梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

黒と白、或いは褐色、又は黄色

2015-11-29 08:27:17 | 雑記
浦和レッツのサポーターらしき者から「黒人死ねよ」と言う書き込みがあった、愚かと言うにも値しない、白人が未だに消せない根拠の無い優越意識だがこの書き込みは恐らく日本人だろう、白人からすると同じ「カラード」だ、彼(彼女)は自ら同じ事を認めたことになる。
人類は凡そ7万年前頃発生したと言われている、ジャワ原人と北京原人、ネアンデルタール人だが5万年くらい前に絶滅し少し遅れて発生したと言われるクロマニヨン人が現在の原人となったというのが定説のようだ、
元々アフリカ中央部で発達しそれが世界各地に広がっていった、その定着した地域の環境に体質が変化していったのが今の分化だというのが学説的な結論で緯度の低いところでは有害な紫外線を皮膚で防ぐために色素が増えていった、緯度の高いところでは逆に少ない紫外線を吸収するために色素を減らしていく、
人種間の優劣なんかとは何の関係もない、現在の文化的優位性は食料調達の難易度に由来するだろう、緯度が30度以下の地帯には豊かな自然があり生き延びると言う行動だけならそれほど必死にならなくても十分生きていける、
しかし北緯35度付近からは動物性の獲物も果実も量が少ない、穀物を発見し管理すると言う文化は種の保存として必須条件だったのだろう、同時にそれらを厳冬期ノ為に保存するという方法を編み出した、恐らく農耕が発明されなければ白人種は少数民族か絶滅していただろうが「貯める」という文化が支配者層と非支配者層を作る
更に効率を高めより多くの蓄えを増やす為に工業を発明したが同時にこれは兵器にもなった、より多くのエリアを戦闘能力で支配し知識を与えることもなく収奪することだけを続けた結果が北欧の優位性を確定したと言うことだろう、それはちょっとした時間の問題で人種の優劣ではない、今優秀な科学者も白人以外から排出されている、まだバランスが悪いのは単純に教育基盤の優劣による、
そういえばOECDから日本の公的学資支出が先進国中で最低で有ることと家庭における負担比率が同じく先進国中一番高い事を憂慮し「早急に改善するように」と勧告を受けていたがこのままでは経済的大国でも文化的後進国になりそうだ
ツイッターで人種差別的発言をした様な人間は自分がそういう国に生きていることを自覚したほうがいい、アメリカでも「WASP]などという言葉は死語になりつつあると言うのだから

