梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

朴大統領

2013-06-29 13:21:38 | 雑記
韓国の朴大統領が訪米の次に訪中をして日本を非難する共同声明をだしたが彼女の訪中に於ける言動等を見ると7~8世紀の「朝遣外交」を彷彿させる物がある。
朝鮮半島はその地理的な条件から常に大陸の圧力を受け続けていた、其れは今でも変らない、
7世紀頃の朝鮮半島には新羅・百済・高句麗と言う3つの国があり互いに覇を競っていたが大陸の混乱が隋から唐に移り統一化するに従って朝鮮半島への南下が始まり高句麗はその覇権を有利に進めるため唐と組んで新羅百済に攻撃を加え始め、それに従って圧迫された百済は時の大和政権に援軍を依頼すると言う事が起きる、
しかし白村江の戦いに敗れ大和軍が撤退するとその後は高句麗が唐に朝遣政治を取る事で半島の維持をする、
中華思想は「世界の覇者は中国であり他の国は我が国がその国を統治する事を認める」と言う思想がある、志賀島の金印「漢委奴国王」も漢国が邪馬台国に統治を認めた認印だと言う説がある(偽物説も有るが)
その後日本は「遣唐使」「遣隋使」と言う「朝遣政策」を取ってゆくのだが其れは中国側が考える様な「貢的」な物ではなく、一種の外交辞令の様な物で日本は中国の属国で有ると言う様な意識も現状も無かった、此れは朝鮮国家も略同じ様な物でまともに喧嘩すれば国力で勝てるわけも無いし大陸は常に政権が代わり安定した国政基盤が長期間続く事の無い体質である事はこの頃になると周辺諸国は理解していたのである程度の距離を保ち付き合うのが一番だと言う事に徹していた筈である、
特に韓国(朝鮮国家と言うほうがいいのか良く解らない、Wikiで見ると韓国民と朝鮮民は同じ朝鮮族だが違う人種と考えたほうが良い、と書かれているので微妙な問題も有るが)は独自の文化を持ち儒教の教えを守り永い歴史がある国である、独自の言語と文字を有するのはそれ程多くないが韓国はたとえ其れが政策的にであっても両方を備えている
明治政権から敗戦までの帝国政権時代には間違えた民族の優劣意識で韓国に多大な負担を掛けた事は近代歴史だからどう言い繕っても間違いないことである、
しかし「嫌日」意識を中国と共有すると言う事を政治の中心に添えた政策を取る為に朴大統領は中国の属国的な朝遣外交を進めている様にしか見えない、
「中華思想」と同じ様な考えをしているアメリカと言う国家と中国両方のパワーを対日外交に利用しようとしているのだろうが「虎の威を借る狐」は対立する2匹の虎を利用するのは危険である事を理解しないとどちらからも相手にされない事になりはしないか、
それでも我が国の総理大臣以下外交政治力よりは数段上手では有るが国内の不満を海外問題にすりかえるやり方はどの国でもやるが短期なら兎も角本当の意味で成功する事は先ず無い

慰安婦とパンパンガール

2013-06-28 09:06:32 | 雑記
慰安婦問題で公的文書から「強制連行の記録」が出てきた様だ、インドネシアに於けるオランダ女性の記録だと言うので韓国問題ではないが今まで公文書に無いからと言って来た与野党の大物は此れからどう言うコメントを出すのだろうか。
橋下氏の言う「若い兵士の性欲望処理」は実際問題として有りうる問題で前近代の戦争では戦勝軍による女性への陵辱は枚挙する必要も無いだろう。占拠された国の一般婦女子に被害が及ばないようにと言う事は規制規律で収まる事でない事もおっしゃるとおりだと思うが其れを理由に正当化できると言う事ではない。
日本が無条件降伏をしてアメリカ軍が占領駐留をした時にも当然有ったがアメリカ軍は厳しい軍律を敷いて厳罰していたがそれ以上に広がらなかったのはそう言う女性が巷に溢れたからだろう。
しかし其れはアメリカ軍や時の政府が強制的に行った訳ではなく敗戦で食料もまま成らない女性が止むを得ず自らを切り売りして家族を支えると言う事が多かった筈だ、
今問題発言をしている与野党の方々はそのご両親がそう言う時代に生きていたと言う事を認識し自らの親族にそう言う事が有ったとしたらと想像して貰いたい、時の政府或いは占領軍が「兵士の暴走を防ぐには処理をする必要がある、」と言う理由で自分の母親や叔母がそう言う状況になっていたとしたら今の様な発言が出来るのだろうか?
終戦直後「こんな女に誰がした」と言う流行歌が流行った、あの歌詞を聞く度に本当に悲しい気持ちになる、生きる為に女性を切り売りし自らが荒んでゆく悲しさ、結果的にその事で普通の女性達の被害も最小限に収まっていた(結果的にだが)筈だが世間が彼女たちに下した評価は「パンパンガール」と言う名前である、
止むを得ずであっても自ら求めた生き方ではなかった筈だ、其れは「被占領国」と言うどうしようもない現実が招いた結果だった、しかし戦前に日本軍が行った事は「同盟国」と言う併呑政策の中で行われていた、確かに世界各国でも有っただろうがそれは「反省すべき事実」であり「皆やっていたのだから攻められる事ではない」と言うのでは昔流行った「赤信号、皆で渡れば怖くない」と言うギャグに近い、あれがギャクになると言う事は「そんな馬鹿な、そんな訳無いだろう」と思うからで「その通り」だったらギャグにはならないと言う事も当然の事である

