梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

教育者の立場と個人的立場をわきまえて貰いたい

2011-05-31 08:48:56 | 雑記
歌斉唱と起立の問題で最高裁から「違憲とは言えない」と言う判決が出て棄却が決定した、この事について原告が個人の思想に制限を加える事だと言うコメントを出しているが此れは問題の論点とずれている。
個人の思想について制限すると言う判決理由ではない、
式典で全員が起立して国家を斉唱する事が思想に対する抑圧だと言うのは全く違う、「決められたことは守りましょう」と言う簡単な話しだ。
彼らは起立が駄目なのか、国歌が駄目なのか両方とも気に入らないのか解らないが仮にそれが天皇制や戦争の記憶と重なる、或いは全体主義的なと言うなら「歌詞が気に入らない」と言う事だろう、成らばそう言って世間に問うてゆく事が筋だ。
「公務員は」と言ったコメントも見られたが一般会社でも例えば入社式の時社歌が有って起立して唱和すると言う会社もある、
この時に「社歌の歌詞が自分の意に沿わないから」と起立を拒否すれば其れだけで首には出来なくても上司に呼ばれて叱責を受ける事は誰でもわかるだろう、
個人の思想と全体で行う行事は違う物だ、特に教職にある人間が生徒の前で「自分の意見と違うから決まりには従わない」と言うのは教育者と言う立場をわきまえない行為だろう、
国歌、国旗は要らないと言う意見は恐らく世界的には考えられないが「歌詞が納得出来ない」なら同意権の国民を少なくとも何万人か署名を集めて提出するのが本来の方法だろう、教育者と言う人種は子供相手しかしていないので大人の世界が解らないと言うのは子供の面談で小中学校に行って見てよく理解しているが教員も何年かに一度は一般社会の勉強をさせる方が良い、
もう少し子供の扱いも変りPTAに対する対応も上手に出来る様になるだろう。


出勤の途中に小さな鉢植えの「ぐみ」の木がある、子供の頃川の岸辺や灌漑用の溜池の土手に良く植えられていて良く採って食べた、しかし都内で見るのは珍しい、春ぐみと秋ぐみと有るがどちらかは渋くて食べられない筈だがどちらだったか忘れたな、





枇杷は未だ早い、去年は豊作だったが今年はどうだろう


親子三代、メールと会話の妙

2011-05-30 14:34:33 | 日記
午前中で長かった雨も取り合えずやんだ、予報では明日いっぱいは降らないらしいが梅雨に入っているので晴れ間は少なそうだ、通風の痛みがどうにか治まったので又少し歩き始めたが雨が降ると中々億劫だな、この鬱陶しい季節が終えると今度は暑い日が始まる、エアコンを控えてと言われているのでそれも憂鬱に成る、昨日は午後から孫が来て女房のPCでゲームをやっていたが兄の方が中学3年生になり弟も5年生になったので流石にそうは煩くない、こっちは酒を飲みながらテレビを見ていたが子供が近くでわさわさしている雰囲気も中々良いもんだ、
兄の方が来月修学旅行に行くらしいと弟から聞いたので小遣いを上げようとメールを入れたのだが返事が実に面白い、会話にならないのだ、
私「修学旅行だって?何時から何処に行く?小遣い程度を上げるから都合の良い時においで」
孫「大丈夫」
私、”大丈夫”に矢印つきで「↓意味不明」
孫「えっ?」
私「何時から何処に何日行くんだ?小遣いなら遠慮するな」
孫「じゃ貰いに行く」
結局何時から何処に何日行くのかも何時うちに来るのかも解らない、此れは来た昨日直接聞いて近畿三県に6月7日から3日間と解ったがバトミントンクラブに所属していて「今度との大会に出るんだ」と言っていたので「頑張ってるか」とメールを入れたら返事は「Yes!」だけだった、仕方ないので此方も「Good!」とだけ返しておいた。
娘に聞いたら「友達とは随分やり取りしているけど」と言う事だったがおかしな奴だ、そう言えばその娘も会話を主語抜きでするので小学校高学年から中学2年くらいまで日記を書かせた事が有った、しかし娘と息子に言わせると「主語抜き会話はお母さんからの遺伝」だそうだ、
確かに子供と女房が話をしているのを聞いていると両方で主語を抜いて話すので中々噛合わず自分が通訳をした事がかなり有る、
女房の話しは確かに面白い、聞かれた事に少し考える時があって一拍置いて返事をしたら全く関係のない話をしが返って来て「さっきの話は?」と聞くと「もう終わった」と言ったり、此方から何か話し掛けても違う話が戻って来るのでそれに答えていたら突然さっきの話の返事が来たりする、この会話にもだいぶ慣れた、お陰で退屈はしない、
息子は「何の話をしてるのか理解できん」とよく言っている、娘は此れに輪をかけて話しがとっ散らかってゆくのでこの母娘で買物に行く事があるが会話が成り立っているんだろうか心配になるが当人達はそれで不思議でも何でも無いのかも知れない。