昼を喰いに江の島に行く

2015-11-26 17:14:34 | ぶらり
先週の土曜日暇つぶしに夫婦で電車に乗り込んだ、特に目的はないが昼飯を食うと言う目的でそう遠くない所に行こうと言う話になったのだが如何にせん3連休の初日で天気もそこそこだ、しかも時間は腹が減ってきてからの話だから既に11時頃になっている。
どうせどこに行っても混んでいるだろうが誰も行かない様な所に時間と金を使って出掛けるのもパッとしない、取りあえず駅に出て上りにするか下りにするかと言う所で先に来た大船行きの京浜東北線に乗る、
時間が時間だからか空いている、終点までは二人で文庫本をみたり少々寝たりして1時間弱で大船に着いた、取り敢えず駅を南側に降りると路地の奥に人通りの多い所を見つけた、我が夫婦はこう言う商店街を見て歩くのが好きである、
早速歩いてみたがここは結構面白い、新鮮な魚や野菜、揚げ物の店も幾つもある、うまそうなコロッケが有ったが流石に古希近くの爺さんがコロッケを食べながら歩くのも気が引けて買わなかったが若い連中が立ち食いと言うか歩き食いをしているのを羨ましく思いながら通過する、
ここから鎌倉に行く電車と江の島に直接行く「湘南モノレール」がある、鎌倉はおそらく歩くのも大変だろう、湘南モノレールで江の島に向かう、
10年以上前その時は鎌倉から江ノ電で江の島に出て帰りに湘南モノレールで戻ってきた事が有ったが今日はその逆をやってみようと決める、
営業路線としてはかなり歴史がありそれなりに成り立っているモノレールだが老朽化から身売りしたと聞いた記憶があるが今は何所が経営しているのか、
江の島の駅は古いビルの4階に下りる、階段をひとつ降りたところに改札があり更に下ると表に出るのだが道路はさらに階段を下がる、
左に曲がると江の島方向である、数十メートルで江ノ電の踏切がある、左が竜の口日蓮受難の古刹である、線路を渡ると狭い道路が江の島に向かう、
シーズンなのだろう、シラスの看板が隙間なく出ている、和洋中華すべて「シラスあります」だ、生シラスと窯揚げシラス、「本日入荷あり」とあらゆる店の前に手書きの看板が出ているが夫婦そろって生シラスは苦手である、
大体2人とも高級な海産物と言われるものが苦手なのだ、まあ金額が苦手と言う事も大いにあるが本当に味が好きではない、肉なら高級な物は大好物だ、
まず、海老があまり好きではない、伊勢海老に関しては「頭の味噌汁が最高」であって旅館で出ても感激しない、刺身は確かに淡白でおいしいのだが白身の刺身の方が良い、
蟹も2人とも食べない、こっちは本当に“食べない”、行き付けの料理旅館でカニ鋤を出してくれた事があったが足を1本づつ食べて亭主に進呈した事がある位だ、
そんな看板には目もくれず海岸通りを潜り抜けて江の島大橋にでる、時間が昼を廻っているので橋は往復渋滞である、島に入って右手にちょっと休憩に良いテラスが有った、入ってみたらハンバーグ店のテラスの様だ、これも苦手で残念だがあきらめる。
参道は更にすごい事になっている、間口の狭いお土産やが両側に並んでいるので立ち止まって覗いて居る客がいるかと思ったらその先にはシラス丼の有名な店か長い行列が続いてそこを過ぎたら「此処が最後尾です」と言う看板を手にした人がいる、この店は海鮮丼らしい、
竜宮城の様な門まで行ってUターンする、のり羊羹と書かれた店や小さな饅頭を蒸している店、大学芋など観光地らしいがとにかく人が多い、参道を降り切って右手に廻る、確かこっちでサザエの串焼きやイカ焼きを売っていた筈だ、駐車場に向かう道路に沿ってベンチがあるのでここで買い食いをしようと思ったがこっちも行列ができている、
そろそろ駐車場と言う所まで来たらレストランと言うか食堂と言うか和洋の食事ができる店があった、看板の値段はそれほど高額でないので此処で昼をとることにする、
女房は天婦羅定食、自分は鮪かつ定食と言うやつを取って見た、
大体こう言う観光地の食事はそれなりなんで覚悟をしていたがこれが結構うまい、マグロのカツと言うのはスーパーの総菜売場に出ているが元々好きだったんだが店のメニューとしてはどうかな?と思ったがいける、取り合わせの煮物もカツに着くキャベツも一手間かけてあった、女房も少しつついて「こっちが良かったかな」と言う、
また来てみようかと言う位の食事にありつけて暇つぶしとしては合格点な週末になった

