梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

今年は雪で始まったか

2022-01-08 14:26:47 | 日記
予報では夕方からだった雪は昼前にはふり始めた
昔はもっと何度も降った気がするが最近は積もるどころかめったに降らない
12時からの打ち合わせを終えて2時頃会社に戻ってきたが駅から事務所に続くベルポートの庭先はうっすらと雪化粧をしていた


この通りは良く撮影に使われている並木道でいすゞ自動車本社のある大森ベルポートの私有地だが解放されている


5時半ころ蒲田のバス停に待っているとだんだん雪は激しくなってきた、
暗い空から街頭の光に照らされて闇から突然湧き出したかのように落ちてくる
試しにカメラを向けたがやはり上手く映らない、動画にすればよかったか

11日は成人式だがどう云う訳か東京の成人式は雪の事が多い、
晴れ着に長靴なんかの写真が報道によく出ていたがこの雪はそこまでには溶けるだろう
予報では「連休明けにまた雪になるかも知れない」と言っていたが連休明けなら助かるな
結局連休明けまで気分は休みだ、連絡も「今年も宜しく」の電話位で、アポも「連休明けに」と言う事になる
さあ今年は良い年でありますように

消極的な夢と希望

2020-05-23 10:09:24 | 日記
生まれた時はかなり貧乏だった、
「赤貧洗うが如き」とまではいかなかったと思うが近かったかもしれない、
しかし本人はあまり気になっていなかった、
親が“堂々とした”貧乏人だったせいかもしれないが周りにはある程度同じ程度の貧乏な子供もいたせいもあるし、
まだ敗戦から10年も経っていない時期で世間一般が貧乏だったせいもあるだろう、
農村に居て農家ではないという事の貧しさと言う事は食い物に出る、
小学校に上がった当時はまだ欠食児童と言う子も何人かいたがそれは必ず農家ではない子供だった、
給食はまだ始まっていないので弁当を持ってくるのだがふかしたサツマイモ2個とかは良い方でそれも無い事もあった、
昼休みは校庭の隅で時間をつぶすしかないのだが必ず何人か居た、
とはいっても敗戦後の混乱期で弁当を持ってきていても殆どが日の丸弁当だったからさして羨ましいと言う記憶はなかった、
貧乏だった事を切実に理解したのは15歳で東京に来て日立製作所の臨時工になった頃からだった、
殆どの同僚が「豚の餌」と言っている社食が旨かった時、(俺は貧乏だったんだな)と気が付いた、
16歳ころの夢、或いは希望は「金持ち」になった、
「強くなりたいのではありません、金持ちになりたいのでもありません、幸せになりたいんです
強くなりたいんです、金持ちになりたいんです、幸せになりたいんです」
とこの頃の日記に書いてあった、
中卒の職工が金持ちになれるのは難しくその葛藤でこんな事を書いていた時代だった、
ししかし、30・40と歳を重ねるにしたがってその夢は少しづつ形を変えて行った
「こう成りたい」より「ああは成りたくない」と形が変わった、
金があっても人間的に尊敬出来ない奴になるんなら貧乏でも良いんじゃないか(まあ僻みやっかみと言い訳ではあるが)
ただ立ち居振る舞いや服装が如何にも貧乏ったらしいのは嫌だった、(ああは成りたくない)のである
人に好かれようという気持ちは積極的にある訳ではないが「嫌われない様に」と言いう気持ちはあった、
それは自分他人を見ていやな気持を持った時(ああ、自分はああは成りたくない)と思うからだった、
今の歳になって思うのは同年代の同性の服装や姿勢、振る舞いを見ると(ああ、自分はあんな風には成りたくない)と切実に思う
いつ頃からか、夢は積極的に(ああなりたい)から(ああは成りたくない)と言う消極的希望になっているが自分の限界を知ったという事ではないと思う、
どこかに(俺にはまだ出来る)と言う気持ちは残っている、
が思うのは(ああは成りたくない)である