近くの保育園の庭に咲く花で昔から気になっていた物がある、何かの本で見かけたがなんと言う花だっただろう、




色が白ならブラシみたいだが木なりで結構大きくなり枝にびっしり咲く、今時分はもう殆ど枯れているのだが気にしていると結構彼方此方に咲いていたな

せめて情報位は正確に出せないのか

2011-05-29 10:45:00 | 雑記
今度は5号機の除熱装置が停止したと言う、予備に切り替えて午後には大丈夫だと発表があったらしい、「昨夜の午後9時過ぎに作業員が停止しているのに気がついた」と言う事だが「作業員が停止しているのに気がついた」と言うのではあまりに情けないだろう、電気系統が停止したらワーニング警報を出す位簡単な自動装置だ、此れが最先端の設備だと言うのでは情けなさすぎる。
国会はまた野党が不信任の提出を叫び、与党から「なら解散総選挙」という抵抗が有ると言う、
今総選挙が出来るかどうか考えなくても解る事だ、野党も何度同じ事をやり、与党も野党のみならず国際的に不評をかこっている菅内閣の維持に拘泥すると言う図式はとても国を運営しているとは思えない、
もっとも「国内外の菅内閣不審」と言うのも今のマスコミではどこまで信用できるか解らない、あまりに情報に信頼性が無くなっている、放射線の数値すら今の情報は信用できずやむを得ず地方自治体や民間が調べると国がその発表を抑えると言う話まで出ている、
我々は何を信じればいいのか、せめて地方自治体の主管による情報を公の力の及ばない通信メディアで流してもらうしかないのだろうか、
恐らく主観の交じった誤報道や意図的な物も交じってしまうが多くの利用者がやがて淘汰してくれるだろうと思うしかない、
今のマスメディアが官と癒着しているとしか思えない報道より正確な物が期待出来るだろう、
原発問題も出来れば現場作業者から匿名で情報を流して貰いその中身を吟味取捨選択するしかもう信じられるものは無くなって来た

紫陽花が見ごろになる

2011-05-28 18:17:59 | 雑記
金曜日、関東甲信越が入梅したらしい、去年より12日、例年より14日早いと言うが確かに今日は朝からずっと雨だ、この時期の花はやはり紫陽花だ、彼方此方に名所が有るがやはり有名なのは鎌倉の明月院だろうな、川崎の長尾にも有る、足柄の方には道沿いに奇麗に咲いている所が有るし群馬の沼田にも静岡の袋井近くにも有って言って見たが自分はあまり知られていない所で見つけた紫陽花の方が好きだ、
品川神社近く、国道1号線から山手通りを少し北に行った所に東海時と言う古い寺がある、此処の本堂前にある一株が朝日に映えている所を写してきたが此れが一番のお気に入りだ、しかし此の紫陽花は西洋紫陽花なので江戸の時代には恐らくなかったのだろう、