雨を見ながら

2013-06-26 23:26:25 | 雑記
昨日は雨、それでも大抵はバスに乗らず20分程度を歩いて居るのだが昨日は仕事の成果が期待はずれで少々くたびれてしまった、普段は乗らないバスを使うことにする、
来るまで20分程度待ったので歩いた方が早かったかも知れないが10分も待つと今更歩くのも癪に障る、到着したバスに座って夜の雨を眺めていたら突然(自分は一体なにになりたかったんだろう?何になれたんだろう?)と頭に浮かんだ
今65歳、15歳からずっと働いて来て家を建て子供を育て、そして会社が倒産し借金を返す為に未だ働いているのだが、改めて考えてみるとずっと子供の頃から何かになりたいなどと考えた事は無かった気がする、
今日の為に、明日の為に、生活の為にだけを考えていたのではなかったか?いや結婚するまではそんな事すら考えて居なかったな、見方によっては自暴自棄かも知れないがそんな悲壮なものでも乱暴な生き方でもないが預貯金も全く無く稼いだ分は殆ど飲んでしまっていた、まあ趣味のカメラと車には結構注ぎ込んでいたが独り者なので金が無くなれば飲まないだけの事で家賃と光熱費や車の経費を除いて殆どは飲み代だった、
明日生きている事は当たり前だがもし死んでもさして悔いも未練も無かった、只心配なのは押入れのエロビデオ位だがそれも(俺はもう死んでいるんだし)とあっさりと納得をしていた、まあ大屋は迷惑だろうが親兄弟に連絡が行くかどうかも解らない、友人にあまりそう言う話をする事は無かったししたとしても彼らが自分の親兄弟を知っている訳でもない、多分その頃は小さな会社に勤めていたので身元保証人などは居なかったし家主には友人を保証人に立てていたのでまあ彼に若干の迷惑は掛かるかもしれなかったがまあそれも自分が死んだ後のことと結構醒めていたので将来の事、ましてやその先の事等考える由も無かった、
しかし結婚したらどうやらそうも行かない、まあ末っ子なので不慮の事故か大病でも患わない限り見送り切った後で逝くんだろう、其れが順番と言う物だ、
只、我が女房は子供の様な部分が、と言うより本質的に有って亭主としてというより精神的には親に対する様な精神構造で居るらしい、去年4つ年上の姉が亡くなった、その8年ほど前に兄が亡くなり「此れでお父さん(私の事)しか居なくなった、絶対に私より先に死んではだめ」と言う様になった、元からそういっていたがその頻度が増してきた
確かに自分が死んだら相当悲しむだろうとは思う、まあ暫くすれば落ち着くだろうがそれでもかなり耐えがちだろうと思う、此れは息子も娘も同じ様に見えるらしい
女房の姉と兄の葬式の後別々に子供達に「お父さんは1人でも大丈夫だけどお母さんは大変だから絶対に先に死なないでくれ」と言われた、内心(お父さんだって平気の分けないぞ)と思っていたが「まあ頑張るよ、」と言って置いたのだが今は年金頼りで細々と生きている、(一体何に成りたかったんだろう?今何に成ったんだろう?)
未だ暫くは生きてゆく、此れから未だ何かに成れるかもしれない、又今日から頑張ろう、

