梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

普通の感覚の優しい事

2014-09-24 18:35:56 | 雑記

私の住んでいる公営の住宅は1階が保育園になっている、公営の保育園で園児の人数は精々30人程度だろう、働く母親の子供を乳幼児を中心に預かっている様だ、今年は持ち回りの自治会長を引きうけている私の処にその保育園から連絡が来た、私は仕事で自宅に居なかったので女房が話を聞いたのだが少し気になる話なので翌日訪問して詳しい話を聞いてみた、要約すると以下の様な話だった、

10月4日に保育園で園児運動会を行う事に成り先々週から週に何度かその予行練習をしている、(この事は事前に連絡が有り園から丁寧な掲示が託されていて自治会で印鑑を押したうえで団地の掲示板に張り出してある)練習が始まって少し経った朝園の職員が庭を掃除していたらNTカッター(これは商品名だが)の刃が落ちていたそうだ、気がつかず開園して居れば大怪我をしかねない、回収して記録しておいたのだが次の練習日の翌朝今度はカミソリが同じ様な処に落ちていた、刃にはカバーが付いていたが(悪戯にしては悪質だ)と思いながら回収したが更に次の練習の翌日又同じ様な位置にカミソリが今度は裸で落ちていた、今度は流石に警察に届けたらしいがその間に今度はライター用のガスボンベがキャップを外した状態で投げ込まれたらしい、

運動会の練習に合せる様に起きているので(うるさいと言うのでは)とスピーカーの音量を更に下げて対応して居るのだが如何にせん子供の事なので声を抑える事は難しい、警察に連絡しても結局「パトロールを増やしますから」としか対応できないと言うがそれは仕方ない事ではある、自治会に連絡が来たのは警察を介入したので連絡が後先になると「ご迷惑をかけるといけないから」と言うが内心は「若しかしたら団地の中で不快な思いから」と言う思案もあっただろう、何しろ落ちていた場所には団地の部屋から簡単に投げ入れる事が可能な場所なのだし気になると言えば一番気になる位置ではある、

今の園長さんは今年の6月に来られたと言う方で一緒に話された方は2年位努めている方だそうだが念の為聞いたが今迄こう言う事は無かったと言われた、運動会の練習に合せての事なのでおそらくその関係になるのだろうと思うが園児の運動会練習なので時間は1時間程度で昼間の話である、もしそうだとしたらその事で苦情を言うのは理に合わない事を理解しての上での行動だろう、

最近の世の中は本当にぎすぎすしている、全盲の女性に対する暴行事件に端を発して色々調査したら障害のある人達は日頃からそう言う扱いを受けているらしい、生活保護者に対する嫌がらせや言われない中傷、直接間接的な嫌がらせ、在特と言われる輩の行動を頂点に人々の繋がり、社会と言う構成がほころびかけている感じがする、動物の社会では群れが生き残る為に強者の理論が優先される、弱い個体は集団で生存確率の理論で何割かの犠牲の上に種の存続を確保する、裸の猿は相互扶助でこの生存確率を高めて飛躍的にテリトリーを拡大してきた、その反動で地球と言う環境は傷ついているのだろう、しかしそれ以上に「相互扶助」と言う人間の種の保存方法に傷がついて来たのかもしれない、しかし弱い個体の生存確率と強者の理論がないまぜになって働くと人間の誇れる生物としての矜持はどうなってしまうのか

アメリカのアイデンティティーは歴史と文化を共有できない人間が考えたものだ、永井文化的歴史と略単独人種の日本人が追従すべき政策ではあるまい、アメリカの政策はあくまで強力な軍事力とそれを食い物にしている軍需産業界で成り立っている、早晩それは崩れて行く筈だ、アメリカ国民は居るがアメリカ人は居ない、何時でも国を捨てる事が出来る連中に本当の意味で「国を愛する」と言う事など解る筈もない、日本の政治家も資産の多くを個人保有している連中も同じ様な物だろう


