梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

官僚制度はこのままではいけない

2012-06-29 18:06:41 | 雑記
官僚の評判が悪い、頗る悪い。辞書で調べてみると「公務員のこと、とりわけ国家公務員を指す」とある、
そこで国家公務員を新辞林で見てみると「国に雇用されて国の公務に従事する人」と書かれているが官僚の項に「一般に事務手続きを主にする職員を呼び、現場の警察官や消防士、或いは国会議員は「官僚」と呼ぶ事は少ない」とある、
確かに国家公務員の評判が悪いわけではない、まあ一部の不祥事と国会議員を除いてでは有るが。
実質的に政治上の権限を有しているにも拘らず、公選で選ばれたわけでもなく、個々の責任の所在も明確ではない、
と言うより全く無い(リコール等による罷免が困難である)と書かれているが第一罷免の方法が有ると言う事すら一般国民は知らない、「そのため最近の民主国家においては批判も多い、」と言うのが世界的な評価なのだがそのシステムを管理しているのが他ならない「官僚システム」では実に厄介だ、
「古代中国の王朝が存在しえたのも整備された官僚制度と能力の高い官僚が居た為であるが官僚が国家経営の権限の多くを握り、組織内部の縄張り争いや極端に肥大化した権力構造が結局国家を傾けた事実が存在する」と言うキャプションが着いている
まさしく現在日本が置かれている「官僚システム」はこの「極端に肥大化した権力構造」であり、国民が政治を託した議員の事務から逸脱して彼らの意向に沿わない政策には露骨に手を貸さないと言う話を漏れ聞く、
優秀な事務方である高級官僚でも実際の事務処理はノンキャリアと言われている高級官僚とは別な方々の大変な努力で行われていると言う事も知られている、
ならば実際の事務手続きをしているノンキャリアに対して直接議員が指示を出す事が出来る様に出来ない物だろうか、
無論、事務が解るだけでは無理な事も多いだろうがあらゆる組織を一部のキャリアが全て握って意に沿わない政策は一切手を貸さないという事もキャリアからではなく命令書を政府から直接出せるようにして遅滞無く処理をしなければ職務怠慢として何らかのペナルティをかせる方法は出来ないのか、
無論監督官たる「キャリア」に一番重くかせる事は当然である、これは思いつきだから無理があるだろうが今全国民からアイデアを募り今国家を傾ける可能性のある「官僚システム」に何らかのメスを入れる方法を考える事が重要だ。

官僚制度はこのままではいけない

2012-06-29 18:06:41 | 雑記
官僚の評判が悪い、頗る悪い。辞書で調べてみると「公務員のこと、とりわけ国家公務員を指す」とある、
そこで国家公務員を新辞林で見てみると「国に雇用されて国の公務に従事する人」と書かれているが官僚の項に「一般に事務手続きを主にする職員を呼び、現場の警察官や消防士、或いは国会議員は「官僚」と呼ぶ事は少ない」とある、
確かに国家公務員の評判が悪いわけではない、まあ一部の不祥事と国会議員を除いてでは有るが。
実質的に政治上の権限を有しているにも拘らず、公選で選ばれたわけでもなく、個々の責任の所在も明確ではない、
と言うより全く無い(リコール等による罷免が困難である)と書かれているが第一罷免の方法が有ると言う事すら一般国民は知らない、「そのため最近の民主国家においては批判も多い、」と言うのが世界的な評価なのだがそのシステムを管理しているのが他ならない「官僚システム」では実に厄介だ、
「古代中国の王朝が存在しえたのも整備された官僚制度と能力の高い官僚が居た為であるが官僚が国家経営の権限の多くを握り、組織内部の縄張り争いや極端に肥大化した権力構造が結局国家を傾けた事実が存在する」と言うキャプションが着いている
まさしく現在日本が置かれている「官僚システム」はこの「極端に肥大化した権力構造」であり、国民が政治を託した議員の事務から逸脱して彼らの意向に沿わない政策には露骨に手を貸さないと言う話を漏れ聞く、
優秀な事務方である高級官僚でも実際の事務処理はノンキャリアと言われている高級官僚とは別な方々の大変な努力で行われていると言う事も知られている、
ならば実際の事務手続きをしているノンキャリアに対して直接議員が指示を出す事が出来る様に出来ない物だろうか、
無論、事務が解るだけでは無理な事も多いだろうがあらゆる組織を一部のキャリアが全て握って意に沿わない政策は一切手を貸さないという事もキャリアからではなく命令書を政府から直接出せるようにして遅滞無く処理をしなければ職務怠慢として何らかのペナルティをかせる方法は出来ないのか、
無論監督官たる「キャリア」に一番重くかせる事は当然である、これは思いつきだから無理があるだろうが今全国民からアイデアを募り今国家を傾ける可能性のある「官僚システム」に何らかのメスを入れる方法を考える事が重要だ。