新元号最初のお正月、大森蒲田では日本人が異邦人

2020-01-01 16:19:55 | 日記
昨日より少し寒くなるらしい、初詣をかねていつもの喫茶店に向かう
7時過ぎに娘からラインが来ただけでいつもと変わりない休みの日だ
運動の為に家から駅まで歩くことにしている、私の歩幅で3090歩、女房の歩幅では3700歩を超えている、
かかった時間は40分程度、出勤時は25分程度の距離だが女房は少し足が悪い
蒲田の駅に着いたらやはり閑散としてあまり人が居ない、駅前で10人程度がたむろしているが日本人ではなさそうだ、
女性が皆スカーフ状の布を巻いているのでおそらく中東の人達らしい、ブブカと言うらしい、
エスカレーターに向かうと上から降りてきた団体とバス停から来た団体はどうやら中国の人のようだ、
切符を買っている人も改札ですれ違う人もほぼ外国の人達だ。、ガラガラの電車内も半分くらいしか日本人が居ない、
これは大森駅で降りてもおんなじで街行く人たちの半分以上は外国の人達だった、
この辺りは非常に外国の人達が多い、ビジネスマンからサービス業の人達、一般的な主婦まで種種雑多(大変失礼な言い方で申し訳ない)な人達が行きかっている、
それでも平日は(多いな)とは感じても当然ながら行き交う人は日本人のほうが圧倒的に多いのだが正月に入ったら日本人が帰省したり正月の午前中だったので外に出ていなかったりでその割合が7対3くらいに外国人が多い、
どうも日本に観光に来ているのではないかと思われる団体も居て”何でこんなところで”という様なところで写真を撮っていたりする、
蒲田駅ビルの前で集合写真を撮っても住んでいる者にとっては”なんだろな?”と思うのだが蒲田と大森は羽田からバスが来ているので最初に着いた日本の街角と言う事なのかもしれない、
街の景色も様変わりしてきたのか国際的になったのか、どうも正月と言う景色がしない
行きつけの喫茶店はいつもと変わらず営業をしている、去年の7月まで言っていたジョナサンが8月から全面禁煙になったので私は喫煙はしないが女房は愛煙家なのでベローチェと言う喫茶店に変えた、
この店は喫煙席と禁煙席がガラスで仕切られているのだが女房の話では「2月から全面禁煙になって煙草は別に設けるブースになるらしい」と言う、
この辺りは多くの喫茶店があるが徐々に禁煙店が増えてきて女房にとってはどんどん行ける店が無くなってくる、
「そんなに目の敵にするくらいなら煙草も麻薬扱いにして禁止すればいいじゃないか」と息まいている、
先月「高齢の女性に多く見られる痙攣発作(所謂後発性の癲癇らしい)が発症し医師から「酒は控える様に」と言われた、
この病気は命にかかわるものではないが突然意識を失うので場所や状況では打ちどころが悪いと大変なことになる、発症するのはアルコールが入っている時が多いのでと言う事らしいがそれ以来毎日私に付き合っていた晩酌をすっぱりと止めたのに煙草に関しては「やめて長生きするなら好きなように吸って死んでもかまわない」そうだ、
まあ、実際に病気になれば止めるだろうけど今のところ肺だの呼吸器系の疾患は出ないし若年性高血圧症で通院していても医師に止めろとは言われていない様なので其の儘にしている、
しかし、世の中はどんどんと嫌煙社会になって「受動喫煙」の問題とか肺癌リスクとか厚生省もかなり広報をしているが国税としては税収の大きな柱でもあるのでだろう禁止にするという方針は出ていない、
世界的にも「煙草を禁止する」と言う国はあまり聞いたことはない、イスリムはアルコールが禁止だが煙草はいいんだろうか?
まあ煙草を吸わない自分にはどうでもいいのだけどね
初詣は今まで馬込八幡だったが今年から大森の八景天神に変えた、
駅の真ん前で道路を挟んだ近々に胸を突くような男坂があって小さな境内に小さな社がある、
お参りを済ませて御神籤を引いた、女房が中吉、自分は大吉だった、
良い一年になると良いけどね、来年は干支だが人生百年時代だという、あと何回年男をすることになるのかねえ、

