梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

三人のジャンと映画音楽

2016-04-30 08:30:50 | 雑記
ヨーロッパ映画と言えばイタリアとフランスだ、イタリア映画に比べてフランス映画は娯楽性の高い物が多い、ドタバタからギャング物、アランドロンの太陽シリーズ(日本名だが)の様な退廃的な物も同じくアランドロンも出て居た「世にも不思議な物語」の様な物オムニバスまである、俳優として好きなのはどう言う訳か男優しか出て来ない、
ジャン・ギャバンは壮年になってからの映画しか知らないが殆どはギャング映画の印象が強い、「ヘッドライト」は残念ながら未だ見て居ない、
「現金(げんなま)に手を出すな」「地下室のメロディ」は見たが正しく貫禄の有る演技で魅力的な役者だ、
ジャンポールベルモンドは幾つか見た、アランドロンと共演した「ボルサリーノ」同じ様なチンピラ役の「勝手にしやがれ」コメディも「おかしなおかしな大冒険」等々、此方も未だ見て居ない物がかなりありそうだ、
ジャン・レノは余り見て居ないが殺し屋が少女の為に仕事を失敗して殺されてしまうと言うストーリーだった気がするが彼も風貌から「非常な殺し屋」と言う印象が余りない、テレビのCMでドラエモント言うのも中々良いね、
ジャン・ポールデルモンドの作品の中に「ある晴れた朝突然に」と言うのが有るが此れも見て居ないのだがテーマ曲が印象的で良く覚えて居る、「ヘッドライト」のテーマ曲も哀愁の有る好きな曲の一つだが当時は「映画音楽」と言うジャンルが有った、今でも新聞の通販で「映画音楽大全集」が良く出ているので未だに人気は有るのだろう(団塊の世代前後にだろうが)
自分も10代後半にSPで、20代になってからLPで何枚も買った、有る年年末福引で商品券が当たったので5枚組の物を購入した事が有る、
西部劇では帰らざる河のレッドリバーロック、大砂塵のジャニーギター、シェーン、皆殺しの歌、戦争物では史上最大の作戦、北京の55日、戦場にかける橋、ミュージカルではドレミの歌、チキチキバンバン、サスペンスは死刑台のエレベーター、等多岐にわたりどうしても見たくなって古い映画を掛けて居る映画館を探して見たり、TVの放送を探して見た、最近は自分の感性が衰えたのか今の映画の曲と言うのが入ってこない
楽団も常連が有ってヘンリーマンシーニ楽団が色んな映画の曲を作っていたが「小象の行進曲」は秀逸、シャレードもこの楽団だったと思う、マーチではミッチミラー合唱団の曲が殆どだったが考えてみると日本とドイツが敵役なのに結構夢中だった、そう言えば当時夢中で見て居た「コンバット」も「ギャラントメン」もヨーロッパ戦線でアメリカ軍がドイツ軍をやっつける話だったな。
少し後に「マカロニウェスタン」と言う奴も流行った、「荒野の用心棒」と言うのは黒澤の用心棒そのまんまだったらしいがエンリオモリコーネのテーマ曲とジュリアーノジェンマの汚れたシルエットが相まって印象が強かった、クリントイーストウッドも出て居た、
イタリア映画の曲は「刑事」のアモーレや「ひまわり」のテーマ、「誘惑されて捨てられて」等があるが特に「誘惑されてすれられて」は映画自体あまり売れなかったと思うが曲は流行った、と言うより自分が好きだったと言うだけかもしれない。
「鉄道員」は曲と言うよりイントロの女性の声が印象的で曲自体が良く覚えて居ない、
「第三の男」と「禁じられた遊び」のチターも良く聞く曲だが数え上げればきりがないな
GWにレンタルVTRでも借りてみるか

