梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

これは危ないかな?

2014-05-30 15:49:08 | 雑記
特定秘密保護法に続いて集団的自衛権の提出=通過を着々と進めている、
両方とも一般国民から多くの知識人や野党は無論のこと党内からも反発が有るにも拘らず
全く聞く耳を持たない、
その態度は今迄の内外の政治家でもあまり見られない程完全無視である、過去の強権政治家は一応は反対意見に関して反論をして来た、それで論破されれば其処から強権発動とするのは今迄の自民党のやり方だったし数を頼んで強行突破は二流以下の国の国会では今でもまま見る光景だが安倍総理は全く歯牙にもかけない、反論もしないのだ、
今迄自民党保守派が頼みにしていたアメリカですら「今アジアで一番危険な政治家」と言わしめ「落胆した」と言わしめたが我々が知る限りでは全くコメントすら出ない、
何が彼をあそこまで自信満々で傲慢にしているのだろうか?
確かに今安倍信三に代われる政治家は見当たらない、それは彼が優秀だと言う事でも力が有ると言う事でもない、余りに他の政治家達がだらし中らに他ならない
有る政治家が「今の代議士は政治家ではない、“政治屋”だ」と言ったがまさしくその通りでそれが政治屋だとしてもあれほど信念がないなら商売でも屋号が維持できるはずもない、
無論それを選んでいるのは有権者なんだが「彼なら国を任せられる」と言う人が居ない、だから棄権する、そうすれば金で票を買った政治屋か組織をバックにした政治屋が残る
牛丼のすきやでメールでストライキを呼び掛けたら会社の労働組合から「違法だからやめろ」と横やりが入ったと言う、周知の通りファスト業界は殆どが短期アルバイトで労働組合に入れない、しかし彼らが居なければ経営は成り立たず全国で300を超える店舗が人員不足で営業をしていない、労働組合と実際の労働者が乖離しているのだ、
しかし千葉合同労組が企業側に申し入れをしたらしい、ゼンショーの組合は沈黙したと言う、
此れがこれからの選挙、政治運動のスタイルになるのではないか、世界の潮流でもありそれを恐れて中国はネットの監視を強化している、せっかく日本はこれだけネットが発達していて有る程度自由な交換が出来るのだ、我々も彼らにならって「特定秘密法安」と「集団的自衛権制定」に何らかの方法でテモンストレーション、ストライキも含めて行いたい
合法的に国に圧力をかけられる方法は何かないのか?あらゆる法律を駆使してつぶしに掛るだろうが草の根的に国民の多くを巻き込んで今の暴走を止められないか
枝葉の事を入れると纏まる物も纏まらない、「特定秘密法安」と「集団的自衛権制定」「原発再開」でよかろう、方法を考え、誰が音頭取りと言うのではなくSNSで一斉に拡散する様に考えてもらいたい、
おっと此れで私の処に公安警察でも来るかな?その時は又いい話題になるかもな

IT社会のルールが必要な時代

2014-05-22 08:55:31 | 雑記
歩き携帯が危険だと社会問題化しているがあくまで利用者の良識に委ねられている、しかしその良識と言うより常識の範囲から逸脱して多くの人間が周囲の迷惑を考えないで居るからこれだけ問題になっているわけだろう
私のスマホには万歩計が付いている、結構敏感で試しに持って部屋の中をうろついてもちゃんと歩数が出る、殆どの携帯やスマートフォンには機能として最初からついていたりアプリケーションで手に入れる事が可能だ、可能だと言う事はメーカーやキャリアがその気になれば「歩きながらの使用」に制限をつける事はかなり簡単だろう、
万歩計のカウントで歩行中と判断したら画面を消す位はそれほど難しい問題ではあるまい、仮に「技術的に難しい」と言うなら法的に機能を義務つける位の事をすべきではないだろうか、
ITの普及は加速度的に広がり更に高度化している、すでにIT技術を無視しては社会生活が成り立たない時代だともいえる、
それは電気や車が劇的に世界を変えてしまいこの環境なしでは成り立たなくなった近代文化と変わりは無いしそれ以上のインパクトが有る、
車社会と言われて久しいが移動の手段としては既に特別の物ではない、強大なインパクトは当然それに見合うだけのマイナス要因も伴って来た、今大きくなってきた排気CO2による環境問題もそうだがそれ以前に車社会以前では考えられない事故被害が起きる、
歩くだけならどう言う状況でも死亡どころか怪我も殆ど起きない、しかし車社会が普及するのに比例して事故は頻発し遭遇すればかなりの確率で死に至ってしまう
しかし、だからと言って「車社会をやめて江戸時代に戻せ」と言う者は有るまい、
社会はその為のルールを決めて互いにそれを順守する事で「車社会」を普通の「社会生活」にして来た、
IT技術もインフラとして世に認知されてかなりたつ、やはり便利に且つ安全に使う為には「道路交通法」の様な「運転者責任」を科す法律も必要な時代になったと思う