神の言葉と人の生き方

2015-11-24 18:05:32 | 雑記
フランスによるシリア空爆がエスカレートしている、ISIはシリアを拠点としている事の結果だがそうではないシリア人の方が多いだろう、ゲリラ化したテロ組織をピンポイントで攻撃する事は不可能だ、ゲリラ戦が有効なのは一般民の中に埋没する事で自らの組織より強大な戦力と戦う事を戦略としている、
しかしそれが有効なのはあくまで「一般市民を巻き添えにしない」と言うハーグ条約の精神を順守すると言う条件で成り立つのであり今回の様に友好国軍は都市の爆撃に市民の影響を考慮しないとなればゲリラ戦の威力は半減する、
無論「パリの同時テロ」自体が一般市民を標的にした攻撃であり、アメリカで起きた9・11も全く戦争と関係の無い一般市民が標的になった行為で許されるべき物では無い、
しかし元になった中東では「文化的国の数」より「国土的国の数」が少ない、同じユダヤ教の文化だが「派」が違う事で元々有った国家を吸収統合し派の違う民族を放逐したと言う歴史がある、
其処に更にキリスト教徒と言う強大な勢力がやはり力で介入して来た、
キリスト教もイスラム教も元はユダヤ民族が持っていた「神」を信じる教徒である
神は絶対であり、神に従いそれ以外は許されないと言うのは同じ様だがイエスはその試練を自らが負い「許す」事を教義の中に置いた、しかしモハメッドは「許す」と言う教義は無さそうだ、「神の名において」殺してもかまわない、或いは殺すべきだと言うのが「原理主義者」の言い分の様だ、
中国にはそう言う宗教は無い様な気がする、孔子・老子の教えはあくまで人の生き方、心の持ち方、国の納め方と言う物の様だし儒教も長幼の順を厳格に守ると言う人間の生き方を主軸としている、
中国の歴史は古く多くの民族が割拠して住んでいる為に権力の交代の度追い出された民族を粛清すると言う歴史を繰り返してきた、神が居ない分権力者が「神」であり、追い落とされると次の神が勢力維持の為殲滅する、それ自体「神」の行為である故に当然のことだったのだろう、
日本の神は合議制で有る、国生みの神々は別格で名前は第一位であるが実権は無い、あらゆる所、現象に担当の神々がいてそれを統べるのが天照大神だったり伊邪那美、伊耶那岐命だったりしていて絶対神と言う存在ではないがやはり日本人を産んだ神でもある、
神話で言えばギリシャ神話やローマ神話が此れに近いがあちらはあくまで文学であり神話であるが日本では未だに「神」である
自画自賛する気はないが日本の宗教感が一番妥当なんじゃないかと思うがそれが生活規範になるには人心は荒廃してしまったかも知れないな

晩秋、そろそろ人生も

2015-11-23 08:07:30 | 雑記
朝6時前ゴミを出しに出た、そろそろ背中が寒い、出し終えて階段からなんとなく曇空を見上げたら東の空に鳥の塊が見えた、上がったり下がったり北に言ったかと思ったら急に上昇したりしている、(渡りか)と思いながら随分久しぶりだが(いまごろだったのか?)と考えてみたがあまり覚えていない、季節感なくなったのは時代のせいというより年齢のせいか、東京住まいのせいか、
生まれの静岡はあまりわたり鳥を見た記憶が無いので上京してからだろうからそう言うわけでも無いかもしれない、雁の渡りを見たのは何処だったか、雁行を見上げていたのは里山の空だった記憶があるが今ではそう言う場所にも行かなくなったのか言っても空を見上げる事が無くなったのか、
昨日有った旧友に「歳を取ったら(充分取ってはいるが)ら浜名湖付近で暮らしたいと言ったらずっと袋井に住んでいる旧友は「歳をとったら都会のほうが良い」と言う、
62から仕事を離れて120坪位畑を借りて野菜を育てたり近くの海で釣りをしたり、それでも時間が残るので事務に行ったりしているそうだが「余りに刺激がなさすぎる、今回東京に来る時も駅には誰もいなかった」と言う、私としてはそんな暮らしが憧れなんだがもっと現実的に「医者が少ない、劇場もない、第一60を過ぎたら仕事なんか全く無い」というがそれで食っていければ御の字だとも思うが自分も仕事が無くなったら生活に張り合いが無くなりそうでもある、空行雁の渡りに思いをはせるのは田舎くらしのせいではなく都会の暮らしに飽きた連中の戯言顔しれないがやはり憧れるな、まあそれどころでは無いが

