梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

晩夏、夏の名残に

2022-08-29 17:11:39 | 雑記

堀辰雄の「晩夏」を青空文庫で読んでみた
名の通り、夏の終わりを切り取った短編だった、
避暑地を引き上げる前に夫婦で湖の近くに宿を取って過ごすと言う淡々とした話、
何という事もないが読みやすい文体で嫌いではない、100ページもないので直ぐに読み終えてしまった、
思い出してみると確かに「挽歌」だった気がする、まだ小学生にも上がっていなかったと思うので「ばんか」と言う語感で覚えていたのだがこの字をぼんやりとだが覚えているような気がする
肝心な「挽歌」の方は書評で粗筋を見たが何となく読む気がしない、
しかし親父もなんで焼き捨てるまでして怒ったのか全く分からない
親父はどんな本を読んでいたのか覚えていないがお袋はよく読んでいた、
本当に“赤貧洗うがごとく“と言う様な生活なのに毎週「週刊読売」を買ってきて読んでいた
「娘と私」と「悪名」を楽しみにしていた、(連載本が違うかもしれない)
クリスチャンだったので旧約聖書の話をよく聞かせてくれたので「ノアの箱舟」や「ソドムとゴモラ」の話を聞いた、
名前は忘れたが「神」がソドムを焼き尽くす前に街を去るように言われた夫婦が「絶対に振り向いてはいけない」と言われていたのに妻は焼かれるソドムを振り返ってしまいその場で塩柱になった、と言う話をずっと「霜柱」だと思っていた、
寒い田舎では霜柱は馴染みが有るのだが「塩柱」と言うものはない、だが考えてみれば約束の地カナンの乾いた大地に霜柱がある筈もない、
堀辰雄の本に限らず、明治から昭和の初期までの「日本文学」と言われる本を読むと外国語が挟まっていることが多い、
夏目漱石、森鴎外、太宰治等々、フランス語、英語、晩夏ではドイツ語だった、
しっかりスペルを書き込んで意味の解説がある、
文脈的に必要かもしれないが特にいらないんじゃないかと思う事も多い、
無料で読めるデジタル文庫が有るので暇つぶしに端から読んでいるのだがちょっとそいつが気になる、
私は乱読で並行して3冊の本を読んだりする、ムックから純文学まで何でも読む
女房は「ミステリー」と言うジャンルのそれも「刑事物」が好きで今までのめりこんでいたのは
梓林太郎の「人情刑事 道源」と言うやつだがとうとう全巻を読み切ってしまい「何を読もう」と真剣に悩んでいる、
その前は今野敏だったが今度は何を読むのか

国葬の矛盾

2022-08-27 15:18:48 | 雑記

安倍元総理の国葬には多くの国民、団体が反意を表明しているにもかかわらず自民党は国費2億5千万円を投入して強行する、しかしその一方で
※「国民に対して喪に服することや政治的評価を求めるものではないことをしっかり説明していく」。松野博一官房長官は26日の記者会見でこう強調した。 1967年の吉田茂元首相の国葬では省庁の弔旗掲揚や黙とうなどの弔意表明のあり方について、閣議了解したが、安倍氏の国葬について松野氏は「国として閣議了解は行わない」と明言。自治体や教育委員会など地方機関に対する弔意表明の協力要請も「行う予定はない」と説明した。
国として行うのが国葬なのに「国民に対して喪に服する事」は求めない、省庁の弔気掲揚や黙とうなどの弔意要請もしない、と説明したと言う、
海外に国際的な表明として「国葬」を行うと言えば各国も外交的儀礼としてそれなりの地位の人が弔問に訪れる、しかし、国民には弔意を求めないと言う、
全く整合性のない話だ、各国の要人はどういう印象を持つだろうか
国家に偉大な功績を残した人間だと言う事が戦後二人目と言う国葬対象になったわけだろうがその功績の恩恵を一番うけた筈の日本国民には「弔意を示す必要はない」と言うのだ
要するに「自民党にとって偉大な功績」を遺したが国家に対してはあるいは国民に対してはけして「功績ではなかった」事を十分に自民党自体が理解していると言う事だろう
充分に理解させられたと言う事かもしれないがこの矛盾した状況を国民と海外の弔問要人にどう納得させられと言うのだろうか、
恐らく主要な国家は儀礼的にも今後の国交的にも礼を欠かないクラスの要人を派遣する
しかし国内では半旗どころか自治体も学校も省庁すら通常の運営をする、
これが各国の要人に対して非常に無礼なことにはならないのか、
しかし国として行う事が国会の審議を得ていないので予備費で賄うと言う事は「国葬」でありながら政府国家の承認を得ていないいわば自民党が勝手に看板を作っただけの国葬だ、国家・政府として半旗黙祷を強制する根拠がないのだ
今回の「安倍元総理の国葬」は国民のみならず対外国家に対しても非常に無礼で傍若無人な行いなことは間違いない
即刻取りやめて自民党葬にするべきだろう、自民党以外は全員彼の功績を認めていないのだから