此処から更に北に行くと沢庵禅師の寺が有るが名前は忘れてしまった、
西洋紫陽花はシーボルトが母国に持って帰り其れが広がって改良が繰り返されて戻って来たらしい、改良されていない紫陽花はたしかに地味だが更に原種だと言われている山紫陽花、珠紫陽花と言う紫陽花が林道を走っていると良く見られる、此の紫陽花は花が咲いても解らない位だが蕾が素晴らしい球状で其れが可愛らしい。蕾の時期が長く実際に咲くのはかなり遅れる、場所によってはコスモスと並んで咲いていたりする変な紫陽花である、
鉢植えの紫陽花は全て西洋紫陽花だがこれは結構強い、家が有ったころ縁日でかって来た紫陽花を1坪位の庭に植えてみたらしっかり根付いてどんどん大きくなって葉の付いた部分の直径は3m位に育ち毎年奇麗に花を見せてくれたが、
その家も今は人手に渡った、今は台所で野菜の切れ端を育てる位が関の山、何とか又その位はやりたいもんだが、
どうも最後がつまらない話になった、紫陽花が奇麗だと言う話で締めくくるか

馬込の麦畑から思い出の映画

2011-05-27 09:40:08 | 雑記
散歩するコースの中に麦畑が有る、23区だがこの辺りには少しだけ畑が有るが麦畑は珍しい、田舎で作っていたのは小麦だったが此れは大麦か?随分時間が経ったので記憶があやふやだ、





所によっては田に秋に米を収穫した後麦を植える所が有るらしいが私の田舎では畑だけで作る、
山肌を開いて作った畑なので緩く傾斜している、田と違って水をためる必要がないので段々畑ではない、幾つか段々にはなっているが畑の面は傾斜地である、
背は1m程度なのでその間が子供の遊び場になっていた頃の埃っぽい空気を思い出した、
収穫は初夏なので「麦秋」と言う言葉が有るがこの名前の映画がある、小津安二郎の映画で原節子の名前が売れているが私は宮城千賀子の若い雰囲気が好きだ、
この頃の映画は今見ると確かに大人し過ぎるがそれなりに見ごたえがある物が多い、洋画と邦画と言うジャンルに分かれていて洋画はフランスとイタリアが主だった、
アメリカやソ連も有ったがソ連製が出て来たのはこの頃より20年位後か、昭和40年代に成ったと思うが国策的な映画だったせいで大作が多かった、
「戦場」と「カラマーゾフの兄弟」を見たが見ごたえが有った、この頃のアメリカ映画は娯楽性が強かったがフランスとイタリアは質の良い文学的な作品が多かった、「映画だから出来た文学作品」と言える物が多くあったがアメリカ映画は徹底して「娯楽作品」を追及していたらしい、
それでも西部劇やミステリー、ヘミングウェイの芸術性のあるものも有った、やがてミュージカルが出て来てジャンルを形成しそれなりに素晴らしい物が出て来たが「ポセイドンアドベンチャー」「タワーリングインフェルノ」などのパニック物から段々こけおどし的な作品になって行く、
ジョージルーカス辺りから面白い形も出来てきたがスピルバーグで完全に御伽噺を動画で見せると言う形式になってしまった、彼らは黒澤明監督の信奉者で黒澤作品に刺激されてと言うらしいが黒澤作品の娯楽部分しか継承していない、
確かに黒澤作品のシリアスな物はかなり日本人的な重さと歌舞伎や能の舞台を映画にする手法はアメリカ人には分かり難いかも知れないが「スターウォーズ」はとても黒澤的とは言えまい、
「荒野の7人」は確かに黒澤的だったがそれ以外は黒澤的娯楽表現しか継承出来ず結果として映画は子供の娯楽になってしまったのは実に残念だ、もっとも日本の映画はもっと酷い状況だ、映画が「映像芸術」の一部だったのが今では単なる「映像ビジネス」に成ってしまったのだから仕方がないだろう、映像ビジネスに徹するならなら放送と言うメディアにかなう訳もない、