跳弾と昔映画

2016-04-29 07:52:08 | 雑記
TVドラマの「9係」で”跳弾”と言うのが有った、銃弾が跳ねる事だがそれで幾つか思い出した、まだ10代の頃「片目のジャック」と言う映画を見た、マーロンブランド主演の西部劇でクライマックス近く敵役を荒野の岩山に追い込み岩の裂け目の様なところからライフルを内掛けるのだが角度を変えて打ち込んだ弾丸が岩の隙間を激しく往復し相手を倒すという場面が有った、私は漫画の「ゴルゴ13」の愛読者で恐らく第一作から読んでいると思うがその中に協会の鐘を使って跳弾による狙撃というのも有った気がする、
上記のドラマでも足元に威嚇発砲したものがコンクリートの床から跳ね返って被害者の足を貫通し後方のドラム缶を貫通するという物だったが実際には跳弾ではライフルの回転は維持できず盾に回転するはずだから太腿の貫通も難しいし射出孔もかなり大きくなりその後に後方のドラム缶に小さな孔を開けるのはむずかしいと思うがまあそれは良いか。
マーロン・ブランドはその後「ゴッドファーザー」で見たがこの時は役作りだろうがかなり印象が違っていた、最近「欲望という名の電車」を見たがこの時がデヴューか或いは出世作らしい、若者の未熟さが好演されrていたと思う、その他の映画は見ていないが一度探してみようかと思っている、
しかしあの頃は映画が面白かった、フランスとイタリアの映画が好きだったが何時か衰退してしまった、変わって台頭してきたのがアメリカ映画だがそれなりに脚本がしっかりしていて楽しめた、「卒業」と言う映画が評判になったが主演のダスティ・ホフマンはその前の「真夜中のカウボウイ」が秀逸だった、彼は助演に近い位置だったがバスの中で下が止まら無くなって相棒に「駄目だ、みっともないよな」と言いながら息を引き取った場面が印象的だった、
アメリカ映画が娯楽映画で世界を席巻するのは恐らく「スターウォーズ」がきっかけだろうがその前いわゆる「パニック映画」で興行を成功させた頃からだろうか、最初の「ポセイドン・アドベンチャー」はそれでも人間が主に描かれていたが「柳の下の泥鰌」を目論んだ作品はどんどん中身が無くなって来た、「タワーリング・インフェルノ」は救出と「マックイーン」で”辛うじて”映画になっていたが「大地震」に至っては大音響で脅すだけの映画になってしまった、
スターウォーズは昔話の「火を噴く流に攫われたお姫様を旅の若者が救う」と言うストーリーとクロサワ映画の戦闘シーンを組み合わせた映画だし、ハリーポッターも魔法の学校ではストーリーと演出を楽しめるものではない、悪いが幼児が喜ぶ話は大人は微笑ましくとも楽しめるものではない、
まあ、全て私の考えでしかないが映画の衰退をみれば強ち間違いとは言えないのではないだろうか、最近のTVも映画も原作が漫画と言うものが多いが漫画好きな私としても情けない話だ