挽歌あるいは晩夏

2022-08-26 09:53:48 | 昭和の頃
なごりの朝顔

私には腹違いの兄が三人いる、
末っ子の自分が古希を超えたので遠の昔にみんな他界したので居たと言うのが正しいのだが、
私が生まれて間もないころ、23年の生まれだから恐らく27~28年ころ2番目の兄が東京から山奥の家に帰って来ていた、
私と20歳以上離れている筈なので恐らく30歳近かったのだろうと思う、
軍需工場の技術屋だった父親は当時叔父の名義になっていた土地に掘立て小屋を建てて私と姉二人の5人で住んでいて父親は炭焼き、おふくろは和裁で生計を立てていた、
兄は父親と一緒に炭焼きを手伝っていたのだが東京から持ってきた中に小さな本が幾つかあって一つは「リーダース・ダイジェスト」と言うA5程度の本と小説を何冊か、
その中に「晩夏」と言う本が有って父親がそれを見て激高し「こんな本を読んでいるからダメなんだ!」と風呂釜の中に放り込んで燃やしてしまった事があった、
それが原因だけではあるまいが兄はそのまま家を出て東京に行ってしまった、
しかし今考えるとあの「晩夏」と言う本がなんでそんなに父親の逆鱗に触れたのか、
読んで気に入らなかったのか、当時評判で粗筋を知っていたのか、まさか表題が気に入らないで焚書するとは考えにくいので思えば理解に苦しむ行動だったな
親父は酔うと「大矢壮一派の共産党員だ」と言うのが口癖だったがその割大事にしていた本棚の書物は「大日本皇国辞典」だったり大楠公小楠公だったりかなり今でいう「右翼系」の本が多かった、
子供の頃の思い出の中ではあまり出てこない父親で17歳の時に死んでしまったのだが姉や兄達から聞く限りはあまり評判の良くない親だった、
早く両親を亡くした事の利点はこういう「大人の感覚で親を評価する、あるいはしなければならない」と言う事が無いことだと大人になった今では思うようになっている、
自分も女房も末っ子で親兄弟と言うのがすべて鬼籍に入ったのだがみんな若くして他界した、
一番年嵩だったのは同居していた義母で88歳だったが他の兄弟は60歳までで亡くなった、
老衰した姿を誰も見ていないので記憶有る親も兄弟もその時点で止まっている、果たしてこれも利点言っていいのか、
親父が焼き捨てた「晩夏」を調べたら荒井由実の曲が出て来た、
小説の方は堀辰雄の作品の様だ、
しかしもう一つ「挽歌」と言うのもあったがどっちだったのか、こちらは原田康子言う作者で1956年に70万のベストセラーになっているのでこっちかもしれないな
これだと親父が知っていたのも納得できるのだがだとすると自分は8歳、記憶ではもう少し前の気がする、
取り合えず両方読んでみるとするか

我がよき友よ

2022-08-23 09:15:45 | 雑記

京浜蒲田駅裏柳通の朝


下駄を鳴らして奴が来る、
腰に手ぬぐいぶら下げて
学生服にしみ込んだ
男の匂いがやってくる
あ~あ 夢よ よき友よ
お前今頃 どの空の下で
俺とおんなじ あの星見つめて
何想う