「美味しんぼ」と「そばもん」

2014-05-17 12:21:40 | 雑記
「美味しんぼ」の話題が漫画の枠からはみ出して大きな問題になっている、
結局小学館は一時休載にしたようだ、東京新聞の発言欄にも「勇気に賛同する」とした投稿が有った、私はこの漫画は最近見ていないので内容は正確ではないが「突然鼻血が出る」「放射性廃棄物の集積地の近辺でも多い」と言う表現が有ったと読んだ、私には事実は解らないが只でさえ風評被害が多い処に今回の漫画はあまり賛同出来ない、
色々な記事を読む限り「放射線被ばくで鼻血が出る」と言う根拠は薄そうだ、放射性物質が近くにあると言う強迫観念からあらゆる現象をすべて関連付けてしまって居ないか、それを事実として出す事には影響が大き過ぎる、
被災地域にすむ人々の苦労は先月避難役所に行く機会が有ったので非常に良くわかる、しかしあの状態で考える事を客観的事実として書く事はどうだろうか?もっとも海外のマスコミは「漫画になぜこんなに大きな反応をするのか?あれはフィクションだろう?」と言う意見もある、
同じビックコミックで「そばもん」と言う連載漫画が有る、此方も数週間前から福島の被災地を扱っているのだが此方は正反対で風評被害の影響を真摯な言葉でつづっている、私はこの漫画に非常に共感している、
先々号だったと記憶しているが3・11から殆ど経っていない時期、多くの被災者が県外へ避難する中殆どの飲食店も避難し長い道のりで食事もままならないのを見て避難をせず蕎麦屋を続ける店が出て来る、無論家族の中の切実な意見衝突もあるが店主の説得で店を続け避難してくる人々に感謝されると言うストーリーの中で有る日場違いな感じの2人が寄った、
「久しぶりに温かい物を戴きました、有難うございます」と深々と頭を下げ「此れが最後の食事かも知れません本当に有難うございました」と言う、もしかしてと店主が声を掛けると「今から福一に行きます、ご迷惑をおかけいたしております」と二人は避難者と反対の方向に車を向かって消えていったという場面が有った、
幹部と政府にはとても納得ゆく話ではないが確かに「彼等」は死を覚悟して現地に赴いた、恐らくそういう人々も大勢いただろう、
今の連載では教鞭廻しのレポーターが読者の求める物と「基準値を下まわればたとえ1ベクレル下でも出荷出来るならあと1ベクレルで上回る物も有るはず」と言う場面が出て来る、しかし被災地以外の数値は皆知らない、実際はその他の地域での数値、輸入品の数値方がはるかに大きいらしい、此処でも多くの資料を調べての作品だがはたしてと言う気持ちもある、しかしこの漫画を書いている山本おさむと言う人の作品は常に虐げられた人たちをテーマに思い問題を軽いタッチで描いている漫画家だし内容もいたって冷静に「それでも嫌だと言う人は大勢いる、しかし俺は食べる、あの事故を許す気は無いし放射汚染は怖い、だが被災地をスケープゴートにする気は無い」と言わせている、
私はこの作品の方がずっと好きだ、

バラと杜若とシャクナゲ

2014-05-14 10:12:04 | 雑記
バラと杜若とシャクナゲ

連休には遠くに出掛けないで家で時間を過ごしたがやはり休みが多いと間が持たない、手近の公園をふらつく事にする、何処にするか考えたがあまり混雑するのも厭なので若干マイナーな向島百花園(失礼かな)に行く事にした、ここならそれ程混雑して居ないだろうと言う予想は見事に当たったが時間も潰れない、1時間も掛からず廻り終えてしまう、
園内にいろはで番号がふってあり各々句が書いてあったのだが夫婦で「いろはの順番が思い出せない」と言うていたらくだったが最初の「い」と「ゐ」で混乱してしまった、
黄色は杜若だと思うが自信はあまり無い、アヤメは菖蒲と漢字が同じに出るのだが「アヤメの花弁中心部に網目模様がある」と何かの本で読んだのだが更に「アヤメは陸生で湿地生は菖蒲」と読んだ気がする、がこの花は湿地に生えているのだが網目模様が顕著に有る、どうも門外漢には解らない、そう言えば10年位前に長野県から沼田を通って丸山峠に抜けるロマンチック街道と言う国道近辺にアヤメに似た色とりどりの花が植わっていた時期が有る、最近私の家近くにも一か所だけ咲いているのだが色は茶色と白、黄色だった、花は日本の菖蒲よりかなり大ぶりでこちらは完全に陸生の様だ、湿地では見た事もない、どこかで「メキシコ産のアイリス」と見た記憶が有っ気がして調べてみたらどうやらアヤメ目の総称の様だった、