眼鏡を新調した

2016-04-26 08:59:51 | 雑記
眼鏡を新しくした、元々近視だったが十数年前から遠視も進んで来て遠くを見るのと近くを見るのでは一つの眼鏡では間に合わなくなってきた、運転用とディスク用と2種類を作り本や新聞を見るのは裸眼で読んでいる、
数年前に運転用の方を作り変えて先週仕事用に使って居たのを作り変えた、寝床でタブレットを裸眼で見て居ると左右のピントがかなり違う事に気が付き、それが妙に気になって来たので検査をして貰い作り変える事にした、
近視と乱視が混ざっている、遠視はそれ程進行して居なかったが「左右のピントが合わないと肩凝りから頭痛もでますよ」と言われたが確かに長時間作業をすると頭の後方が痛くなる、此処数カ月続いていた酷い方の痛みと腕のしびれは頚椎軟骨の摩耗による物だったが視力も関係しているかもしれない、そろそろ本体の耐用年数も切れかかって来たのだ、良いと言われる事は出来る限りやっておこう。
今は随分色んな作り方が有る様で随分前から有った遠近両用が今は遠中近とか遠中とか中近室内用とかに分かれて作る事が出来ると言う、今回は此の「室内用」と言う物になったらしい、「なった」と言うのは最初からどのタイプと言うのではなく眼の状況に合わせ且つ使用する条件に合わせてフルオーダーと言う作り方でその結果が「室内用」と言う事の様だ、
ディスプレイの距離と位置(視線の角度)原稿を置く場合の手元の角度と距離を想定しそれに合せてレンズの設計をした上でオリジナルレンズを作ると言う、幾つかのレンズをセットして此れで良いと言うレンズをオーダーし先日出来あがって来た、
取敢えず家で見たのだがPCがノートなので若干違和感が有る、翌日会社に持って来て作業用のディスプレイで試してみたがどうもしっくりこない、色々試してみて此れで良く見えると言う角度と距離を確定したが店で考えたより意外と遠かった、通常無意識に使って居る道具と言う物は別の場所で考えると随分解らないものだな、
もう少しこうしたいと言ってもスペシャルオーダーだ、それもレンズその物だから直しようは有るまい、此れから眼の方を眼鏡に合わせて行くしか有るまい、
昔徴兵された時支給された軍靴が合わなかったら「体を靴に合わせろ」と言われてと聞いたがまあ眼の方は多少慣れが有るので何とかなるだろう、作り変えるには余りに高額だ、
そう言えば昔「二等兵物語」と言う映画が有ったな、花菱アチャコと伴淳三郎だったが新兵が一等兵や上等兵に虐められる場面が続く映画だった、見たのは子供の頃だったので最終場面がどうだったか覚えて居ないのだが未だ観客の殆どが出征の経験者だった筈だがあの映画を笑って見て居たのはどんな気持だったのか、私が上京した頃未だは電車の中を傷痍軍人が白い服を着て廻っていた事が有ったが昭和40年代だったから殆どは偽物だったんだろうな、
「私は貝になりたい」や「黒い雨」、「姫ゆりの塔」等は戦後復興期に作られた映画だが高度成長時代であっても敗戦の記憶は未だ濃密に残っていた時代だった、終戦後に生を受けた団塊の我々もその敗戦の残渣の影響は受けて居たと思うが安倍政権の年代は更に受けて居たのではないかと思うのだがあの行動を見て居ると大戦前の「帝国の栄光」の亡霊が取りついているのではないかと思ってしまう

職業軍人は戦争が仕事だ

2016-04-24 08:03:50 | 雑記
制服組が発言を強めているらしい、戦前は一般的に「職業軍人」と呼ばれた輩である。名前の通り「職業としての軍人」でありその仕事は戦争だ、つまり飯の種は「戦争」である、マーケットは戦場でありセールスポイントは戦力でマーケットは「紛争」だといえる、「専守防衛」は言わばガードマンであり客(外敵)がこなければ商売にならない、
しかしそれではあまり大きな利益はない、そこで営業に廻る事にした、
営業先は先輩の「紛争訪問販売国アメリア」がいくらでも用意してくれる、しかし営業を手伝ってくれれば当然口銭がいる、或いは「アメリカ製」の武器を使えばアメリカは十分に利益が出る、言わば「代理店」だ、
しかし「職業軍人」は殆ど窓口には立たない、立つのは契約社員の自衛官で将校に比べれば格段に安い報酬で命を的に前線に立たなければならない、自衛官募集で集まらなければメーカーの意向に添えないから恐らく徴兵と言うことになるだろう、戦前の日本帝国は台頭した軍部が政策を握り「皇室」を人質にして「統帥権」と言う強権を駆使し「軍部」と言う施政とはかけ離れた組織が国民を駆り立てた、
またぞろそんな空気が漂ってきた感がある、戦前でも敗戦後でも巨額な利益を貪ってきたのは維新の頃政商としてのし上がった財閥だ、彼らにあるのは大義ではなく「利益」だけだ、今世界の不平等はやはり偏りすぎた大資本が小さな国の国家資産以上の金を意図的に運表することに有ると言うのは周知のことだろう、
紛争を解決する手段より紛争が起きない手段を考えるのが基本だろうが今の政府は紛争に勝つのが解決の手段だと思っているようだ、軍需国家、兵器産業国家はマーケットとして紛争が無ければ成り立たない、アメリカが「世界の警察」として成り立つには兵器が売れる素地が居る、税金を使ってまで多国間の紛争に口をだすのは決して「世界の良識」などではなく最大の消耗である兵器のマーケットを維持するためだと言うのは考えすぎだろうか、ISの兵器もアメリカとEUから供給されている事は間違いないのだから国家を上げて「兵器産業」の販売先を徹底的に抑えれば彼らが銃や弾薬を手に破壊と殺戮をすることは出来ない、駱駝にのって半月刀を振り回したところであれだけの殺戮は無理だ、
社会主義は成り立たないだろうが今の行き過ぎた自由経済もそろそろ破壊的にあ状況になったのではないだろうか

