかし母と2人で居ると色んな話しをしてくれた、
針仕事をしながら賛美歌を口ずさんでいたりしたが御伽噺の替わりに話していた事はどうやら旧約聖書の話しだった物が多かった、「牧師さん」と言っていたのでプロテスタント系だったんだろう、その中でソドムとゴモラの話しがあった、町の名前は覚えていないが旧約聖書のダイジェスト版を見るとこの話しの様だ、
「丘に囲まれた2つの町の人達は酷く荒れていて有るとき神さまは全てを焼き尽くしてしまう事を決めた、その町にロトと言う敬虔な羊飼いが居た、神は彼に町に硫黄と火を降らせて焼き尽くす事を告げてロトとその家族、妻と2人の子供を連れて急いで町を離れるように告げる、その時神は町に未練を残してはいけない、もし一度でも振り返ったら”塩の柱”になる、と告げるが妻は耐え切れず振り返ったのでその場で”塩の柱”になってしまった。」と言う話しだった、その”塩の柱”を霜柱の間違いか、自分の聞き違いだろうとずっと理解していた、
母は私が10歳の頃乳癌で入院し、退院して半年で転移していた肺がんで死んでしまったので確かめる事も無かったのだが、先日電子ブックでダイジェストを読んだら確かに”塩の柱”だった、考えてみるとシナイ半島は砂漠の土地である、霜柱が有る訳も無い、思い込みと言うものは実に面白い物だ、


起立・国歌斉唱拒否と自由の話し

2011-01-29 07:47:47 | 雑記
教員の式典における起立国歌斉唱拒否に関しての懲戒について最高裁は「違憲とは言えない」と言う判断を下した、この事に関して原告のコメントは「天国から地獄」だと涙ながらに話したと新聞で見た。
私はこの事に疑問と大きな問題が有ると思う、先ず疑問に感じるのは彼らのアイデンティティには帰属する国家と言うものが無いのだろうか?有ったとしたらどう言う形なのかと言う事だ、
単一民族国家である日本人には国家と言う意識が余り具体的ではない。しかし他の国、特に多民族国家においては国家と言う単位は帰属する国家と言うアイデンティティが重要なファクターだ、エリアとしての国家を持たないユダヤ民族を考えれば其れが如何に重要か理解できる。他国の人々も帰属する国家を維持する事に誇りをもっている。経済的な国家維持以外に精神的な国家への帰属を国家への拠所として文明国は「国歌・国旗・国花・国鳥」等定め国家の独立性を表明している、其れは国際的なイベントを見ても必ず行われる国歌斉唱と国旗の掲揚を見れば解かる事で、これを犯されれば国際紛争まで紛糾する可能性すらある、
原告達はこの国歌斉唱と国旗掲揚を「不用な事」だと言っている様だ、曰く「又国歌を戦争に向かわせる」と言う事も言われている様だが帝国主義と国の象徴は直接関係はないだろう、そのメロディや歌詞が気に入らないならそう表明するのが正しい
しかし問題は彼らの言う「自由」の考え方とその立場である、自由民主主義といっても社会においては一定の制限を受けるのは当然の事である、国の制定したルールが気に入らないから守らない、と言うのは幼児の発想か反抗期の未成熟な発想だろう、
その未成熟の若者を成人として社会のルールを教えなければならない教育者が「自分のイデオロギーに反するから決まりがあっても守らない」と言う事を社会人としての旅立ちの場で行なうと言うのは全く言語道断だと言いたい、
極端な例だが「自分は車の左側通行はおかしいと思うので好きな方を走る」と言うのとなんら変わらない、若し国歌斉唱が憲法違反だと思うなら国民に同意を求め、或いは選挙に立って制度そのものを変え無ければならない、其れまではやはり車は道路の左側を走るべきである