義兄が亡くなった

2014-09-18 18:49:13 | 雑記

6日の土曜日に義兄が亡くなった、正確に言うと5日の夜8時過ぎに息を引き取ったらしい、3月に先に無くなった義姉の3回忌をすませて半年目だった、子供達が各々家を持って出て言ったので義姉が亡くなってからマンションで一人住まいだった、毎朝息子が家に顔を出すのだがその日の朝布団の中で冷たくなっていたそうだ、
「眼鏡を枕元に置いて布団も乱れず本当に眠る様に死んでいた」そうだ、看取る人がいない場合はいったん警察に運ばれて検視するがご遺体は当日返って来て「前日の8時過ぎにはお亡くなりになっていたようです」と告げられた、
78歳だったが義姉が亡くなってから本当に気落ちしていたので皆心配していたのだが、妻は心配して月に1~2度食事を持って顔を出していたのだが8月31日に行ったのが最後になった、
よく、「先に女房が逝ってしまうと男はからっきし駄目だ」と言われるが兄弟や友人が次々と他界するとやはり現実味を帯びて来る、我が女房は末っ子で今迄一人暮らしをした事が無い、常日頃から言われていたが最近はとみに言うようになったのが「絶対自分が先に逝く」と言う事だ、たしかに見ていると自分が先に逝ったらその落ち込みは相当の物になる事は想像に難くない、子供達も「お父さんは一人でも大丈夫だかお母さんが残ったら本当に大変だからお父さんは絶対に先に死んでは駄目」と言われている。
「俺が平気だと言うのは違う、俺だってお母さんが亡くなったら相当辛いぞ」と言うのだが女房も息子も娘も「お父さんは大丈夫」と言う、
私は物心が付いた頃から殆ど一人で生きて来たに近い、36歳で女房と暮らし始めるまで殆ど一人の人生だったので家族生活と言う物がなんとなく下手だった様だ、それが子供達に「お父さんは一人でも大丈夫」と言う評価になったのだろう、しかし女房子供に義母と生活をし孫も出来ずっと女房が一緒に居る生活がすでに30年を越える、
ふと想像すると相当寂しいんじゃないかと思う、11歳の時に母親が亡くなったが今考えるとそれが寂しいと言う感情に結び付いていないのだ、その前から母親は入退院を繰り返していたので居なくなってもそれ程の違和感がで無かったせいもあるかもlしれない、若しかしたら「寂しい」と言う感情を持つのは初めてかもしれない。

しかし今回は義兄の落ち込みが生々しく身に浸みて来る、(まだまだ先だ)と思うがつい最近まではそんなことすら考えもしなかった、

残る側は辛いだろう、だったら女房にそんなつらい思いをさせるなら自分が替って残るに越した事はない、しかし孫子と一緒に暮らす気にはならない、女房に「お前が死んだら骨壺を持って軽四輪のキャンピングカーで日本中を廻って見るか」と言ったら「生きている間は軽のキャンピングカーなんか冗談じゃないけど、骨になったらいいか」と言う返事だった、しかし旅の途中で野たれ死んだら子供は更に迷惑かも知れないな、

つい最近墓の話をしたばかり、そんな歳になったのかも知らないな、まあそんなにしょっちゅう考えているわけではない、まだまだ平均年齢位までは頑張ろうか


視覚障害者の被害とその加害者

2014-09-16 18:04:48 | 雑記

前のブログで全盲の女子学生に対する暴行事件に憤慨してアップしたのだが先日の報道で加害者とみられる人が見つかったたが此方も知的障害者だと言う、その事自体認識して居ない様で「責任能力」が有るか責任を問えるか分からないと言う、実に難しい問題になってしまった、知的障害者の働く施設に通う途中の事だと言う、

恐らく彼女がどう言う立場で有るか理解出来ていないのだろう、何かに躓いて転倒した、腹が立ったので蹴飛ばしたと言う事だろう、幼児の様な発想だが幼児なら叱りその場で説明すれは納得も出来よう、しかしし彼は40代だった、恐らく理解は出来ないだろう、それは又繰り返しかねないと言う事でもある、しかし彼にも当然家庭があり親御さんも居る筈で有ろう、親御さんとしてはせめて少しでも社会にかかわって生きて言って欲しいと思うのは当然だ、「外に出さないで」とはとても言えないだろう、

事件が起きて「責任能力が無く刑事責任を問えない」と言う事件も何度もある、国によっては大きな事件を起したが責任能力が問えず収監されないケースは隔離病院に入れると言う処もある、しかし矯正されなければそのまま隔離されたままになる、我が国では「精神に問題が有るだけで隔離するのは人道的ではない」と言う趣旨なのか基本的には極めて凶暴性が有って危険であると判断されない限り隔離はされない、無論民間施設で隔離に近い施設もあるが人権団体からは問題にされている、第一経済的に大きな負担になる、

しかし普段では大人しく問題が無いと言う障害者がこう言う事を起こすと言う危険は常に有ると言う事だが幸い未だ此れで障害者の隔離問題と言う話は出てきていない、しかし被害者にしてみれば見て判断が出来ないのに今回の様な事が起きたと言う事はやはりかなり精神的な負担になって来るだろう、

盲導犬にナイフを突き立てた人間は間違いなく「精神障害者」だ、それは今回の加害者より深く蝕まれている障害者だ、そして責任能力は有ると言う事は間違いあるまい、盲導犬は声を出さないと言う事を理解したうえでの犯行だ、此方は本当に許されざる犯罪者で有る事は間違いないが今回の加害者はどうしたら良いと言うのだろうか、そして被害者のフォローを我々はどうしたら良いのだろうか、