かまやつひろしの「我がよき友よ」は好きな歌だ、この後の歌詞も良い詩が続く
自分は中学を卒業するとすぐ働きだしたのでこんな友人関係は無い、この時代を過ごせた連中に若干の嫉妬を感じるとすればこういう関係か、
同窓生と言えば中学時代まで、色々と人生に悩み、恋に憧れる時代を共にしたのは中卒で働いている夢も恋ももっと現実的でやがて来る将来ではなく生活にもがいていた連中だった
それでも、いやそれだからこそこういう友人関係には憧れと羨望があった
有ったと言うより今でも持っている、今更どうなる話でもないのだが
自分は友人と言うのが少ない、いや少ないと思う、
普通の友人関係と言うのはどういう関係が多いのだろうか、若いころから遊びは一人の事が多く、飲み歩くのも一時期を除けばほとんど行きつけの店に一人でのみに行くことの方が多かった、
その短い一時期に喫茶店で知り合い、飲み歩いた友人が5~6人いるがこの連中が結構長く付き合っている
しかし何人かは他界し、何人かは連絡が取れなくなった
故郷の友人は一人だけいまだに連絡を取り合ったりしてコロナ前は上京した時に昼酒を飲んだりしていたがこの騒ぎで彼を含めて酒を飲む機会もなくなった
この歳まで付き合いのある友人たちだがここ暫くは音沙汰がない、
時々(連絡してみようか)とは思うのだがなにか分切れていない
「元気か?」とメールをしてみようかと思うのだが”元気じゃなかったらどうしよう“と思って躊躇している訳でもないが、
やっぱりメールでもしてみるか


死刑が殺人動機では

2022-08-22 10:09:48 | 雑記

15歳の少女が関係のない母娘を襲う事件が起きた、
動機は「人を殺して死刑になりたかった、誰でもよかった」と言う、
その後「母親を殺したかったので試しにやった」とも言っているらしい、
矛盾している話で「二人以上殺せば死刑になると思った」と言う事と「母親を殺したかったから試しに殺した」と言うのには連続した関連が無い、
遠く離れた都心で無関係の母娘を襲撃して逃げもしないで捕まると言うのは「母親を殺す為」と言う目的を果たそうと言う行動ではない、どっかおかしい、
「死刑になりたかったから殺した、誰でもよかった」と言う事件が最近頻発している
国際世界では死刑廃止が主流になっていると言う、
「殺人が人道的に許されない行為なら死刑も同じに人道的に許されない」と言う事が主たる理由だがこれは宗教的なものもあるだろう、
キリスト教は博愛の教義で「許す」と言う事が根本理念ある、
アメリカと日本には死刑がまだ存続している、
アメリカは死刑のほか終身刑と、終身ではないが物理的に終身刑の「禁錮300年」の様な刑もあるが日本では「終身刑」ではなく「無期懲役」が死刑に次ぐ刑罰である
死刑が存在するのは「死をもって償う」事が凶悪犯罪の抑止効果であると言う事が一番の理由だろう、
しかし、「死にたいが自殺する勇気が無いから死刑になりたい」と言う理由でなんの利害関係もない人間を殺す、
それも「一人では死刑にならないから二人以上を殺す、利害関係が無い理不尽な犯罪の方が死刑になる確率が高い」と言うのが動機なら「死刑が犯罪の抑止」になるところか逆に凶悪犯罪の動機付けになっている
それが最近になって報道されると模倣犯的に連続して発生している、
国際世界の言う「人道的見地」ではなく狂った我が国では「無差別殺人」を抑止するためにこそ「死刑廃止」をしなければならなくなったのではないだろうか、
「死にたい」と言う理由で人を殺すなら「徹底的に生き続けさせる」と言うのが彼らにとっての「極刑」になる
少なくともこう言う動機の事件は防げるのではないのだろうか
その為には特別立法でもいいから「死刑の停止」を成立させる必要が有るとは言えないだろうか、おそらく死刑以上に抑止効果はあると思う、
むろん、根本的に社会の在り方や子供に対する精神的な教育が一番重要ではあるのだが
日本会議の様な「家父長制度」が正しいと言う事ではあるまい
「美しい日本」は日本人の生き方の問題で国家権力が方向付けをする教育ではなく心の教育が自然と備わるように社会の在り方を整えるのが肝心だ
生まれた環境でどう頑張っても生活が向上しないどころか、明らかに苦の生活しか見えてこない、そんな社会がこういう絶望的な犯罪に押し出しているのではないのか