梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

2800日になった

2017-06-30 11:47:29 | 雑記
ふと気が付いたら「ブログ開設から2800日」と書いてある、まあ日数だから書いた日数ではないのだが数字の後ろが00になっているのを見ると気持ちが良い、
“ふと見ると”と書いたのだが本当は“何気なく”と書こうとして最近は少し減ったあの「何気に」と言う言葉を思い出して結局頭無しで“2800日になっていた”とすることにした、
“何気に”と言う言い方は誰が始めたのか、多分若い連中が仲間同士で使い始めたのを若ぶったいわゆる「業界人」と称する連中が広めたんじゃないかとおもう、
最初聞いたのはバラエティと言うジャンルの女性タレントが得々と使っていたのだがその内民放のアナウンサーまで使い始めたのを苦々しく聞いていた、
流石にNHKでは聞くことは無かったが一時(この言葉市民権を得るんじゃないか)と内心恐れていたがどうやらそこまでは広がる事は無く消えた様だ、
「楽し気に」、「寂し気に」と言う表現が有る、変換すれは「何気なく」だ、「何気に」では文脈がおかしい、兎に角聞いていて言葉の座りが悪すぎる、
今私の中で違和感の有る言葉は「悩ましい問題だ」と言う表現だが有名な池上さんも使うので若しかしたら正しいのかも知れない、しかし私の記憶では「悩ましい」のは女性の姿態雰囲気を表現する言葉で「悩殺する」と言うスラングもここから出ているんじゃないかと思っていた、
似た言葉に「艶めかしい」と言う言葉があるから誤用された結果なのかとも思うがもしかしたら自分が勘違いしているだけかもしれないのだが、女房も「なんかおかしな使い方に聞こえる」と言うので多くの人はそう言う使い方だった気がするが今の用法がすでに市民権を得ていると言う事かもしれない、
「だらしない」も仏教用語のサンスクリット「シダラク」を守れないのを「フシダラ」だと言い、シダラ無いを江戸っ子がひっくり返して使っていたのが一般的になったと言う、
同じく江戸弁から市民権を得たと聞いた言葉に「新しい」だがこれは確かに「新」を訓読みすると「あらた」である、その頭二文字をひっくり返し「アタラシイ」と使っていたのが一般的になったと言う、
ただ前二つの言葉はあまり語感が良くないと言うのは過渡期の人間だからで、もしかしたらそのまま定着するのかも知れない、
「日本語の乱れが喧伝されるが言葉は生きているから変わるのが当然」と言う意見があったがまあ古語を使う気もないが自分の育って来た日本語が変わってゆくのはつい余計な事を言いたくなる、と言う年齢になったと言う事か
PS、
ミニチュアシュナイダーではなくシュナウダーなんですね、失礼しました&おちゃさん有難うございました