危険ドラグを売る人間、それを買う人間、彼等は充分に今回の加害者以上に精神障害者だろう、正常な判断能力を失う事を目的に摂取し、正常でも最大限の注意力を駆使して始めて許される運転行為に及ぶと言うのは「過失」の訳は無い、明らかに「故意」だろう、それを承知で販売する者は共犯者だと言われても仕方あるまい、商品にはPL法と呼ばれる法律が有る、製造者責任法だ、商品で事故が発生した時にはその商品の欠陥を証明する必要は無く発生した被害は製造者が責任を負わなければならないと言う法律だ、危険ハーブと言われる物を摂取しておきた事故の責任を取らせるのには故意も過失も証明する必要は無い、製造(販売者)とそれを承知で摂取した人間はその結果に関して全て責任を負わなければならないだろう、

「知的障害者」の犯した事に関しては責任を負わせるのはあまりに酷だ、しかし保護者の方も本当に苦労し、精神的な負担を負わされて生きて来た筈だろう、そして間違いなく自分達が先に逝く、「仕方ない」と言うには余りに大きな問題だ、

なにか廻りで出来る事は無いのだろうか、法律では無く人の生きる関わりの中で少しづつ皆が出来る事は無いのだろうか、思いやりと言う言葉が妙に陳腐な言葉になって仕舞いその事が本当の「おもいやり」の心を遠ざけてしまっている、流行語にしてはならない事と言う物がある、大切な事が今のマスコミが持ち出すと返って逆効果になりかねない、いや言葉にして確認しbなければならない様では情けない、やはり親から子に、社会全体で痛みの様に幼児期からしみ込ませてゆきたいと思うのも陳腐なんだろうか


この犯人は日本人国籍を剥奪してシリアにでも置いて来たい

2014-09-11 21:20:39 | 雑記

少し前、盲導犬が何者かに刃物で刺されたと言う、訓練されていたので数カ所を刺されていても声を上げなかったという、無抵抗で有る事を知って居たのだろう、卑劣極まりない犯罪だ、そして今度は全盲の女子高生が白杖に躓いた者から蹴られたと言う、なぜこんなに日本人(確定的ではないが)は卑劣で低級になったのだろう、人の痛み(先の話は盲導犬だが)が解らなくなったのだろう、わざわざ教える様な事ではない、普通に育っていけば必ず身に付いて来る社会性と言うまでも無い、人間が生きていく為に必ず備わって来る事だと思っていた、産まれたばかりの赤子が母親の乳房を求める事の様にごく自然に備わって来ると思っていたのだが、本能的な物ではないのか?
動物には神経が備わっている、傷を負えば痛い、火に触れれは或いは近づけば暑い、冷たい者に触れ体温が下がれば悪寒がする、全て命を守るセンサーの役目をしている、
神経が無ければ傷を負っても気がつかないで失血死をしてしまうだろう、熱いと言う神経が無ければ皮膚の大部分に火傷を負い命を落とすだろう、寒いと言う間隔が無ければ投資するだろう、命を維持する為に空腹感も備わっている、
外部からの刺激に対して身を守る様に備わっている、自分が厭な事は当然他の生き物も厭である事を理解するのは動物の本能的な物だろう、無論それを威嚇に使う動物もあるが大きなコロニーを形成する生命体はその本能を「群れ」を維持する為に使っている、
それが人間と言う弱い動物を他の生命体より大きなコロニーを発達させて来た、しかし今の社会からその社会維持の本能が失われつつあるのではないかと感じる、
簡単に人を殺す、簡単に自死する、自分の欲望を自由と勘違いしている様だ、自分だけでは絶対に生きて行けない、たとえ大金持ちでもその金で他人が動くから出来るのであって例えば食べる事や排泄する事は自分でするしかない、それ以前に自分が今居るのは親や周りの人間がいたからだ、実に陳腐だがそれが現実である、他人に今自分足している事をされたらどう思うか、そんな簡単な事が何故解らないのだろう、「世の中が悪い」と言うのは実に簡単だが判断力が無い内からそう言う発想を植え込まれれば現在の様な人間が増えてしまうのかも知れない、少し前まで当たり前の様に有った「卑怯」と言う言葉が今存在しない、時々聞くがそれは全く違った意味合いに使われている、「卑怯」と言われるのは最大の「恥」だが此の恥と言う言葉も「金が無い、物が無い」のが「恥」で有って生き方考え方に恥を感じる事が無い様だ、子供に「卑劣」「卑怯」と言う言葉の意味を正確に且つ心の奥に植え込まなければ日本は三流以下の「卑怯な人種」と言う「恥ずかしい」評価を受ける事になる、ヘイトスピーチや議員の発言で「日本人はそう言う人種だから、慰安婦の強制連行も納得できる」と言う風潮になりつつある様だ、恥と卑劣な行いを正さなければ評判では無く本当に「卑劣で恥知らずな国」になって行く、我々の世代は「恥の文化」と言う海外の評価を誇りに思っていたのだが「経済大国」と引き換えに「恥の文化」を失った様だ、