都議選感想

2013-06-24 09:20:48 | 雑記
都議選の結果が出た、自民党の勝利になり自公あわせると過半数を大幅に超える、民主党は予想どうり大幅に議席を減らした、共産党が躍進し17議席となりみんなの党も7議席と検討したが此方も案の定で維新の会は惨敗である。
大方の予想通りだしやむを得ない結果だと思うが此処で自民党が「やはり我が党でなければ、」「国民は皆我が党を支持し応援してくれている」等と勘違いして欲しくない、
民主党は前回の国政惨禍の影響が未だに尾を引いた結果であり自民党に対抗するためには野党が連携を取って絶対与党状態を解消して貰わなければならない。
共産党が大きく議席を伸ばしたのは望ましいことだと思う、聞いていると庶民に一番近い方向性が有る、庶民に一番寄り添った政党だと言う印象はあるが若干現実的な部分で理想論に走ってしまいがちの印象も有る。
小田原で二宮尊徳翁の神社に寄った時にこんな言葉が有った、
「道徳を忘れた経済は犯罪だが、経済を忘れた道徳は寝言である」と言う順序は逆だったかもしれないし“寝言”は“戯言”だった様な気もするがこの「道徳を忘れた経済(政治)は犯罪である」を自民党に、「経済を忘れた道徳(政治)は戯言であると言う所を共産党に進呈したい、
アベノミクスと言われて舞い上がっているが実際「第三の矢」は実効性どころか中身が全く無い、雇用創生と言うが日本社会の雇用割合は農水産業と二次産業、それと中小零細事業者で8割を支えている、
円安誘導で株価が上がりデフレからインフレに向かったと言う、しかし雇用は一向に上向かない、其れは当然である、雇用の8割を支える産業は「株式上場」などしていない会社であり、株の価格を左右するのは一部の高資産家と銀行金融筋、其れと投機目的の海外資本である、
つまり平均株価の上昇も円安も雇用現場には全く関係ない部分であり実際に雇用を増やすには雇用できる産業が必要であり、産業には生産、生産には流通消費が必要である、
融資を増やし金利を下げ他所で借り入れて興すべき産業が見えて来ない、銀行は返す宛ての無い事業に融資する訳も無い、其れは又「銀行の弱体化」と言う事でアメリカ式だと「資格取消」と言う結論が待っている、
経済の建て直しは消費が重要でそのためには偏った資産を平滑化する事が最重要課題になだ。
消費経済を円滑にするには税を消費活動に科すよりも停滞している保有財産に科するのが一番だろう、無論テクニックの問題も多いが2割弱の国民だけを見て経済を論ずるのは尊徳翁の言うとおり「犯罪」だ。


煙草の思い出

2013-06-21 18:34:16 | 雑記
子供の頃、大人達が吸っていたのは皆煙管だった、仕事に出かける時には腰に煙草入れと煙管入れをぶら下げて出かけてゆく、従って煙草は「刻み」である、
確か「みのり」と言う名前だった、少し黄色がかった茶色の袋には稲穂がデザインされていた、煙管はそれ程大きくなく全長で20cm位だったと思う、
真鋳の吸い口と雁首を細い竹の管で繋いでいる、雁首の大きさは多分直径も深さも1cm程度で下が窄まっているので一回に入る量はかなり少ないので大抵数ふくを続けて吸う、
最初のいっぷくを吸い付けながら煙管を咥えておいて右手で煙草を丸めておき、其れを持ったまま左掌に吸い付けた火の点いた煙草をポンっと乗せると掌の上でころころと廻しながら先ほどの丸めた煙草を器用に雁首に詰め、其れを左掌の上の吸いさしを使って火を移すのだ、(熱くないのか)と見ているのだが殆どそう言うやり方だった、
なにしろ一度の煙草は2.3回吸えば燃え尽きてしまうので今の紙巻の様には吸っては居なかったんじゃないかなと思うが俗に「煙草の害は巻いている紙も大きい」と言われている上に咥え煙草も「チェーンスモーカー」も難しいのだから今よりは害は少なかったんじゃないかと思う。
親父の煙草は最初はこの「みのり」だったが何時の頃からか紙巻の「しんせい」と言う奴に替わっていた、この頃「あさひ」と言う煙草もあったのだが此れが刻みなのか紙巻なのか覚えていない、
ゴールデンバットと言う煙草は未だ田舎に行くと売っているらしいがデザインはしゃれていたな、
姉が吸っていたのは両切りのピースで未だにピースである、確かにあの煙草は吸わなくても良い匂いがした、後でフィルターの着いた「ロングピース」が出たので両切りは「ショートピース」と言っていた、
自分が吸い始めた頃丁度「セブンスター」が出た頃で其れまで主流は「ハイライト」だった、その後煙草は段々マイルド二となって行き「セブンスター」も「マイルドセブン」に替わる、
あの頃は殆どソフト包装でキャラメルといわれた箱型はあまりなかったな、ホープと言う奴が有って此れのショートタイプが箱で「ショッポ」と言っていた
チェリーと言う奴とセブンスターが初心者用だったと思う、その頃仕事場は日比谷の映画街だったので面白半分に輸入煙草を皆で買って比べて見たりした、
帝国ホテル側からみゆき通りを数寄屋橋の方に進むと左側に洋もく専門の店があって此処で買う、国産煙草は未だ100円以下だった時代に300円だの400円だのだがそれでも皆で色々買ってみる、別に気取ってみるのではなく好奇心の様な物だった
面白かったのは「イヴ」と言う奴で細巻きで一本づつ色が違う、パッケージも非常に凝ったつくりだった、パーラメントと言う物も女性受けをしていた
辛くてとてもと言うものにドイツ製のゲルベゾルデが有ったが今では見る事が無い
一般的に有名なのはラッキーストライクとキャメルだったがどちらも映画や小説でよく登場する銘柄だった、たしかフィリップマーロウが吸っていたのがキャメルだったんじゃなかったかな、デザインも洒落ていて旗の台にこの名前のスナックが有ったがカウンターの上に絵が掛けられていた、
煙草が世界的に片身が狭くなっているが吸わない自分からしてもあれはあれで1つの文化の様な気がするな