酒場遍歴記 シーズーとミニチュアシュナイダー

2017-06-29 10:42:15 | 昭和の頃
ひょうたんは酒場と言うより生活の一部になって来た、休日にひょうたんおやじの家に行って麻雀をやる事になった、
ひょうたん家には二匹のシーズーが居る、母と娘で親の名前はベラ、娘はペペだったがこれは「妖怪家族」からつけたらしい、しばらくして更に孫娘が増えるがこれはジェニー(ジェミーだったかな?)こちらは当時放送していたアメリカのアクションドラマの主役がバイオニックジェニーとか言う処からつけたと言うがシーズーだから妖怪とかアクションの主役とはかけ離れて可愛い子達だ、
やたらに人懐こくて初めて行った時膝に前足をかけて尻尾をふって「ヘッヘ」と舌を出して抱っこをねだる、もっともこの犬は何時も舌を出しているんだが、
ひょいと抱き上げたら勢いよくオシッコをひっかけられた、小型犬は興奮すると粗相をするがその時が初めてで驚いた、
ママが「うれしょんだ」と大笑い、これは行くたびにやられるので最初に抱きあがる時は前足の脇を持って差し上げて「ウレション」が終えてから抱く事にする、
その頃浜松の姉の処に行ったとき縁の下に居る子犬を見つけ聞いてみたら商売のお客に営業トークで「犬大好き」と話したら「血統書付きだよ」とプレゼントされたらしい、
姉は決して動物嫌いではないのだが基本的に横着者、就学前の男の子が居るがこれがまた昭和の悪ガキ代表の様なやんちゃで子犬を可愛がるのがチンピラが言う「可愛がってやるよ」的な扱いで餌を入れるアルマイトのボールで頭を張り倒すなんてことをやっていたらしい、
私は猫でも犬でも動物が好きでこれは放っておく事はが出来ない、最初は縁の下から出て来なかったがようやく出てきたので抱き上げらぶるぶる震えている、毛並みは見る影もなく痩せこけて幼い背骨が少し湾曲している、
連れて帰る事にしてひょうたん親父に電話を入れ取りあえず居所を確保した、名前は「とんとん」と呼んでいるらしい、当時テレビで子供向け番組で「ふしぎ犬とんとん」と言うのが有って似ていると言う事で悪ガキがつけたと言う、
東京に連れて帰ったがあまりに痩せこけているので近くの動物病院に連れて行く、此処で犬の種類を知った、ミニュチュアシュナウダーと言う種類だそうで写真を見せてもらたら頬に長いひげを蓄えて後足を張った姿は中々の物で「プロフェッサーと呼ばれる」と言う、因みに「ふしぎ犬とんとん」の方はテリアらしい。
「栄養不良と運動不足、日光浴不足でくる病になりかかっていますね」と言われ可能性を聞いたら「点滴と注射で様子を見ましょう、背中の曲がりは何とも言えません」と言う、
乗り掛かった舟だと「保険は無いので結構の金額になります」と言うが「よろしくお願いします」と預けてきた、仕事の合間に顔を見に行くと言うか毎週治療費を支払いに行って凡そ3ヵ月弱で彼は完治した、
「よかったですね、全く問題なくなりました」と言われたトントンはほぼ犬のカタログの写真よろしく後肢をぴんと張って首を立てて立っていた、先生が「サービスで」と言ってトリミングをしてくれたので中々の美男子になっている、
我が家は木造アパートなのでそのままひょうたん一家に連れて行って預かってもらう、
ベラとペペとも問題なくなじんだのだが問題は二つ、シーズーの顔は全くの平坦で食事が遅い、トントンの方は幼少期の影響で食い意地が張っているので同量入れて置いたら殆どトントンが食べてしまう、仕方ないので大家さんの家からベビーサークルを貰ってきてケージ代わりにしたのだがこれも飛び越してしまう、
食事は何とか別に上げて解決したのだがもう一つはトントンが雄だと言う事、掛かってしまったら拙いのだ、
そこで又養子先を探す事にしたら喫茶店で知り合った同郷のS氏が「田舎でレストランを経営している弟の嫁さんが犬を欲しがっていたな」と電話をしてくれた、
ミニュチュアシュナウダーだと言ったら犬の写真を見て「是非連れて来て」と言う事になり翌休日に連れて行ったら即時引き取る事になった、
「食い意地が張っているから食事には気を付けてください」と獣医から言われたことを伝えてきたのだが1年位して話を聞いたら奥さんが甘えるままに食事を与えた結果「階段を上がると腹がつかえる、名前は同じだが今では豚ゞです」と言う落ちが付いた、
シーズーはその後3代目が出来て3匹になったが夫婦に遅い子供が出来て各々里子に出される事になった、
今孫がいる時期になり犬か猫を飼いたいとも思うのだがどちらが先に逝っても悲しむことになる、何れは夫婦どちらかが残るのだがもし自分が残ったら考えてみようか