祈りの心

2012-06-28 09:47:07 | 雑記
台湾製のPCメイン基盤に「GOD BLESS JAPAN・日本に神のご加護を」と言うプリントがあったと言う、普通には絶対に見る事の無い所にひっそりと書かれたこの文章に心から感謝する、



声をあげ、義援金を募って今回の震災に手を貸してくれる事の有難さも然ることながら恐らく目に留まることの無い場所に書かれたこの祈りは我々がその便利さと引き換えに失ってしまった人本来の祈りの心を見る思いがする、
その最先端の技術基盤そのものに書かれたのが人々が古来から培ってきた人間文化の大事な根幹を見る事で私達も忘れてしまった心を再度見直す事が必要なんだろう、
祈りの言葉や方法は違っても祈る心は同じ、自分以外が蒙った災害に普通の生活の中でごく自然に「神のご加護を」と祈る心に敬意を払うと同時に私達も同じ様に立ち居振る舞いの中で自然に祈れる様な生き方をしたいと反省させられた記事だった、
「神のご加護を」と言う祈りは恐らくキリスト教以前の絶対一神教の祈りだと思う、
旧約聖書の中の「ソドムとゴモラ」の中で神(ヤハウェイ)は乱れた二つの市を滅ぼすとから神に従順なロトの家族に街を出る様に伝えてから天空から火を降らせて滅ぼしてしまう
天災が神の制裁だと言うなら東北の良民達に被害がこれほど及んでしまったのか、それでも皆希望を持って立ち上がって来た、此れからの被災者達に本当に「神のご加護を」祈りたい、
しかし神の怒りを受けるべき現在の「ソドムとゴモラ」の住民はまた同じ様な町を作る事に躍起になっている、今度神の鉄槌が振り下ろされるとしたらもう一度同じ街を作る事を黙認したら町を懐かしんで振り返った為に「塩の柱」になった彼の妻のように「ロト」も同罪になる。
(今はソドムとゴモラの話は同性愛の代名詞でソドミーの語源である事は承知です、幼い頃母から聞かされた子供に聞かせられるソドムとゴモラと言う事で)

日本が欲張りだったから戦争になったんだ

2012-06-27 15:51:22 | 雑記
先週末遊びに来た孫と此処の所恒例になっている銭湯に行く、その帰りに小学6年生になった孫が「爺、昔日本とアメリカが戦争をしたと言うのはほんと?」と聞かれた、
「そうだよ、」と言ったら「じゃあ日本はアメリカに勝ったの?」と言うので「負けた、無条件降伏と言って完全に負けたんだ」と言ったら「じゃあ何で日本とアメリカが戦争を始めたの?」と言う
詳しい事を話しても解らないだろうし実際我々も正確に開戦事由を理解している訳でもないのでとりあえずシンプルに開戦の切っ掛けになった満州事変の事を「満州国」の成り立ちから解る様にと話してみた、「中国の人は怒らなかったの?」と言う疑問に「怒ったけど戦争をしたくなかったんだ」と言うと「じゃあ何故、中国の事でアメリカと戦争になったの」と言う、
「アメリカだけではないけど”日本のやっている事はいけない”と言う文句が出て同じ様な国もあってその国と一緒に結局戦争になったんだ」と言う話をした、原爆の話もあまり理解していなかった様だが満州立国から日中戦争、日米戦争と言う経緯を簡単に話したら「じゃあ、その戦争は日本が欲張りだったから始まったんだ」と言う返事が来た、「そうだね、欲張ったからあんな戦争になったんだね」と答えながら(確かに実にシンプルで本質を突いた話だな)と思う、
大抵の争いは一方の、或いは両者の「欲」から起きる、国同士の争いは自国の経済では満足せず他国に富や資源を求めて始まる
為政者の政局争いも煎じ詰めれば互いの欲が対立し、互いに他方の要求を自分の欲に押し込める所から始まる
本当は政局は国民の利益の為にある筈なのに国民の意思、抗議を全く無視して政局を進めると言うのも国民と政府の争いである事は間違いない、
野党との争いは解り易い「欲」だが国民の抗議に耳を貸さず一般庶民との戦争に駆り立てている「欲」は一体難なんだろう、
政治家の「欲」は国家の安定と国民の安寧な生活だと思う、もう一度原点に立ち返って貰いたいものだ