薔薇はその時ではなく仕事の帰りに品川浄水場上公園で写して来た、此処は去年と一昨年も写して来たが手入れが良くされていて狭い範囲だが奇麗に咲いている、今は改装中で若干狭いのだがそれでも中々である。
薄紫の花は数年前からあちこちで見られるのだが作り物の様な整った色と形で写真にすると嘘っぽいものになってしまうがそれなりに奇麗な画像になった、アメリカシャクナゲはこの時ではなく孫と葛西臨海公園の水族館に行った時に植込みに咲いていて時期を過ぎた花が木にしがみついていたのだがこれと品川で見た赤と白の薔薇に似かよっていた、
菖蒲が終えるとアジサイの時期になるが何処に見に行こうか、鎌倉は有名になりすぎて花を見るのか人を見るのかと云った塩梅になりそうなのでさけるとして一度は乗ってみたかった箱根登山鉄道にでも乗ってみるか

独裁的政府を何とかしないとならない

2014-05-07 17:11:16 | 雑記
東京新聞に徴兵され上官の命令で中国民間人を刺殺した経験を「伝えなくてはならない」と公演をしていると言う話が載っていた、「銃剣を胸に押しつけると黙って私の目を睨んでいた、上官が”やれ”と命令し自分はそのまま銃剣を突き刺した、”ずぶっ”と言う厭な感触は未だに消えない、戦争はいけない、このままでは又あの時代が来る」と思って「忘れたい過去と向きあい二度と起きてはいけないと」語り始めたそうだ。
普通の民間人が銃を持って外国に行き、殺人者となった、時代の教育がそれを常態として押し出した、しかしその教育を考え実行し、「やれっ」と命令だけした上官は恐らく直接手は下した事はあるまい、中国の民間人にとって他国から力を持って占拠し略奪し抵抗したと言って殺される経と言う事は彼らが我が国人に付けた「東洋鬼」と云う名前は見事に表している、まさしく「鬼」だっただろう。
この事実を「深く反省し」と言うのが「自虐的」と言うのは事実を知らないのか、或いは知ってそう発言しているのか解らないが一般的な庶民が「徴兵制」で家族から別れ「人を殺せと教えしや」と言われる如く多生の縁を尊びささやかな生活を過ごして来た人間が現地で無抵抗の人間を殺したと言う事実を既に古傷になっている記憶を自ら押し開いて見せると言う彼らの言葉を真摯に聞くべきだろう。
既に殺した者も殺された者もその時代に生きた人々は殆ど居ない、現代に生きる世代に「責任が有る」と言うのは酷だろう、事実は深く謝罪しなくてはならないにしても「お前ら日本人は」と言われても戸惑うしかなく、現世代に国を挙げて非難する事にはどうしても感情的になるだろう、しかし加害者の子供と言う立場はそうであっても被害者の子供に残る怨念はやはり想像に難くない、隣国とし、隣人としてその関係は必ず改善しなくてはならない事は確かだが両国の世論はその逆に向かっているとしか見えないだろう、
このままでは両国の関係は解決する結果は期待できる訳もない、事実を認める事からしか未来は開かない、国粋主義と言うものは既に前時代の遺物でしかなく国境を越えた経済は既に無視できない時代になっている、その中で過去に禍根を残したままで表面的なあるいは経済的な関係で進めると言うのは本当の意味での信頼関係に癌の様に何時か顕在化したり転移したりするだろう
なぜこのタイミングで「憲法九条」を弄ろうと言うのだろう、いや憲法九条そのものより他国も国民も懸念しているのは「多くの反対意見」にまったく耳を貸さず手に入れた権利(無論それは権利ではなく責任のはずだが)で強行するその姿勢に対してである、憲法はまったく見直す事が出来ないと言う事自体はあり得ない、最高の内容であるか、そして現実にそぐわなくは無いかと言う見直し論議は当然必要だがあくまでそれは「論議」が必要と言う事で安陪政権以下が勝手に変更すべきものではない
罪と罰、戦争の罪は一概に一方が悪いと言う事は難しいだろう、しかし無辜の人間をその手で殺してしまった事に対する罰は引き金を引き、銃剣を刺した人間よりそれを命令した人間が負うべきものだ、実刑と言う様な事ではなく「人間」という高等生物が持って居るべき自らの精神に課す罰である事を望みたい
明治維新の時、欧米列強の植民地政策から逃れるために列挙に肩を並べる事を目指したのだろうが我が国は列強の椅子に座るべきではなかった、当時の政府が言い立てていた大東亜共栄圏を本来の形で東南アジアを共栄圏としてそこのリーダーとなるべきだった、そして今も