川内原発の近くだったのは「警告」かもしれない、「「まだ懲りないのか!」と

2016-04-21 17:46:51 | 雑記
九州の地震は未だ収束しない、今回の断層列には直接入って居ないが隣の鹿児島県川内原発の直ぐ近くに断層が有る、地元だけで無く全国から「一旦停止すべきだ」と言う意見が出ているにも関わらす政府は「異常は見つからないから運転を続ける」と言う、
異常が見つかったら止めると言う事かもしれないが異常が見つかった時停止出来るかが問題なのだ、福島被災では止まらずメルトダウンを2日目に引き起こしている、この事実は今年まで隠されて居た訳だが暴走からチャイナシンドロームに行かなかったのは全く奇跡的な事で有るのは世界の原子学会で認識されている事だ、
今の連続した地震は全ての震源が陸上なので直接被害は甚大だが津波は起きなかった、しかし川内原発に近い活断層は海底である、此処が動いたら当然津波が考えられるだろう、確かに今回の断層のずれは水平方向だったが誘発される恐れのある海底断層が上下活動を起こさないと言う保証はない、
海岸近くにある川内原発が津波に襲われれば福島の二の舞になる事は容易に想像できる、
「転ばぬ先の杖」と言う言葉が有る、それを怠った東京電力の教訓は全く生かされて居ないのではないか、「後悔先に立たず」と言うが起きた被害の補償は国に任せている東京電力はその「後悔」すらしていない様だ、
原発と言うのは原爆をゆっくり爆発させている構造である、中性子の減速が制御不能になればそのまま原子爆弾だ、福島もまかり間違えば半径50km程度は消滅する可能性だって有った筈だ、立地補償金、廃棄物保管等を入れればコストは他のエネルギーより格段に高額だと言う、なぜそれほどまで原発いを推進するのか解らない、EUも日本の手本になったGEも「原発は採算が悪い」と言っているのにもかかわらずどうしても電力と政府は原発を推進したいらしい、
「原子力村の住人は6万人、家族を入れると20万になる、その手立てが問題だから」と言っていたが言いかえれば納税者がその20万人を養っている訳だ、しかも生命の危険を担保にしてである、原子力関係者をやしなう為に続けるならまったくの本末転倒だ。
現在発電しているのはこの川内だけである、その直ぐ脇で歴史的な被害と拡大をもたらした震災が起きている、政府は此れを自然界からの警告と受け取る知恵はないのか、
海底地震は無いかも知れないが明日、或いは今夜かもしれない、福島以後5年間原発が稼働しなくても深刻な電力不足は起きなかった、それが電力会社の努力による物だとしたら我々はその事を十分評価し、感謝する、だから原発は止めて貰いたいのだ、