財布を拾ったが

2017-06-28 09:05:41 | 雑記
バスを待ちながらふと家の冷蔵庫にビールが無かった気がした、女房にショートメールを入れたら350mlが1本だけだと返事が来た、
偶々客から電話が入ったので目の前にコンビニの有るバス停で途中下車して電話を済ませてからケースを覗くがいつも飲んでいる銘柄がない、仕方ない、少し戻るとローソンが有ったと4~5分歩いて戻ってみたがここにも置いていない、
350mlで我慢すると言う手もあるがここまでやったらおさまりが悪い、さらに400~500m離れたところにあるセブンに向かう事にした、
幸い雨は上がっているしやや気温も下がっている、家とは離れるが国道15号線の歩道を数百メートル歩いた所で歩道上に落ちている財布を見つけた、
黒皮の長財布で中を見たら結構現金が入っている、免許証とキャッシュカードが見えたので交番に届ける事にしてセブンイレブンでお目当ての銘柄の500mlを1本買い袋は断って片手に持ってここで聞いた交番まで歩く事にした、
この時点で既に自宅を通り過ぎているのだが落とし主も困っているだろうし、一晩寝かせると遺失物横領罪に問われかねない、「少し先にあります」と言うのでさらに4~5分歩いて交番を見つけた、
中に居たのは恐らく60代後半で正規ではなく最近多いと聞くOBではないかと思われる制服制帽の不愛想な男だった、
何も言わず不審そうな目を向けたが構わず「落とし物を」と言ったら「飲食物は落とし物ではない」(そのまま、ありませんでもなく“無い”)と言う、
「いや、こっちは違う、こっちです」と左手に持っていた財布をだしたがにこりともしないので冗談を言ったわけではなさそうだ、
見ている前で現金を出し、小銭を数え「3万7千8**円」と言う、免許証を出し住所を見て「この近くだ」と言いカードの中にあった保険証を引き出したので「保険証?」と言ったら「社会保険だな、免許証とおんなじだから」と言うと「このまま落とし主に返せばいい?」と言うので「そうしてください」と言ったら奥の部屋から未だ配属されたばかりと見える若い警官が「これに名前を書いてそこの“全ての権利を放棄する”と言う処に印を書いて」と言う、この交番はあくまで敬語を使わない方針らしい、
(なんだよ、この連中は)と内心思いながら名前を書いたらこの若造は「なんて書いたんですか」と言う、確かに私の字は褒められた字ではない事は自覚しているが面と向かって「なんて書いたんだ」と言われたのは長い人生で初めてである、
声に出して仮名を振ったら「ああ、この字は伊豆の伊ですか、最後の字はなんて書いたんですか」とさらに畳みかけられた、いくら何でもここまで他人に言われるのも初めての経験だった、
通り一遍の「ご苦労様でした」の声を後ろに聞いて「くそったれ、届けるんじゃなかったわい」と思いながら家に向かう、免許証の住所で言えば我が家と同じ町内だった、直接届ければよかったか、しかし無くした本人は落ち込んでいるだろうから無事戻ってくれるならと思うが内心(あいつら本当に本人に届けるのか?)と考えるくらい不愉快な対応だった、書類もこちらから言わないと時間と場所すら聞かないし現金をメモに書いているだけで(あのまま山分けしても分からない)と不謹慎な事を考えてしまう位不愉快な出来事だった、不快指数は温度と湿度以上に高くなった