ヘイトスピーチの問題は慰安婦強制連行問題とリンクする

2014-09-05 16:38:26 | 雑記

慰安婦が居たかと言えば間違いなくいただろう、問題は強制かどうかと朝鮮人(当時の呼称)だからだと言う事になるのではないか、東南アジアで捕虜の女性をそう言う立場にしたと言うのは本質的に違う、此れも恐らく彼方此方で起きた事だろうが何処で起きようと誰が起こそうと尊厳を冒したと言う事は恥ずべき事だが根本的にこの問題とは違う、問題は普通に生活していた女性がで強制的に徴用され(と言うより拉致されて)戦場で兵士の慰め物になったと言う事だ、だから「性奴隷」と言う様な表現になっているのだろう、
日本には昔からこう言う事は有った、吉原に居た女性の殆どはこの「人買い」が貧しい農家から僅かな金で集めた女性たちだった、極貧に近い日本の農民は生まれた子供を育て上げる財力が無い、共倒れか餓死するのを見殺しにするか女衒に売り渡すかの選択肢しかなかった、昭和初期は未だ買収防止法は無い、吉原など公娼街は赤線で私娼街は青線で有る、これは名実共に「有った」訳で此処に居る娘たちは本人の意思とは関係なく「苦界に身を落とし」ていたがそれは合法的且つ認知されたものだった、しかし日本人である、
私娼の方は自ら選んだ女性達と逆に借金や暴力で落とされた女性も多くいた、これは日本だけではなく世界中どこにでもあり、今でも有る現実だ、無論それが正当化されると言う話ではない、
今韓国が問題にしているのは「韓国人である理由で強制的に行われた」という事だろう、問題はやはり強制連行が有ったのか、誰が行ったかと言う事になるだろうが私は彼女達が言っている様な事は事実だろうと思う、無論日本人も多く居たろうがそれは有る程度了承しての事ではないか、
関東大震災における風評事件を見ても大きな偏見が有ったのは間違い無い、しかし震災被害の最中になぜ「朝鮮人が日本人を殺す、飲料水に毒を入れた」と言う様な流言飛語が流れたのか、そしてそれをなぜ信じてしまったのか、恐らく当時の日本人の中に(常日頃朝鮮人と言う偏見で虐待或いは差別をしている)と言う認識が有ったのだろう、それが未曾有の災害時生き延びるのに必死の時同じ状況にある韓国人(朝鮮人)が日本人に害を与える等と言う発想自になったのだろう、底辺に居ると言う自覚が自分より下の人間がいると考える事で自らを慰めている、しかしそれは言われない差別だと言う事は恐らく皆気が付いていたのだろう、震災で秩序が破壊された時理不尽に差別していた隣人が急に怖くなったのだろう、もしかして多少のきっかけが有ったのかもしれないが多くの人間が内包していた罪の意識がああいう荒唐無稽な風評を真実味を持って広げて言ったのではないだろうか、その思いが恐怖を産んであのような悲惨な出来事になったのだろう、本当に自分の方が優れていると思っていたら態々攻撃する必要は無い筈である、今のヘイトスピーチやネット右翼の発言も同じ様な処に立っているのではないだろうか、白人が黒人に対して持つ優越意識は恐らく奴隷制度の残渣があるだろうが白色人種が有色人種に浴びせる肌の色と言う差別意識は裏返せば肌の色位しか優越意識を持てないと言う事でもある、明治以前の日本人からすれば白すぎる肌こそ病的な印象しかない動物学的に言えばアルビノである、
しかしそんな事を言いたてても不毛な話である、問題は「慰安婦の強制連行は有ったのか無かったのか」と言う一点だ、アフリカの女性が「性奴隷と言う表現は正しい」と発言したがその聞き取りは全て訴えている韓国女性である、日本が今国際的に評価を落としているのは日本人が行ってきた負の問題に正面から立ち向かわないせいだ、日本政府の公式見解など「世界で一番危険な政治家」とまで言われている自民党帝国主義志向政府では信頼をうる事は難しい、事実を検証し間違いを認めその上で今の中韓に対して反論すべきだろう