旧友と浅草で

2015-11-22 09:16:01 | 雑記
曜の昼前に古い友人から電話が来た、中学から長い付き合いだったがちょっとした行き違いから連絡を取らなくなって10年以上経つか、その事は今回彼ではなく奥方が原因だったことを知ったが彼は知らなくとも奥方があまり好ましく無いと思われているならこれ以上の距離は縮めないが無難だろう、
娘さんが東京に住んでいて「孫の面倒を見て欲しいというので上京して23日までいる、孫を迎えにゆくのは19時15分位だから会わないか」というので昼に五反田駅で待ち合わせをした、しかし「少し飲みたいな」というので昼間から飲めるにはと浅草にゆくことにする、浅草はJRA前に昼間から多くの屋台が出ていて結構入っているのを知っていたが今まで入ったことがない、一度入ってみたかったのでそこに行く事にした、五反田からは地下鉄で直接行けるのも便が良い、
浅草は金曜でも結構人は多いが流石に屋台は空いている、今日は競馬がないのかもしれない
適当に入った店はどうやら韓国人らしい女性が仕切っている、ビールを注文し煮込みともろきゅうを取ったがビールのお替わりの度、新たにつまみを頼む度に「鯖の燻製はどうですか?」と煩い、それは頼まないで此処を3時ころに出たが「もう少し飲もう」と言う、寿司屋横丁の方に歩いたら「ひもの屋」と言う店が開いている、確かチェーン店でここも夫婦で「一度入って見ようか」言っていたがつい入らなかった店だ、彼も「魚が良いな」ということで此処に入ることにした、カウンター画広く店内は暗い、流石にこの時間は食事の客がほとんどだ、
刺し身とホッケの焼き物なんぞを突きながら私は焼酎、彼は前の店からぬる燗を飲んでいる、そうこうしているうちに時間は6時を廻る、孫を迎えにゆくのは代々木上原野駅近くっだという、「大丈夫か?」と聞いたが一向に腰を上げない、どうやら奥方も来ているらしい、
それでもギリギリ間に合う6時頃店を出た、新仲見世通りの一本裏筋を駅に見向かったら「あんこう鍋始めました」と張り紙のある小料理屋風の店を見つけ「食べよう」というといきなり入ってしまう、誰も客はいないがまだ時間が早いのだろう、「おまえ迎えは良いのか?」言っている所に電話が来た、どうやら孫らしいが一緒に奥方がいるらしい、電話を変わったあと一言二言はなしたらいきなり切られてしまった、すぐリコールしたが「着信拒否された」と慌ててメールを打っていたが返信はこなかったようだ、(これで評価は最悪だな)と内心思ったがまあ仕方ない、女将が聞いていて「これはお客さんのせいになるわね」と言うがそのとおりだろうな。
暫くしたら大将が降りてきてあんこう鍋を作る、年齢は女将も大将も我々も偶然昭和23年生まれの同年だった、店を開いたのは40年前になると言う、27歳の頃はもう大森だったがその前は亀戸の日立製作所にいたので浅草は結構来ていた、「浅草はよく来たが飲んだのは始めていだ」と言う話から「浅草は田舎モンにとっては敷居が高い」というはなしになった、
考えてみると浅草はお上りさん的に来るには良いが此処で飲むのは結構敷居が高い、勝手な印象かも知れないが浅草は粋な下町だと言う意識がある、表面的には気さくな下町だが「江戸っ子」の意識が高く、一挙手一投足に「粋」を染みつかせていて「粋じゃない」のを内心見下ろしていそうな気がするのだ、思い切り僻みだとは思うがそれにはやはりそう言う下地がある、長ハッピに半草履をつっかけて集まっている所にあまりそう言う粋を知らない我々が行くとそれが憧れと思う人もいるかもれないが私には妙に座りが悪い、
最も取引先の大手会社の部長で浅草の老舗和菓子屋の息子だったという人と親しくしていたがこの人は小説や落語に出てきそうな浅草っ子と言う感じだったので本当はそうなのかもしれないがいずれにしても浅草や深川の下町はブランドが高すぎる、もうちょっと場末のほうが良さそうだ、結局腰を上げたのは9時前、今日になっても彼から連絡はないが奥方はどうだったんだろう?