酒場遍歴記 ひょうたんクラブ

2017-06-26 09:29:51 | 昭和の頃
昭和50年頃に戻る、その頃私は川崎に住んでいた、職場は大田区だったので車で通っていたので殆どは川崎で飲み歩く事になる、
その当時に行って居たのが前述の「さわ」だったがこれも前述の喫茶「C」で知り合いになった見た目やくざ者の「ミヤちゃん」が小料理屋を探していて適当な貸店舗が住まいの近くだったと言う事で今で言う「マーケットリサーチ」をしたいから「付近の飲み屋を案内してくれ」と言うのである日家の周りの寿司屋や焼鳥屋、スナックを廻る事になった、
最後に寄ったのが「さわ」でかなり出来上がっていたミヤちゃんが「大丈夫だ、此処で店をやる」とご機嫌になったのがママの逆鱗に触れて前述の「二度と来るな!」になったわけである。
ミヤちゃんは黙っていると親分が「近くを歩くな、やくざもんに見られる!」と言われるくらいの雰囲気だが笑うと実に人懐こい顔になる、
一時新橋の「ひょうたん」と言う店で包丁を持たせてもらったくらいだから仕入れも調理も結構のもので確かに川崎付近ではあまり無い小粋な店になった、
それからは此処が居所になる、最初は物珍しさで多様な客が来るがこの辺りの店は焼鳥屋がほとんどで刺身と会っても近くのスーパーで仕入れた赤身と烏賊程度しかない、
ひょうたんでは毎日川崎北部市場でミヤちゃんが仕入れてくる魚が出る、良い物が出るが当然その分値が張る、
客は段々決まって来て大工の棟梁とか民謡のお師匠さんとか言う客になって来たのだがその内薬のプロパーの連中が常連になる、
ドイツのブリストルマイヤーズと言う製薬会社だが一般的な市販薬ではなく病院に卸している会社で大学病院やら公立病院が殆どの営業職で「セールスマン」とは言わないらしい、
大きな声では言えないが「医者の接待」は物凄いらしく担当医師によって個人的に使える接待費が300~800万(月出である)らしい、
接待が終えた後互いに愚痴をこぼす店としてこの店が選ばれたのはくちの肥えた連中が満足する店として認められたうえやはり親父とおかみの人柄だろう、
その後彼らは殆どがシェーリングと言う製薬会社にヘッドハンティングされたが移った連中と残った連中が一緒に飲んでいた、
12~13人位で未だ独身者も3人ほどいたが残りも子供は未だだったり未だ居ないと言う連中だったが子供が小学校になる前頃から家族を連れて来るようになり、餅つき会やバーベキューかをやったり、夏は毎年海に泊まり込みで行く、
ミヤちゃん夫婦には子供が居ないが子供が大好きで人懐こい笑顔で子供達も纏わりつく、
私もその頃は結婚する気もなくミヤちゃん夫婦と「最後は同じ老人ホームで麻雀でもしよう」と言っているくらいだったが、私も子供が好きで一緒に海に行くと親達が海の家に入った途端飲み始めるのを傍目にミヤちゃん夫婦と私が子供を泳ぎにつれて行っていた、
私が肩車と両手に一人づつ連れてゆくとミヤちゃんは保育園の教師よろしく「ハイ。並んで」と砂浜に連れてゆく、毎年色んなイベントは「ひょうたん幼稚園」と言われていたが
その子供達も今では子供が居る、
私も孫が出来、ママさんも40を超えてから妊娠し客から「便秘だろ?」とか言われながら男の子を設け「一緒に養老院」は自然消滅したが15年ほど前にミヤちゃんは鬼籍に入ってしまった、
彼だけは本当に一緒に老人ホームに行こうかと思う位良い友人だった、私より8歳も年嵩で失礼かもしれないが許してくれるだろう

ご冥福を祈ります

2017-06-23 14:16:27 | 雑記
小林真央さんが亡くなった、最後の最後まで笑顔でブログを更新していた、
若いと癌の進行も早く今の医学では如何ともしがたいまま自らの死を見つめて奇跡を信じたいとコメントして本当に死の淵間際まで頑張り最後を迎えたらしい
キャンディーズの田中好子さんも死に臨んでビデオメッセージを残したらしい、
こうしてみると女性は本当に強いと思う、男の負け惜しみで色んな事を言う輩も居る
、私自身も何処かに女性を下に見る所もあった事は認めざるを得ない、
前に「日本の女性は本当に弱者なのか」と書いた事もある、そこには男性社会が育児の過程で「女は守るべきもの」と言う考えの延長線に「女は守られてこそ」と言う考えもあったと思う、
しかし今の若者達を見ていると男性より女性の方が前向きで積極的だ、これからの社会は女性の力をと言う政府の言い方には「労働力」として期待すると言うのが根本的にある、
同一負担同一報酬と言う事、同一権利同一責任と言う事を考えればまだまだ社会は女性に期待せず、且つ女性の力を認めないと言う風潮は間違いなくあるだろう、
今後の社会で女性の力、責任と権利はますますあがる事だと思う、しかしこの二人の女性が死に臨んで見せた生き方は称賛に値する、若しかしたら若い女性だったからこれだけ取り上げられたのかも知れないが事実あの若さで冷静に死を見つめ毅然と其処に到達できると言うのは本当に頭が下がる
ご冥福を祈ります