親子三代、メールと会話の妙

2011-05-30 14:34:33 | 日記
午前中で長かった雨も取り合えずやんだ、予報では明日いっぱいは降らないらしいが梅雨に入っているので晴れ間は少なそうだ、通風の痛みがどうにか治まったので又少し歩き始めたが雨が降ると中々億劫だな、この鬱陶しい季節が終えると今度は暑い日が始まる、エアコンを控えてと言われているのでそれも憂鬱に成る、昨日は午後から孫が来て女房のPCでゲームをやっていたが兄の方が中学3年生になり弟も5年生になったので流石にそうは煩くない、こっちは酒を飲みながらテレビを見ていたが子供が近くでわさわさしている雰囲気も中々良いもんだ、
兄の方が来月修学旅行に行くらしいと弟から聞いたので小遣いを上げようとメールを入れたのだが返事が実に面白い、会話にならないのだ、
私「修学旅行だって?何時から何処に行く?小遣い程度を上げるから都合の良い時においで」
孫「大丈夫」
私、”大丈夫”に矢印つきで「↓意味不明」
孫「えっ?」
私「何時から何処に何日行くんだ?小遣いなら遠慮するな」
孫「じゃ貰いに行く」
結局何時から何処に何日行くのかも何時うちに来るのかも解らない、此れは来た昨日直接聞いて近畿三県に6月7日から3日間と解ったがバトミントンクラブに所属していて「今度との大会に出るんだ」と言っていたので「頑張ってるか」とメールを入れたら返事は「Yes!」だけだった、仕方ないので此方も「Good!」とだけ返しておいた。
娘に聞いたら「友達とは随分やり取りしているけど」と言う事だったがおかしな奴だ、そう言えばその娘も会話を主語抜きでするので小学校高学年から中学2年くらいまで日記を書かせた事が有った、しかし娘と息子に言わせると「主語抜き会話はお母さんからの遺伝」だそうだ、
確かに子供と女房が話をしているのを聞いていると両方で主語を抜いて話すので中々噛合わず自分が通訳をした事がかなり有る、
女房の話しは確かに面白い、聞かれた事に少し考える時があって一拍置いて返事をしたら全く関係のない話をしが返って来て「さっきの話は?」と聞くと「もう終わった」と言ったり、此方から何か話し掛けても違う話が戻って来るのでそれに答えていたら突然さっきの話の返事が来たりする、この会話にもだいぶ慣れた、お陰で退屈はしない、
息子は「何の話をしてるのか理解できん」とよく言っている、娘は此れに輪をかけて話しがとっ散らかってゆくのでこの母娘で買物に行く事があるが会話が成り立っているんだろうか心配になるが当人達はそれで不思議でも何でも無いのかも知れない。

近くの保育園の庭に咲く花で昔から気になっていた物がある、何かの本で見かけたがなんと言う花だっただろう、




色が白ならブラシみたいだが木なりで結構大きくなり枝にびっしり咲く、今時分はもう殆ど枯れているのだが気にしていると結構彼方此方に咲いていたな

野菜が育って来た

2011-03-03 08:13:43 | 日記
窓辺に置いた野菜たちが段々と大きく育って来た、人参は葉だけ見ている分には随分綺麗に育ってきた、



しかし足元は生ゴミを連想するので消して見た



牛蒡の方も結構大きくなった、窓が南を向いているので朝陽も良く射す、時間は7時頃



今日は寝過ごしてしまった、眼が覚めたら部屋が明るい、時計を見たら6時半だった、全く眼が覚めないでこの時間まで寝たのは久し振りだ、最近は必ずと言って良いほどトイレに起きていたので(歳のせいかな)と思っていたが未だ大丈夫かと思ったがま今日が特別なのかも知れないな。
先々週、秋葉原でモバイルビデオカメラを買って来た、ジャンクだが32万画素のブランドが2千円弱であったので図面を見るのに使おうと買って来た、この用途にはそのまま利用しているて結構鮮明で使いやすい、
買った時一緒にSkypが着いていたので息子にも送って孫の顔でも見ようかと思うのだが未だSkypの設定が良く解からない、上手く行けば無料のTV電話になる、
息子は介護施設で働いているので休みが合わない上1時間半位掛かる所に居るので孫の顔も暫く見ない、3歳になったのだがこの頃は3ヶ月も見ていないと本当に変わってしまうのでなるべく早くセットをしたいと思っている