労音の頃

2012-06-26 11:48:30 | 雑記
15歳で上京し日立製作所亀戸工場と言う所の臨時工になった、1年弱で試験を受けて正規になって19歳後半まで凡そ4年半勤めたがこの時期の思い出が一番濃密だった気がする、
その頃の現業職には地方からの就職組みと近隣の中卒が居て都内採用者は「職業訓練生」通称「職訓」と呼ばれていて最初の1年は週に何日か教育時間が有った、
臨時工は年齢はばらばらで入ってくるので同期の者より訓練生の方が若いが待遇は上だった、
勤務していたのはレントゲン課と言う所で其処だけで300人近く居る、
中学卒業で入社した者が殆どで高卒は事務職にしか居なかった、(臨時工は別だが)
課の中に幾つかの組が有り自分が居たトランス組と言う部署だけでも50人以上居たと思う、
組長と言う肩書きの方は自分が入社した時で恐らく50代だったろう、職訓で出そうだがこの学歴だと最高で組長までだった、
300人の課長はI課長と言う方で自分が退職する1年位前に「退職前ご祝儀昇進」だと言われていた東北の工場で部長に移動して言った、学歴は知らないが恐らく大学だったのではないか、
ある時本社に入社して1年程経った幹部候補生が実習に半年レントゲン課に来た事がある、
大学を卒業して本社に入って1年後だから多分24歳程度の筈だがこの幹部候補生が最初に出社した時に課全員を集めて課長が紹介したのだがその後現場を見廻るのに課長は一方城から敬語で説明をしていた、この状況を見て(自分は此処に居てもずっと平の職工から出られないな)と思ったのが退職するきっかけだった、
しかしそれ以外は当時としては福利厚生はしっかりしていて周りは未だ週休だった頃から土曜半日になり隔週休みになり、真っ先に週休2日になった、社内には食堂の他に床屋も診療所もあり給金の不足を補って余りあった、当時の給与明細を見ると税込みで8700少々、税金と年金を引かれ組合費等を引かれると残りは7千円強だったが寮は800円位で食堂が付いていて更に後楽園の券が半額だったりでそれ程不満は無かったのだが他の同僚はかなり不満があった様だ。
組合誌で「労音」をしり、何度か言って見て音楽や舞台の楽しさを覚えたのも労音からだった
覚えているのはどちらかと言えばビッグバンドで「東京キューバンボーイズ」や「有馬徹とノーチェクバーナ」、コーラスの「ダークダックス」ともう1つが思い出せないが似た様なブループ、その頃は歌声喫茶が未だ残っていてロシア民謡は定番なので結構人気はあった、
此処で舞台の面白さも覚えた、「山城国一揆」と言う舞台を見に行ったのだがこの時「多々良純」と言う俳優を知った、ミュージカルだったような気もするが違うかも知れない
場所は新宿の厚生年金会館だったと思うがこの後暫く舞台は見なかったがその後東宝関係の会社に入ったお陰で新宿コマと帝劇を見る事が出来たのだが仕事の休憩に見るので妙にぶつ切りで余り楽しめなかった、50代になってから女房と大田区の演劇鑑賞を使って年に何度か行くが中々好みの舞台は見られない