悪化の一途ではないか

2011-01-28 08:41:43 | 雑記
与謝野氏が年金支給年齢引下げを法案として上げると言う、私の年金は65歳から支給されても自分が納めた分が戻るのは88歳の半ばだと言う、年金制度はそういうものではないと言う理屈はわかるが強制的に納めさせた時は違う事を言っていたはずだ。
消費税を上げると言う話しも現在の日本財政では破綻が目に見えているからと言う事は一応理解しよう、しかし税収の根源は国民の経済活動である。生産と消費は小学校の社会で出る話だ、つまり需要と供給だ。
現政権の取っている方向は需要をどんどん減らす方向に向いている、結果は経済活動とは無関係に税を集めるシステムの推進に成る、当然何処かで破綻する、体力の有る内に手当てをしなければ経済活動を戻すには大変な時間と資金を要する。
先ずは経済の復興だろう、国際収支は常に黒字だ、と言う事は国単位では金が無い訳ではない筈である、この金は国内に廻らず何処かにストックされて居る事に成る、しかし何れは経済は破綻する、所謂黒字倒産である。
ストックを動かして国内に資金を流通させ経済活動を内需に振り分けて行くべきだろう、現在の税法では殆どは経済の動きだけに課税されている、無論固定資産税と言うものも有るが資産価値に連動している訳だから経済活動が冷え込めば資産価値は下がり、相対的に固定資産税の税収も下がる、税収が下がるから広く浅く(此の侭行けば深く成ること必至だが)課税すると経済活動は更に冷え込んでしまい税収自体も下がってしまう。
保有資産の内有価証券や預貯金には動きが無ければ税金は掛からない、結局ストックはそのまま金や債権で有るところにストックされてしまう、此処に課税するのが一番実態に有っている筈だ、其れを原資に低所得者の生活を底上げする、低所得者数の割合はどの程度かで違うだろうが国民資産平均以下と大雑把に計算したら恐らく75%以上に成るはずだ、この世帯が消費すれば当然現在の消費の3倍以上に成る計算だ、今のままの消費税率でも一気に税収は3倍に成る、
今まで自民党の政権時代は「誰がやっても日本の政治は変わらない」と諦めに近い思いをもって選挙に行っていた、其れは消極的な是非だったが、期待を持って選ばれた民主党政権は「彼らがやっていたら日本は破滅する」と言う積極的な非に変わったのは私だけでは無いだろう、与謝野氏は選挙で落ちて自民党の比例代表で復活した筈だ、離党した時点で議員の資格は無い筈だ、其れを政権の座に置いた管政権は彼を議員として扱うべきではない、自民党は彼を遡って党籍剥奪をし、議席を失効させるべきだろう。
年金問題に関して言えば議員年金の7割は税金だった筈だ、歳費も税金だから全て税金だ、先ず「魁より始めよ」である、
強行するなら民主党議員は年金を辞退する位の覚悟で臨むべきだ、芯から解散総選挙を望む

劇団の話し

2011-01-27 10:21:33 | 雑記
我が社の入っているビルのエレベーターに小さなポスターが張り出されている。
このビルに小さな劇団の稽古場が有る、誤解されると困るので先に言っておくが「稽古場」が小さいと言う事で劇団は大きいのか小さいのか解からない。我が社がこのビルに来る前から居た様でオーナーの奥方が贔屓にしているらしい。
一度女房と友人で見に行ったのと稽古場を利用して時々行う内輪の発表を見せてもらった事も有る、
部屋を僅か幅10mにも満たない所を暗幕で区切り、照明もスポットなぞは無しで公演したが演者が若い男女2名の物とやや年嵩行った男性、そしてもう少し年配の女性がモノローグの様な形式で行ったがそれぞれ結構引き込まれた、
座長と言うのか解からないが主催者は「鈴鹿景子」と言う女性で前はテレビにも早くで出ていららしい、
「水戸黄門に出ていた」と聞いたが何しろあの番組は長寿なのでどのシリーズだったか聞かないと解からない、もっとも自分は元々あまり見なかったので余計に解からない。
舞台公演は嫌いではない、最初に見たのは未だ10代の頃大手の電気会社で工員をしていた時組合から「労音」の公演が毎月あって組合補助も有り安かったので年に何度か見に行っていた頃に見に行ってからだった、
基本的には楽団演奏でラテンの有馬徹とノーチェクバーナだったり、ダークダックスだったりだったが、有る時創作ミュージカルと言う公演が有った、ミュージカルと言えばその頃アメリカ映画のジャンルで良く掛かっていたので試しに行って見る事にした。
場所は確か厚生年金会館だったと思うが題名は「山城の国一揆」という物で主演(若しかしたら助演だったかもしれないが)が多々良淳純だった、個性的な役者で映画でも何度か見ていたが舞台で見るとやはり違う感じがする、この頃は未だモノクロが殆どだったせいかも知れない。
それから暫くしてこの会社を退社したので暫く遠のいてしまったが何処かに(又見に行ってみたい)と言う気持ちはずっと有った、しかし何となく行く事が無かったが次に入ったのが東宝映画の関連会社で映画も舞台も殆ど只だったせいも有る、但し仕事の途中で見るのでぶつ切りになってしまうし落ち着かない事夥しい、落ち着いて見たのは子供たちが巣立った後で区の補助公演に夫婦で行く様になってからだった。